リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

言葉は時代と共に変わって行くものだというけど

2023年02月08日 | 日々の風の吹くまま
2月6日(月曜日)。🌧☁。起床8時過ぎ。また大雨注意報が出ていて、明日は荒れ模様になるらしい。でも、今年はぱっとしないけどまあ普通の春になるそうだから、それまでの辛抱かな。雨が降らないうちにウォーキングを済ませて、後はちょっとばかりだれ気味。人造ダイヤを売る宝飾店がいつもラジオでヘンにダサいコマーシャルを流していて、クリスマスシーズンには「どうしてみんなクリスマスに婚約するの」、「集まったみんなに指輪を見て欲しいから」とやっていたのが、今は「どうしてみんなバレンタインデイに婚約するの」とやっているので、ははあ、誰もクリスマスに婚約してくれなくて、指輪が売れなかったんだろ、とヤジを飛ばしてみた。バレンタインデイのプロポーズは多いそうだけど、人造ダイヤの婚約指輪が何十万円もするんじゃねえ。

芝居の脚本の日本語訳は、出だしに戻って見直しの段階。それが終わったら、今度は日本語だけのファイルを読み通して、台詞として違和感がないかどうかをチェックする段階。ファイルは日英対訳の形式にしてあるので、英語の台詞を読んでみて、頭の中で「通訳」して、日本語の台詞を英語の上に入れて行くんだけど、バージョン1はどうしても台詞がこなれていない。書類がメインの実務翻訳や小説などの出版文学の翻訳と違って、戯曲は「話し言葉」の文学だから、日本語会話の今どきのボキャブラリーの勉強から始めないとダメってことで、母語のはずの日本語の劣化を改めて実感。第2言語で長く暮らしているうちに第1言語であった母語を忘れることを「言語喪失」と言うそうで、珍しいことではないらしい。ワタシが日本を離れて英語環境で暮らすようになってからもう48年になるけど、ずっと仕事で日本語を使ってきたおかげで、まだ「喪失」のレベルには至っていないけど、日本語でおしゃべりをする機会がないので、耳が日本語をキャッチしなくなったし、耳から入って来ないせいか、すんなり口から出て来ない。頭の中の日本語はまだ流暢(だと思う)けど、要するに、日本語は文字の言語になりつつあるってことかもしれないな。

小町横丁の散策は今どきの日本語に触れられる数少ないチャンスで、ここで新しい日本語を覚えることが多い。でも、最近(大げさだけど)椅子から転げ落ちそうになったのが「違くない」という表現。何だ、これ?何だか言い難くない?でも、本来は「違わない」というべきじゃないの?だって、「違う」という動詞の否定形で、「歌う」が「歌わない」になるのと同じだと思うけど、違くの?でも、「違わない」と言うと「わ」のところで口を大きく開けなければならないけど、「く」ならそれが不要だから、もしかしたら一種の「ぐうたら発音」なのかもしれないな。そう思って、ちょこっと調べてみたら、本来は動詞である「違う」(英語ならdiffer)が形容詞化したということが書いてあって、つまりは「明るくない」とか「高くない」とか言う、「ない」の付く形容詞の否定形から連想したものだってこと?でも、「~くない」の肯定形は「~い」でしょ。たしかに、「違い」という言葉はあるけど、「~違いの~」と形容詞的に使うことはあっても、本来は名詞じゃないの?ああ、ややこしい。

まあ、「違くない」に関しては、今のところはまだ「誤用」という認識が一般的という印象だけど、これから先「ら抜き」のように定着するかもしれないな。言葉というのは時と共に変化するもので、それは日本語だけじゃなくて、英語も、どこの何語も同じ(違くない)。あ、「違くない」ってことは「同じ」ってことじゃないの?どうして素直に「同じ」と言わないんだろうね。ワタシの耳にはいずくてしかたがないんだけど。あ、この「いずい」は、しっくりしないとか心地が悪いという感覚を表現する北海道語の形容詞で、子供の時の日常語として使っていた。北海道で生まれて、北海道でしか暮らしたことのないワタシにとっては、北海道語は母語に等しいもので、釧路空港から市内へのタクシーの運転手さんとの会話が証明してくれたように、ボキャブラリーもアクセントも忘れてはいないから、標準日本語は言うなれば「習得言語」ということになるのかな。だとしたら、「言語喪失」という現象が理解できるような気もするけど、あぁ~あ、頭がこんがらがって来ちゃった。ともかく、翻訳、けっぱらないと。