リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

土曜日のいろいろ

2023年02月12日 | 日々の風の吹くまま
2月11日(土曜日)。☁☁。ぐっすり眠って、目が覚めたら、もう9時近く。もっとも、寝たのが1時近かったから、寝すぎたわけじゃないけど、まあ、マンションでは午後10時から午前7時までが「お静かに」時間になっているから、昔のようなとんでもない生活時間(正午起床、午前4時就寝)には逆戻りしないで済んでいるけど。朝ご飯が済んだらもう9時半で、カレシは10時から英語レッスン、ワタシはランチにするクラムチャウダーの仕込みをして、ウォーキングに行って来たらもうお昼。カレシは1時からまたレッスンで、ワタシは洗濯と、けっこう忙しい。今日から寝酒/ココアをスキップするだけにして、ミニ断食は中止するので、ランチの後は寝るまでノンストップでフリータイムだったのが、晩ご飯が戻って来たから、土曜日のスケジュールは少しばかり調整が必要かな。

というわけで、何だかんだと家事に時間を取られて、第2幕に入って急ピッチの展開になって来た翻訳ファイルを開いたのは晩ご飯の後。それでも、クライマックスに当たる長い独白の手前まで進んだので、あしたは急転直下でハッピーエンド。それにしても、400語近い長い、長い台詞、どうやって覚えるんだろう。とにかく、クライマックスなんだから、ここでとちったりしたら目も当てられないな。見直し次第では減ったり増えたりするけど、第1稿ではほぼ1200文字。プレゼンなどでは1分間につき300文字が目安になっているそうだから、ずっとしゃべり続けること丸4分。タイヘンだあ。丸暗記が大の苦手のワタシにはとっても、とっても無理だな。まあ、台詞を覚えられないから即興芝居が好きなんだけど。

最近の舞台劇は休憩を挟んでの2幕ものがほとんどで、翻訳中の脚本もそうだけど、第1幕はわりと緩慢で、第2幕になって急ピッチの展開になって、最後は一気に暗転と言うのが多い。クラシック音楽の「ソナタ形式」にも似ていなくはないような気がする。交響曲なんかは第1楽章がソナタ形式になっていることが多くて、(序奏)提示部、展開部、再現部(結尾部)となっているから、能楽の「序破急」のパターンに似ているようでもあるかな。古典派の時代には厳格な形式があって、それに沿って作曲するのが普通だったわけで、だから20世紀になって、そういう「規範」を外れた音楽が出て来たときはセンセーショナルだったんだろうな。根底にあるのは、硬直化した規則だらけの旧弊な世界から解放されて、自由に羽を伸ばしたいという欲求かな。脚本の中に出て来るコープランドの『アパラチアの春』の出だしは雪解け水がポツン、ポツンとしたたり落ち始めるイメージで、音楽がビジュアルな言葉を持つようになったことが実感できる。でも、現代音楽でも、作品として構成されれば、それなりのソナタ形式に通じる流れができるわけで、そのあたりは人間の生理的なリズムと関係があるのかもしれないな。それにしても、クラシック音楽を聞いているうちに、ますますピアノを弾きたくなって来た。ハードロックを聞いている時はドラムスを叩いてみたくなるのに、何なんだろう、この違い。

今日のびっくりニュースは、カレシの英語レッスンの生徒(友だち)でドイツに住んでいるエスターの夫氏のハインツが心筋梗塞で急死したこと。エスターよりもひと回り以上年が上だから、ワタシくらいの年かな。長年の愛煙家で、前から心臓疾患があって、車で医者に行く途中、クリニックはすぐそこと言うところで発作が起きたようで、間一髪で車を止めて、事故にはならなかったけど、異変に気付いた人が呼んだ救急車が来た時には手遅れだったらしい。心筋梗塞は本人さえ予期していない時に青天の霹靂で起きるから怖い。カレシの場合は、カナダでトップクラスの心臓科のある病院の救急センターがすぐ近くで、救急車を待つよりも早く行けたから九死に一生を得たんだけど、バンクーバーの旧居だったら、救急車を呼んでも助からなかっただろうと思う。エスターは3ヵ月前にハンガリーに住んでいたお母さんを亡くしたばかりで、近くに娘一家と息子が住んでいて、ひとりじゃないのがせめてものなぐさめ。明日、お悔やみのカードを買って来よう。


音楽と脳内ごちゃまぜ思考と空で遊ぶ雲と

2023年02月12日 | 日々の風の吹くまま
2月10日(金曜日)。🌥🌤☀。ああ、ついきのう2月になったと思っていたのに、何ともう中旬。あぁ~あ。でもまあ、時間の足が速すぎると嘆いていても、止まってはくれないんだから、必死で追っかけて、追いつこうとする他ないの。追っかけるのを止めたら、終わりなんだから。芝居の中にそんなような台詞があったような、なかったような。

午前中は、いつものように朝ご飯、今日はカレシはレッスン/ワタシは家事(支払いと事務処理とメール書き)、ウォーキング。そして、ランチ。午後になってから、翻訳の続き。台詞がこなれて来た感じで、脳内の舞台で仮想的に演じて見ると、かなりうまく流れるようになって、しめしめ。ピアノ教師が未来のピアノ教師(観客)に向かって、彼女の人生を変えた経験(想定外の生徒との交流)を交えながら、音楽とは何かという講義している、という設定なので、場面が切り替わるときに、生徒との会話に出て来る曲のさわりが流れる。そこで、そういう曲をググって聞いて参考にするわけだけど、聞いているうちに他の曲にも手を広げて、BGMとして聞くようになって、何だか現役時代に戻ったような感じになって来た。

おひとり様稼業で、日がな1日半地下のオフィスに籠って、脳内ごちゃまぜバイリンガルで仕事をしていた頃は、ケーブル放送のシアトルのクラシック専門のFM局をインターコムにつないで流していて、気に入ったものがあるとCDを買ったもんで、それが未だにリビングのキャビネットに200枚以上入っているけど、今どきはユーチューブに演奏の動画がこれでもかというくらいあるからすごい。ググって出て来るのを選り取り見取りで試してみて、気に入ったものをブックマークしているちに、とうとうMusicというブックマークフォルダを作ってしまった。なぜか家の中がし~んとしているのが嫌なもので、1日中もっぱら70年代、80年代のハードロック専門のFM局をかけっぱなしにしているけど、この芝居の翻訳は登場人物の心のひだを探りながらの作業だから、やっぱりクラシック音楽の方が合うような感じがするな。(ビジネス翻訳は交響曲がぴったりだった。)でも、アダージョのようなゆったりしたもんだと、哲学的な沈思黙考にはまってしまいそう。

カレシが「ジンがなくなりそうだ」と言うので、午後半ばで作業を中断して、道路向かい角の酒屋へひとっ走り。私営のチェーンの酒屋なので、公営の店より品揃えが狭くて、我が家のマティニの定番であるブードルズがないんだけど、最近見かけた(一番好きな)プリマス・ジンが棚にまだ2本あったので両方ともいただき。ワタシの寝酒のムッシュ・ヘネシーがないので、マネジャーのジーナに聞いたら、「火曜日に入って来ると思うわ」と言う返事。「それまでになくなっちゃいそう?」と心配そうに聞くので、1本あけたばかりだから何とかなるけど、入ったときにワタシ用に2本キープしておいてくれる?と言ったら、二つ返事でOK。こういうところが「近所の商店街」のいいところなんだよね。急の「おつかい」で思考が途切れた感じで、晩ご飯のしたくの時間まで、雲を眺めて、写真を撮りまくり。ああ、苦労した訳語のイメージだ・・・。