列車は午前8時50分、ハウラー駅のホームに滑り込んだ。ここで出川君と別れ一路YMCAを目指す。駅から一歩外へ出ると正面でオバちゃんがココナツを売っている。空腹のあまり、吸い寄せられるように近づき、ひとつ買い求めた。南のものより小粒だが味は同じである。一息ついたところでトラムに乗ってカルカッタ市街へ向かう。トラムは二両編成で一両目が一等、二両目が二等車である。料金も当然別なのだが、見た目はたいして変わらない。ちょうど朝のラッシュ時間帯で、私が乗った一等もかなり混雑していた。私は荷物を椅子の下に収めて座っていた。すると私の斜め前方に立っていた男性が私に対して怒りだした。私の前に立っている婦人に席を譲れという。インドはレディファーストなのだそうだ。今日、初めて知った。トラムはのろのろと走っていたが、ハウラー橋を渡りきったところでとうとう前がつかえて動かなくなってしまった。交通事故があったらしい。仕方なくトラムを降り、数珠繋ぎになっているトラムに沿って歩いてゆくと、トラムの列の一番前でトラックが横転していた。これはもう歩くしかないのである。道に沿っていろいろな屋台が並んでいる。ココナツ、サトウキビ、生ジュース、などなど。こういう風景を見ているとなんとなくほっとする。市電と市バスのターミナルであるエスプラネードまで来るとホテルリッツやオベロイグランドホテルが見えてくる。オベロイの前を通り過ぎると間もなくYMCAである。オベロイやYMCAが並ぶチョーリンギー通りは古くから栄えていたらしく、沿道に並ぶ建物はどれも古めかしくてなかなかいい味を出している。オベロイといえばカルカッタ屈指の超高級ホテルだが、見た目は古ぼけたヨーロピアンスタイルの普通のホテルである。中から数名のお供を従えたお偉いさん風の日本人が出てきて、ホテルの前に止めてあった日本車に乗り込むのを見ると、やはり高級なのかなと思う。YMCAも古い建物である。一泊二食付で130ルピー。ちょっと高いが、インドの旅はここで終わりである。懐に余裕もあったのでここに泊まることにした。値段が高いだけのことはあり、天井も高く、部屋の手入れも行き届いていて清潔である。まずは満足である。荷物を置いてすぐにビーマンのオフィスへ行く。
航空会社のオフィスも鉄道のリザベーションオフィスも職員が横柄で非効率である点は同じである。予約客の管理がコンピューター化されていないことにも驚いた。あいにく、カウンターは全てふさがっている。待つこと数十分。その間、日本の若いツーリストが次から次へとやって来た。格安航空券でインドへ来た人はビーマンを利用するケースが多いらしい。どの顔も不安そうである。ビーマンは日本人ツーリストの利用が多いだけに、かえってそのいい加減な事務が悪い評判となって広まっているらしい。そうこうしているうちにカウンターが空き、私の番になった。ここにいる日本人のなかで、私が最初にカウンターに座るのである。たちまち他の日本人ツーリストが私の背後に群がった。幸い、私の予約再確認作業は滞りなく完了した。あとは当日、出発2時間前までに空港へ行くだけである。
宿へ戻る途中、道端で売っていたココナツとバナナを買った。宿へ戻ったら洗濯である。
昼ごはんは、宿の裏手、フリースクールストリートにある香港飯店という中華料理屋で食べた。カルカッタは華僑が多いところで、この界隈には数多くの中華料理屋がある。香港飯店の店内はいくつかの個室に分かれていて、音はすれども姿は見えない、妙な雰囲気である。”Egg Chow Chow Rice”というのを注文した。中華丼だった。味はまあまあである。絵葉書が欲しかったので、食事の後、ニューマーケットへ行ってみた。たいへん大きな市場だが、観光客が多いせいか値段が高い。絵葉書一枚1ルピーもする。今までの倍である。それに、客引きがうるさい。とてもおちついて買物などしていられない。ここを出てチョーリンギーを歩いていてもやはりうるさい。外貨の交換、マリファナ100gで15ルピー、何か売るものはないか、などなどいろいろ声をかけてくる。そんな声の間を通り抜けて国立博物館へ行ってみた。上野の国立博物館のようなスタイルの建物だが、中はちょっとひどい。内部に鳩が住みついていて、展示物が糞で汚れていたりする。それでも、ニューデリーの国立博物館に比べると立地が良いせいか人が多い。かなりいい加減に見て歩いたが、それでも1時間半ほどかかった。もう時刻は4時半。ツーリストインフォメーションへ行って市街地図を手に入れる。
国立博物館の南側にはパークストリートやチョーリンギーストリートに沿って航空会社のオフィスが並んでいる。地下鉄の駅もある。ここの地下鉄がインド唯一の地下鉄である。1971年に着工し、昨年11月になってようやく中心部分の4kmが開業にこぎつけた。地元の人々にとっては縁が薄いところらしく、人影はまばらである。そんな地域の一角にブルックボンドの本社がある。せっかくなので本場インドの紅茶を有名なブルックボンドの本社で購入しようと思った。門のところで守衛に入館証を書いてもらい、中へ進む。受付の人に紅茶を売っているのはどこかと尋ねると2階(”second floor” つまり3階)だというので上がってゆく。それらしい雰囲気ではないので通りがかりの社員に尋ねると奥へ通された。机や椅子の間を縫ってセールスマネージャーのところへ行き、紅茶を買いたい旨を告げる。彼は机の下から”SPUREME”という表記のある赤い缶を取り出した。これは500g入りで船便で日本に送ると104ルピー30パイサもする高級品である。売店のようなものを勝手にイメージして、ただショーウィンドーを眺めるつもりで来たのに、こうしてセールスマネージャーと向かい合うと買わないわけにはいかない雰囲気になってきた。それで2缶注文してしまった。注文を終えて帰ろうとしたら、コロンボまで一緒だった佐賀君がやって来た。こんな場所で再会するとは思いもよらなかった。彼が紅茶を買うのを待って、一緒にサダル・ストリートまで戻り、食堂でジュースを飲んで、17日午前8時にYMCA前で待ち合わせることにして別れた。
佐賀君はスリランカで一週間過ごし、ボンベイへ飛んでエローラ、アジャンタ、アグラを経てカルカッタへやって来たそうだ。スリランカのほうがインドよりものんびりできて良かったとも言っていた。彼もビーマンのリコンファームが心配でカルカッタに早めに来たそうだ。病気もせず、元気にカルカッタの街を歩き回っているという。彼が泊まっているのはサダル・ストリートにあるモダン・ロッジだそうだ。
宿に戻って絵葉書を書いているうちに眠くなってきた。目が覚めると午後9時だった。せっかくの夕食を食べ損なってしまった。一泊130ルピーも払って肝心の食事を食べ損なうとはドジな話である。今さら外に出る気もしないので、このまま寝ることにした。
航空会社のオフィスも鉄道のリザベーションオフィスも職員が横柄で非効率である点は同じである。予約客の管理がコンピューター化されていないことにも驚いた。あいにく、カウンターは全てふさがっている。待つこと数十分。その間、日本の若いツーリストが次から次へとやって来た。格安航空券でインドへ来た人はビーマンを利用するケースが多いらしい。どの顔も不安そうである。ビーマンは日本人ツーリストの利用が多いだけに、かえってそのいい加減な事務が悪い評判となって広まっているらしい。そうこうしているうちにカウンターが空き、私の番になった。ここにいる日本人のなかで、私が最初にカウンターに座るのである。たちまち他の日本人ツーリストが私の背後に群がった。幸い、私の予約再確認作業は滞りなく完了した。あとは当日、出発2時間前までに空港へ行くだけである。
宿へ戻る途中、道端で売っていたココナツとバナナを買った。宿へ戻ったら洗濯である。
昼ごはんは、宿の裏手、フリースクールストリートにある香港飯店という中華料理屋で食べた。カルカッタは華僑が多いところで、この界隈には数多くの中華料理屋がある。香港飯店の店内はいくつかの個室に分かれていて、音はすれども姿は見えない、妙な雰囲気である。”Egg Chow Chow Rice”というのを注文した。中華丼だった。味はまあまあである。絵葉書が欲しかったので、食事の後、ニューマーケットへ行ってみた。たいへん大きな市場だが、観光客が多いせいか値段が高い。絵葉書一枚1ルピーもする。今までの倍である。それに、客引きがうるさい。とてもおちついて買物などしていられない。ここを出てチョーリンギーを歩いていてもやはりうるさい。外貨の交換、マリファナ100gで15ルピー、何か売るものはないか、などなどいろいろ声をかけてくる。そんな声の間を通り抜けて国立博物館へ行ってみた。上野の国立博物館のようなスタイルの建物だが、中はちょっとひどい。内部に鳩が住みついていて、展示物が糞で汚れていたりする。それでも、ニューデリーの国立博物館に比べると立地が良いせいか人が多い。かなりいい加減に見て歩いたが、それでも1時間半ほどかかった。もう時刻は4時半。ツーリストインフォメーションへ行って市街地図を手に入れる。
国立博物館の南側にはパークストリートやチョーリンギーストリートに沿って航空会社のオフィスが並んでいる。地下鉄の駅もある。ここの地下鉄がインド唯一の地下鉄である。1971年に着工し、昨年11月になってようやく中心部分の4kmが開業にこぎつけた。地元の人々にとっては縁が薄いところらしく、人影はまばらである。そんな地域の一角にブルックボンドの本社がある。せっかくなので本場インドの紅茶を有名なブルックボンドの本社で購入しようと思った。門のところで守衛に入館証を書いてもらい、中へ進む。受付の人に紅茶を売っているのはどこかと尋ねると2階(”second floor” つまり3階)だというので上がってゆく。それらしい雰囲気ではないので通りがかりの社員に尋ねると奥へ通された。机や椅子の間を縫ってセールスマネージャーのところへ行き、紅茶を買いたい旨を告げる。彼は机の下から”SPUREME”という表記のある赤い缶を取り出した。これは500g入りで船便で日本に送ると104ルピー30パイサもする高級品である。売店のようなものを勝手にイメージして、ただショーウィンドーを眺めるつもりで来たのに、こうしてセールスマネージャーと向かい合うと買わないわけにはいかない雰囲気になってきた。それで2缶注文してしまった。注文を終えて帰ろうとしたら、コロンボまで一緒だった佐賀君がやって来た。こんな場所で再会するとは思いもよらなかった。彼が紅茶を買うのを待って、一緒にサダル・ストリートまで戻り、食堂でジュースを飲んで、17日午前8時にYMCA前で待ち合わせることにして別れた。
佐賀君はスリランカで一週間過ごし、ボンベイへ飛んでエローラ、アジャンタ、アグラを経てカルカッタへやって来たそうだ。スリランカのほうがインドよりものんびりできて良かったとも言っていた。彼もビーマンのリコンファームが心配でカルカッタに早めに来たそうだ。病気もせず、元気にカルカッタの街を歩き回っているという。彼が泊まっているのはサダル・ストリートにあるモダン・ロッジだそうだ。
宿に戻って絵葉書を書いているうちに眠くなってきた。目が覚めると午後9時だった。せっかくの夕食を食べ損なってしまった。一泊130ルピーも払って肝心の食事を食べ損なうとはドジな話である。今さら外に出る気もしないので、このまま寝ることにした。