11月11日。フィリピンの台風被害の惨状には絶句するしかない。ハリケーンの等級で言うなら最強のカテゴリー5に相当するそうで、暴風の威力は、去年アメリカ東部を襲ったサンディの2倍、8年前に南部に大被害を残したカトリーナと比べても遥か強かったという。これでは、大小の島々や入り組んだ湾や入り江から成るフィリピンはひとたまりもない。気象上の悪条件が重なった結果だそうだけど、数メートルもの高潮は、もやは高潮と言うよりは津波の襲来に等しくて、小さな島では逃げるところさえなかっただろう。そういう僻地ではいったいどれだけの死者が出て、どれだけの生存者がどんな厳しい状況で救援を待っていることか、想像もつかない。
飛行機が離着陸できないところが多いだろうから、今すぐに必要なのは食料などの必需品を届け、重傷者を移送できる大型ヘリコプターかなと思っていたら、テレビのニュースが沖縄の米軍がすでに海兵隊を派遣して、緊急に必要な水や食料、医薬品を輸送機からどんどん降ろしてオスプレイに積み込んでいるところを報じていた。航空母艦と他の艦船もすでにフィリピンに向かっていると言う。東北大震災のときの「トモダチ作戦」もそうだったけど、こういうときのアメリカの機動力はすごい。(日本ではどのように報道されたから知らないけど、日本政府がぐずぐず言っているうちに、津波被害を受けた仙台空港に落下傘部隊やら工兵隊やらを送り込んで、数日で輸送機が離着陸できる程度に修復してしまった。)
世界各国でも義捐金の募金が始まり、救援隊や救援物資を送り始めたけど、日常生活の何もかもがなくなった状況で略奪も起こっているというニュースもある。現地で救援活動をしている人たちが「空腹に耐えかねて切羽詰った一部の人たちだけです」と力説していたけど、30度を超える炎天下で、飲み水も食べ物もない状況に置かれたら、切羽詰らない人間はいないんなじゃないかと思う。それほどの激甚災害だったんだから、破壊された商店に残っていたものに手を出したとしても、軽々しく非難したり、見下したりすることはできないと思う。(もっとも被災者同士での奪い合いに発展したらそう言ってもいられないけど、そこまで行かないうちに救援の手が届いてくれるように祈るしかない。)
カナダからはすでに災害救援隊(DART)を乗せたカナダ軍の輸送機が太平洋上空を飛行中だし、政府は国として出す500万ドルの援助の他に、一般から寄せられる義捐金1ドルにつき同額の寄付を発表した。カナダ全国から100万ドル集まったら100万ドル、1千万ドル集まったら1千万ドル、1億ドル集まれば1億ドルをカナダ政府が上乗せするしくみ。これは「マッチング」と言う、寄付募集ではよく使われる手法で、チャリティなどの場合は企業がスポンサーになって、(上限があったりするけど)集まった寄付の総額と同額を出したりする。政府がマッチングスポンサーをやるとなれば税金から上乗せするわけで、市民にとっては財布から出す金額の倍を寄付するようなものだけど、寄付を促す上ではかなりの効果がある。
たまたま先日FBに「被災地いらなかった物リスト」がツィッターで話題になったとリンクされていたので、辿ってみたら、「千羽鶴」、「寄せ書き」、「古着」、「賞味期限切れ(あるいは不明)の食料品」。後者の2つは何となく都合のいい不用品処分の感じがしないでもないけど、千羽鶴や寄せ書きは飾っている写真を送れと要望する送り主がかなりいたそうで、唖然とするやら、びっくりするやら。まあ、日本人が好きな「がんばれ」の精神論的な応援の表現なんだろうとは思うけど、そもそも住む家や生活の糧を失くした人たちに何で千羽鶴や寄せ書き?飾れる場所さえない人が大勢いるとは想像できなかったのかな。それを飾ってある写真を撮って送れというのは、感謝しているという「証拠」が欲しいということなのかな。つまりは、「お返し」を、と言うこと・・・?
よくわからない思考ではあるけど、大災害で被災した人たちがいれば支援したい思うのは人間ならあたりまえの気持だと思うから、千羽鶴や寄せ書きの送り主たちも、「支援する」意味がわかっていなかっただけで、少なくとも励まそうと言う気持はあったんだろう。でも、世界のどの国にも地域にもそれぞれの生活文化や食習慣があるから、たとえばインスタントラーメンを見たことも食べたこともない人たちにインスタントラーメンを送っても、もらった方は困るかもしれない。役に立たないものを送っても、ありがた迷惑の善意でしかないかもしれない。こういうときにとりあえず何よりも役に立つのは「お金」。被災者の支援には赤十字などの災害被災地支援の経験が豊かな団体に現金を送って、そのお金で今すぐ被災地で必要だと判断する物資を調達して送ってもらうのが合理的かつ最善の方法じゃないかな。「がんばれ」の千羽鶴は被災地の復興が進み始めてからでも遅くはないと思うけどね。