列車のなかで二晩も過ごすと、鞄も身体も埃だらけである。列車の終着駅はニューデリー郊外のニザムディンという駅だったので、そこでマドラスからやって来たニューデリー行きの別の列車に乗り換えた。ニューデリー駅のホームに降りると、早速リクシャーの勧誘が始まる。改札を抜けると、勧誘合戦は一段と激しさを増す。しかし、ただひたすら無視して歩き続ける。こういうのにかかわっているとろくなことはないのである。
3日間にわたる列車での移動に身も心も疲れ果てていたので、少しくらい値段が高くても清潔で、湯の出るシャワーがあるホテルに泊まりたいと思った。持参していた「地球の歩き方」によればAshok Yatri Niwasというホテルが値段も手頃で条件に合うようなので、迷わずそこへ向かって歩いた。駅前を離れ、しばらくしてもリクシャーのオヤジが
“Cheap Hotel!”
などと声をかけてくる。やかましい。
コンノートプレース界隈は、以前に何かの本とか写真で見たロンドンの街並みに似ている。ここは、かつてイギリスの植民地だったので、街並みが宗主国のそれに似ているのは当然といえば当然だ。
駅を出てから歩くこと30分ちょい。ようやく目的のアショク・ヤトリに着いた。20階建てくらいの高層ビルである。フロントも立派で、職員も身だしなみが整っており、なかなか高級そうなのだが、料金はシングル一泊80ルピーである。但し、外国人はドルでの支払となる。前金で宿泊料金を支払うと部屋の鍵とレジデント・カードを渡された。カード付きはインドに来て初めてである。ホテルの中はインド人が多いのだが、白人や東洋人の姿もある。こういうコスモポリタンな雰囲気も、インドに来て初めて体験した。
部屋はさっぱりとしていて明るい。何はともあれシャワーを浴びる。外が晴れていても雨でもお湯が出るシャワーを使うのはインドに来て、これまた初めてである。シャワーがこんなに気持ち良いと感じたことは今までになかったかもしれない。シャワーを浴びてホッとしたら急に腹が減ってきた。1階へ降りて、食券制の食堂でトースト、オムレツ、紅茶を頼んだ。どれもインドに来て初めて口にするものである。どれも珍しいものではないのに、3週間ぶりに、しかも2日間の苦行の後に口にすると、これがとんでもなく旨いのである。部屋に戻って洗濯に精を出す。量が多いのでなかなかの大仕事である。一仕事終えて用を足す段になって、またまた驚いた。トイレットペーパーがある。インドに来て、初めてトイレットペーパーのあるトイレに入った。もう時刻は午前11時半。少し横になる。
午後になって街へ出た。ホテルを後にしてすぐ、ジャンパトホテルの角で日本人青年と出遭った。私と同じく学生で、4日後に帰国するという。土産の紅茶を買い込んで来たとのことで、大きな袋を抱えていた。日本人と話をするのは2月25日以来のことなので、何故だかとても嬉しかった。
その後、街の観光地図を手に入れようと思い、ツーリストインフォメーションへ立ち寄った。そこにも日本人旅行者がいた。昨日インドに着いたばかりだという青年は、早くもサンダルを履いていた。値段を尋ねると60ルピーだという。これはかなりボラれたようだ。インドの人々の多くはサンダルを愛用している。それはこのクソ暑い気候のせいでもあろうが、経済的な理由もあるのだろう。バンガロールの靴屋では、スニーカーが50ルピーから100ルピー、普通の革靴は150ルピー以上していた。マハーバリプラムの寺院前にいたサンダル売りは、最初、5ルピーまたはライター3個と言ってきた。どう考えても60ルピーのサンダルというのは高い。物価が日本の10分の1というのは感覚としてピンとこないのである。多少の高い買い物はやむを得ない。その彼が言うには、つい先ほど、持ち物を全て盗まれた日本人に会ったそうだ。リクルートのツアーで来た人で、必至で大使館やら警察やらを走りまわっていたそうだ。
さて、次にコンノートプレースへ向かう。薬局へ行って風邪薬を買おうとしたら、まず医者に診てもらえという。とりあえず、今夜一晩様子を見て医者へ行くか否かを決めることにして、これから昼ご飯を食べにNirulaというサラダバイキングの店に入った。この店は「21」というサーティーワンそっくりのアイスクリーム屋の2階にある。客の多くは外国人で、特に白人女性が目立った。お値段は一食30ルピーだった。
コンノートプレースをほぼ一周してから、メインバザールへ行ってみた。コンノートプレースからニューデリー駅への道は、朝通った時には糞が適当に転がっているだけの道だったが、今はちがう。客待ちの馬車が並び、道端には床屋、手相見、歯医者、などいろいろな商売が並んでいる。この道をはさんで駅の向いに広がるメインバザールはたいへんインド的な風景であった。つまり、今までさんざん見てきたインドの街並みであった。
再びコンノートプレースへ戻り、エアコン完備の地下街Palika Bazarへ行ってみた。日本の地方都市の地下街のようである。どこか裏寂れた感じがするのだが、人通りは激しかった。並んでいる商品は衣料品から電気機器まで様々である。ここの一角に絵葉書を売っている店があった。店番の婆さんは、はじめ切手を出して買えと言ってきた。絵葉書が欲しいというと、冊子になっているものを出してきて、”It’s cheap”という。20枚で10ルピーなので全然安くないのだが、値切りもせず買ってしまった。
ホテルへ戻る途中、ジャンパト通りのチベット民芸品店の前で、気弱そうな日本人と出遭った。元気がなく暗そうな奴だった。私と同じく4月から就職で、トヨタに内定しているという。もうインドはこりごりだと言っていた。
ホテルに戻ると、熱のせいか身体がだるくてどうしょうもなくなってしまった。ホテルの1階のレストランで暖かいトマトスープを飲んで、そのまま床に着いた。
3日間にわたる列車での移動に身も心も疲れ果てていたので、少しくらい値段が高くても清潔で、湯の出るシャワーがあるホテルに泊まりたいと思った。持参していた「地球の歩き方」によればAshok Yatri Niwasというホテルが値段も手頃で条件に合うようなので、迷わずそこへ向かって歩いた。駅前を離れ、しばらくしてもリクシャーのオヤジが
“Cheap Hotel!”
などと声をかけてくる。やかましい。
コンノートプレース界隈は、以前に何かの本とか写真で見たロンドンの街並みに似ている。ここは、かつてイギリスの植民地だったので、街並みが宗主国のそれに似ているのは当然といえば当然だ。
駅を出てから歩くこと30分ちょい。ようやく目的のアショク・ヤトリに着いた。20階建てくらいの高層ビルである。フロントも立派で、職員も身だしなみが整っており、なかなか高級そうなのだが、料金はシングル一泊80ルピーである。但し、外国人はドルでの支払となる。前金で宿泊料金を支払うと部屋の鍵とレジデント・カードを渡された。カード付きはインドに来て初めてである。ホテルの中はインド人が多いのだが、白人や東洋人の姿もある。こういうコスモポリタンな雰囲気も、インドに来て初めて体験した。
部屋はさっぱりとしていて明るい。何はともあれシャワーを浴びる。外が晴れていても雨でもお湯が出るシャワーを使うのはインドに来て、これまた初めてである。シャワーがこんなに気持ち良いと感じたことは今までになかったかもしれない。シャワーを浴びてホッとしたら急に腹が減ってきた。1階へ降りて、食券制の食堂でトースト、オムレツ、紅茶を頼んだ。どれもインドに来て初めて口にするものである。どれも珍しいものではないのに、3週間ぶりに、しかも2日間の苦行の後に口にすると、これがとんでもなく旨いのである。部屋に戻って洗濯に精を出す。量が多いのでなかなかの大仕事である。一仕事終えて用を足す段になって、またまた驚いた。トイレットペーパーがある。インドに来て、初めてトイレットペーパーのあるトイレに入った。もう時刻は午前11時半。少し横になる。
午後になって街へ出た。ホテルを後にしてすぐ、ジャンパトホテルの角で日本人青年と出遭った。私と同じく学生で、4日後に帰国するという。土産の紅茶を買い込んで来たとのことで、大きな袋を抱えていた。日本人と話をするのは2月25日以来のことなので、何故だかとても嬉しかった。
その後、街の観光地図を手に入れようと思い、ツーリストインフォメーションへ立ち寄った。そこにも日本人旅行者がいた。昨日インドに着いたばかりだという青年は、早くもサンダルを履いていた。値段を尋ねると60ルピーだという。これはかなりボラれたようだ。インドの人々の多くはサンダルを愛用している。それはこのクソ暑い気候のせいでもあろうが、経済的な理由もあるのだろう。バンガロールの靴屋では、スニーカーが50ルピーから100ルピー、普通の革靴は150ルピー以上していた。マハーバリプラムの寺院前にいたサンダル売りは、最初、5ルピーまたはライター3個と言ってきた。どう考えても60ルピーのサンダルというのは高い。物価が日本の10分の1というのは感覚としてピンとこないのである。多少の高い買い物はやむを得ない。その彼が言うには、つい先ほど、持ち物を全て盗まれた日本人に会ったそうだ。リクルートのツアーで来た人で、必至で大使館やら警察やらを走りまわっていたそうだ。
さて、次にコンノートプレースへ向かう。薬局へ行って風邪薬を買おうとしたら、まず医者に診てもらえという。とりあえず、今夜一晩様子を見て医者へ行くか否かを決めることにして、これから昼ご飯を食べにNirulaというサラダバイキングの店に入った。この店は「21」というサーティーワンそっくりのアイスクリーム屋の2階にある。客の多くは外国人で、特に白人女性が目立った。お値段は一食30ルピーだった。
コンノートプレースをほぼ一周してから、メインバザールへ行ってみた。コンノートプレースからニューデリー駅への道は、朝通った時には糞が適当に転がっているだけの道だったが、今はちがう。客待ちの馬車が並び、道端には床屋、手相見、歯医者、などいろいろな商売が並んでいる。この道をはさんで駅の向いに広がるメインバザールはたいへんインド的な風景であった。つまり、今までさんざん見てきたインドの街並みであった。
再びコンノートプレースへ戻り、エアコン完備の地下街Palika Bazarへ行ってみた。日本の地方都市の地下街のようである。どこか裏寂れた感じがするのだが、人通りは激しかった。並んでいる商品は衣料品から電気機器まで様々である。ここの一角に絵葉書を売っている店があった。店番の婆さんは、はじめ切手を出して買えと言ってきた。絵葉書が欲しいというと、冊子になっているものを出してきて、”It’s cheap”という。20枚で10ルピーなので全然安くないのだが、値切りもせず買ってしまった。
ホテルへ戻る途中、ジャンパト通りのチベット民芸品店の前で、気弱そうな日本人と出遭った。元気がなく暗そうな奴だった。私と同じく4月から就職で、トヨタに内定しているという。もうインドはこりごりだと言っていた。
ホテルに戻ると、熱のせいか身体がだるくてどうしょうもなくなってしまった。ホテルの1階のレストランで暖かいトマトスープを飲んで、そのまま床に着いた。