熊本熊的日常

日常生活についての雑記

夜汽車にて

1985年03月01日 | Weblog
いよいよ愛しいバンガロールともお別れである。最後の日は、LAL BAGHから路地裏へ入って市場へ抜ける。人々のエネルギッシュな生活が迫ってくるようだ。子供たちが寄ってきたり、牛に行く手を阻まれたりしながら、自転車やスクーターをかき分けて歩く。人の山、人の海。映画館の前には長蛇の列。インドでは映画の人気が妙に高い。大道芸のようなものも盛んらしく、街角にいるとよく笛や太鼓の音が響いてくる。猿回しを見かけたこともあった。ずいぶん歩いたので喉が乾いた。ちょうどパパイヤ売りがいたので1ルピー出してみた。するとパパイヤを縦に8等分した1切れと50パイサが返ってきた。みずみずしい甘さとでもいうのだろうか。日本で食べるものより臭みがなく、さっぱりしている。次ぎにスイカの屋台でスイカを1切れ。最後にいつも夕食を食べていた店でターリーを食べる。いつも食べていたダルより辛く、少し残してしまった。食後、これまたいつもの店で砂糖黍ジュースを飲む。これはインドで最もおいしい飲食物である。ホテルへ戻って汗を流し、荷物をまとめる。マドラスを離れる時はなんとなく安堵感を感じたが、今日は寂しさを感じている。また機会を見つけて訪れたい町である。

列車の発車時間は16時45分だが、念のため15時頃駅に出かけて出発を待った。人影はまばらである。ホームには列車の予約者名簿が貼り出されている。今度はちゃんと自分の名前が印刷されていた。まずは一安心。発車時刻30前くらいになるとホームはにわかに賑やかになる。いままでシートがかけられていた屋台が次々に姿を現し、その正体が明らかになる。あるものはタバコ屋、あるものは果物屋、またあるものは雑誌スタンドといった具合である。インドは多民族国家なのでホームに集まってくる人々の姿も実に様々である。ただ共通しているのはやたらに荷物が多いということだ。衣料品はもとより調理器具や水瓶まで家財一式を持っている。そんなわけで列車がホームに入線すると大変な騒動になるのである。おまけに切符を持っていない人や、切符を持っていてもアラビア数字が読めなくて自分の座席が判らない人などが荷物をズリズリ引きずって客車の通路を移動するのである。また、当地の人々は他人に頭を下げるということを知らない。他人にぶつかっても、落とし物を拾ってあげても無表情でニコリともしない。私の席は窓側だが、目の前を見送りの人と見送られる人の腕が行ったり来たりする。例えば、窓の外の人と車内の人とが握手をすれば、その握られた手が私の眼の前で上下したりするのである。生憎、列車は出発時刻を15分も過ぎているのに発車する気配がない。結局、私が出発前の騒ぎから解放されたのは、つまり、列車がホームを離れたのは定刻の25分後、17時10分だった。

夕食には車内でバナナでも食べようかと思ったが、どの駅にもバナナ売りの姿が見えなかった。そうこうしているうちに車内食の注文を取りにきたので、頼むことにした。4.20ルピーだった。実際に食事が配膳されたのは注文を取りにきてから2時間後のことだ。アルミの皿に盛られたターリーだった。食べ終わって最初に停車した駅で口直しにリムカを飲んだ。ビンを持って列車に戻ろうとしたら、売り子が文句を言う。ビンは返さなくてはならないのである。

私の席は2等寝台だが、それは文字どおり「寝台」であってベッドではない。ただの木の板なのである。自分のカバンを枕にして、服の上にトレーナーを重ね着して横になった。昼間の暑さが嘘のように肌寒い。