国連安全保障理事会は11日夕方、北朝鮮に対して石油精製品の輸出を現状より約3割削減するという内容を柱にし、その新たな制裁決議を全会一致で採択。
政治、それも政策の中で教育、防衛と同じ国の根幹ともいえる外交問題について、本来はここで語るつもりなどはない。その立場を弁えてというより、それは論争の究極が如何なるものかを承知してのタブー視であって、ここはそうした論争を好まぬ勝手な独り言。
アントニオ猪木氏の訪朝を知った瞬間、「パスポートの剥奪」が頭を過ったが、「国賊レベルで議員除名」との主張に注視していると、そのネットには逆に直ぐ「平和外交こそ大事で猪木は安倍よりも偉い」と文字が現れ、そこは続けて波のぶつかり合いの画面化。議員失格となると、それは有権者である国民側の責任ともなるが、これが我が国の市民レベルというか、いや国政の一部においても未だ現実的な論争。
そこで独り言を急ぐが、10年にもわたる北朝鮮に対する制裁措置は同国の核開発スピードを弱めるどころか、米国本土を核ミサイルで攻撃する能力までを獲得し、強い立場で交渉の舞台に挑める公算を大きくしてきた。
そこで米国の執るべき道となるが、国際世論の反発、韓国どころか日本への北朝鮮の反撃も承知で北朝鮮への攻撃に打って出るか、または「北朝鮮の核保有を認める」かの二者選択。結局、米国は「北朝鮮の核保有」を認めるという公算が強くなった。
そうなると次の展開だが、初めて米国本土を攻撃されるという状況となると、戦術核兵器の再整備検討どころか、韓国も日本も核の傘という効果が厳しくなってくるのは当然で、場合によっては韓国も自ら核保有(国民の過半数以上が賛成)を急ぐことが推定される。
朝鮮半島の統一について、我が国の国民の多くは「韓国による統一」を想定するが、北朝鮮による統一だって、それを否定できる材料は何処にもない。
それでは我が国はどうなるかだが中国、北朝鮮の核保有国に囲まれて、日米安全保障条約に疑問符が打たれるとなると、それでも「人的交流、話し合いの外交」で平和を維持できるか否かということになる。
平和というものが、外交のバックアップとして、そこに軍事力が存在するという現実、それを改めて教えられたのが北朝鮮問題。Jアラート騒動の世論を考える時、日本の文化(人、社会構造、国土、歴史)を守る平和とはどういうものなのか、それを一人一人が真剣に考えるべき瀬戸際にあると思うのだが、それに未だ甘いのも否定できない日本の世論である。当然、人は理想を目指すが、不幸にも人には現実が存在する。それでも人は理想を繕うが、その善し悪しに拘わらず現実を認める事で理想は活きる。悲しい戦争に突入した当時の日本と状況は似ているというが、違うのは相手の喉元への刃という兵器が出現しての外交。
さて北朝鮮問題と玉名市長選は何で繋がるかと疑問どころか、反論も浮上するだろうが、大差での決着ならともかく前回、「公約、政策」を巡って市民は二分し、結果は僅差での勝敗。質疑を有権者側から自ら挑み、十二分に理想に向けて公約を精査し、冷静に判断したら大差での結果が想定されるはずだ。
もちろん、玉名市長選だけでなく、他の首長選挙も同じなのだが、両者の支持者が利害、そして好みというイメージで二分されるから接戦となったと、そうは結論されないか。義理と人情、感情、そして利害という日本人独特の文化による選挙、それが現実である。マスコミ等の第三者が、そこで冷静な判断による予想が的中するのも現実。先号で後出しじゃん拳の勝利と、その不安材料を挙げたが、そこからの『勝つのはどっちだ!』へ向けてのスタートである・・・。