リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

音楽と脳内ごちゃまぜ思考と空で遊ぶ雲と

2023年02月12日 | 日々の風の吹くまま
2月10日(金曜日)。🌥🌤☀。ああ、ついきのう2月になったと思っていたのに、何ともう中旬。あぁ~あ。でもまあ、時間の足が速すぎると嘆いていても、止まってはくれないんだから、必死で追っかけて、追いつこうとする他ないの。追っかけるのを止めたら、終わりなんだから。芝居の中にそんなような台詞があったような、なかったような。

午前中は、いつものように朝ご飯、今日はカレシはレッスン/ワタシは家事(支払いと事務処理とメール書き)、ウォーキング。そして、ランチ。午後になってから、翻訳の続き。台詞がこなれて来た感じで、脳内の舞台で仮想的に演じて見ると、かなりうまく流れるようになって、しめしめ。ピアノ教師が未来のピアノ教師(観客)に向かって、彼女の人生を変えた経験(想定外の生徒との交流)を交えながら、音楽とは何かという講義している、という設定なので、場面が切り替わるときに、生徒との会話に出て来る曲のさわりが流れる。そこで、そういう曲をググって聞いて参考にするわけだけど、聞いているうちに他の曲にも手を広げて、BGMとして聞くようになって、何だか現役時代に戻ったような感じになって来た。

おひとり様稼業で、日がな1日半地下のオフィスに籠って、脳内ごちゃまぜバイリンガルで仕事をしていた頃は、ケーブル放送のシアトルのクラシック専門のFM局をインターコムにつないで流していて、気に入ったものがあるとCDを買ったもんで、それが未だにリビングのキャビネットに200枚以上入っているけど、今どきはユーチューブに演奏の動画がこれでもかというくらいあるからすごい。ググって出て来るのを選り取り見取りで試してみて、気に入ったものをブックマークしているちに、とうとうMusicというブックマークフォルダを作ってしまった。なぜか家の中がし~んとしているのが嫌なもので、1日中もっぱら70年代、80年代のハードロック専門のFM局をかけっぱなしにしているけど、この芝居の翻訳は登場人物の心のひだを探りながらの作業だから、やっぱりクラシック音楽の方が合うような感じがするな。(ビジネス翻訳は交響曲がぴったりだった。)でも、アダージョのようなゆったりしたもんだと、哲学的な沈思黙考にはまってしまいそう。

カレシが「ジンがなくなりそうだ」と言うので、午後半ばで作業を中断して、道路向かい角の酒屋へひとっ走り。私営のチェーンの酒屋なので、公営の店より品揃えが狭くて、我が家のマティニの定番であるブードルズがないんだけど、最近見かけた(一番好きな)プリマス・ジンが棚にまだ2本あったので両方ともいただき。ワタシの寝酒のムッシュ・ヘネシーがないので、マネジャーのジーナに聞いたら、「火曜日に入って来ると思うわ」と言う返事。「それまでになくなっちゃいそう?」と心配そうに聞くので、1本あけたばかりだから何とかなるけど、入ったときにワタシ用に2本キープしておいてくれる?と言ったら、二つ返事でOK。こういうところが「近所の商店街」のいいところなんだよね。急の「おつかい」で思考が途切れた感じで、晩ご飯のしたくの時間まで、雲を眺めて、写真を撮りまくり。ああ、苦労した訳語のイメージだ・・・。





春が近づくと極楽とんぼも何かと忙しい

2023年02月10日 | 日々の風の吹くまま
2月9日(木曜日)。☁☂☁🌧。ちょっと寒い感じ。目が覚めたのは7時半だったけど、木曜日はカレシがレッスンなしの一応の「休み」の日なので、せっかく眠っているのを起こすことはないやと、しばらくはうとうとするでもなく、ぼんやりと翻訳中の芝居の日本語の台詞を反芻。第1幕の初めの方に、いろいろと思いつく日本語がどれもしっくりしない単語がひとつあって、何かずっと悶々としていたんだけど、なぜか突然のひらめき。カレシがよく「寝ぼけているときに名案が浮かぶんだよ」と言うけど、まさに青天の霹靂ならぬ「寝ぼけ頭に火花」というところで、上機嫌で起床。

ある音楽のイメージを通じて登場人物のひとりの深層心理を直感的に表現する言葉なんだけど、「ひと言で」と言われてひと言で即答するシーンなので、日本語版も、「ひと言」でと言われて、さっとその「ひと言」が出て来なければならないのが難しいところ。単語自体は日本語でもカタカナ表記で外来語として広く通用しているので、使えるかなと思って試してみたけど、それだけでは原文の「ひと言」が言い表している心象風景が全然見えて来なくて、ぴったりの「ひと言」がないかと、脳みそをかき回して、歯ぎしりしていたところだった。寝ぼけているときに芝居の展開の要と言えなくもない単語の訳が閃くなんて思ってもいなかったな。でも、朝ご飯を食べている間も、ウォーキングしている間も、とんぼ返りで郵便局にアマゾンの荷物を取りに行っている間も、閃いた訳語のイメージを音楽のイメージに重ねて、その言葉が出て来るたびに、その場面の空気を想像してみて、うん、ぴったり。それにしても、単語ひとつでこれだから、文芸翻訳の奥の深さはビジネス翻訳の比じゃないね。何かどえらいところに足を踏み入れちゃったという感じで、やる気になってわくわくしているワタシって、ほんとに極楽とんぼ。

道路向かいの郵便局でアマゾンが送って来た代替品(と言うか、ワタシが注文したアイテム)の箱を受け取って来て、ついでに郵便箱をのぞいたら、州の投機・空家税の(空き家じゃないよと言う)申告期限の通知。投機・空家税というのは、住宅難を抱える特定の地域で誰も住まずに空家のままで放置されている住宅が対象で、公式の査定評価額の0.5%。(登記されている所有者か賃貸テナントが住んでいれば非課税。)何年も前から、海外在住の外国人が投資目的で買った戸建て住宅やマンションを空き家のまま放置するケースが目立つようになっていて、課税対象にすることで何とか賃貸に出させようという苦肉の策だけど、どれだけ効果があったのかは疑問。我が家の場合は所有者が2人(カレシとワタシ)なので、通知も2通で、「実際に人が住んでいる」という申告も別々。オンラインで通知書にある申告番号と通知番号の他に物件の住所、社会保険番号と生年月日を入力するだけで大した手間ではないけど、期限の3月31日にはクルーズに出てしまっているから、早めにやっとこうっと。

通知書と一緒に郵便箱に押し込んであった大きな封筒は、マンションの管理会社から来た再来週の年次総会の資料。総会の日はたまたまArts Clubのファンドレイジングのディナーパーティと重なってしまっているけど、今年は規約の改正案がないようで、総会での投票で決めるのは管理費の値上げだけなので、代理委任状を出しておけばいいや。それにしても、管理費、8.5%と、ずいぶん盛大な値上げだこと。金額は基本額に部屋の面積をかけて決めるので、4番目に広い我が家はけっこうな額になって、提案によると月額9万円ちょっと。年金の物価調整で増えた分が半分吹っ飛んでしまうけど、まあ、水道、ガス、給湯、ゴミ収集と言った公共料金込みだから、インフレ下ではしかたないか。


中国の気球ではないのでご安心を(先週の満月)


友だちバンザイ、眼鏡バンザイ

2023年02月09日 | 日々の風の吹くまま
2月7日(火曜日)。🌧☂☁⛅。夜のうちに「パイナップル特急」が通過したようで、ルーフデッキはびしょびしょだけど、雨はしょぼしょぼ。もしかしたら、小さいパイナップルだったのかな。何だか小さいのがコロコロと転がって行くところを想像してしまうけど、気象用語では「大気の川」がパイナップル特急の本名だそうで、よく災害を持って来る雨風のイメージはあまりないな。でも、スラングでパイナップルと言えば「手りゅう弾」のことで、こっちの方が何かぴったりする感じ。ま、どっちにしても、今回は大雨警報が出ていたわりには、おとなしくさっさと通過してくれたようで、ひと安心。

アマゾンが間違って送って来たココア6個は、いつも私たちの旅行中に留守番サービスをしてくれるシーラがもらってくれることになって、今日の午後に遊びに来て、久しぶりの積もる話で3時間近くもおしゃべり。シーラとは旧居で掃除代行サービスを頼んでいた頃からの付き合いだから、もう30年になるかな。彼女と相棒のヴァレリーが家の掃除をしてくれたからこそ、ワタシはその時間を仕事に充ててバカ稼ぎできたんだし、辛くて落ち込んでいた時は黙ってハグして支えてくれたかけがえのない友だち。カレシと同い年(10日ほどお姉さん)だから、今年はもう80歳。苦労人で、年金が少なくて厳しいのに「他人や政府の助けはいらない」。それでも、報酬は受け取ってくれるから、新居に引っ越してからもしばらくは、お返しのつもりで、バスルームのカレシが手を付けないところだけ掃除してもらっていたけど、体調を崩してドクターストップがかかってからは留守番サービスをお願いして、旅行していないときは普通に仲良しの友だち付き合い。長く生きているといろんなことがあるけど、いい出会いもたくさんあるってことね。

☆☆夜は我を忘れて翻訳に没頭☆☆

2月8日(水曜日)。⛅⛅☁。差し込んで来た朝日で目を覚ました。水曜日は週中の「こぶの日」。きのう、がっちりと翻訳の校正と編集に没頭したせいで、今日は朝から目がしょぼしょぼ。顔を洗ってから、疲れ目用の目薬を注して、目をぱちくり。まだコンタクトレンズだったら、しょぼしょぼどころじゃなくて、痛くて目も開けられなかっただろうけど、眼鏡なら、ちょっと外して目薬をぽちっとやるだけ。ついでに眼鏡拭きでレンズをきれいにして、鼻の上に戻せば、世の中が明るく見えて、気分爽快。

眼鏡の方がコンタクトの時よりも明るく、はっきり見えるから不思議。思うに、毎日外してはこすって洗浄するせいで、レンズに目には見えない傷がついて曇って来ていたのかもしれない。言うなれば、白内障に罹っていたのは、ワタシの目玉じゃなくて、コンタクトレンズだったってことかな。去年の暮近くになって(たぶんマスクのせいで)ドライアイが悪化して、目がひりひりして来たらコンタクトレンズを外して、洗浄して、入れ直すことで対処していたけど、2時間くらいでまた目がひりひり、涙ぼろぼろで、レンズを外して、洗浄して、入れ直しの繰り返し。外出中にそうなったら、目を開けていられなくて、それでもレンズを外すわけに行かず、とにかく切ないの何のって。とうとう諦めて、眼鏡を作ることにしたんだけど、コンタクトレンズを外した時だけ使うつもりでいたのが、初めてかけた日からコンタクトはお払い箱。もっと早くに切り替えていたら、あんな目に遭わないで済んだのになあ。リビングに出て、いつも寝るときにスマホと一緒にテーブルに置いておく眼鏡をかけて、ああ、今日も視界良好。

それに、コンタクトレンズを入れる朝の儀式と、レンズを外す夜の儀式がなくなって、時間の節約になっている感じもするし、レンズの洗浄液や保存液が不要になって、家計の方もちょっとした節約。漬けている間にたんぱくを取り除く洗浄保存液を使っていたけど、1本1500円もして、しかも月に2本では間に合わなかった気がするから、年間にしたら何万円もかかっていたということで、コンタクト歴が40年超だったことを考えると、うはぁ~。おまけにワンセットでン万円のレンズを2年おきくらいに買い替えていたことを考えると、うはぁ、気が遠くなりそう。眼鏡に切り替えたら、そういう出費がなくなって、さらには洗浄液の容量がなぜか105mLだったせいで、旅行の時は空港の手荷物検査でいちいち出して見せなければならなかったのが、これからは手ぶら。それに、鏡を見ると、手術が必要になるかもと言われた眼瞼下垂がちょっぴり改善された感じで、目がぱっちりして見えるようになったし、ほんとに眼鏡さまさま。それじゃあ、のんきにブログを書いている暇があったら、買い物に行って来て、また翻訳の見直しに没頭しなくちゃ。


言葉は時代と共に変わって行くものだというけど

2023年02月08日 | 日々の風の吹くまま
2月6日(月曜日)。🌧☁。起床8時過ぎ。また大雨注意報が出ていて、明日は荒れ模様になるらしい。でも、今年はぱっとしないけどまあ普通の春になるそうだから、それまでの辛抱かな。雨が降らないうちにウォーキングを済ませて、後はちょっとばかりだれ気味。人造ダイヤを売る宝飾店がいつもラジオでヘンにダサいコマーシャルを流していて、クリスマスシーズンには「どうしてみんなクリスマスに婚約するの」、「集まったみんなに指輪を見て欲しいから」とやっていたのが、今は「どうしてみんなバレンタインデイに婚約するの」とやっているので、ははあ、誰もクリスマスに婚約してくれなくて、指輪が売れなかったんだろ、とヤジを飛ばしてみた。バレンタインデイのプロポーズは多いそうだけど、人造ダイヤの婚約指輪が何十万円もするんじゃねえ。

芝居の脚本の日本語訳は、出だしに戻って見直しの段階。それが終わったら、今度は日本語だけのファイルを読み通して、台詞として違和感がないかどうかをチェックする段階。ファイルは日英対訳の形式にしてあるので、英語の台詞を読んでみて、頭の中で「通訳」して、日本語の台詞を英語の上に入れて行くんだけど、バージョン1はどうしても台詞がこなれていない。書類がメインの実務翻訳や小説などの出版文学の翻訳と違って、戯曲は「話し言葉」の文学だから、日本語会話の今どきのボキャブラリーの勉強から始めないとダメってことで、母語のはずの日本語の劣化を改めて実感。第2言語で長く暮らしているうちに第1言語であった母語を忘れることを「言語喪失」と言うそうで、珍しいことではないらしい。ワタシが日本を離れて英語環境で暮らすようになってからもう48年になるけど、ずっと仕事で日本語を使ってきたおかげで、まだ「喪失」のレベルには至っていないけど、日本語でおしゃべりをする機会がないので、耳が日本語をキャッチしなくなったし、耳から入って来ないせいか、すんなり口から出て来ない。頭の中の日本語はまだ流暢(だと思う)けど、要するに、日本語は文字の言語になりつつあるってことかもしれないな。

小町横丁の散策は今どきの日本語に触れられる数少ないチャンスで、ここで新しい日本語を覚えることが多い。でも、最近(大げさだけど)椅子から転げ落ちそうになったのが「違くない」という表現。何だ、これ?何だか言い難くない?でも、本来は「違わない」というべきじゃないの?だって、「違う」という動詞の否定形で、「歌う」が「歌わない」になるのと同じだと思うけど、違くの?でも、「違わない」と言うと「わ」のところで口を大きく開けなければならないけど、「く」ならそれが不要だから、もしかしたら一種の「ぐうたら発音」なのかもしれないな。そう思って、ちょこっと調べてみたら、本来は動詞である「違う」(英語ならdiffer)が形容詞化したということが書いてあって、つまりは「明るくない」とか「高くない」とか言う、「ない」の付く形容詞の否定形から連想したものだってこと?でも、「~くない」の肯定形は「~い」でしょ。たしかに、「違い」という言葉はあるけど、「~違いの~」と形容詞的に使うことはあっても、本来は名詞じゃないの?ああ、ややこしい。

まあ、「違くない」に関しては、今のところはまだ「誤用」という認識が一般的という印象だけど、これから先「ら抜き」のように定着するかもしれないな。言葉というのは時と共に変化するもので、それは日本語だけじゃなくて、英語も、どこの何語も同じ(違くない)。あ、「違くない」ってことは「同じ」ってことじゃないの?どうして素直に「同じ」と言わないんだろうね。ワタシの耳にはいずくてしかたがないんだけど。あ、この「いずい」は、しっくりしないとか心地が悪いという感覚を表現する北海道語の形容詞で、子供の時の日常語として使っていた。北海道で生まれて、北海道でしか暮らしたことのないワタシにとっては、北海道語は母語に等しいもので、釧路空港から市内へのタクシーの運転手さんとの会話が証明してくれたように、ボキャブラリーもアクセントも忘れてはいないから、標準日本語は言うなれば「習得言語」ということになるのかな。だとしたら、「言語喪失」という現象が理解できるような気もするけど、あぁ~あ、頭がこんがらがって来ちゃった。ともかく、翻訳、けっぱらないと。



断食継続の是非を問うお二人様家族会議

2023年02月07日 | 日々の風の吹くまま
2月5日(日曜日)。☁☂☁。目が覚めて、同時に目を覚ましたカレシに、日曜日だよね。なぜかいっつも日曜日と月曜日がごっちゃになるなあ。月曜日の朝はちゃんと月曜日だとわかるんだけど、どうしてかな。ゆうべはいつもより早く寝たので、目が覚めるのも早かったけど、そのまま何となくだらだら、ぐずぐず、うとうと。年が明けてからずっと1日朝と昼の2食のままで、完全な断食には戻っていないんだけど、4時か5時くらいになると、ざわざわとした寒気がし始めて、そのうち手足が冷えて来る上に、10時ごろには何となく頭がぼんやりして、大あくびが止まらなくなってしまう。ワタシだけかと思っていたら、カレシも同じで、「心臓の手術の後で退院して来たときに、こんな感じの寒気がしていた」というので、年も年だし、断食は無理なんじゃないかという話になって・・・。

起き出したのは8時半で、朝ご飯の後のコーヒーを飲みながら、断食と寒気と大あくびの関係をリサーチ。どうやら寒気の方は、断食をすることで体脂肪の代謝に切り替わり、血流が脂肪組織の方に向かい、消化器系統がアイドリングの状態になって、熱の産生が減るためで、断食ではごく普通の現象だとわかった。要するに、インスリンと血糖のレベルをさげることで、体脂肪の燃焼を高めて、体重を減らそういということらしい。で、大あくびが止まらなくなるのは(たぶん身体の冷えに合わせて)脳を冷やそうということのようで、酸欠とは関係がないらしい。つまり、寒気もあくびも断食が元凶というわけだけど、どの記事も断食の目的について、もっぱらダイエットに集中しているのが気になって、元々消化器系統(特に肝臓)を休ませるのが目的で、減量は必要ない私たちにはあまり意味がないのではという話になって・・・。

日曜日なので、朝ご飯が済んだら、さっそく床掃除。ダスターで埃を払っている間は楽だけど、箒で掃くときはテーブルや椅子を動かすので、汗が出て来る。部屋の隅っこや巾木の上の埃を掃いて、ある程度まとめたら、次は掃除機。最後のモップかけの段階では、羽織っていたチュニックを脱いで、額の汗を拭きながらごしごし。けっこうカロリーを燃やしているだろうな。ついでにいい運動になるし、週一の断食よりも体重管理の効果が大きいんじゃないかという気がする。半年前に週1回の断食を始めてから減った体重は、カレシ3キロ、ワタシ2キロで、この3ヵ月は2人ともそれぞれの理想体重の前後で安定しているから、普段でも晩ご飯の量は少ないことだし、ほんと、元々ダイエットが目的の断食は逆にマイナスなんじゃないかという話になって・・・。

掃除が終わって、ウォーキングをして来たら、きのう10時間かけてじっくり煮だした鶏ガラのブロスで、カレシお気に入りのチキンスープのランチ。(ストック鍋いっぱいでランチ3回分のブロスができる。)漉したスープをひと晩冷蔵庫に入れておくと、白く固まった脂の下はゼリー状になった、コラーゲンたっぷり、たんぱく質たっぷりのブロス。脂をきれいに掬い取ってから、玉ねぎ、ニンジン、セロリ、タイムを入れて煮ている間に、骨付きの鶏もも2つを別に茹でて、漉した煮汁をスープに加えて、最後に鶏肉を手でむしって骨から外して、スープに加えて、塩とこしょうで味を調節したらできあがり。骨ブロスはわりとカロリーが低くて、しかもそのほとんどがたんぱく質だそうだし、骨や関節、髪の毛や肌の健康維持になるし、腸の機能を改善して免疫力を高めるし、さらには減量効果もあるというから、栄養的にも優れモノなわけで、断食して(一番生産的な時間帯に)寒気とあくびと頭ぼんやりに悩まされるよりも、出来たてのスープで身体を中から温める方がよっぽど健康によさそうな感じ。というわけで、断食はやめて、寝しなの1杯をスキップする「休肝日」とする案を「満場一致で採択」して、お二人様家族会議は閉会。しゃんしゃん。


政治はアホ化し、民主主義も劣化しているらしい

2023年02月05日 | 日々の風の吹くまま
2月4日(土曜日)。☁🌧☁☂。きのうはかなりの強風だったようで、ルーフデッキの隅のヒバだか何だかの鉢3個が横倒しになっていて、どこからか飛んで来たビニール袋や枯れ葉が大きな鉢の間に引っかかっていた。あちこちで停電があったそうで、寒波の最中でなかったのが何より。我が家のように電気暖房だったらお手上げだし、薪を燃やす暖炉やストーブは排気規制が厳しくなってあまり使われなくなっているし、戸建ての場合はセントラルヒーティングだから、ガスを使っていても、電気を使う点火装置や家中に温風を供給するファンは動かないから、ここでもお手上げ。まあ、我が家の場合は商業地区の中心なので、電線は地下に埋設されているから、停電はほとんどなくて大助かり。

アメリカの上空をふらふら飛んでいた中国の気球が大西洋上に出たところを狙って、アメリカ軍が空対空ミサイルを撃墜。気球だから穴が開けばあっという間にしぼむけど、何しろバス3台分くらいの大きなものだし、中国から飛ばして来たものだから何を積んでいるかわからないし、ということで洋上に出るのを待っていたらしい。それに陸上だったら炎上して灰になるかもしれないけど、海だったら衝撃も少ないだろうから、「動かぬ証拠」が見つかるかもしれないしね。中国はアメリカがどう出るか、その反応を試したという見方もあるし、アメリカ側は中国に「領空侵犯だから撃ち落とすぞ」と警告しまくっていたという話だし、習近平としては中国国内で反米感情と愛国意識をかき立てて自分への批判を逸らすために撃ち落されるのを期待していたという見方もあるし、いったい何を考えてるんだか。誰にも白々しい嘘だとわかるような説明をしゃあしゃあとやってのける度胸は大したものだけど、年から年中その調子だと、やればやるほどアホ丸出しに見えて来るってことがわからないみたい。ま、萎んだ風船から何が出て来るか、興味津々。

アホ丸出しと言えば、日本の政界もほんっとに呆れるようなアホぞろいという感じがする。同性婚の法制化をめぐって、総理大臣が「家族観や価値観や社会が変わってしまう課題だから慎重に判断しなければならない」みたいなことを言っていたけど、政治家が「ノー」というときの言い回しそのもの。それで差別だと反発を食らったところへ、秘書官が擁護のつもりで乗り出して来て、「見るもの嫌。隣に住むのも嫌。同性婚を認めたら国を捨てる人が出で来る」と火に油を注ぐようなことを言っちゃって、最初に差別発言の批判を浴びた総理大臣その人が「言語道断」とか言って、秘書官氏をクビ。ここまで来ると、もう茶番劇。当の秘書官氏は「自分は差別をする人ではない」と弁明したそうだけど、要するに差別とはどういうことか、偏見とはどういうことかがわかってないんだろうな。世論調査なんかでは同性婚容認がとっくに多数派になっているというのに、新聞を読まないのかな。あのさあ、今どきは先進国ならどこも法律で認められた同性婚カップルがごまんといるんだから、そうやって日本を捨てても、行けるところがなくて、「放浪の民」になってしまいそう。

同性婚を認めたら社会が変わるというけど、日本にだって法的に結婚していない(できない)だけの同性カップルはたくさんいるんだから、法的に結婚したからって社会が変わるなんてあり得ないと思うよ。カナダは同性婚も異性婚も(事実婚も)法律上は同じ扱いだけど、それで社会が変わったという証拠はないし、同性婚でも代理母出産で子供を持ったり、養子を迎えたりできるんだから、生産性がないなんてこともない。ワタシの親しい交友範囲にも同性婚カップルが3組いるけど、みんな普通に「結婚している2人」だもの。だって、法律婚でも事実婚でも、性別に関係なく、好き合った同士、愛し合った同士が互いに配偶者として人生を共にすることを誓うのが「結婚」なんだから。


車はタイヤを交換、アマゾンは発送ミスでも返品不可

2023年02月04日 | 日々の風の吹くまま
2月3日(金曜日)。☁☁🌧☁。何だかパッとしない天気で、午後には雨になるという予報。寒くはない、というか春が来そうな陽気だけど、やたらと風が強い。バルコニーのものが飛ばされないように気を付けていなくちゃ。春の園芸を始めたカレシが、空のプラスチックのポットや水遣りに使うジュースの空きボトルを適当な場所に置くもので、風が強い時にはバルコニー中をコロコロ。風の吹き具合によっては、手すりを越えてどこかへ吹っ飛んで行ってしまう。

ウォーキングに行くのにカレシのレッスンが終わるのを待っていたら、電話が鳴って配達の呼び出し。受取りの署名が要らないようなので、ロビーにあるスチール棚に置いて行ってと指示。カレシのレッスンが終わったところでウォーキング。気温は高いのに、風が強いから空気が冷たくて、涙目どころか「号泣」みたいな感じ。コンタクトレンズを止めてから、外へ出るとぽろん、ぽろんと涙が出るようになった。初めて玉ねぎを切ったときは、いやぁ、目にしみて、しみて、涙がぼろぼろ。もう慣れたけど、コンタクトをしていた40年の間そんなことがなかったので、ちょっぴりショックだったな。ランチの後は、ストック鍋に解凍してあった鶏ガラを仕込んで、きのうアマゾンが配達して行ったココアパウダーを取りに道路向かいの郵便局へ。その前に、水曜日の夜に車のタイヤがへこんで見えたので、反対方向のタイヤのディーラーに寄って相談。すぐにチェックして、空気を入れるか、場合によっては取り替えるかしてくれるというので、郵便局でアマゾンの箱を引き取って、帰り着くなりカレシに緊急報告。

サプライチェーンがまだ正常化していないので、もし在庫がなければ取り寄せるのに時間がかかるかもしれないということで、カレシが重い腰を上げるのを待っていられないから、ワタシから押せ押せで、すぐに車を持って行ったら、タイヤのゴムが劣化しているということで、即新品を注文。幸い在庫があって、4時頃に取りに行けると聞いて、見積もりをもらって帰宅。待っている間、アマゾンの箱を開けたら、あらら、注文したのと違うものを送って来たじゃない。同じブランドだけど、砂糖いっぱいのインスタントのココア。返品して交換してもらおうと、サイトを開いたら、注文の履歴にはちゃんと注文した商品の写真。でも、(食品だから)「この商品は返品できません」だって。全然違う物を送っておいて、返品はダメなんて、冗談がきっついなあ。いや、4千円の買い物なんだから冗談じゃないよと、カスタマーサービスのAIロボットのアルヴィン君との文字のチャットで事情を説明したら、「すいません。無料で取替え品を発送する手配をします」と来た。それならよろしくお願い。ロボット君が「他にご質問は?」と聞くので、間違い商品はどうすればいいのかと聞いたら、「キープするか寄付するか、お好きなように」だって。そっか、返品不可の商品だからね。じゃ、フードバンクにでも寄付すると言ったら、「感謝します」と返って来て、最後に「ご愛顧ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」と来たので笑っちゃった。



午後2時を過ぎた頃から、風が唸り声を上げるようになって、オフィスに座っていると、何となく建物が揺れている感じがしないでもない。空模様は風雲急を告げるという言葉の通り、ちぎれた黒雲が流れるどころか飛んでいる感じ。雲の写真を撮っていて、ふと窓から見下ろしたら、タイヤディーラーの駐車場に我が家の車があるじゃないの。タイヤ交換は終わったようだからと、すぐに行って(徒歩2分)、窓からここが見えるものでと言ったら、カウンターのお兄さんが「そりゃあ便利過ぎ」。そう、便利過ぎるから17年落ちでもやっとまだ3万キロで、満タンにすると3ヵ月以上持つわけなの。タイヤ4本を新調して、バランスとアラインメントを調整して、古タイヤを始末してもらって、車輪のトルクを上げてもらって(これはサービス)、税込みでしめて8万円なり。全天候タイヤは、普通なら5年くらい持つそうだから、我が家の場合はもっと長持ちしそう。あんがい私たちよりも長持ちしたりして。ははは。


こういうのをのめり込むというのかな

2023年02月04日 | 日々の風の吹くまま

2月2日(木曜日)。🌥☁🌥☁。バルコニーの気温は5.5度と、まあ、平年並み。今日はカレシのレッスンが午後9時までないので、起床はのんびり。ウォーキングものんびりで、ランチものんびり。まあ、きのうは外食と芝居でけっこう疲れたから、のんびり骨休めが一番。

きのうの芝居はArts Clubの新作依頼プログラムの下で、劇作家夫婦が共同で書いたもので、3年前のシーズンに予定されていたのが、コロナのおかげで延び延びになっていたもの。、学生時代から友だちの3人の男とそれぞれの妻が、仲間の結婚25年を祝うために集まったという設定で、場所はその1組がどこかのビーチに建てたばかりの家。といっても、セットはミニマリズムそのもので、キャストは全員裸足で、回転するステージに白い椅子6脚と豪華なシャンデリアだけ。男3人のうち、建築会社をやっているポールと投資会社をやっているジョンは富裕層で、近くで燃え盛っている山林火災には無頓着な妻たちの話題はヨガや瞑想、サステナブルな暮らし。結婚25年を祝ってもらっているルイスは漁をしたり、テーブルを手作りしたりして生計を立てている底辺層で、下心のあるジョンがプレゼントにと差し出したとんでもない額の小切手を辞退したところから、友人同士や夫婦の関係に利害関係が絡んで、偽善や裏切りの暴き合いになり、長年の「仲良しグループ」の綻びが表面化する。

タイトルの「Cull」は野生動物の繁殖を抑えるために捕獲して殺処分にするときに使われる言葉で、人里に近づいて(実は逆なんだけど)人間の安全を脅か狼を捕殺することの是非の議論になって、狼を擁護したのはルイスだけ。罠にかかって瀕死になっていた狼に遭遇したルイスが、見るに見かねて殺したところ、それをやぶの中から見ていた狼が出て来て、身構えているルイスには目もくれず、死んだ狼に頬ずりして、空に向かって吠えたというエピソードは感動的。狼は生涯を同じ群れの中で過ごすんだそうで、一時は食指を動かしたカツカツの生活から抜け出すチャンスを蹴って、家路についたルイスと妻のエミリーが山林火災の煙を眺めながら狼の話を始め、月に向かって吠えるというのは人間の作り話だとルイスが言うのに、じゃあなぜ吠えるのかと聞くエミリーに、群れの仲間に「ここにいるよ。聞こえるかい?ここにいるからね」と呼びかけているんだといい、2人が抱きしめ合って、暗転。感動的なエンディングだった。

芝居の大半が椅子に座っての会話なので、集中して聞いていないと難解な感じがしそうだけど(カレシはときどきこっくり)、言葉の奥まで登場人物を理解できた気がするのは、たぶん自分が今脚本の翻訳に没頭しているからだろうと思う。芝居を観るのと、書くのと、翻訳するのと、上演するのと、どれもみんなアングルが違うわけだけど、ストーリーを分かち合うと言う究極の目的は同じ。感動の勢いに乗って、あれもこれもと翻訳したくなりそう。デスクの上にはコロナの前からすでに2冊。どれも舞台を観て、感動して、どうしても日本語訳したいと思ったもの。英訳したい作品は、脚色に近いものにならざるを得ないので躊躇していたけど、頭の中で構想がまとまりつつある気がするし、ここまで来たら、もう後戻りはないな。


レストランのイベントだけど格安で食べられるだけならねえ

2023年02月03日 | 日々の風の吹くまま
2月1日(水曜日)。☁☁。今日から2月。夜の間に気温が上がったようで、ルーフデッキには消え損ねてざらめになった雪。プランターの下のトレイの氷も解け始めているようで、寒波が短命で終わって、当面はだいたい普通の冬ということになりそうで、やれやれ。一方で、東の方では大寒波だそうで、きのう電話して来たトロントの弟デイヴィッドに聞いたら、「マイナス10度くらいかな」。ははあ、それで常夏のハワイに逃げ出そうということかな。何でも3月初めにハワイに行くのに、ジュディと娘のローラと娘婿のニックと孫2人の6人連れでバンクーバーまで来て、空港近くのホテルに1泊して、翌日弟のジムとパートナーのドナが合流して、総勢8人でマウイ島に飛ぶんだそうな。カレシがそんな話は初耳だと文句を言っていたけど、こっちへ遊びに来るのと違って、幼児2人を連れての乗り換えだから、1泊すると言ってもこっちの家族に会っている時間はないと思うな。

今夜はArts Clubの新作『The Cull』のオープニングで、レセプションがないので、ゆっくり出て、空っぽに近いタンクにガソリンを入れて、近くのお気に入りのレストラン、Sandbarでのんびり食事というもくろみ。週中だし、観光シーズンでもないので、時間を見計らって行けばいいと思っていたけど、そういえば今Dine Out Vancouverという、格安の3コースセットで閑散期のレストランに客を呼び込もうというフェスティバルの最中じゃないの。慌てて5時半に予約を入れて、ほっ。このフェスティバルが始まったのは20年くらい前の話で、初めの頃に何回かお試しのつもりで普段行かないレストランに行ったことがあるけど、あの頃は参加レストランのほとんどが「高級」レベルで、元々数が少ないから、どこも大盛況だった気がする。それが今では大がかりな「フェスティバル」になっていて、ハンバーガーショップやラーメン屋、チェーンレストランまで(今年は)368店。一番安いカテゴリーは2千円、トップのカテゴリーでは6500円。どこも「スペシャルメニュー」ということだけど、ハンバーガーのスペシャルが2千円て、どんなのだろうね。何だか、単に「安く食べられる」だけのイベントになったんじゃないという気がする。

☆☆午後10時半帰宅☆☆

レストランに着いて、普通のメニューがあるかどうか聞いたら、「あります」。思わずよかったぁと言ったら、案内カウンターのお嬢さんが笑いだしてしまった。どうやら、そっちが目当てのお客が多いらしい。(芝居の前に食事をするArts Clubの常連も多い。)テーブルに着いて、サーバーが普通のメニューと一緒に持って来たDine-Outのメニューをちらっと見たけど、前菜に握り寿司やクラムチャウダーがあって、メインにはヤギのチーズのパスタやブイヤベースがあって、何かちぐはぐな気がしないでもないけど、3コースで5500円はお得かも。ということで、カレシはサラダで初めて、2人揃って寿司と刺身の盛り合わせ、白ワイン(カレシはサンセール、ワタシは寿司によく合うオカナガンのシャルドネ)をグラスで頼んで、デザートはカレシがチョコレートケーキでワタシはクレムブリュレ、仕上げにエスプレッソで、1万5千円。(20年前と比べるとずいぶん安くなったなあという感じ。)飲み物やチップ(18%)を除外したら、Dine-Outのスペシャルメニューとあんまり変わらない値段だったんじゃないかという気もする。それにしても、レストランでの外食、去年のカレシの誕生日以来だったかな。月1回くらいは外食したいねと言っているんだけど、いつもかけ声だけ。まあ、ニューウェストには私たち好みのレストランがないとうこともあるんだけど。


演劇漬けの2月がやってくる

2023年02月01日 | 日々の風の吹くまま
1月30日(月曜日)。🌤☁。バルコニーの気温はマイナス1度。寒いけど、クリスマス前の寒波に比べたら、どうってことないやという感じかな。今日は午前中のレッスンが午後一番に変わったので、早めにウォーキング。寒いせいかペースが早まって、きのうより速い16分43秒。何かげんきんなもんだな。

帰って来たら、さっそくデスクに陣取って、脚本の翻訳の続き。きのうはあまりにも夢中になったもので、PCを落としたときにはクライマックスがもう目の前と言うところ。それで気が逸って、今日も始めたとたんに一心不乱。クライマックスの長い、長い台詞は本では丸々1ページ。これを覚えなければならない役者はタイヘンだろうな。どうやって覚えるのかな。初演の舞台では、このシーンで涙を拭っていた人がたくさんいたっけ。コメディを観ていてもどこかでほろっとしてしまうくらい涙もろいワタシは、涙が溢れ過ぎてコンタクトレンズが外れるんじゃないかと思ったくらい。胸が潰れそうになるようなシーンだけど、実はポジティブな流れへの転換点。自分の気持を投影しつつ、役を演じているつもりで、ウルウルして来る目を瞬きながら訳していたら、いつの間にか正午過ぎ。カレシのレッスンが1時だから、ランチを作って食べさせなくちゃ、と大慌て。それでも、長い台詞なのに、暗記が大の苦手のワタシでも覚えられそうな気がして来たから、いやあ、感情移入ってすごいパワー。

ランチの後で、怒涛のごとく一気に大団円に突進して、The Endに到達したのは午後3時過ぎ。手を付けたのは1月の中旬に入ってからだったで、うは、2週間ちょっとで舞台劇1本を丸っと訳してしまった勘定。もちろん、これから何度も何度も見直して、訳し直したり、書き直したりするわけだけど、どっぷり浸かってしまうとこうなるわけか。とりあえず初めに戻って、劇中で使われる曲をググって、これはと思うユーチューブの動画をブックマークしておいたので、ヘッドフォンで聞きながら、ワタシなりの台本読み。そのうちに、ピアノの生徒として最後の発表会で弾いたフォーレの『シシリエンヌ』を無性に聞きたくなって、動画を何本か探して来て鑑賞。清冽とでも言うのか、透き通ったメロディが何とも言えない。フォーレ自身の演奏(1913年の録音)というのはパヴァーヌとして弾いていて、これがまた聞きなれたスタイルとは違ったイメージなのがすばらしい。ほんとになつかしいなあ。あぁ~あ、またまたピアノを弾きたくなって来ちゃった。

☆☆聞き直し、読み直しに夢中☆☆

1月31日(火曜日)。☁❅☁。目が覚めたら、ルーフデッキが真っ白。やぁ~だっ、雪っ。今日はワタシのピアノの先生だったセロクとメトロタウンでランチをする予定なんだけど、まあ、2センチくらいしか積っていないから、大丈夫かな。でも、朝のラジオではスリップ事故、接触事故続出と言う感じだったので、ちょっと心配になって、起き抜けにメールを飛ばしたら、「大丈夫よぉ」。ああ、良かった。気温は上がっているので、先月のような混乱はなさそうだし。

起きるのがちょっと遅かったので、朝ご飯が終わったらもう9時半。急いでカレシのランチになるツナサンドイッチを作ってラップに包んで、出かける支度。ウォーキングの時間がないので、カレシが途中まで一緒に来ることになって、ところどころまだ除雪していないでべた雪が残ってる歩道を(危ないから)手をつながずにてくてく。クィーンズアベニューの角の教会のところで、カレシは回れ右、ワタシは右折。セロクと落ち合うメトロタウンまでは電車で10分。待ち合わせのスポットはバスターミナルを横切って、モールに入ってすぐの百均ストアのそば。スマホに「今家を出るところ」というテキストが入っていたので、安心して待つこと15分。のんびりしていたら、セロクが抱き着いて来て、しばらく女子学生みたいに抱き合って「ひさしぶりぃ~」。ほんと、引っ越してから、ずっと会っていなかったんだよねえ。

メトロタウンの巨大ショッピングモール「メトロポリス」には大きなフードコートがあるので、ぐるりと見まわして、何を食べようか。セロクもワタシもブランドショップが並ぶモールやフードコートには縁がないもので、ちょっと迷ってやっと選んだのがぺりぺりチキンの辛くないもの。トレイを持ってテーブルについて、まずは近況報告。ドイツに留学していた娘は、修士号を取って、ミュンヘンでデザインの仕事を始めたばかり。彼女が5歳くらいのときに描いてくれたマンガ風の絵のできに仰天したことがあったけど、やっぱり音楽じゃなくてそっちの方へ進んだわけね。永住権を取るつもりだそうだから、カナダには帰って来る気はないってことかな。地元の大学で音楽(ドラムス)を勉強していた息子はめでたく卒業。役者もそうだけど、音楽家も本業だけでは食べていけないのが現実で、ドラマーとしてのデビューを目指しながら、ドラムスを教えているんだそう。カレシの同僚だった人の息子が打楽器奏者で、音楽学校で教えながらArts Clubのミュージカルでよくドラムスを担当しているので、機会があったらオーディションを受けたらいいかもと言っておいた。

積もり積もった近況報告が一段落したところで、『The Piano Teacher』の本を進呈して、芝居の本は立ったまま、できたら声を出して読むと、けっこう奥深くまで踏み込めるよと、よけいなお世話のアドバイス。まあ、舞台に立ってひとりで全部の役を演じている自分を想像しながら読むのがワタシ流の読み方で、そこに戯曲と小説の違いがあると思っているんだけど。「芝居を観に行かない方なんだけど、そうやって読んでみるわ」とセロク。楽しい時間があっという間に過ぎて、おじゃべりをし過ぎて、2人ともランチは半分も食べないままで解散。また、会おうね。帰って来た頃には歩道の雪はほとんど消えてしまって、今夜の予報は雨雪交じり。今日で1月がおしまい。あしたはグランヴィルアイランド劇場でArts Clubの新作『The Cull』のオープニング。その2週間後にはBMOセンターで別の新作のオープニングで、その次の週はファンドレイジングのディナーで、『The Piano Teacher』の作者のドロシーその人がスペシャルゲストとして出席。翻訳も頭に戻ってじっくりと読み直し、書き直し。何だか、演劇漬けの月になりそうな雲行き・・・。