昨夜はよく眠ったせいか、朝5時半頃に目が覚めた。身体の調子はまだ全快とは言えないが、熱は下がったようだ。5時半に起きても洗濯に追われ、一息ついたのは8時過ぎだった。
腹が減ったのでメインバザールの安食堂へ行く。駅前広場に面したところにあり、蝿たちに歓迎されながらチャパティを食べていると、インドを旅しているという実感が湧いてきて大変良い心持ちである。チャパティ、サブジー、チャイ、ダヒー。これこそインドの味だと思う。腹いっぱいたべても5ルピーでお釣りが来るのである。
食事を終えてから駅へ行き、ツーリストインフォメーションの窓口で時刻表はどこで手に入るのか尋ねてみた。すると、今の時期は入手困難とのことだった。4月と10月がダイヤ改正の時期なので、この時期は新たに刷ったものが無く、在庫が無くなればそれっきりなのであろう。
今日は昨日の運転手と会う予定だったので少し現金を用意しておこうと思い、銀行に寄ってから宿に戻ることにした。まだ銀行の開店時間までには少し余裕があったので、コンノートのセントラルパークで時間をつぶすことにした。ベンチに腰をおろしてボケッとしていたら変なオッサンが近づいてきた。日本から来たのか、と尋ねるので、そうだ、と答えると、懐から手帳を取りだし、日本語が書かれているところを見せてくれた。そこには、このオッサンが耳掻き屋であること、彼に耳を掃除してもらうと気持ちが良いこと、などが書かれていた。断るとその手帳の別のページをめくって見せた。やはり似たようなことが書かれている。1回3ルピーらしいのだが、下手に頼んで鼓膜でも破られたら洒落にならないので断った。彼はそれでも諦めずにまた別のページを見せる。こんな調子のやり取りが暫く続いた後、彼を呼ぶ奴がいて、私は不毛な商談から解放された。変わった商売もあるものである。
場所を変えようと思い、ぶらぶらしていると日本人がいた。もうすぐ帰国するのだが、フライトのリコンファームが遅れて彼の予約がキャンセルされてしまい、今まさに予約を入れなおしてきたところとのことだった。ちなみに、彼のフライトはタイ航空だそうである。
10時になったのでアメリカンエクスプレスの銀行へ行く。60ドル換金して宿に戻ると10時20分であった。10時に昨日のリクシャーの運ちゃんと会うはずだったが、彼はいなかった。ちょっと悪いことをしてしまった。
一応11時まで部屋にいて、それから出かけることにした。まず、ヴァラナーシーまでの切符を買いにバローダハウスへ行く。ニューデリーの街のつくりはキャンベラに似ていると思いながら、ひたすら歩いた。暑いには暑いのだが、南インドに比べたらはるかにしのぎやすい。バローダハウスの入り口にはたくさんの人々が列を作っていたが、外国人は並ばずに中に入ることができた。門を抜けるとすぐに”Tourist Office”という看板のある平屋の建物があった。外国人専用の出札窓口であり、そこでの切符の買い方は駅と同じである。周りにいた連中はみんな明日とか明後日の列車の切符を買おうとしていた。私が欲しいのは11日の切符なので楽勝だなと思っていると、その通り楽勝だった。これで一安心。バローダハウスを出ると、チャパティの屋台があったので、そこでチャパティを食べ、その近くのチャイの屋台でチャイを飲み、今日のランチは終わった。2.6ルピーだった。
ここからインド門をくぐって国立博物館へ向かった。博物館の手前に会議場があり、その入り口でハイデラバードから列車で隣の席にいた人に出くわした。彼は今日、この会議場で開かれる教育関係の会議に出席するそうだ。
国立博物館は思ったほど大きくはなかった。主な展示物としては石器時代の遺跡からの出土品、モヘンジョダロやハラッパの遺跡についての史料、南部の藩王国の史料、仏像、楽器、絵画、衣料品などである。ハムラビ法典のレプリカなどもあり、なかなか興味深い。仏像を見て気づいたのは、どれも髷を結っていて、それがシーク教徒のそれと似ているということだった。日本の仏像はどんなヘアスタイルだったろう。
博物館で今夜のフライトで帰国するという日本人の女の子に会った。コンノートに宿があるというので、二人で歩いていった。道々いろいろ話を聞いたら、北インドとネパールを一ヶ月ほどかけてまわったという。インドよりネパールのほうが好きだとも言っていた。友人と二人連れだそうで、相方は宿で休んでいるという。さすがに一ヶ月も旅行をしていると疲労もたまり、昨日は一日中眠っていたそうだ。使い残したルピーで象牙細工を買うというので、私もついていった。私はこのとき初めてインド土産として象牙があることを知った。彼女と別れてから街中をぶらぶらして再びコンノートのセントラルパークへやって来た。ここでは煙草を吸いながら「歩き方」を読んでいる人がいたので声をかけてみた。京都から勤めを休んで来たというOLだった。12日間のパックツアーに参加していて明日帰国するそうだ。今日、この時間から行けるところでおもしろいところはないかというので、メインバザールを勧めておいた。私もこの後メインバザールへ行き、屋台で夕食を済ませて宿へ戻った。
ニューデリーはインドの玄関であるため、多くの日本人観光客と出会う。その殆どはインドに来たばかりか、帰国間際であるかのどちらかである。南インドという日本からのゲートウエイから外れた場所から旅行を始めた身にとっては、なんとなく安心してしまう。病み上がりでもあるので少し気持ちを引き締めないといけない。
腹が減ったのでメインバザールの安食堂へ行く。駅前広場に面したところにあり、蝿たちに歓迎されながらチャパティを食べていると、インドを旅しているという実感が湧いてきて大変良い心持ちである。チャパティ、サブジー、チャイ、ダヒー。これこそインドの味だと思う。腹いっぱいたべても5ルピーでお釣りが来るのである。
食事を終えてから駅へ行き、ツーリストインフォメーションの窓口で時刻表はどこで手に入るのか尋ねてみた。すると、今の時期は入手困難とのことだった。4月と10月がダイヤ改正の時期なので、この時期は新たに刷ったものが無く、在庫が無くなればそれっきりなのであろう。
今日は昨日の運転手と会う予定だったので少し現金を用意しておこうと思い、銀行に寄ってから宿に戻ることにした。まだ銀行の開店時間までには少し余裕があったので、コンノートのセントラルパークで時間をつぶすことにした。ベンチに腰をおろしてボケッとしていたら変なオッサンが近づいてきた。日本から来たのか、と尋ねるので、そうだ、と答えると、懐から手帳を取りだし、日本語が書かれているところを見せてくれた。そこには、このオッサンが耳掻き屋であること、彼に耳を掃除してもらうと気持ちが良いこと、などが書かれていた。断るとその手帳の別のページをめくって見せた。やはり似たようなことが書かれている。1回3ルピーらしいのだが、下手に頼んで鼓膜でも破られたら洒落にならないので断った。彼はそれでも諦めずにまた別のページを見せる。こんな調子のやり取りが暫く続いた後、彼を呼ぶ奴がいて、私は不毛な商談から解放された。変わった商売もあるものである。
場所を変えようと思い、ぶらぶらしていると日本人がいた。もうすぐ帰国するのだが、フライトのリコンファームが遅れて彼の予約がキャンセルされてしまい、今まさに予約を入れなおしてきたところとのことだった。ちなみに、彼のフライトはタイ航空だそうである。
10時になったのでアメリカンエクスプレスの銀行へ行く。60ドル換金して宿に戻ると10時20分であった。10時に昨日のリクシャーの運ちゃんと会うはずだったが、彼はいなかった。ちょっと悪いことをしてしまった。
一応11時まで部屋にいて、それから出かけることにした。まず、ヴァラナーシーまでの切符を買いにバローダハウスへ行く。ニューデリーの街のつくりはキャンベラに似ていると思いながら、ひたすら歩いた。暑いには暑いのだが、南インドに比べたらはるかにしのぎやすい。バローダハウスの入り口にはたくさんの人々が列を作っていたが、外国人は並ばずに中に入ることができた。門を抜けるとすぐに”Tourist Office”という看板のある平屋の建物があった。外国人専用の出札窓口であり、そこでの切符の買い方は駅と同じである。周りにいた連中はみんな明日とか明後日の列車の切符を買おうとしていた。私が欲しいのは11日の切符なので楽勝だなと思っていると、その通り楽勝だった。これで一安心。バローダハウスを出ると、チャパティの屋台があったので、そこでチャパティを食べ、その近くのチャイの屋台でチャイを飲み、今日のランチは終わった。2.6ルピーだった。
ここからインド門をくぐって国立博物館へ向かった。博物館の手前に会議場があり、その入り口でハイデラバードから列車で隣の席にいた人に出くわした。彼は今日、この会議場で開かれる教育関係の会議に出席するそうだ。
国立博物館は思ったほど大きくはなかった。主な展示物としては石器時代の遺跡からの出土品、モヘンジョダロやハラッパの遺跡についての史料、南部の藩王国の史料、仏像、楽器、絵画、衣料品などである。ハムラビ法典のレプリカなどもあり、なかなか興味深い。仏像を見て気づいたのは、どれも髷を結っていて、それがシーク教徒のそれと似ているということだった。日本の仏像はどんなヘアスタイルだったろう。
博物館で今夜のフライトで帰国するという日本人の女の子に会った。コンノートに宿があるというので、二人で歩いていった。道々いろいろ話を聞いたら、北インドとネパールを一ヶ月ほどかけてまわったという。インドよりネパールのほうが好きだとも言っていた。友人と二人連れだそうで、相方は宿で休んでいるという。さすがに一ヶ月も旅行をしていると疲労もたまり、昨日は一日中眠っていたそうだ。使い残したルピーで象牙細工を買うというので、私もついていった。私はこのとき初めてインド土産として象牙があることを知った。彼女と別れてから街中をぶらぶらして再びコンノートのセントラルパークへやって来た。ここでは煙草を吸いながら「歩き方」を読んでいる人がいたので声をかけてみた。京都から勤めを休んで来たというOLだった。12日間のパックツアーに参加していて明日帰国するそうだ。今日、この時間から行けるところでおもしろいところはないかというので、メインバザールを勧めておいた。私もこの後メインバザールへ行き、屋台で夕食を済ませて宿へ戻った。
ニューデリーはインドの玄関であるため、多くの日本人観光客と出会う。その殆どはインドに来たばかりか、帰国間際であるかのどちらかである。南インドという日本からのゲートウエイから外れた場所から旅行を始めた身にとっては、なんとなく安心してしまう。病み上がりでもあるので少し気持ちを引き締めないといけない。