新型コロナウイルス肺炎の全世界的な感染拡大を受け、アメリカ政府は、異例の入国禁止措置を採ることとしました。この決定に対して、中国政府は、‘困っている時に助け合う友こそが真の友’にもかかわらず、アメリカが事実上の‘大陸封鎖’という冷たい対応をしたとして憤慨しているそうです。しかしながら、中国のこの言い方、他の諸国にとりましては迷惑な‘友情の押し売り’ではないかと思うのです。
‘困っている時の友が真の友’という言い方は、おそらく英語の諺である‘a friend in need is a friend indeed’に由来し、日本語では「まさかの時の友こそ真の友」と一般的には邦訳されています。実のところ、この言葉は、日本国の茂木外相が武漢支援を中国の王毅部長に申し出た際にも用いられたと報じられており、全世界的に定着している言い回しなのかもしれません。その後、中国系メディアも、同表現を以って日本国の支援を称賛するようになりました。しかしながら、この言葉、一旦、言葉として口に出た途端に色褪せてしまう、あるいは、意味あいが違ってしまうようにも思えます。
日本国の茂木外相のケースでは、支援者側が支援を受ける側に対してこの言葉を使っています。同外相は、他意なく中国の心理的な負担を軽くするためにこの言葉を添えたのであれば、日本国側の中国に対するさり気ない心遣いということになりましょう。あるいは、中国公船が日常的に尖閣諸島周辺海域に出没し、かつ、学校教育の場でも反日教育に勤しんでいるところからしますと、文字通りの‘外交辞令’というものであったのかもしれません。
何れにしましても、この場合には、取り立てて問題とすべき点はないのですが、仮に、同外相が中国に対して何らかのメッセージを込めていたとしますと、この言葉は、若干の‘棘’を含むことになります。どのようなメッセージであるのかと申しますと、それは、「‘真の友達’として助けてあげたのだから、この恩を忘れないように」というものです。もっとも、近年、頓に顕著となっている日本国政府の媚中ぶりからしますと、この可能性は相当に低いと言わざるをえません。
茂木外相に触発されたのか否かは分からないのですが、その一方で、支援を受ける側である中国も、上述したように、この言葉を自ら言い出すようになります。中国系メディアは、日本国による対中支援によって中国人の日本人観が変わった、すなわち、日本国が中国の‘真の友’であることが判明したかのように報じているのです。対中支援によって対日感情が好転することは必ずしも悪いことではないのですが、中国からのアプローチともなりますと、それがたとえ評価の好転であったとしても一般の日本人は反射的に身構えてしまいます。心理作戦にも長けた中国のことですから、この言葉に、中国の別の意図を読み取ってしまうからです。
支援される側、しかも強者の側が‘苦しい時の友こそ真の友’と言い出した時、それは、支援を強要しているようにも聞こえるからです。学校等にあっても、いじめる側は、しばしば‘友達だろう’と言っていじめられる側を脅したり、金品の提供を迫るそうです(いじめられる側も、日頃は疎んじられていたにもかかわらず、俄かに‘友達’と言われてうれしくなり、自発的に言いなりになってしまう場合もあるかもしれない…)。人の好い日本人の多くは、中国から‘真の友達’と礼賛されたことにより、‘忖度’して、あるいは、‘感激’してしまって、中国の望む方向に誘導されてしまう可能性があるのです。その要望が、‘中国に対してこれ以上の封鎖的な措置をとって欲しくない’というものであれば、日本国政府は同国に気を使い、日本国民の生命と安全を犠牲にすることとなりましょう。
もっとも、日本国に対しては常々高飛車な姿勢で接する中国ですが、アメリカに対してだけは、こうした心理作戦は通用しないようです。冒頭で報じた中国からの冷酷批判も、‘その通りです。アメリカは中国の真の友人ではありません’の一言で片づけられてしまいそうですが…。
中国側は、今春に予定されている習近平国家主席の国賓待遇での訪日についてはスケジュールを変更する予定はないとしていますが、‘真の友達’であるならば、自国で感染症が猛威をふるっているにもかかわらず、他の国を訪問しようとするでしょうか(一般社会でも、インフルエンザに罹っている、あるいは、家族が感染している人は、迂闊に友人宅を訪問しようとはしないはず…)。また、招待したのは日本国側とされていますので、新型コロナウイルスの問題を理由として招待を取り下げても、‘真の友人’であるならば理解を示すはずです。何れにしましても、日本国政府が新型コロナウイルス肺炎に関して中国に支援するならば、人道的な立場からの医薬品の物資の提供に止め、自国を危険に晒すような中国配慮はしてはならないのではないかと思うのです。