熊本レポート

文字の裏に事件あり

熊本県の疑惑公共事業を考える市民講座 第6回 宇城広域連合の廃棄物処理施設 5

2019-08-18 | ブログ
1970年、田中角栄による日本列島改造論に沿って九州自動車道路の建設が始まり、また新産業立地政策により太平洋ベルト地帯から地方へ工業地帯が延び出すと、第一次産業中心の熊本県も企業誘致に積極的に動き出した。
菊池川を水源とする豊富な工業用水を武器に、大牟田市から荒尾市と延びる有明臨海工業地帯として、玉名郡長洲町町に工場団地を建設。
早速、そこへの進出に応じたのが、第3次輸出船ブームを迎えていた日立造船(大阪市此花区)。


「1000名からの雇用に繋がる大企業の誘致として、熊本県は全面的な支援の約束を交わした」(当時の関係者談)
全面支援とは言っても、建造された船を買える(熊本県)ものでもなく、生産工場として、整った環境を提供するのが関の山。
「だいたい日立造船が、ごみや下水等の環境設備(施設)も造っているとは知らなかった」(元県議会議員)
直接、それに関係する市町村議員や首長はともかく、「全面支援」を約束した熊本県の大方の県議会議員は、その程度の理解にしかなかった。
もちろん、日立造船側も環境施設の
売り込みに消極的であったわけではない。1990年には熊本市から400t、また1993年には天草町(現天草市)から17tの清掃工場建設を受注し、それに関連会社のアタカ大機が県内市町村へ汚泥処理プラントを納入。これに県内市町村におけるごみ焼却炉施設のフル操業(非改築)期間を差し引くと、決して結果的には「全面支援」を反故にしていたわけではなかった。
だが、造船業界が不況に入ると2002年、その日立造船有明工場は日本鋼管(現JFE)と合併したユニバーサル造船の有明工場となり、2015年には更にIHI(石川播磨重工業)と合併したジャパンマリンユナイテッドの有明工場に姿を変えると、日立造船は熊本県から撤退(注・同社株8%所有・小型船舶のエンジン製造会社は長洲町に存在)。
これが、「船を造らなくなった日立造船の熊本県からの撤退」である。
こうして大阪工場を中心にし、環境プラントの生産を主事業とするようになった日立造船の経営状況なのだが、2014年に800円であった株価が現在は347円。2019年3月期の決算によると、第2四半期だけども86億円の赤字を計上。
こうなると、外交問題での某国の理屈ではないが、「約束を交わした県の全面支援はどうした?」と言いたくもなる。




こうした最中、熊本県環境局長から会計管理者、その県三役クラスまで務めた山本理氏の日立造船への天下りである。失礼な例えとなるが、自らハローワークを通じて再就職というのはもちろん、頭を下げて日立造船の門を潜られた形でないことだけは確か。
丁度、それは福島県鮫川村の日立造船による仮設焼却炉での爆発事故の頃でもあった…。

※この連載は再編集、資料を加えて9月末には小冊子で刊行予定。




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