言わずと知れたレニ・リーフェンシュタール監督によるナチスの宣伝映画である。製作は彼女がヒトラーから直接要請を受け、170人のスタッフと当時の最新鋭機材を駆使し、1934年にニュルンベルクで開催されたナチス党大会を紹介する形式で作られている。本国ドイツでは未だに封印されているのだそうだ。ナチス・ドイツの戦争責任とかホロコーストに対する責任といったものを考えれば、軽々しく語るような作品ではないのだろうが、残虐行為や狂気と無縁の戦争というものがそもそも存在するのだろうかとも思う。
何の予備知識も持たずに観れば、新興宗教の大集会のようにも見えるし、国民的ヒーローとなった芸能人やスポーツ選手の凱旋イベントのようにも見える。それほどヒトラーのカリスマ性が活写されている。まず驚くのは、ヒトラーがニュルンベルク市内をオープンカーでパレードするシーンである。彼の乗った車両が車列を先導している。現代の常識なら、要人が乗っている車両の前後左右に警備車両が配されるだろう。そして、沿道にはお祭り騒ぎのように車列を迎える鈴なりの市民の姿がある。沿道、といっても地面だけではなく建物の窓やテラス、車列が進む道路の上に架かる橋の上にも見物人が溢れているのである。この行列は襲われる危険というものを想定していないかのようだ。
「党員集会」とはいいながら、そこには親衛隊や突撃隊といった実質的には軍隊と変わるところのない集団の姿もあり、この時既にヒトラーがドイツの首相に就任していたこともあって、国軍兵士も参加している。ところが、彼等は軍隊であり、軍装でありながら、銃を携行していない。閲兵の行進の場面ですら、彼等は丸腰なのである。当時のドイツがヴェルサイユ条約によって軍備制限下に置かれており、少なくとも公式には、そうした国際秩序を乱す意志は無いということを表現しているのだろう。ドイツがその条約を破棄し、再軍備宣言を行うのは、この映像が撮影された翌年、1935年3月16日のことである。
こうして無防備に群衆のなかにある姿というのが、かえってカリスマ性を際立たせているように見える。誰も彼に刃を向けることなど思いもよらないことだ、と雄弁に語っているように思われるのである。もちろん、現実はそうではなかったはずだ。このニュルンベルク党大会は1934年9月4日から6日間にわたって開催されているが、これに先立つ1934年6月30日には突撃隊幹部の粛清が行われている。ナチスの私兵組織であった突撃隊が国家の混乱とナチスの勢力拡大を背景に肥大化するなかで党執行部や国軍との対立が鮮明となり、ナチス政権にとって脅威となったことから、ヒトラーの盟友でもあった突撃隊幕僚長エルンスト・レームをはじめとする幹部隊員が、党内外の反ヒトラー勢力とともに粛清された。この映像作品のなかでのヒトラーの演説にも、「先頃の親衛隊と突撃隊との不幸なできごと」というような表現によって触れられている。これは粛清の実行部隊が親衛隊だったことによるものだ。
強さの表現というのは、直接的に力を感じさせるものよりは、むしろ、一見そうした意図を感じさせないものによるほうが潜在意識に強く訴えるものなのではないだろうか。それこそが「意志」なのだと思う。この作品の製作に際して、リーフェンシュタールは彼女の思う通りに自由に活動できるという約束のもとで引き受けたのだそうだ。映像のなかに何人ものナチス幹部が名前の字幕入りで登場しているのだが、それはあくまで映像構成上、場面に適した映像があったからそうなっているのであって、特別な意図があって人選されたわけではないらしい。しかし、その映像に漏れた幹部のなかには自分の映像を加えるようにとのクレームを出し、ヒトラーからも彼等の写真だけでも入れるようにとの圧力がかかったが、彼女はそれらを悉く拒絶し、作品自体は彼女の思う通りの仕上がりになっているという。ただひとつだけ彼女が変えることができなかったのは「意志の勝利」というタイトルだったのだそうだ。これはヒトラー本人が決めたものだという。このあたりの話が示唆するところのものに興味を覚える。
真の権力とは、人をして自働的に動かす漠然とした雰囲気のようなものなのではないか。もちろん、そこには主導的役割を果たす個人という存在があるだろう。しかし、それだけではあるまい。第一次大戦による国家経済の疲弊に加え、ヴェルサイユ条約に基づく賠償金の負担により、ナチスが創設された当時のドイツは想像もつかないほど困難な状況下にあったのだろう。国民の誰もが救世主のようなものを求めていたことは想像に難くない。そこに登場したのがヒトラーであり、ナチスだった。
例えば、突撃隊は1920年にナチスの演説会の整理要員として数名で創設されたが、1934年に幹部が粛清される頃には400万人にまで膨張している。これは要するに失業者の受け皿だったという、この組織の側面があるからなのである。それが可能だったのは、強力な支援者を抱えていたということでもある。つまり、ナチスは能書きを垂れるだけの政党ではなく、実効ある行動を起こす能力を備えた組織だったということがわかる。社会の混乱状況があったとは言いながら、10名にも満たない党員で始まった非合法組織が10年ほどの期間で政権党にまで登りつめることができたのは、個人の能力だけによるものではあるまい。時の運、と言ってしまえばそれまでだが、歴史というものには、無数の偶然が重なって必然を創り出すということもあるものだ。
それほどの組織が結局は崩壊してしまうのは、国民が望むものを与え続けて権力を維持するには、他国の利権を侵害してまでも組織を膨張させ続ける以外に方法がなかったということだろう。ねずみ講が急膨張して破綻する過程と似たところがあるように思う。繰り返しになるが、権力とは結局は雰囲気のようなものだ。確固とした基盤があるようでいて、実はそれを支えているのは移り気な個人の気分でしかない。選挙の度に思うのだが、自分は候補者個人のことは何も知らないし、その所属政党がどのような組織なのかも知らない。報道や日々の生活を通じてその存在を漠然と感じるだけだ。政治のことも経済のこともよくわからない。おそらく、これは私だけではあるまい。よくわからないままに、勝手な思い込みや気分で投票するのである。そうした票が集まって政治家を産み、それが国家を動かしている。衆議院選挙の時には同時に最高裁判所裁判官の国民審査も行われるが、最高裁の判事がどのような人かなど全くわからないのだから審査のしようがない。それでも投票が行われいるのである。わけもわからず民主主義が正義であるかのように喧伝されているが、つくづく恐ろしい社会を生きているものだと思う。