「戦争をしない国」という、従来からの日本の立ち位置を説明しながら、イスラム国に対し彼らの解放を訴えていた。その話を伺いながら、その声が届くかどうかというのもあるけれど、そもそも冒頭の、日本は「戦争をしない国」という前提条件が成立しているのだろうか。
日本における米軍の存在は、「アメリカの世界戦略」という当初の目的から、最近では「日本の傭兵」的な位置づけになっているだろうというのは、いわゆる「思いやり予算」からも見えてくる。でも、彼らの存在こそが極東の危険を高めてはいないだろうか。そして、自らは手を汚さずとも、アメリカを中心とした軍事的な暴力を「支持する」という国が「戦争をしない国」と誇りを持って言えるのだろうか。
結果がどうなろうとも、海外だけでなく国内でも日本人が憎悪の標的となる危険性が高まっていくだろう。そして、それはこの事件が引き金になったのではなく、現政権による軍事力の強化をはじめとした政策によるものだと思う。そして、我々は現政権の方針を投票(または棄権)によって支持したのだ。彼ら2名を人質に取られたことの責任の一端は我々にあるのかもしれない。
人質となった2人の命が救われることを改めて願う。そして、その願いはこの国の将来をどのようなものにしていくかという僕らの意思が前提条件になるように思う。