リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ハロウィンは子供の行事だったのに

2016年10月30日 | 日々の風の吹くまま
10月30日(日曜日)。晴れ。2週間ちょっと見ない間に木々がすっかり色づいてしまってい
て、もう晩秋という気配。秋の日の、ヴィオロンの、ためいきのぉ・・・って粋がるほどの感傷
はないにしても、やっぱり秋は何となく心がしんみりとしがちのような・・・。

帰ってきてから1週間。東京で時差ぼけが帰って来てもほとんどなかったのはちょっと不思
議。帰って来たその日からちゃんといつもの時間に寝て、いつもの時間に起きて、日中も普
通のリズム。ほぼ「仮想アジア時間帯」で暮らしていた頃にはまったく時差ぼけがなくて助か
っていたけど、しっかり「バンクーバー時間」での生活になったらそうは行かないだろうなと
思っていたので、何だか拍子抜けした感じ。どうしてなんだろう。もしかしてこの1年の「新」
生活時間の方が、いきなり始まったせいもあって、時差ぼけ状態だったのかな。

おとといから2日がかりで推敲した脚本にさらに手を入れて一応「完成」。時は1804年5月
のある日の午後。舞台は花の都ウィーンの片隅。登場人物は落ちぶれたモーツァルトと、
交響曲第3番を完成したばかりの新進気鋭のベートーベンと、モーツァルトの歌劇『魔笛』で
パパゲーノを演じた興行主のシカネダーの3人。実際にはモーツァルトは1791年に没して
いたし、ベートーベンはすでに聴力を失ってしまっていたけど、ここではモーツァルトは(高
熱で頭が少しいかれたかもしれないけど)奇跡的に死の床から帰還し、ベートーベンにはま
だ何とか会話ができるだけの聴力が残っているという設定で、史実に目を瞑って「もしも」と
いう仮定でストーリーを紡げるのがフィクションのいいところ。

夜になってあちこちで爆竹や花火の音。東京のハロウィン熱はすごかったけど、カナダでも
伝統的に子供の行事だったものがいつの間にか盛大な商戦を伴うおとな(子供)の行事に
なった感じがする。ハロウィンは明日だけど、川向こうのサレーの遥かな地平線には打ち上
げ花火がいくつも見える。今年はヒンズー教の「ディワリ」と重なったので、インド系人口が
多いサレーの花火はきっとディワリを祝っているんだろうな。インド系が多かった旧居の辺り
も今の時期は爆竹がやかましかった。庭に火のついた花火を投げ込まれたこともあったけ
ど、今はその心配もなくなって高みの見物だから気楽なもんだ。明日はもっとたくさん花火
が上がるかな。

     
     ハッピーハロウィン!