昨夜はひどかった。熱が高いようで、幻覚のような夢にうなされた。たくさんのむさ苦しいオッサンたちに囲まれて大嫌いな煙草の煙にむせているのである。夢か現か混沌とした意識のなか、ふらふらと起き上がって部屋の窓を開ける。そこには、鳩が。こんなひどい夜は初めてだ。
朝になっても熱が下がらないので医者に診てもらうことにした。宿のフロントに行って近くに医者はいないかと尋ねると、隣のカニシカ・ホテルへ行ってみろという。行ってみると、今はいないから、タクシーで駅の近くの病院まで行けという。仕方がないので、タクシーではなく、リクシャーの運ちゃんに事情を話したら、YWCA近くのWillingdon Hospitalというところへ連れて行ってくれた。外国で医者にかかるのは初めてである。簡単な問診と脈を計った後、医者はすらすらと処方箋を書き、二日分の薬を出してくれた。なんと無料だった。
外に出ると、リクシャーが待っていてくれた。宿の前まで来て運ちゃんが言うことには、ここのホテルはサービスも悪いしエアコンもないから病人には良くない。もっと静かでいいところを知っているから、そちらへ移らないかという。もっともだと思い、とりあえず、その宿を見せてもらうことにした。
その宿はコンノートプレースの中心部にあり、1階と2階がレストランで、3階と4階が宿泊施設になっている。部屋数が10ほどの小さなホテルである。部屋は手入れが行き届いていて、エアコン付きである。一泊200ルピーは少々高いが、1日か2日、こういうところで休むのも悪くはないと思った。早速、宿へ引き返して二泊キャンセルしてチェックアウトした。
新しい宿の部屋で、そのリクシャーの運ちゃんとしばらく話しをした。彼は23歳で学生、商業を勉強しており、この9月から銀行で働くことになっているそうだ。リクシャーの運転はアルバイトだそうだ。なかなか高そうなスニーカーを履いているのが印象的だった。彼が帰るとき、他に何か用はないかというので、絵葉書を出したい、というと、郵便局まで連れて行ってくれた。料金は取られなかったが、Tシャツとフィルムを5本、持って行った。かえって高くついたが、英会話の練習料と思えば惜しくもない。結局、彼と明日も会う約束をして、午前11時半ころ別れた。それからベッドで休んだ。目が覚めたら午後4時半を回っていた。汗びっしょりで、着ていたトレーナーも湿っぽくなっていたが、おかげで熱は下がり、身体のだるさもなくなり、鼻水も止まった。
ところで、今日はホーリーというヒンドゥー教の祭日で、街はゴーストタウンのように静かだった。この祭りの日には、人々が色粉を水に溶いたものを相手かまわず掛け合うのである。だから、街行く人々は赤や緑で彩られた不思議な顔色をしていた。
夕食は階下のレストランを利用した。こんな立派なレストランは日本でも使ったことがない。トマトスープ、ナーン、チーズのカレー、サラダ、マンゴージュース、紅茶を注文したら驚いたことに70.85ルピーもとられた。日本円にして1400円ほどなのだが、南インドからはるばる北上してきたオノボリサンのような私は、請求書を見て動揺してしまった。ニューデリーに来るまでは、1回の食事に10ルピー以上払ったことがなかったのである。ただでさえインドの食事は量が多いのに70ルピーも注文したら、物価が高いニューデリーといえども、食べきれるはずはないのである。一番口に合わなかったサラダ(玉葱のスライス一個分と人参一本分のスライスなど、メニューには”Green Salad”となっているのに緑色野菜が入っていない)を残してしまった。それでも腹が異常に重くなった。
それにしてもニューデリーというとことは不便である。今までなら、ちょっと人通りの多いところに出れば、なにかしら食べ物の屋台が出ていて、気軽に空腹を満たすことができた。ところが、ここで見かける屋台は水とアイスクリームくらいである。もう少し、うろうろしてみれば、印象も変わるのだろうか。
朝になっても熱が下がらないので医者に診てもらうことにした。宿のフロントに行って近くに医者はいないかと尋ねると、隣のカニシカ・ホテルへ行ってみろという。行ってみると、今はいないから、タクシーで駅の近くの病院まで行けという。仕方がないので、タクシーではなく、リクシャーの運ちゃんに事情を話したら、YWCA近くのWillingdon Hospitalというところへ連れて行ってくれた。外国で医者にかかるのは初めてである。簡単な問診と脈を計った後、医者はすらすらと処方箋を書き、二日分の薬を出してくれた。なんと無料だった。
外に出ると、リクシャーが待っていてくれた。宿の前まで来て運ちゃんが言うことには、ここのホテルはサービスも悪いしエアコンもないから病人には良くない。もっと静かでいいところを知っているから、そちらへ移らないかという。もっともだと思い、とりあえず、その宿を見せてもらうことにした。
その宿はコンノートプレースの中心部にあり、1階と2階がレストランで、3階と4階が宿泊施設になっている。部屋数が10ほどの小さなホテルである。部屋は手入れが行き届いていて、エアコン付きである。一泊200ルピーは少々高いが、1日か2日、こういうところで休むのも悪くはないと思った。早速、宿へ引き返して二泊キャンセルしてチェックアウトした。
新しい宿の部屋で、そのリクシャーの運ちゃんとしばらく話しをした。彼は23歳で学生、商業を勉強しており、この9月から銀行で働くことになっているそうだ。リクシャーの運転はアルバイトだそうだ。なかなか高そうなスニーカーを履いているのが印象的だった。彼が帰るとき、他に何か用はないかというので、絵葉書を出したい、というと、郵便局まで連れて行ってくれた。料金は取られなかったが、Tシャツとフィルムを5本、持って行った。かえって高くついたが、英会話の練習料と思えば惜しくもない。結局、彼と明日も会う約束をして、午前11時半ころ別れた。それからベッドで休んだ。目が覚めたら午後4時半を回っていた。汗びっしょりで、着ていたトレーナーも湿っぽくなっていたが、おかげで熱は下がり、身体のだるさもなくなり、鼻水も止まった。
ところで、今日はホーリーというヒンドゥー教の祭日で、街はゴーストタウンのように静かだった。この祭りの日には、人々が色粉を水に溶いたものを相手かまわず掛け合うのである。だから、街行く人々は赤や緑で彩られた不思議な顔色をしていた。
夕食は階下のレストランを利用した。こんな立派なレストランは日本でも使ったことがない。トマトスープ、ナーン、チーズのカレー、サラダ、マンゴージュース、紅茶を注文したら驚いたことに70.85ルピーもとられた。日本円にして1400円ほどなのだが、南インドからはるばる北上してきたオノボリサンのような私は、請求書を見て動揺してしまった。ニューデリーに来るまでは、1回の食事に10ルピー以上払ったことがなかったのである。ただでさえインドの食事は量が多いのに70ルピーも注文したら、物価が高いニューデリーといえども、食べきれるはずはないのである。一番口に合わなかったサラダ(玉葱のスライス一個分と人参一本分のスライスなど、メニューには”Green Salad”となっているのに緑色野菜が入っていない)を残してしまった。それでも腹が異常に重くなった。
それにしてもニューデリーというとことは不便である。今までなら、ちょっと人通りの多いところに出れば、なにかしら食べ物の屋台が出ていて、気軽に空腹を満たすことができた。ところが、ここで見かける屋台は水とアイスクリームくらいである。もう少し、うろうろしてみれば、印象も変わるのだろうか。