熊本熊的日常

日常生活についての雑記

微速前進

2009年06月02日 | Weblog
陶芸は今日から自由製作に入った。これまでは手びねりで先生から与えられた課題作品を作るというものだったが、今日から製作を始めるものは自分が作りたいものを作るという段階に進んだ。轆轤による製作も来月から始まることになった。轆轤に関しては、土練りから始めるので、これからが本格的な陶芸の第一歩ということになる。これまでのところは、落語で言えば枕のようなものと言えるかもしれない。

帰国して陶芸を再開したとき、ロンドン滞在中の1年半近い空白の時間で振り出しに戻ってしまったのではないかとの不安もあったが、それは幸い杞憂であったようだ。むしろ、暇さえあれば街を歩き、美術館や博物館を訪れて様々な文物に触れたことが自分にとっては良い肥やしになったように思われる。

人は関係性の動物だと言われる。自分の精神性を豊かにするのに、同じ時間や場を共有する生身の相手に勝るものはないだろうが、モノを通じて、それを作った人や使った人たちと心が通ったような気分になるのも関係性と呼ぶことができる。尤も「豚に真珠」とか「猫に小判」と言うように、関係性を構築しようとする意志や、そのための能力が無ければ、モノはモノでしかなく、生身の人間ですら無機的な存在になってしまう。「精神性」という言葉には、それが天与のものであり、誰しもが持っているものという含みを感じることが多いのだが、自分の周囲にあるものを読み解くリテラシーが無ければ、そもそも精神など無いも同然だと思う。リテラシーは意識して身につける努力をしなければ得られるものではない。

土を練るという行為から自分が何をどれほど感じるのか。それは自分自身の能力の問題だ。能力は意識しなければ身に付かない。土を練るという単純なことを楽しいと感じるために、自分に必要なことは何だろうか?