核兵器・原発・再エネの波間に漂う青森県
この1か月の間に、後世にまで影響を及ぼす重大な出来事が相次いでいる。
5月の広島サミットでは、あろうことか核抑止論が肯定され、明文化された。この論理の中にいる限り核兵器の廃絶は不可能だが、核保有国が自ら否定すれば保有する核兵器は無意味となるので、この結果は最初から見通せていたはずだ。岸田首相は広島の地で「核兵器永続宣言」を残した。
5月末には原発活用を掲げたGX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法が成立した。「原子力の憲法」と呼ばれる原子力基本法にも手を付け、原発活用を国の責務と位置づけ、原子力事業を国が将来まで支えることを明確にした。岸田政権による「原発永年持続法」の完成である。
6月に入り、予想通りの大差で宮下氏が県知事に選出された。保守系市長対決という構図の中で、原発・核燃問題は争点とされず、共産党候補に投票したのは有権者の1%で、泡沫候補の0.5%と大差なかった。
三村前知事は、福島原発事故後の民主党政権における議論の際にテーブルを叩いて怒りをあらわにした場面を除けば、規制当局の議論を待ちながら、自ら判断せず問題を先送りにするかのような姿勢に終始した。
一方、宮下新知事は立地4市町村の代表として発言し、選挙戦の中でも推進姿勢を明らかにしてきた。とは言え、この問題は既に行き詰まっており、知事や法律が変わろうとも、状況が変化するわけではない。
その宮下氏の公約の中に、再エネ推進のためのゾーニング条約が掲げられた。原発反対・再エネ推進の環境派が「八甲田だから」絶対反対を叫ぶ姿を奇異に感じなかっただろうか。横浜町なら良くて八甲田なら全てダメなのか、論理性や説得力に欠けた。ゾーニングは宮下氏のオリジナルではなく、久慈市では実証事業で報告書も出されている。青森県はここでも周回遅れだったのだ。
(青森県保険医新聞7月1日号掲載)
この1か月の間に、後世にまで影響を及ぼす重大な出来事が相次いでいる。
5月の広島サミットでは、あろうことか核抑止論が肯定され、明文化された。この論理の中にいる限り核兵器の廃絶は不可能だが、核保有国が自ら否定すれば保有する核兵器は無意味となるので、この結果は最初から見通せていたはずだ。岸田首相は広島の地で「核兵器永続宣言」を残した。
5月末には原発活用を掲げたGX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法が成立した。「原子力の憲法」と呼ばれる原子力基本法にも手を付け、原発活用を国の責務と位置づけ、原子力事業を国が将来まで支えることを明確にした。岸田政権による「原発永年持続法」の完成である。
6月に入り、予想通りの大差で宮下氏が県知事に選出された。保守系市長対決という構図の中で、原発・核燃問題は争点とされず、共産党候補に投票したのは有権者の1%で、泡沫候補の0.5%と大差なかった。
三村前知事は、福島原発事故後の民主党政権における議論の際にテーブルを叩いて怒りをあらわにした場面を除けば、規制当局の議論を待ちながら、自ら判断せず問題を先送りにするかのような姿勢に終始した。
一方、宮下新知事は立地4市町村の代表として発言し、選挙戦の中でも推進姿勢を明らかにしてきた。とは言え、この問題は既に行き詰まっており、知事や法律が変わろうとも、状況が変化するわけではない。
その宮下氏の公約の中に、再エネ推進のためのゾーニング条約が掲げられた。原発反対・再エネ推進の環境派が「八甲田だから」絶対反対を叫ぶ姿を奇異に感じなかっただろうか。横浜町なら良くて八甲田なら全てダメなのか、論理性や説得力に欠けた。ゾーニングは宮下氏のオリジナルではなく、久慈市では実証事業で報告書も出されている。青森県はここでも周回遅れだったのだ。
(青森県保険医新聞7月1日号掲載)