情報化時代を迎えた今日、誰もが情報収集並びに情報管理の重要性を、日々痛感させられております。そしてこの問題は、支配の問題でもあります。米系のGAFAや中国系のBAT等による情報独占が今日問題視されるのも、情報を握る者が経済全体を支配するリスクがあるからです。そして、こうした民間企業、並びに、官民が一体化した企業が情報を独占的に扱う権利を獲得すれば、当然に、政治的支配の問題も提起されます。この点に鑑みますと、今般、日本国政府が、各省庁に共通する基盤システムのクラウドについて、アマゾン・ウェブ・サービスへの発注の方針を固めたとするニュースは、一般の日本国民にとりましては不安材料となりましょう。何故ならば、基盤システムには、人事・給与や文書管理などが含まれているからです。
第1の懸念は、人事や給与に関する情報は、それがバックドアによるものであれ、ハッカーによるものであれ、仮に外部に漏れることともなれば、外部者が日本国政府の全ての配置構成が一目でわかるようになる点です。例えば、どの省のどの部局のどのポストに誰が配置されているかを外部の者が知ることができれば、その外部の者は、自らの利益に関わる職権を有するポストに働きかけ、自己に有利な方向に政策を誘導しようとするかもしれません。合法的なロビー活動のみならず、違法な贈収賄も増えるかもしれないのです。
さらに、仮に情報を握る者がその力で日本国を人事面で支配しようとすれば、日本国の官公庁の人事権そのものを掌握しようとすることでしょう。内部情報をリアルタイムで入手できるのですから、政府の組織図と自らの影響下に置いている公務員リストを照らし合わせ、自らの配下にある人物には高位のポストと高額の報酬を与える一方で、不都合な人物を冷遇する、あるいは、ポストから排除するかもしれません。
また、日本国政府は、データセンターを国内に置くことをクラウド発注の条件としていますが、その管理は、一体、‘誰’がするのでしょうか。外部者によるデータ管理の懸念が第2の問題点です。文書管理を外部事業者のシステムに依存することになれば、上述した人事に関する情報以上に重要な情報も、外部に筒抜けになります。基盤以外の各省のクラウド・システムについては、アマゾンに限定せず、各省の判断に任せるとしています。しかしながら、防衛省、外務省、経済産業省といった対外的な関係から機密性の強い情報を扱う省庁において機密が保持されていたとしても、基盤システムとは中枢システムでもありますので、各省庁レベルで機密化されている情報も、政府中枢に上がった時点で漏洩の危機に直面します。データセンターは、クラウドを提供するアマゾンの管理下にあるのでしょうから、日本国政府は、一部であれ、自らの国家に対する情報管理の権限をアマゾンに付与したこととなります。
第3に、そもそも、アマゾンへの発注の決定プロセスがあまりにも不透明です。この件については、2月12日付の日経新聞の朝刊一面で初めて目にしたのですが、一般の国民には何らの事前の情報提供も説明もなく、ましてや、総選挙の政策綱領に挙げることもなく、アマゾンへの発注が既定路線化されています。政府の情報管理の重要性を考慮すれば、政府クラウドの海外事業者への発注は、電電公社、国鉄、郵政、そして、目下、国民の多くから懸念が寄せられている水道事業の民営化に勝るとも劣らない重要な選択です。仮に、日本国の政府クラウドの分野を海外事業者に開放するならば、国民にその是非を問うべきです。また、競争入札が行われた形跡もなく、アマゾンとの随意契約であるとしますと、どこかで‘誰か’が日本国政府に圧力をかけた、あるいは、有力政治家に便宜を図った可能性も否定はできないのです。
第4に指摘し得る点は、政府は、常々日本企業のIT分野での競争力強化と底上げを訴えてきましたが、コストばかりを基準に委託事業者を決定しますと、当然に、GAFAといった規模の経済を存分に発揮できるIT大手が受注してしまいます。これでは、日本企業はIT分野において遅れをとるばかりであり、大手との間の格差は広がるばかりです。産業政策の一環と考えれば、多少コスト高であったとしても、せめて自国企業に発注した方がよほど国民も安心しますし、日本経済の発展にも資するのではないでしょうか。
今日の日本国政府を見ておりますと、言行不一致な面が多々あります。保守政権のはずが、日本国の弱体化を加速させているようにも見えるからです。他の諸国では既にIT大手の支配力への警戒感が強まり、各国政府共に抑制へと動いているにも拘わらず、日本国政府のみがこの‘グローバルな流れ’に逆行しているかのようなのです。日本国こそ、米中両大国の狭間で苦しむ中小の国家を代表し、巨大恐竜が跋扈する弱肉強食の世界から多様な生物がそれぞれの個性を生かしながら共生し得る、真の意味での多様性のある世界への転換に努めるべきであり、その意味においても、外部者による支配の問題と直結しかねない政府クラウドの分野にあっては、自国主義を‘グローバル・ルール’とすべきよう訴えるべきではないかと思うのです。