午前5時頃、子供の泣き声で目が覚めた。目は覚めても、私の寝台は中段なので、下段の人が起きてくれない限り、身動きがとれない。普通に座っていられる状態になったのは、午前8時近くなってからだった。窓の外は相も変らぬ田園風景である。牛が犂を牽き、人々は井戸で水を汲む。煉瓦でできた瓦葺の家屋が点在する。家の外見などは、南部のそれより多少は立派に見える。生活水準も多少は違うのだろうか。
午前9時頃、列車がナグプールに近づくと、車内は俄かに活気付く。私の乗っているコンパートメントでも、乗客の半数が入れ替わった。約30分ほどの停車時間に、掃除小僧が埃をまきあげながら車内を掃いて周る。私はホームに出てバナナを買い、持っていたワインの空き瓶に水を詰める。
水を汲むのはなかなか大変な作業である。みんなが大きな水筒に水を詰め込もうとするので、時間がかかる。順番などおかまいなしにどんどん割り込んでくる。こういうときは、始めに蛇口ありき、である。いくつかある蛇口のなかから、ひとつに狙いを定め、まず、その蛇口に手をかけることに専念する。私の前にいる人の水筒が一杯になる。すかさず、蛇口に手を伸ばし、場所を確保する。と、思ったら、前の人と入れ替わるほんの一瞬の隙に脇から首がぬっと出てきて、ゴクゴクと水を飲みだした。コノヤロウ!水を止めてやろうかとも思ったが、気が弱いのでそのまま待つ。首が引っ込むのと同時に瓶を蛇口へ。
列車に戻ると間もなく、さっきの掃除小僧が金集めに来た。今日は小銭の持ち合わせがあったので、10パイサで済んだ。
それにしても長い一日である。午前11時頃になると気温も高くなり、座っているだけでも息苦しくなる。コンパートメントにナグプールから乗ってきた人が私に話し掛けてきた。たいして印象に残らない会話が、BGMのように軽く流れてゆく。ボパールのユニオン・カーバイドの爆発事故のことを聞いてみたが、あまり知らないし、興味もないようだった。彼からオレンジをもらったのだが、それはまるで日本のみかんのような味がした。
午後になると暑さは一層耐え難いものになった。車内の埃もひどい。とうとう鼻水が止まらなくなってしまった。まったくとんでもないところへ来てしまった。列車は時々、駅でもないのに停車する。そんなとき、線路に下りて対向列車が通過するのを見ていると、列車がまきあげる埃の量に圧倒されてしまう。一瞬、脱輪しているのではないかと思ったほどだった。車内が埃っぽい理由がよくわかった。
午後6時頃、列車はボパールに到着した。大勢の人が乗り込んできた。指定席であろうがなかろうが関係ない。6人掛けのコンパートメントに10人以上座っているのだから窮屈でしょうがない。インドの旅は疲れる。その後、名も知らぬ駅で、素焼きの茶碗に注がれたチャイを飲んだ。素焼きの茶碗というのは初めてだった。いままでは、プラスチックのコップで、後からチャイ売りが回収に回ってくるのだが、素焼きの茶碗は使い捨てらしい。周りの客を見ていると、みんな飲み終わった茶碗はそのまま窓から投げ捨てている。茶碗は線路脇で土に還ってゆくのである。周囲を観察していると、インドの人々は実に無造作に不要品を車窓から投げ捨てる。私の隣の席にいるレーガン大統領に似た感じの人は、食べ残しの食事を捨てていた。
ところで、このレーガン氏には何かと世話をやいてもらった。彼は英語をしゃべらず、私もヒンドゥー語がわからないので、会話は成立しないのだが、夜遅くなると指定席券を持たないコンパートメント内の居候を追い出し、ベッドを吊るのを手伝ってくれた。居候連中に寝台を占拠されてしまうのではないかと心配だったので、彼のおかげでたいへん助かった。
午前9時頃、列車がナグプールに近づくと、車内は俄かに活気付く。私の乗っているコンパートメントでも、乗客の半数が入れ替わった。約30分ほどの停車時間に、掃除小僧が埃をまきあげながら車内を掃いて周る。私はホームに出てバナナを買い、持っていたワインの空き瓶に水を詰める。
水を汲むのはなかなか大変な作業である。みんなが大きな水筒に水を詰め込もうとするので、時間がかかる。順番などおかまいなしにどんどん割り込んでくる。こういうときは、始めに蛇口ありき、である。いくつかある蛇口のなかから、ひとつに狙いを定め、まず、その蛇口に手をかけることに専念する。私の前にいる人の水筒が一杯になる。すかさず、蛇口に手を伸ばし、場所を確保する。と、思ったら、前の人と入れ替わるほんの一瞬の隙に脇から首がぬっと出てきて、ゴクゴクと水を飲みだした。コノヤロウ!水を止めてやろうかとも思ったが、気が弱いのでそのまま待つ。首が引っ込むのと同時に瓶を蛇口へ。
列車に戻ると間もなく、さっきの掃除小僧が金集めに来た。今日は小銭の持ち合わせがあったので、10パイサで済んだ。
それにしても長い一日である。午前11時頃になると気温も高くなり、座っているだけでも息苦しくなる。コンパートメントにナグプールから乗ってきた人が私に話し掛けてきた。たいして印象に残らない会話が、BGMのように軽く流れてゆく。ボパールのユニオン・カーバイドの爆発事故のことを聞いてみたが、あまり知らないし、興味もないようだった。彼からオレンジをもらったのだが、それはまるで日本のみかんのような味がした。
午後になると暑さは一層耐え難いものになった。車内の埃もひどい。とうとう鼻水が止まらなくなってしまった。まったくとんでもないところへ来てしまった。列車は時々、駅でもないのに停車する。そんなとき、線路に下りて対向列車が通過するのを見ていると、列車がまきあげる埃の量に圧倒されてしまう。一瞬、脱輪しているのではないかと思ったほどだった。車内が埃っぽい理由がよくわかった。
午後6時頃、列車はボパールに到着した。大勢の人が乗り込んできた。指定席であろうがなかろうが関係ない。6人掛けのコンパートメントに10人以上座っているのだから窮屈でしょうがない。インドの旅は疲れる。その後、名も知らぬ駅で、素焼きの茶碗に注がれたチャイを飲んだ。素焼きの茶碗というのは初めてだった。いままでは、プラスチックのコップで、後からチャイ売りが回収に回ってくるのだが、素焼きの茶碗は使い捨てらしい。周りの客を見ていると、みんな飲み終わった茶碗はそのまま窓から投げ捨てている。茶碗は線路脇で土に還ってゆくのである。周囲を観察していると、インドの人々は実に無造作に不要品を車窓から投げ捨てる。私の隣の席にいるレーガン大統領に似た感じの人は、食べ残しの食事を捨てていた。
ところで、このレーガン氏には何かと世話をやいてもらった。彼は英語をしゃべらず、私もヒンドゥー語がわからないので、会話は成立しないのだが、夜遅くなると指定席券を持たないコンパートメント内の居候を追い出し、ベッドを吊るのを手伝ってくれた。居候連中に寝台を占拠されてしまうのではないかと心配だったので、彼のおかげでたいへん助かった。