世論調査によりますと、一般の日本国民の凡そ8割は中国に対して好感情を抱いてはいないそうです。それにも拘わらず、新型コロナウイルスの感染拡大を前にして、日中両国の政府が‘心中’のために手を繋いだため、一般の日本国民は生命の危機に晒されています。あたかも、一家の心中で巻き添えとなった子供たちのように…。
もっとも、日中の両国は一つの‘家族’でもなく、行き来や交際はあるものの、少し離れたところに住む隣人に過ぎません。しかしながら、同隣人と個人的に親しい、あるいは、中国の‘家来?’である自民党の二階幹事長や公明党の斎藤幹事長は、隣人宅で命に関わる未知の感染病が発生しているにも拘わらず、積極的に‘友情’と‘支援’をアピールしました(両国の心中は、‘友達心中’とも呼ぶべきでしょうか…)。その後、中国からも歯の浮いたような友好礼賛が続いたため、結局、日本国政府は、武漢市、湖北省全域、並びに、温州市からの渡航は順次禁じたものの、中国からの相互の行き来を断つことをせず、水際作戦は‘ざる対策’となったのです。
伝染病である以上、感染者と接触すれば自らの家族も罹患することは当然に予測できますので、厳格な入国規制を見送った時点で、日本国政府は、自国民の感染リスクを受け入れていたこととなります。この時、既に中国では多数の死亡例が報告されており、中国と同様のレベルで国内に感染が広がった場合、自国民の命が失われることも十分に予測できたはずなのです。感染予防の‘いろは’が往来の切断であるならば、この基本原則は‘友情’を前に曲げられたのであり、一般の国民からしますと、自らの命が軽視されたかのようで不快感を覚えるのは当然のことなのです。自国民の命や健康よりも、中国との友情、あるいは、本音での中国市場での経済的利益の方が大切なのか…と。
中国にとりましての‘友人’とは、自らの病を移しても構わない相手であり、仲良く同じ病気に苦しむのが真の友なのかもしれません。そして、日本国側の親中派の人々も、相手の病を引き受け、苦しみを共にするのが友情の証と考えたのでしょう。つまり、友情証明、あるいは、忠誠証明のためにこそ、敢えて全面的な入国規制を見送ったのかもしれないのです。目下、日本国政府に対する批判が高まっていますが、政府が私的な感情や短期的な利益を優先した結果、一般の国民が犠牲となる事例は歴史に枚挙に遑がありません。現代の民主主義国家であっても、為政者による私心や私益の優先の問題は克服されてはいないようなのです。
日本国内においてコロナウイルスの感染が広がれば、日本国政府もまた、中国と同様に都市部の封鎖や生産活動の停止に追い込まれることとなりましょう。既にミクロネシアなどの太平洋諸国が日本からの渡航を禁止しておりますが、今後、感染者数の増加が確認されれば、アメリカをはじめ他の諸国もまた、中国と同様の入国禁止措置を日本国に対しても行うかもしれません。中国との友情を優先させた結果、日本国もまた甚大な被害を受けるのですから、凡そ8割が中国に対して良い感情を持っていない一般の日本国民としましては、その不条理には納得しないはずです(日本国政府から中国との心中を強制されたくない…)。
幸いにして、中国の一般国民からは、日本国の支援に対して‘もう結構です’という声も多数上がるようになってきたそうです。日本駐中国大使館の中国版ツイッターのアカウントには、‘気持ちは受け取った。寄付は結構だ。自分たちも必要だろう’とする、日本国の立場を慮る声も寄せられていると言います。中国政府よりも一般の中国人の方が、余程情に厚く、良心的であるのかもしれません。中国国内でも日本国の‘武漢化’を心配する声も広がっておりますので、日本国政府が中国から渡航者の全面的な入国禁止に踏み切ったとしましても、少なくとも一般の中国人の対日感情が悪化するということはないのではないでしょうか。
目下、日本国政府は、国内感染者の接触範囲や移動経路等を懸命に追跡し、感染ルートを把握しようと努めていますが、ましてや全ての訪日中国人の行動をチェックすることは不可能です(団体旅行客は出国を禁じられているので、観光客であれ、ビジネスマンであれ、個人行動となり、なおさらに感染経路の把握は困難に…。また、中国からの来日者が現状のままでは、感染ルートが日増しに拡大してゆく可能性は高く、日本国の‘武漢化’を防ぐためにも(中国にしても、自国で封じ込めに成功したとしても、同ウイルスが拡散した先からの逆感染もあり得る…)、日本国政府は、早急に中国からの渡航を全面的に禁じるべきではないかと思うのです。