安倍晋三・現首相(以下A)はこの大博打<川内原発稼働継続>をする資格のない人物である。最初の首相在任時に「原発の全電源喪失は起きない」と断言して福島原発事故を引き起こした張本人の一人なのだから。結果的に、福島の責任も問われず良心の呵責も何ら感じずに、再び賭けに興じる機会を得た。
この賭けはAが勝つ確率の方が当然大きい。しかし、万が一負けたときには国民、国家、国土に取り返しのつかない損失を与える。その際には、同じようにAは責任も問われず良心の呵責も何ら感じずに済む。Aにとって川内原発を停止するメリットは皆無であり、稼働継続以外の選択肢はあり得ない。
Aのような人物を首相に選んで衆参における絶対多数という権力を与えてしまえば、今回に限らず形は違えど似たような事態に陥ることは、少しでも思慮深く考えることのできる人なら想像できたはずだ。簡単に言えば、お金と人の命を天秤にかけてお金を選ぶことができる人間かどうかという問題。
熊本の最初の震度7(14日)の段階で川内原発を停止させないのは怪しからんというご意見には賛同しかねます。原発はガスコンロみたいに揺れたら消して収まったらまた着けてなんて気軽にできないし、緊急停止はそれ自体リスクが高いプロセスなので、震度4で一々止めていたらかえって危険。
ここでお断りしておきますが、私は原発即時ゼロを求めているし、全ての原発再稼働には反対です。14日(震度7)の段階はともかく、16日未明からの誰にも予想できなかった状況を見て、今のうちに川内原発を通常停止させておくべきとは思うし、それを実現できる手段があるのなら教えて欲しいと思う。
菅元首相が浜岡を超法規的手段で停止させることができたのは、福島の惨状をみて、国民の大多数が浜岡停止を支持したから(当時はまだ汚染状況もメルトダウン自体も国民に知らされていなかったにも関わらず)。中電は国に損害賠償を訴えることもできた。しかし、それは事実上不可能だった。
Aが同じように川内原発を超法規的に停止させれば、国民の支持を集めて政権運営や参院選に有利に働くという打算も想定可能だろう。しかし、それは絶対にあり得ない。せっかく二つの法的なお墨付きを得たのだから。原子力規制委員会の承認と裁判所の仮処分棄却という二つを。
特に裁判所は、耐震性などの規制基準を満たしていれば法的には再稼働に問題はなく、破局噴火は事実上無視しても構わないという司法判断を示した(仮処分棄却という段階であれ)。もし川内原発で重大事故が起きても、規制委員会と裁判所という二重のお墨付きにより、首相であるAの責任は全くない。
無論、規制委員会は最初から規制基準は安全を担保するものではないと逃げ道をつくっているし、重大事故が起きることを想定して避難は自治体や国に責を負わせている。司法当局がその判断について責任を問われることはない。巴構造のように、三者がお互いに責任を問われずに済むシステムになっている。
せっかく裁判所のお墨付きが得られたばかりなのに、Aが菅元首相のマネをして超法規的に川内原発を停止させれば、規制基準や司法判断が誤りであったと自ら認めることになり、全国で訴訟が起きている状況で、今後の原発再稼働は事実上不可能になってしまう。高浜の司法判断を覆すこともできない。
もし震度7の地震が川内原発を襲ったとしても、緊急停止と冷却装置稼働により無事に冷温停止できれば、世界一安全な基準・原発だと国内外に胸を張って主張できる。もしダメでも、規制委や司法判断により自らの責は問われない。どちらに転んでも損はないのに、火中の栗を拾うメリットはない。
都合の良いことに、共産党が停止要請をしてくれた。首相が規制委や裁判所の判断を無視して超法規的に停止させれば、三権分立に背く憲法違反であり、それを要求する共産党の違憲性を問うことができる。共産党などの違憲・違法の要求に屈しない姿勢は支持層にアピールすることもできる。
(こんなところで「憲法違反の法律を制定した戦後初めての首相」であるA自身が野党の主張を憲法違反として批難する権利があるとは思えないが、何しろAは憲法に関する知識・認識が欠如していて憲法違反であるという認識が全くないのだから、その矛盾をついても鼻先で笑い飛ばすだけだろう)
(安倍晋三・現首相をAと略していることについて疑義があるかもしれないが、1)繰り返し使用する名詞は長くなるので字数制限のあるTWの中では省略した、2)繰り返し登場する名称について書いたり読んだりする際の不快感を軽減する、3)個人のTWのつぶやきの問題であると答えておこう)
私たちは、国民の命を最優先にしないロシアンルーレットのような賭けの中に勝手に放り込まれている。1)川内原発に大きな影響がなく運転継続、2)激震で緊急停止・冷温停止、3)重大事故、これらを三択で選ばざるを得ないという設定自体が間違っている。そもそも原発というのはそういう存在。
原発・核燃サイクル・最終処分などの問題について、様々な方が「中立的」な意見や、二項対立からの脱却をなどと訴えることは、(その論理が正しく良心的な思慮から生まれたものであったとしても)現実的な解決策になり得ないだけでなく、推進派から「歓迎すべき意見」として囲い込まれてしまう。
「二項対立から脱却」することが不可能な(=政策転換がしたくてもできない)事態に陥っているのは、推進派の方だ。それは、福島原発の破局的事故という絶対に起こしてはならない事態を経験しても、根本的な見直しをするができずに推進路線を突っ走っていることからも明らかだろう。
原発・核燃サイクル等の問題については、「反対派」ではない中間派、慎重派、保留派、消極的現実容認派、選挙棄権・無関心派といった人達は全て「賛成派」にされてしまう。小出先生が著書のタイトルに『騙されたあなたにも責任がある』とつけたのには、そういう意味も含まれていると思う。
<例えば最終処分の問題は、推進側がこれまでの誤りを認めて謝罪し、原発・核燃政策の根本的見直しを表明した上で、相当の年月をかけて開かれた国民的議論を続けていかなければ解決できない。これは現政権では不可能。「海か山か」という問題ではない。「民主的政権」の存在が最低条件>
もし川内原発を止めるべきだという人の中に、現政権における選挙で与党議員に投票したり棄権した人がいるなら、発言権はない(…いないと思うが)。現実は勝つか負けるかの戦争なのだから、選挙(北海道補選・参院選)で結果を出すしかない。停止要請や署名、デモなんてほとんど期待できない。
川内原発を止めることは原発ゼロを勝ち取ることに匹敵する最前線の戦い。相手は国家・産業界・米国軍産複合体まで及ぶ巨大権力であり、一筋縄ではいかない。ただし、おそらくA政権内でも身内や支持者からの声も高まって、官邸でも止めるオプションは考慮したはずだが、何もできず進退窮まっている。
東日本大震災・福島原発事故という大惨事を目の当たりにしながら、この国の自然災害を甘く見たことを悔いても遅い。A政権には参院選までに熊本群発地震が鎮静化し、川内原発が何事もなく運転継続することを祈るしか選択肢はない。激震で緊急停止すれば事故に繋がらなくとも二度と再稼働はできない。
前述のように、この賭けはAが勝つ蓋然性の方が高く、川内原発を停止させなければ我々は一緒に無事を祈るしかない。そしてAが賭けに勝てば安全性が証明され全国で再稼働が続くという矛盾した事態に陥る。川内を止めるためには、Aを首班から引き摺り下ろす以外の選択肢はないというのが陳腐な結論。
(公明党や自民党内の反乱という可能性についても考えてみたがほとんどゼロに近い。民進党が川内原発の停止要請をしないことに決定したことで、稼働継続はほぼ間違いない。北海道補選でダブルスコアに近い差がつけば事態は流動的になるかもしれないが、あとは野となれ山となれ。)
この賭けはAが勝つ確率の方が当然大きい。しかし、万が一負けたときには国民、国家、国土に取り返しのつかない損失を与える。その際には、同じようにAは責任も問われず良心の呵責も何ら感じずに済む。Aにとって川内原発を停止するメリットは皆無であり、稼働継続以外の選択肢はあり得ない。
Aのような人物を首相に選んで衆参における絶対多数という権力を与えてしまえば、今回に限らず形は違えど似たような事態に陥ることは、少しでも思慮深く考えることのできる人なら想像できたはずだ。簡単に言えば、お金と人の命を天秤にかけてお金を選ぶことができる人間かどうかという問題。
熊本の最初の震度7(14日)の段階で川内原発を停止させないのは怪しからんというご意見には賛同しかねます。原発はガスコンロみたいに揺れたら消して収まったらまた着けてなんて気軽にできないし、緊急停止はそれ自体リスクが高いプロセスなので、震度4で一々止めていたらかえって危険。
ここでお断りしておきますが、私は原発即時ゼロを求めているし、全ての原発再稼働には反対です。14日(震度7)の段階はともかく、16日未明からの誰にも予想できなかった状況を見て、今のうちに川内原発を通常停止させておくべきとは思うし、それを実現できる手段があるのなら教えて欲しいと思う。
菅元首相が浜岡を超法規的手段で停止させることができたのは、福島の惨状をみて、国民の大多数が浜岡停止を支持したから(当時はまだ汚染状況もメルトダウン自体も国民に知らされていなかったにも関わらず)。中電は国に損害賠償を訴えることもできた。しかし、それは事実上不可能だった。
Aが同じように川内原発を超法規的に停止させれば、国民の支持を集めて政権運営や参院選に有利に働くという打算も想定可能だろう。しかし、それは絶対にあり得ない。せっかく二つの法的なお墨付きを得たのだから。原子力規制委員会の承認と裁判所の仮処分棄却という二つを。
特に裁判所は、耐震性などの規制基準を満たしていれば法的には再稼働に問題はなく、破局噴火は事実上無視しても構わないという司法判断を示した(仮処分棄却という段階であれ)。もし川内原発で重大事故が起きても、規制委員会と裁判所という二重のお墨付きにより、首相であるAの責任は全くない。
無論、規制委員会は最初から規制基準は安全を担保するものではないと逃げ道をつくっているし、重大事故が起きることを想定して避難は自治体や国に責を負わせている。司法当局がその判断について責任を問われることはない。巴構造のように、三者がお互いに責任を問われずに済むシステムになっている。
せっかく裁判所のお墨付きが得られたばかりなのに、Aが菅元首相のマネをして超法規的に川内原発を停止させれば、規制基準や司法判断が誤りであったと自ら認めることになり、全国で訴訟が起きている状況で、今後の原発再稼働は事実上不可能になってしまう。高浜の司法判断を覆すこともできない。
もし震度7の地震が川内原発を襲ったとしても、緊急停止と冷却装置稼働により無事に冷温停止できれば、世界一安全な基準・原発だと国内外に胸を張って主張できる。もしダメでも、規制委や司法判断により自らの責は問われない。どちらに転んでも損はないのに、火中の栗を拾うメリットはない。
都合の良いことに、共産党が停止要請をしてくれた。首相が規制委や裁判所の判断を無視して超法規的に停止させれば、三権分立に背く憲法違反であり、それを要求する共産党の違憲性を問うことができる。共産党などの違憲・違法の要求に屈しない姿勢は支持層にアピールすることもできる。
(こんなところで「憲法違反の法律を制定した戦後初めての首相」であるA自身が野党の主張を憲法違反として批難する権利があるとは思えないが、何しろAは憲法に関する知識・認識が欠如していて憲法違反であるという認識が全くないのだから、その矛盾をついても鼻先で笑い飛ばすだけだろう)
(安倍晋三・現首相をAと略していることについて疑義があるかもしれないが、1)繰り返し使用する名詞は長くなるので字数制限のあるTWの中では省略した、2)繰り返し登場する名称について書いたり読んだりする際の不快感を軽減する、3)個人のTWのつぶやきの問題であると答えておこう)
私たちは、国民の命を最優先にしないロシアンルーレットのような賭けの中に勝手に放り込まれている。1)川内原発に大きな影響がなく運転継続、2)激震で緊急停止・冷温停止、3)重大事故、これらを三択で選ばざるを得ないという設定自体が間違っている。そもそも原発というのはそういう存在。
原発・核燃サイクル・最終処分などの問題について、様々な方が「中立的」な意見や、二項対立からの脱却をなどと訴えることは、(その論理が正しく良心的な思慮から生まれたものであったとしても)現実的な解決策になり得ないだけでなく、推進派から「歓迎すべき意見」として囲い込まれてしまう。
「二項対立から脱却」することが不可能な(=政策転換がしたくてもできない)事態に陥っているのは、推進派の方だ。それは、福島原発の破局的事故という絶対に起こしてはならない事態を経験しても、根本的な見直しをするができずに推進路線を突っ走っていることからも明らかだろう。
原発・核燃サイクル等の問題については、「反対派」ではない中間派、慎重派、保留派、消極的現実容認派、選挙棄権・無関心派といった人達は全て「賛成派」にされてしまう。小出先生が著書のタイトルに『騙されたあなたにも責任がある』とつけたのには、そういう意味も含まれていると思う。
<例えば最終処分の問題は、推進側がこれまでの誤りを認めて謝罪し、原発・核燃政策の根本的見直しを表明した上で、相当の年月をかけて開かれた国民的議論を続けていかなければ解決できない。これは現政権では不可能。「海か山か」という問題ではない。「民主的政権」の存在が最低条件>
もし川内原発を止めるべきだという人の中に、現政権における選挙で与党議員に投票したり棄権した人がいるなら、発言権はない(…いないと思うが)。現実は勝つか負けるかの戦争なのだから、選挙(北海道補選・参院選)で結果を出すしかない。停止要請や署名、デモなんてほとんど期待できない。
川内原発を止めることは原発ゼロを勝ち取ることに匹敵する最前線の戦い。相手は国家・産業界・米国軍産複合体まで及ぶ巨大権力であり、一筋縄ではいかない。ただし、おそらくA政権内でも身内や支持者からの声も高まって、官邸でも止めるオプションは考慮したはずだが、何もできず進退窮まっている。
東日本大震災・福島原発事故という大惨事を目の当たりにしながら、この国の自然災害を甘く見たことを悔いても遅い。A政権には参院選までに熊本群発地震が鎮静化し、川内原発が何事もなく運転継続することを祈るしか選択肢はない。激震で緊急停止すれば事故に繋がらなくとも二度と再稼働はできない。
前述のように、この賭けはAが勝つ蓋然性の方が高く、川内原発を停止させなければ我々は一緒に無事を祈るしかない。そしてAが賭けに勝てば安全性が証明され全国で再稼働が続くという矛盾した事態に陥る。川内を止めるためには、Aを首班から引き摺り下ろす以外の選択肢はないというのが陳腐な結論。
(公明党や自民党内の反乱という可能性についても考えてみたがほとんどゼロに近い。民進党が川内原発の停止要請をしないことに決定したことで、稼働継続はほぼ間違いない。北海道補選でダブルスコアに近い差がつけば事態は流動的になるかもしれないが、あとは野となれ山となれ。)