今頃のカルカッタは真夏の東京に似ている。空気がそっくりである。バンガロールやハイデラバードのような乾いた暑さではなく、むっとする暑さである。夜になっても気温は下がらず、汗びっしょりなって目覚める。汗の不快さとカラスの鳴き声。カラスの声も一羽なら「カァー」だが、群になると「フギャー」となり、まるで赤ん坊の泣き声のようだ。この「フギャー!フギャー!」が朝の4時頃から始まるのである。眠いのに暑さとカラスのせいで眠れない。帰国も近いことなので、日本時間に合わせるつもりで午前4時に起床することにする。シャワーを浴びて汗を流し、身の回りの整理をしているとノックの音がする。まだ6時である。
“Who?”
“Tea.”
なんのことだかさっぱりわからない。
“What for?”
我ながらばかげた質問だ。チャイは飲むためのものに決まっている。
ドアの向こうは静かになってしまった。それがモーニング・ティーのサービスであることは朝食の時に知った。昨夜の2人と話をしていて、チャイのサービスのことが話題になったのである。
さて、その2人は今日のタイ航空機で帰国の途につく。タイ航空であることが羨ましい。私はビーマンなのである。とにかくバンコクまではなんとか無事にたどり着きたいものである。バンコクまで行ければなんとかなる。
明日の朝はやくに宿を出なければならないので、実質的に今日がインドでの最後の日である。少しは土産も買って帰らなければならないので、今日はエンポリアムでも見てまわるつもりだ。
10時半頃宿を出て、ニューマーケット近辺の店をのぞいてみるが、品数が少なく、しかも品揃えがシルク製品に偏っている。シルクは軽くて場所もとらず見てくれが良く、値段も手頃なのだが、どうも気が進まない。ニューデリーで見た象牙製品が頭を離れず、なんとかひとつくらいは手に入れたいと思っていた。そこで、オベロイグランドの一階にある店をのぞいてみた。日本人客が多いようで、入り口に「ようこそキュリオの店へ」という看板がぶら下がっていた。店員もけっこう上手に日本語を話す。やはり象牙は高い。店員は宝石を勧めた。彼が特に熱心に勧めたのはムーン・ストーンと名前は忘れたが黒くて光をあてると縦横に2本ずつ光の筋が入るなかなか美しい石だった。私にはこういうものの良し悪しはわからないが母親への土産なので、それほど深く考えずに黒い石のほうを買った。ほかにもいろいろ品物を見せてもらったのだが、やっぱり象牙製品が欲しかったので、ひとまず銀行へ行ってTCを換金して出直すことにした。銀行の帰りにベンガル州のエンポリウムをのぞいてみたが、さっきの店のほうが安かったので再びオベロイへ。まず象牙を使って作った小物入れを1つ買った。木彫製品もいろいろ見せてもらった。象牙も木彫もたいへん繊細な加工がなされている。さんざんいろいろ引っぱり出させた挙句、木彫の置物を3つとキーホルダー3個を買った。店員に100円ライターをあげて安くしてくれるよう頼んでみたが、あまり効果はなかった。今日、土産物に使った金額は568ルピー。一昨日の紅茶を含めると800ルピー近くになる。昨年、オーストラリアへ行った時の土産代とほぼ同水準だが、内容は今回のほうがはるかに上だと思う。
買い物も終わり腹も空いたのでサダル・ストリート界隈の中華料理屋へ行って食事をする。今日はもう手持ちの現金がないので、屋台に毛の生えたような小さな店に入った。そこではヨーロッパ大陸からバスを乗り継いでインドまで来たという日本人青年が中華丼を食っていた。私も彼が食べているVeg. Chow Chow Riceを注文した。値段は6ルピーで香港飯店と同じだが、味も量もこっちのほうが上である。飲み物はラッシー。中華丼とラッシーの組み合わせというのはいかにもカルカッタのチャイナタウン風である。ヨーロッパからの彼の話によれば、イランとイラクの国境は楽に通過できたが、インドとパキスタンの間を陸路で越えるのは面倒らしい。彼はそこだけ飛行機を利用したそうだ。近代化という点ではイラク、イラン、パキスタン、インドのなかでインドが最も遅れているとも言っていた。彼も間もなく帰国だそうで、これからタイ航空のオフィスへ行ってチケットを買うという。暇だったので、私もついていった。
タイ航空のオフィスは高級ホテルやレストランがテキトーに並ぶパーク・ストリートにあった。インドでは珍しく冷房が効いていて快適である。カルカッタから東京まで400ドル。バンコクまでは112ドル。彼は取りあえずバンコクまで行って、そこで改めて安いチケットを探すという。彼はモダンロッジに泊まっていて、宿へ戻るというので、途中まで一緒に歩いて行った。
ニューマーケットに立ち寄り、果物売りのオヤジに西瓜の値段を尋ねたら5ルピーだという。そんな高いはずがない。
「3ルピー」
と言ってみた。オヤジは思い切り顔をしかめてみせた。オヤジ曰く、
“This is a good one.”
西瓜じゃなく、オレンジにしようかなと思い、
「ハウ アバウト オレンジ?」
オヤジは
“Orange is not good. This is good.”
と言って、西瓜をひっぱたく。
「でも、高いよね」
すると
“4 rupie”
よし、買っちゃえ。
「オールライト アイル バイ イット」
するとすかさず
“You buy these banana? 8 rupies”
たぶんバナナ一房5ルピー程度だろう。それにしても高い西瓜を買ってしまった。
予定以上に買い物に時間と金を使ってしまった後、宿へ戻って荷物の整理をする。夕方、涼しくなってから明日の同じフライトで帰国することになっている佐賀君と佐藤君に会いにモダン・ロッジへ行ってみた。我々は航空会社負担でダッカに一泊することになっている。3人分の宿泊予約券の代表者名義が私なので、3人がまとまっていたほうが都合が良いのである。
モダン・ロッジは宿というより合宿所のようである。部屋が5つか6つあり、各部屋にベッドが2つないし4つある。客のほとんどが日本人で、帰国を直前に控えたやつが多いみたいだ。宿のオヤジにミスター・サガを訪ねてきたと言うと、宿帳をよこして勝手に探せという。それで佐賀君の部屋はわかったが、生憎、外出中だった。そこへ、コロンボまで同じフライトで来た井上君が外出から戻ってきた。ついでに、そこにいた何人かの日本人と少し話をしてから帰ることにした。みな格安航空券の類で来ているのだが、思いの外、航空券のトラブルが多いことに驚いた。入れたはずの予約が入っていないというのが最も一般的なものである。下痢で動けないやつもいた。これからハッシッシー・パーティーが始まるというので、井上君に明日の集合についての伝言を託して宿へ引き上げた。
夕食を終え、部屋で西瓜をたべようとしていたら、ドアをノックする音がする。
「ふー?」
“I’m your neighbor.”
「なんかよう?」
“I just want to talk with you.”
おかしなことを言う奴だ。無視してしまおうかとも思ったが、多少の好奇心もあり、両足を踏ん張って、恐る恐るドアを開けてみた。そこには20代後半から30代前半くらいの知的な風貌のインド人が立っていた。筑波の科学博に行くので日本についての情報が欲しいという。悪い人ではなさそうだったが、部屋に入れるのは気が進まなかったので、私が彼の部屋に行くことにした。同じ階にある彼の部屋は、中央に机、部屋のいたるところに本や雑誌が並び、その上、いつもドアが開け放たれていたので、宿のオフィスだと思っていた部屋だった。彼は日本のことを一番良く知るにはどこへいったらよいか、とか、生活費や交通費のことを知りたがった。やはり、日本を知るには東京が一番だと思うのでそう答えた。費用についてはインドとは比べ物にならないので、少々答えにくかった。ちなみに、彼の日本での滞在予算は4日間で7万円とのこと。去年、私が東北地方を旅行したとき10日で5万円ほどだったので、贅沢をしなければ十分である。結局なんだかんだと2時間ほど話をして午後10時過ぎに部屋に戻った。
さて、西瓜。割ってみたら熟していなかった。
“Who?”
“Tea.”
なんのことだかさっぱりわからない。
“What for?”
我ながらばかげた質問だ。チャイは飲むためのものに決まっている。
ドアの向こうは静かになってしまった。それがモーニング・ティーのサービスであることは朝食の時に知った。昨夜の2人と話をしていて、チャイのサービスのことが話題になったのである。
さて、その2人は今日のタイ航空機で帰国の途につく。タイ航空であることが羨ましい。私はビーマンなのである。とにかくバンコクまではなんとか無事にたどり着きたいものである。バンコクまで行ければなんとかなる。
明日の朝はやくに宿を出なければならないので、実質的に今日がインドでの最後の日である。少しは土産も買って帰らなければならないので、今日はエンポリアムでも見てまわるつもりだ。
10時半頃宿を出て、ニューマーケット近辺の店をのぞいてみるが、品数が少なく、しかも品揃えがシルク製品に偏っている。シルクは軽くて場所もとらず見てくれが良く、値段も手頃なのだが、どうも気が進まない。ニューデリーで見た象牙製品が頭を離れず、なんとかひとつくらいは手に入れたいと思っていた。そこで、オベロイグランドの一階にある店をのぞいてみた。日本人客が多いようで、入り口に「ようこそキュリオの店へ」という看板がぶら下がっていた。店員もけっこう上手に日本語を話す。やはり象牙は高い。店員は宝石を勧めた。彼が特に熱心に勧めたのはムーン・ストーンと名前は忘れたが黒くて光をあてると縦横に2本ずつ光の筋が入るなかなか美しい石だった。私にはこういうものの良し悪しはわからないが母親への土産なので、それほど深く考えずに黒い石のほうを買った。ほかにもいろいろ品物を見せてもらったのだが、やっぱり象牙製品が欲しかったので、ひとまず銀行へ行ってTCを換金して出直すことにした。銀行の帰りにベンガル州のエンポリウムをのぞいてみたが、さっきの店のほうが安かったので再びオベロイへ。まず象牙を使って作った小物入れを1つ買った。木彫製品もいろいろ見せてもらった。象牙も木彫もたいへん繊細な加工がなされている。さんざんいろいろ引っぱり出させた挙句、木彫の置物を3つとキーホルダー3個を買った。店員に100円ライターをあげて安くしてくれるよう頼んでみたが、あまり効果はなかった。今日、土産物に使った金額は568ルピー。一昨日の紅茶を含めると800ルピー近くになる。昨年、オーストラリアへ行った時の土産代とほぼ同水準だが、内容は今回のほうがはるかに上だと思う。
買い物も終わり腹も空いたのでサダル・ストリート界隈の中華料理屋へ行って食事をする。今日はもう手持ちの現金がないので、屋台に毛の生えたような小さな店に入った。そこではヨーロッパ大陸からバスを乗り継いでインドまで来たという日本人青年が中華丼を食っていた。私も彼が食べているVeg. Chow Chow Riceを注文した。値段は6ルピーで香港飯店と同じだが、味も量もこっちのほうが上である。飲み物はラッシー。中華丼とラッシーの組み合わせというのはいかにもカルカッタのチャイナタウン風である。ヨーロッパからの彼の話によれば、イランとイラクの国境は楽に通過できたが、インドとパキスタンの間を陸路で越えるのは面倒らしい。彼はそこだけ飛行機を利用したそうだ。近代化という点ではイラク、イラン、パキスタン、インドのなかでインドが最も遅れているとも言っていた。彼も間もなく帰国だそうで、これからタイ航空のオフィスへ行ってチケットを買うという。暇だったので、私もついていった。
タイ航空のオフィスは高級ホテルやレストランがテキトーに並ぶパーク・ストリートにあった。インドでは珍しく冷房が効いていて快適である。カルカッタから東京まで400ドル。バンコクまでは112ドル。彼は取りあえずバンコクまで行って、そこで改めて安いチケットを探すという。彼はモダンロッジに泊まっていて、宿へ戻るというので、途中まで一緒に歩いて行った。
ニューマーケットに立ち寄り、果物売りのオヤジに西瓜の値段を尋ねたら5ルピーだという。そんな高いはずがない。
「3ルピー」
と言ってみた。オヤジは思い切り顔をしかめてみせた。オヤジ曰く、
“This is a good one.”
西瓜じゃなく、オレンジにしようかなと思い、
「ハウ アバウト オレンジ?」
オヤジは
“Orange is not good. This is good.”
と言って、西瓜をひっぱたく。
「でも、高いよね」
すると
“4 rupie”
よし、買っちゃえ。
「オールライト アイル バイ イット」
するとすかさず
“You buy these banana? 8 rupies”
たぶんバナナ一房5ルピー程度だろう。それにしても高い西瓜を買ってしまった。
予定以上に買い物に時間と金を使ってしまった後、宿へ戻って荷物の整理をする。夕方、涼しくなってから明日の同じフライトで帰国することになっている佐賀君と佐藤君に会いにモダン・ロッジへ行ってみた。我々は航空会社負担でダッカに一泊することになっている。3人分の宿泊予約券の代表者名義が私なので、3人がまとまっていたほうが都合が良いのである。
モダン・ロッジは宿というより合宿所のようである。部屋が5つか6つあり、各部屋にベッドが2つないし4つある。客のほとんどが日本人で、帰国を直前に控えたやつが多いみたいだ。宿のオヤジにミスター・サガを訪ねてきたと言うと、宿帳をよこして勝手に探せという。それで佐賀君の部屋はわかったが、生憎、外出中だった。そこへ、コロンボまで同じフライトで来た井上君が外出から戻ってきた。ついでに、そこにいた何人かの日本人と少し話をしてから帰ることにした。みな格安航空券の類で来ているのだが、思いの外、航空券のトラブルが多いことに驚いた。入れたはずの予約が入っていないというのが最も一般的なものである。下痢で動けないやつもいた。これからハッシッシー・パーティーが始まるというので、井上君に明日の集合についての伝言を託して宿へ引き上げた。
夕食を終え、部屋で西瓜をたべようとしていたら、ドアをノックする音がする。
「ふー?」
“I’m your neighbor.”
「なんかよう?」
“I just want to talk with you.”
おかしなことを言う奴だ。無視してしまおうかとも思ったが、多少の好奇心もあり、両足を踏ん張って、恐る恐るドアを開けてみた。そこには20代後半から30代前半くらいの知的な風貌のインド人が立っていた。筑波の科学博に行くので日本についての情報が欲しいという。悪い人ではなさそうだったが、部屋に入れるのは気が進まなかったので、私が彼の部屋に行くことにした。同じ階にある彼の部屋は、中央に机、部屋のいたるところに本や雑誌が並び、その上、いつもドアが開け放たれていたので、宿のオフィスだと思っていた部屋だった。彼は日本のことを一番良く知るにはどこへいったらよいか、とか、生活費や交通費のことを知りたがった。やはり、日本を知るには東京が一番だと思うのでそう答えた。費用についてはインドとは比べ物にならないので、少々答えにくかった。ちなみに、彼の日本での滞在予算は4日間で7万円とのこと。去年、私が東北地方を旅行したとき10日で5万円ほどだったので、贅沢をしなければ十分である。結局なんだかんだと2時間ほど話をして午後10時過ぎに部屋に戻った。
さて、西瓜。割ってみたら熟していなかった。