万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ウクライナ紛争に見る反戦運動のパラドックス

2022年03月02日 15時52分42秒 | 国際政治

ウクライナでの惨状がメディアを介して伝えられる中、非人道的な武器が使用される懸念もあって、目下、戦争反対の運動が広がっているようです。ロシア国内でも反プーチン派の人々を中心に自国によるウクライナ侵攻に抗議するデモが行われていると報じられる一方で、アメリカをはじめとした西側各国でも、ロシアに抗議する大規模なデモが起きています。日本国内でも、渋谷には2000人ほどの人々が集まったとされていますので、反戦運動は、今やグローバルな潮流とも言えるかもしれません。しかしながら、こうした反戦運動には、解き難いパラドックスが潜んでいるようにも思えます。

 

まず、ウクライナ系の人々による反戦デモを見てみましょう。世界各地で行われた反戦デモに集まった人々の多くは、ウクライナに出自を遡る人々であったようです。このため、デモに参加した人々が叫ぶ主たるシュプレヒコールは、ロシア側によるウクライナ侵攻を糾弾するものであり、ウクライナ人としての立場、愛国心から戦争に反対しています。言い換えますと、ウクライナ出身の人々が訴える反戦とは、ロシア側による武力攻撃の停止であり、母国であるウクライナに対しては、即刻、武器を置くようには主張しているわけではないのです。ウクライナに対して反戦を訴えれば、それは、ロシアに対する無血開城、即ち、降伏を意味してしまうからです。

 

そして、こうした反ロデモに共鳴する周辺諸国の反応としては、資金や武器の供与、あるいは、義勇兵としての対ロ戦への参加といった動きが見られ、’ウクライナ支援キャンペーン‘としての側面も見受けられます。ウクライナの立場からの反戦運動は、それが軍事侵攻の挙に出たロシアに対する非難ではあっても、戦争そのものに対する純粋なる反対という意味においては、自己矛盾とならざるを得ないのです。

 

それでは、ウクライナ系の人々によるものではなく、戦争一般に対する反対運動はどうでしょうか。今般の反戦デモには、ウクライナ系の人々のみならず、戦争自体を絶対悪と見なすリベラル系の人々も参加しています。これらの人々は、戦争当事国の立場とは違う普遍的な視点から戦争そのものに反対しており、ウクライナであれ、ロシアであれ、特定の国に肩入れしているわけではありません(もっとも、世論誘導を目的とした特定の国の工作活動の可能性もありますが…)。武力を紛争の解決手段とすることに反対しているのです。武力による解決を非とするのは、紛争の平和的解決を義務付けている今日の国際法における基本原則とも合致します。しかしながら、その一方で、戦争の危機が迫っていたり、実際に起きてしまっている状況下にあっては、ここにも逆効果を生みかねないリスクがあります。

 

どのような逆効果なのかと申しますと、それは、何れの国であれ、戦争、並びに、その手段となる武器を一方的に放棄してしまいますと、力の抑止力がゼロとなり、他国による物理的な力による侵略の排除が不可能となる、というものです。この点は、日本国の憲法第9条において再三指摘されている懸念でもありますが、この種の反戦運動は、‘暴力主義の勝利’を招きかねないという重大な問題を抱えています。平和主義者が暴力主義者に対する最大の貢献者となってしまう事態は、パラドックスとしか言いようがありません。また、合意(交渉)による解決を訴えたとしても、一方が圧倒的な軍事力を有している場合、それは、暴力主義国家への屈服並びに服従ともなりかねません。

 

さらに、絶対平和主義者による自国の政府に対する反戦の訴えは、ベトナム戦争時において観察されたように、戦時にあっては国民に厭戦ムードをもたらし、自国の敗北に帰結する可能性も高くなります(もっとも、ベトナム戦争も現下のロシアの侵攻も、兵士のみならず一般の国民にとりましては祖国を護るための防衛戦争とは言い難く、戦意の低下は否めない…)。そして、この他にも、今日の軍事同盟にあっては、同盟相手国の安全保障を不安定化させるという側面も見られます。何故ならば、同盟相手国において反戦運動が起こり、国民世論が戦争反対に大きく傾く場合には、集団的自衛権の発動が期待できなくなるからです。

 

今日、日本国内にあって敵地攻撃の議論やシェアリングを含めた核保有の問題が浮上してきているのも、現状にあっては日米同盟の下でアメリカから核の傘の提供を受けつつも、日本の防衛のために自国民が核攻撃を受けるリスクをアメリカが引き受けるのか、という払拭し難い不安と問いかけが心の奥底にあるからなのでしょう。日本国側には、有事に際して命綱が切られてしまう、あるいは、梯子を外されてしまうという懸念があり、安全保障上の不安要因、あるいは、防衛体制上の脆弱性として常に意識せざるを得ない状況にあるのです。

 

戦争に反対するデモを行うことは、戦争の非道を訴える平和的な手段ではありますが、それが現状にもたらす作用や心理的影響につきましては、プラス・マイナス両面からの多面的な分析が必要なようにも思えます。反戦運動が暴力を助長し、戦争を招く、あるいは、一層激化させる可能性もあり得るのですから。


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