リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ガスライティングについていろいろと勉強

2023年02月16日 | 日々の風の吹くまま
2月14日(火曜日)。☀🌥。うはあ、いい天気。霧もないし、黒い雲もないし、風もないし。はて、きのうは予報通りの大風が吹いたのかどうかな。午後にちょっと出たときは、あ、風が出て来たと言う程度だったけどね。メディアに何もニュースがなかったところを見ると、大風は空振りだったのかもしれないな。今日のウォーキングは、カレシの膝の調子が良くなって来たところだし、ワタシの方はきのう傷めた肩がまだちょっと疼いているので、家々の庭先を観察しながらのスローウォーク(18分20秒)。あちこちにマツユキソウやクロッカスや水仙が芽を出していて、日当たりのいい南向きの庭では小さなつぼみが開くタイミングを計っている感じ。来週の半ばには寒波が来て、雪がちらつくような予報だけど、大丈夫かなあ。

今日は、翻訳の再々度の見直し。まずは誤字や脱字をチェック。日本語は同音異義語が多いから、漢字変換のときにうっかり違った単語になってしまったりする。音声として話されるものだから、間違っていても、同音である限りはわからないと思うけど、台本は「文書」だから、やっぱり正しい言葉じゃないとね。表面的な修正が終わったら、今度は芝居の中では語られない背景の事情を想像しながら、頭の中で台詞を言ってみて、どれだけ心理状態を表現できているかチェック。ピアニストの亡き夫が言っていたということや、音楽の好みや関心の違いの話から、同じクラシック音楽の演奏家と言う夫婦の間で、夫が妻のピアニストとしての活動の足をそれとなく引っ張っていたらしいのが見えて来て、なるほど、それをセットの中心である、家の階段の踊り場にそそり立つ壁が象徴していたんだな。舞台演劇では、セットにも視覚的な「台詞」によるストーリーテリングの役があるからね。

今日は奇しくもバレンタインデイだけど、熱々のロマンスは互いの本質をぼかしてしまいがち。今盛んに聞かれる「ガスライティング」という罠が待っていたりするから、要注意。

☆☆ 新しい煙探知器の取り付けで思考中断☆☆

2月15日(水曜日)。🌥☁。ちょっと冷えて来たなあ。今夜はまたArts Clubのオープニングなんだけど、駅までは車、オリンビックヴィレッジのニューモント劇場までは電車なので、あんまり冷え込まないで欲しいな。Arts Clubと言えば、来シーズン(創立60周年だって!)のラインアップの発表会への招待メールが来ていて、再来週の月曜日の夜。さっそく「出席」の返事。楽しみだなあと思ったら、今度はあと1ヵ月半に迫った「チューリップ・クルーズ」の参加者オリエンテーションへの招待メール。これは3月12日の午前中で、もちろん「出席」。カレンダーにはArts Clubのイベントを示す黄色いフラグがペタペタ、忙しくなるなあと思っていたら、来月8日にオープンする『Sense and Sensibility』 (ジェーン・オーステンの『分別と多感』)のレセプションへの招待メール。もちろんこれも「出席」で、カレンダーを見たら、今夜のオープニングと来月15日の(Zoomでの)演劇ワークショップを含めて、5週間連続でフラグが6つ。劇場ねずみは何ともいっそがしいこっちゃ。

きのうは、午後に新しい煙探知器の取り付けの予定が入っていて、業者の人が1時間近く遅れて、そのあおりで買い物も遅れて、そのまま晩ご飯のフェーズに入ってしまったので、翻訳の見直しは脱線。そこで、芝居の翻訳の過程でなぜか浮かんで来た「ガスライティング」と言う言葉について、実は何のことかよくわかっていなかったので、勉強のつもりで検索。ホラー映画から派生した心理学の言葉だそうで、どんなことが読んでみたら、うは、恐ろしい。一種のマインドコントロールじゃないの。脚本の中にそれがあったとはっきりわかるような台詞はないけど、音楽家同士の夫婦の間で、夫の方にガスライティングに似ていると取れる言動があったことが読み取れるものはある。どこにでもある男尊女卑が根底にあったのか、あるいはライバル意識があったのか、あるいは何らかの嫉妬感があったのか、そのあたりは筋書きには関係ないけど、妻が夫に心理的に依存させられていたから、突然コントロールがなくなったことで、自失状態に陥ったのだと解釈できるな。

まあ、人間は金太郎飴じゃないんだから、生まれたときからいろんな能力が微妙に違っているのが現実で、そこでどうしてもある種の「力関係」ができてしまうわけで、完全にまっ平で等しい関係なんて理想に過ぎないと思う。どんなに仲の良いカップルでも、よく見るとどっちかがいつも他方をリードとしていることが多いし、どんな友だちグループでもリーダー的な存在があるのが現実で、互いにそれを認め合っているから、時にはそれが双方(全員)にとって心地がいいから、競争や軋轢が起きないというだけの話。逆に、カップルでもグループでも、ある関係の中で、経済力とか学歴とか社会的地位とか、目に見える差があると、自己肯定感の低い方が「上」の人間を引きずり落すことで、上に立とうとして、ガスライティングに訴える傾向があるんじゃないかな。それが、カップルの間でなら精神的DV、集団の中でならいじめと言われるもので、目に見える暴力のように線引きができない分、確固とした対応をするのが難しいんだと思う。ほんとに、人間って、めんどうくさいもんだな。

でも、初めて本気で手掛けた演劇脚本の翻訳は、想像した以上の勉強になって、ワタシの世界が広がって、新しいエネルギーが湧き出して来たという気がする。ビジネス以外では何の実績もないワタシに、カナダで最高の文学賞を受賞した作品の日本語訳を委ねてくれたドロシーに感謝してもしきれない気持。そうだからこそ、最後まで気張って行かなくちゃね。でも、その前に晩ご飯を食べて、今夜のオープニングに行って来なくちゃ。