昨日、外出した際に、ある場面に遭遇しました。それは、歩道を歩いている際に、後ろの方から中国語で話す声が聞こえてきた時のとこです。二人連れの若い男性が周囲に聞こえるような大きな声でしゃべっていたのですが、この時、この二人ずれの中国人の周辺を歩いていたと考えられる一人の男性が、この中国語の声に慌てるかのように、私を追い越して一目散で走り去っていったのです。そう言う私も、なるべく距離を置くべく速足となっており、この時、はたと自分も中国人を差別しているのか…と自問することとなったのです。
避けられる側の立場からしますと決して心地よいことではありませんので、中国人から走って逃げようとした男性のみならず、自分自身の行動にもどこか心の痛みを感じる出来事だったのですか、それでは、無症状での感染の拡大が報告される中、新型コロナウイルスへの感染が疑われる来日中国人と近距離の位置にいることができるのか、と申しますと、それもまた、無防備すぎるようにも思えます。あらゆる生物には生存本能が備わっていますので、生命の危機を察知した際の咄嗟の回避行動を抑制することは、最も高い知性を有する人であっても簡単なことではありません。しばしば理性とは剥き出しの本能を抑える知性として理解されていますが、生存本能の抑制は自死を意味することもありますので、理性を礼賛するばかりにリスクに目をつむり、死を甘んじて受け入れる態度を奨励することもできないからです。
新型コロナウイルスに関連して中国人を揶揄したり、からかったりすることはすべきではありませんが、感染リスクを回避するための合理的な行動については、許容されるべきように思えます。それは、苛めや差別ではなく、自然なリスク回避抗行動であるからです。しかしながら、政府やマスコミの対応を見ますと、‘正しく恐れよ論’が主流のようです。‘正しく恐れよ論’とは、ポリティカルコレクトネス、あるいは、ダブル・バインディングの類の欺瞞的な命題であり、‘正しく’の副詞部分は‘政府の公表した情報に従って’を意味し、後者の動詞部分の‘恐れよ’は、前者に修飾されることで‘恐れるな’に意味が逆転します。つまり、新型コロナウイルスのケースでは、中国政府が公表しているデータによれば死亡率も高くないのであるから、日本国政府がインフルエンザ並みの対応で十分としている限り、それ以上のリスク回避的な行動を国民はとるべきではない、と述べているのです。
その一方で、中国の惨状が示すように、中国政府は必ずしも正しい情報を国民に提供しているわけではなく、その隠蔽体質が感染の拡大を招いた主因とされています(高齢者や持病を持つ人々のみならず、若年層や子供も感染して亡くなっている)。‘正しく’が‘正しくない’場合にはこの命題は崩壊するのであり、政府に従って無防備であった、あるいは、警戒心を解除した国民に甚大な被害が及びます。しかも、ネット上に寄せられている一般人からの情報の方が、政治的バイアスや配慮を排した‘事実’を伝えているケースも少なくないのです。不安に駆られている一般の国民に対して、上から目線で‘正しく恐れよ’と教説する優等生的なしたり顔こそ、実のところ、最も冷酷で鼻持ちならない態度かもしれないのです。
しかも、日本国を含め、他の諸国に対して渡航禁止措置の解除を求めている中国自身はと言えば、通常のインフルエンザ以上の厳格で強硬な封鎖政策を実施しています。習近平国家主席も、今月10日に至ってようやく北京市内の病院等を視察したものの、市民との握手は拒否したとされています。自国や自分自身を護るためには非常手段に訴えながら、他国や他の国民に対しては、通常通りの対応にせよと要求しているのですから、利己的なダブルスタンダードと批判されても致し方ありません。
‘正しく恐れよ’を文字通りに素直に実践すれば(‘事実に基づいた対応を行う’)、日本国政府にあっては、初動において失敗した中国政府と同じ轍を踏むことなく、新型コロナウイルスの毒性や感染者の行動を含むあらゆる情報を収集すると共にそれらを国民に正直に公表し、中国レベルの厳戒態勢を敷くことが最も効果的な対策となりましょう(日本人もまた同ウイルスに対して脆弱であるならば、やはり、中国からの渡航は全面的に禁止すべきでは…)。そして、日本国の国民も企業も、政府のみに頼らずに独自に情報を収集し、感染回避策を早急に立案して実行すべきかもしれません。特に、一般の国民は勤務先の指示に従わざるを得ませんので、ラッシュアワー時、並びに、オフィスや工場等の職場における感染リスクを避けるための(数週間以内に中国に渡航歴のある社員の自宅待機や時差通勤等…)、企業レベルでの対策は急を要しましょう。きれいごとの偽善を捨て、企業や個人レベルにおいて、各自が自由主義国ならではの対策を講じることができれば、新型コロナウイルスの被害を最小限に抑えることができるのではないかと思うのです。