インドは夜が遅い割に朝が早い。部屋がシャワールームの隣なので、6時頃からたいへんにぎやかである。昨夜はちょっと暑苦しかったが睡眠を妨げるほどではなかった。
8時頃、宿を出て隣町のスカンディラバードへ向かう。まだ、時間が早いせいか、風が爽やかである。リクシャーを利用しようかとも思ったが、歩くのが苦になるほどの暑さではなかったので、歩いていくことにした。昨日のスタジアムを突っ切っていくのだが、バナナの屋台が目に入り、思わず足がそちらへ向く。
“How much?”
“One dozen or half dozen?”
“Half dozen.”
“Then one-fifty.”
砂糖黍ジュースの屋台もあり、ジュースも頂く。これが今日の朝食。
スタジアムを後にして15分ほど歩くと湖に出る。この湖岸を北へ行く。水は汚く臭い。それでも、その広々とした風景が心の疲労を癒すようだった。湖のはるか彼方をハイデラバード空港を離陸したインディアン航空機が遠ざかってゆく。インド滞在は残すところ約2週間だが、なんとか飛行機の厄介にならずに済ませたいものだ。やがて湖を後にして、スカンディラバード市街へ入って行く。朝食を終えたコジキ連中もそろそろ営業開始らしく、いつものように黒くて細い腕が私に向かって伸びてくる。そんななかを15分程歩くとスカンディラバード駅に着く。切符の予約窓口にいって切符を見せ、どうしたらよいのか尋ねたら、リタイヤリングルームの4号室へ行けという。行ってみると、そこは事務所になっていて、名前、行き先、切符の番号を申告させられた。そして、明日午前11時30分に再び来るよう言われた。たかが夜行列車の切符一枚手に入れるのに、なんで何度も駅に足を運ばなくてならないのか。用が済んだ頃にはすっかり気温も上がってしまい、とても歩いて帰る気はしなかった。リクシャーを拾って宿へ戻った。
宿に戻ると、オヤジがシングルルームが一つ空いたけど、そっちに移るかという。ダブルからシングルに移れば宿代が軽くなるので、迷わず移ることにした。今度の部屋は窓があり、ベッドも清潔、バス・トイレ付き。今までの部屋よりはるかに条件がよい。さっそく、その気持ちのよい部屋で昼寝をした。慣れない土地を歩くのに無理は禁物。旅行者が絶対失ってはならないもの、カネ、パスポート、健康。
午後2時半頃、再び宿を出て、旧市街へ向かって歩き出す。途中、街角の食堂で魚のフライを食べる。インドで初めての動物性蛋白質である。味は、まずくもなく、うまくもなく、値段はやや高い。旧市街へ至る道には屋台が並ぶが客は少なく売り子も手持ち無沙汰な様子。コジキの数も少ないような気がする。昨日、メロンジュースを飲んだところから少し旧市街に進んだあたりには果物屋ばかり何軒もかたまっていたが、棚に並んでいる果物の種類はマドラスやバンガロールに比べると少ない。ただ、やたらと葡萄が目立つ。さらに歩いて行くと、蛇遣いとすれ違った。片手に笛を持ち、もう片方の手に蛇のはいった籠を持ってゆっくりと歩いていた。蛇は機嫌が悪いらしく、籠のなかからスクっと頭を出し、首を膨らませたりしていた。私は蛇遣いというのは架空の大道芸、少なくとも遠い昔の芸だと思っていた。
宿を出て40分くらいたっただろうか、ようやくイスラム寺院やイスラム風の建物が目立つようになる。さらに行くと、Musi Riverという川に出る。この向こう側が旧市街である。ここまでくると、イスラム風のモッコリ屋根が急に増える。それは寺院の屋根であったり、大学の校舎の屋根であったり、政府の建物であったり、時には給水タンクだったりする。旧市街に入ると往来の数も増え、屋台の種類と数が俄然多くなる。屋台だけで日用雑貨から衣料品、食糧まですべて揃ってしまうほどだ。街全体に活気が漲り、自分のなかの「インドの街」というイメージに近づく。いよいよ、正面に門が見えてきた。この門をくぐると、さらに同じような門がもうひとつあり、その向こうがチャール・ミナールという尖塔である。そのくすんだ象牙色が歴史の重みと排気ガスのすごさを語っている。とにかく、車が多い。チャール・ミナールの螺旋階段を登り、塔のテラスから市街を眺めると、今までの雑踏が嘘のように遠くへ去り、夕陽に照らされたイスラムの町並みの静かな鼓動が伝わってくる。チャール・ミナール自体、すばらしい建物である。インドの古い建物全体に言えることだが、細部まで手の込んだ装飾が施され、丁寧な仕上げがなされている。この塔のすぐ隣にはメッカ・マスジットがある。ハイデラバード最大のイスラム寺院であるが、祈りの時間まではまだ1時間もあるので、人影はまばらである。
この塔では二人組みのオッサンに声をかけられた。テラスにいたる階段の踊り場だった。中国から来たのか、といういつものパターンではじまり、カメラを見せろだの、パスポートを見せろだの、うるさいことを言い出す。何か売るものはないのか、などと物乞いまがいのことを言うかと思えば、インドは広くて長い歴史を持つすばらしい国だ、などと愛国者面をしてみせたりする。私としては疲れるだけなので、早いところ彼等から解放されたい。そこで、インドはすばらしいと誉めそやし、自分のカメラを見せながら、インドのカメラはこんなのより大きくて立派だろう、などとひたすらヨイショに徹して、握手して別れてしまった。私は今までインド製のカメラなどみたことがない。
暗くならないうちに果物でも買って宿へ戻ろうと思い、チャール・ミナールを後にする。果物といっても特に食べたいものもなかったので、そのまま歩いていく。旧市街へ来る途中ですれ違った蛇遣いは、ちょうど営業中でたくさんの見物客を集めていたが、蛇の機嫌は悪いままで、芸になっていなかった。宿の前に着いたときには6時15分になっていた。そのままハイデラバードの駅前へ行き、屋台で食事を済ませた。
8時頃、宿を出て隣町のスカンディラバードへ向かう。まだ、時間が早いせいか、風が爽やかである。リクシャーを利用しようかとも思ったが、歩くのが苦になるほどの暑さではなかったので、歩いていくことにした。昨日のスタジアムを突っ切っていくのだが、バナナの屋台が目に入り、思わず足がそちらへ向く。
“How much?”
“One dozen or half dozen?”
“Half dozen.”
“Then one-fifty.”
砂糖黍ジュースの屋台もあり、ジュースも頂く。これが今日の朝食。
スタジアムを後にして15分ほど歩くと湖に出る。この湖岸を北へ行く。水は汚く臭い。それでも、その広々とした風景が心の疲労を癒すようだった。湖のはるか彼方をハイデラバード空港を離陸したインディアン航空機が遠ざかってゆく。インド滞在は残すところ約2週間だが、なんとか飛行機の厄介にならずに済ませたいものだ。やがて湖を後にして、スカンディラバード市街へ入って行く。朝食を終えたコジキ連中もそろそろ営業開始らしく、いつものように黒くて細い腕が私に向かって伸びてくる。そんななかを15分程歩くとスカンディラバード駅に着く。切符の予約窓口にいって切符を見せ、どうしたらよいのか尋ねたら、リタイヤリングルームの4号室へ行けという。行ってみると、そこは事務所になっていて、名前、行き先、切符の番号を申告させられた。そして、明日午前11時30分に再び来るよう言われた。たかが夜行列車の切符一枚手に入れるのに、なんで何度も駅に足を運ばなくてならないのか。用が済んだ頃にはすっかり気温も上がってしまい、とても歩いて帰る気はしなかった。リクシャーを拾って宿へ戻った。
宿に戻ると、オヤジがシングルルームが一つ空いたけど、そっちに移るかという。ダブルからシングルに移れば宿代が軽くなるので、迷わず移ることにした。今度の部屋は窓があり、ベッドも清潔、バス・トイレ付き。今までの部屋よりはるかに条件がよい。さっそく、その気持ちのよい部屋で昼寝をした。慣れない土地を歩くのに無理は禁物。旅行者が絶対失ってはならないもの、カネ、パスポート、健康。
午後2時半頃、再び宿を出て、旧市街へ向かって歩き出す。途中、街角の食堂で魚のフライを食べる。インドで初めての動物性蛋白質である。味は、まずくもなく、うまくもなく、値段はやや高い。旧市街へ至る道には屋台が並ぶが客は少なく売り子も手持ち無沙汰な様子。コジキの数も少ないような気がする。昨日、メロンジュースを飲んだところから少し旧市街に進んだあたりには果物屋ばかり何軒もかたまっていたが、棚に並んでいる果物の種類はマドラスやバンガロールに比べると少ない。ただ、やたらと葡萄が目立つ。さらに歩いて行くと、蛇遣いとすれ違った。片手に笛を持ち、もう片方の手に蛇のはいった籠を持ってゆっくりと歩いていた。蛇は機嫌が悪いらしく、籠のなかからスクっと頭を出し、首を膨らませたりしていた。私は蛇遣いというのは架空の大道芸、少なくとも遠い昔の芸だと思っていた。
宿を出て40分くらいたっただろうか、ようやくイスラム寺院やイスラム風の建物が目立つようになる。さらに行くと、Musi Riverという川に出る。この向こう側が旧市街である。ここまでくると、イスラム風のモッコリ屋根が急に増える。それは寺院の屋根であったり、大学の校舎の屋根であったり、政府の建物であったり、時には給水タンクだったりする。旧市街に入ると往来の数も増え、屋台の種類と数が俄然多くなる。屋台だけで日用雑貨から衣料品、食糧まですべて揃ってしまうほどだ。街全体に活気が漲り、自分のなかの「インドの街」というイメージに近づく。いよいよ、正面に門が見えてきた。この門をくぐると、さらに同じような門がもうひとつあり、その向こうがチャール・ミナールという尖塔である。そのくすんだ象牙色が歴史の重みと排気ガスのすごさを語っている。とにかく、車が多い。チャール・ミナールの螺旋階段を登り、塔のテラスから市街を眺めると、今までの雑踏が嘘のように遠くへ去り、夕陽に照らされたイスラムの町並みの静かな鼓動が伝わってくる。チャール・ミナール自体、すばらしい建物である。インドの古い建物全体に言えることだが、細部まで手の込んだ装飾が施され、丁寧な仕上げがなされている。この塔のすぐ隣にはメッカ・マスジットがある。ハイデラバード最大のイスラム寺院であるが、祈りの時間まではまだ1時間もあるので、人影はまばらである。
この塔では二人組みのオッサンに声をかけられた。テラスにいたる階段の踊り場だった。中国から来たのか、といういつものパターンではじまり、カメラを見せろだの、パスポートを見せろだの、うるさいことを言い出す。何か売るものはないのか、などと物乞いまがいのことを言うかと思えば、インドは広くて長い歴史を持つすばらしい国だ、などと愛国者面をしてみせたりする。私としては疲れるだけなので、早いところ彼等から解放されたい。そこで、インドはすばらしいと誉めそやし、自分のカメラを見せながら、インドのカメラはこんなのより大きくて立派だろう、などとひたすらヨイショに徹して、握手して別れてしまった。私は今までインド製のカメラなどみたことがない。
暗くならないうちに果物でも買って宿へ戻ろうと思い、チャール・ミナールを後にする。果物といっても特に食べたいものもなかったので、そのまま歩いていく。旧市街へ来る途中ですれ違った蛇遣いは、ちょうど営業中でたくさんの見物客を集めていたが、蛇の機嫌は悪いままで、芸になっていなかった。宿の前に着いたときには6時15分になっていた。そのままハイデラバードの駅前へ行き、屋台で食事を済ませた。