万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核シェアリングの最大の論点は’核のボタン’の所在では?

2022年03月09日 17時04分17秒 | 国際政治

 ウクライナ危機は、ロシアが核使用を以ってウクライナのみならず国際社会を威嚇したため、NPT体制を根底から揺るがす事態を招いています。日本国でも、安倍元首相の発言を機に核シェアリングの議論が持ち上がっており、与党内でも賛否両論に分かれているようです。岸田首相は、公明党と共に非核三原則の堅持する立場を表明しておりますが、国内世論を見ますと、核武装、あるいは、核に関する議論の必要性を感じている国民も少なくなくありません。それでは、核シェアリングが実現すれば、核の抑止力が働き、日本国の安全は確保されるのでしょうか。

 

 核シェアリングとは、簡潔に述べれば、アメリカが自国の核兵器を同国の同盟国に配備する一方で、同盟国が核爆弾の投下任務を担うというものです。同制度は既にNATOにおいて採用されており、現在もドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ及びトルコにアメリカのB61戦術核爆弾が配備されています。同制度では、NPTにおいて合法的な核保有国であるアメリカが核兵器を提供していますので(同じく核保有国であるイギリスとフランスの核はシェアリングされていない…)、どちらかと申しますと、目的としては、アメリカが核戦略を実行するに当たって非核保有国であるヨーロッパ各国の前線基地に核を配備するという色合いが濃いと言えましょう。

 

 核シェアリングの下で実戦において核兵器を使用する場合には、NATOの枠組みによる決定となりますので、形式としては核兵器の使用はNATO加盟国による共同決定ということになりましょう。しかしながら、配備されている核兵器はアメリカが保有するものですので、’実際に核のボタンを押すのはアメリカ大統領です。この現実からしますと、核の使用に関する最終的な決定者は、’核のボタン’を有するアメリカ大統領となります。となりますと、ここで一つの重大な問題が発生します。それは、仮に、核をシェアリングする同盟国がロシアから核攻撃を受けた場合、アメリカは、確実に同盟国のために’核のボタン’を押してくれるのか、という不安です(本ブログにあってこの不安は繰り返し言及されており、しつこいようで申し訳ありません…)。

 

 核シェアリングの議論にあっては、核兵器廃絶を理想とする立場からの批判がある一方で、核の抑止力の効果に関する現実的な観点からの疑問も呈されています。後者の疑問は、まさに上述した’核のボタン’の所在にあります。とりわけ、日本国の軍事同盟はNATOとは異なりアメリカとの間の二国間条約であることに加えて、現行の憲法第9条が示す基本方針に基づいてアメリカが攻めの‘矛’とすれば、日本国側は守りの‘盾’という役割分担が凡そ定着してきました。言い換えますと、日米同盟において核シェアリングが導入されたとしても、核兵器使用の決定権、即ち、‘核のボタン’は、アメリカのみが持つものと推測されるのです。

 

 このことは、喩え中国やロシアが日本国に対して核を使用したとしても、必ずしもアメリカがこれらの国に対して核兵器を以って報復するとは限らないことを意味します(現状にあって、アメリカは一先ずは’核の傘’を提供しているのですが…)。日本国への原爆投下に対するアメリカの核による反撃が、自国本土への核攻撃を招く可能性がある以上、アメリカの世論のみならず、政府や議会内でも慎重論が優勢となるかもしれません。大統領も、自国が核により破壊され、自国民の多数が犠牲となるリスクを負ってまで、日本国のために’核のボタン’を押すとは思えないのです。今般のウクライナ危機により核保有国による核の先制攻撃の可能性が格段に高まっており、この懸念は切実です。

 

 このように考えますと、核シェアリングによってより核の抑止力を高めるためには、日本国の政府、あるいは、首相にも’核のボタン’を押す権利が認められている必要がありましょう。つまり、核シェアリングは、日本国内へのアメリカの核兵器の配備や運搬(核ミサイルの発射…)任務のみならず、日米間における’核のボタンのシェアリング’、あるいは、核兵器使用の決定権の分有を伴わなければならないこととなるのです。日本国に対して核兵器を使用しても、アメリカによる核の反撃がないと判断すれば、中国やロシアは、むしろ日本国に対して集中的に核兵器を浴びせるかもしれません。

 

 核シェアリングの問題については、とかくに核兵器の配備の問題に焦点が当てられがちですが(SLBMによる代替の議論もあり得る…)、核使用の決定権の所在に関する議論は避けて通れないように思えます。そして、仮にアメリカが同盟国に対して核のボタンに関する権利を一切日本国に認めないとすれば、日本国は、核の独自保有の可能性をも含めて、さらなる対応を迫られることになりましょう。同議論の行方は、NPT体制の根本的な見直しにも繋がりますので、’核のボタン’の所在こそ、議論すべき最も重要な論点なのではないかと思うのです。


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