カダフィ政権虐殺の跡…地中から人骨や囚人服(読売新聞) - goo ニュース
リビアのカダフィ政権は、外国人傭兵に命じて国民に銃口を向け、虐殺行為に及んだことが、リビア内戦の発端となりました。為政者としての悪逆な行為が、自らの没落を招くことになったのですが、同様のシチュエーションにあって、ルイ16世が示した態度は、カダフィ大佐とは全く逆なものでした。
当時、フランスのテュイルリー宮殿を守っていたのは、スイス人傭兵であったそうです。革命に際して民衆が宮殿に押し寄せてきたときに、ルイ16世は、スイス人傭兵に出撃命令を出しませんでした。つまり、ルイ16世は、最後の最後まで、フランス国王として、国民に銃口を向けることをためらったのです。このため、宮殿に配備されていたスイス人傭兵は、怒りに燃えた民衆によって虐殺されることになりました。スイスのルツェルンには、この悲劇を記念したモニュメントが建てられているそうです。一方、リビアに君臨した独裁者は、ためらうことなく外国人傭兵に攻撃命令を下し、無慈悲にも、自国民を殺害しました。国民に罵詈雑言を投げかけながら・・・。
断頭台の露と消えたルイ16世。そうして、傭兵としての矜持を守り、無抵抗のままに虐殺されたスイス人傭兵。歴史における運命の歯車は如何ともし難いとしても、どこか、もの哀しさを誘います。カダフィ失脚に一片の悲劇性をも見いだせないのは、その国民に対する残忍性にあるのではないかと思うのです。
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リビアのカダフィ政権は、外国人傭兵に命じて国民に銃口を向け、虐殺行為に及んだことが、リビア内戦の発端となりました。為政者としての悪逆な行為が、自らの没落を招くことになったのですが、同様のシチュエーションにあって、ルイ16世が示した態度は、カダフィ大佐とは全く逆なものでした。
当時、フランスのテュイルリー宮殿を守っていたのは、スイス人傭兵であったそうです。革命に際して民衆が宮殿に押し寄せてきたときに、ルイ16世は、スイス人傭兵に出撃命令を出しませんでした。つまり、ルイ16世は、最後の最後まで、フランス国王として、国民に銃口を向けることをためらったのです。このため、宮殿に配備されていたスイス人傭兵は、怒りに燃えた民衆によって虐殺されることになりました。スイスのルツェルンには、この悲劇を記念したモニュメントが建てられているそうです。一方、リビアに君臨した独裁者は、ためらうことなく外国人傭兵に攻撃命令を下し、無慈悲にも、自国民を殺害しました。国民に罵詈雑言を投げかけながら・・・。
断頭台の露と消えたルイ16世。そうして、傭兵としての矜持を守り、無抵抗のままに虐殺されたスイス人傭兵。歴史における運命の歯車は如何ともし難いとしても、どこか、もの哀しさを誘います。カダフィ失脚に一片の悲劇性をも見いだせないのは、その国民に対する残忍性にあるのではないかと思うのです。
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