リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

旅の空から~また進路を変えて、今日はユトレヒト

2023年04月15日 | 日々の風の吹くまま
4月14日(金曜日)。(ユトレヒト)。☁⛅☀。当初予定のザーンダムから変更になって、今日はオランダ第4の都市ユトレヒト。午前3時過ぎに着いたので、接岸作業で目を覚まされた人が多かったかも。ロッテルダムを出たのが夜遅くだったから、ごく近いところなんだな。明日帰り着くアムステルダムからも30キロくらいだそうで、北米の距離感で行くと、なんだ、すぐそこじゃないのってことになるけど、オランダの人はどういう感覚なのかな。高校の世界史の教科書に「ユトレヒト条約」というのがあったけど、何のことだったかもう忘れちゃった。とにかく、ローマ帝国が要塞を築いたのが始まりだそうで、アムステルダムが台頭するまではオランダの中心だったけど、今はオランダ最大の大学があることで有名。

ミハイが朝のうちにカレシの検査に来て、2回やってまだどっちも陽性。でも、陽性の線がきのうより目立って薄くなっていたので、「もう少しですね。午後にまた検査しましょう」。まあ、隔離8日目だから、ウィルスにはもう感染力はないだろうと思うけど、何ともしつこいやっちゃ。ミハイが「6時過ぎまで停泊するので、街を観光するならタクシーを手配しますよ」と言ってくれたけど、観光気分はもうすっかりなくなってるのよね。でも、出かけることを知らせたら、その間に部屋の掃除をしてくれると言うので、窓から見えているモダンなデザインの橋(プリンスクラウス橋)まで歩いて来ることにした。それで、ランチの後でロビーに出てみたら、あは、また二重駐船。カードキーでピッと下船を記録して、空いたドアから隣の船(Avalon Panorama)のロビーを通り抜けて、外へ、あまり寒くないし、風も穏やかなので、艀の往来が活発な川(実はアムステルダム・ライン運河)の岸を手をつないでてくてく。両側は団地のようなそっけないアパートがずらり。橋の下まで行ったら、橋に上がる階段が見えたので、上がって行って、橋の端までてくてく。わずかな段差で分けた自転車道と歩道があって、車道は中央。開通は20年前だそうで、主塔を見上げながら、今架け替え工事中の我が町のパタロ橋もこんな斬新なデザインにしてくれたらよかったのになあ。


プリンスクラウス橋



ダブルパーキング

橋の上




船のところまで戻って来て、外していたマスクを着けなおして、マスクをしたカップルが話しかけて来た。隔離中のウェインとファーンの夫妻で60代くらい。感染者同士だから気安くおしゃべり。カレシがまだ陽性なのと言ったら、奥さんが「うちも私がまだ陽性なの」。でも、症状はなくなったそうで、2人とも元気。ブリュッセルを過ぎて症状が出て来たそうで、と言うことは最後までほとんどずっと隔離かなあ。「メキシコに行ったときも、ラスベガスに行ったときも大丈夫だったのに、えらい損をした」。私たちはアムステルダムから乗ったので、3分の2は「引きこもり」だと言ったら、「てことは長いんだねえ。クルーズ自体が長いけど」。うん、秋の地中海は10日だから、それに比べたら長いかな。でも、来年の秋のは18日で、途中6日間も陸が見えないのと言ったら、ウェインが「うちは無理だなあ」。奥さんのファーンは「私は2度とクルーズには行かない」ときっぱり。。

橋の方へ歩いて行く2人を見送って船に戻ったら、キャビンはシーツもタオルもグラスもみんな取り替えてピッカピカ。引率のジェフに日曜日の空港行きはどうなるのか聞いてあったので、クルーズディレクターのタマシュから電話があって、私たちはグループから離れて、もう一組(ウェインとファーン)と一緒に空港に行くようにミニバンを手配したとのこと。おあ、よかったぁ。手荷物を廊下に出す時刻も下船時刻もグループとは別になるので、後でメモを作って届けるということで、懸念がひとつ解消。その後でジェフが電話して来て、「空港では普通にKLMのカウンターに行けば大丈夫だし、カナダ入国はもう何の制限もないから心配ないよ」。要するに、隔離やマスクは船に乗っている間だけのルールで、下船してしまえば後は(そんな制限はとっくに撤廃されているから)お好きなようにってことだな。とにかく、ちゃんと帰れるってことで、2人とも肩にのしかかっていた大きな重石が取れた気分。やれやれ。

旅の空から~キンデルダイクとロッテルダム

2023年04月14日 | 日々の風の吹くまま
4月13日(木曜日)。(キンデルダイク/ロッテルダム)。🌧☁🌥☀。今日は、午前中は世界遺産の風車群で有名なキンデルダイク、午後はオランダ第2の都市ロッテルダム。でも、起きたら雨が降っていて、寒そうだなあ。きのうミハイが、船から近いから、ツアーグループが出た後で2人で風車を見に行けばいいよと言ってくれたけど、風もかなり強そうだし、どうしようかな。でも、考えてみたら、いつも風が吹いているところだから、干拓地を守るのに風車を建てたんだよね。いや、それにしても、この辺りはほんとにどこに行っても風、風、風。

それでも、キンデルダイクに停泊した頃には雨も止んだので、ロビーが静かになったのを見計らって、カメラと(念のために)お金とマスクを持って、風車見物。タラップから土手に上がったら、うは、ある。曇り空だから、観光ガイドブックの写真のような、いかにも観光名所ですという感じの華々しい雰囲気はなくて、灰色の空の下で300年近く海抜より低い低地を洪水から守って来たという風格がひしひしと感じられるのがいい。自転車道と道路を渡って、土手の道を降りて行って、風車の写真をパチパチ。シャツを2枚重ね着して来たけど、やっぱり風に吹かれていると寒いな。でも、このあたりの人たちはずっとずっと昔から風に吹かれて、水と闘いながら暮らして来たんだよね。昔の人の知恵や技術って、今の人間とは違って、「生きる」と言う気迫がこもっているような気がする。観光名所だからと期待していた通り、おみやげ屋があったので、船に戻る前に飛び込んで、おみやげを何点かゲット。一番の傑作はリボンで結んだ陶器の木靴が10組袋入りになっているもの。誰も特に手に取って見ていないところを見ると、たぶんよそ様の旅行みやげを期待する習慣がある日本人客が狙いなのかな。でも、かわいいから、シーラにあげたいな。我が家の飾り棚に収まるおみやげはデルフト陶器の風車。記念のおみやげだけでも買えてよかったぁ。(見るたびに、2人して「あれはサイアクの旅行だった」なんて言うのかもしれないけど。)

















正午前にキンデルダイクを離れて、十何キロか先の大都市ロッテルダムへ。私たちは窓の外の風景の移り変わりを眺めながら、ワインを片手に晩ご飯。(写真を撮るのは忙しいけど。)ヨーロッパ最大の港と言うだけあって、ありとあらゆる工業施設があって、その間に高層アパートがあって、建築家が狂ったかと思うような奇抜なビルがあって、リバークルーズの船、オーシャンクルーズの船(でかぁ~いっ)、観光船にスーパーヨットに、水面を吹っ飛んで行く水上タクシーがあって、すごい活気。港の中に島を作って団地にしたのかと思うようなところもあれば、古そうな建物が並ぶそばにヨットのマストが林立して、タイムスリップしてしまいそうなところもある。













そんな中をクルーズして、接岸したのは川岸の遊歩道みたいなところ。自転車が通るし、ジョギングの人が通るし、高齢者カップルが通る。あるときは高校生くらいの男女の自転車の列が延々と続いてびっくり。オランダは自転車王国と聞いていたけど、どこも自転車専用レーンは猛スピードなので、横断する時は、車は減速したり止まったりしてくれるけど、自転車は歩行者なんか知らんわと言う感じで来るから、車道よりも危険。(アムステルダムでは社会問題になっていると聞いたけど。)私たちのキャビンが道路と同じ高さなので、外を通る人たちがみんな見えるということは、私たちも丸見えだろうな。別に注目をひくようなことはしてないから、見られてもいいんだけど、外を眺めていると、どうしても「旅に出た」と感覚が湧いて来ないな。やっぱり、ワタシは海がいいや。まあ、後3日でこの「とんでもバケーション」もおしまいってことで・・・。






旅の空から~ウィレムスタット「漂着」はラッキー

2023年04月13日 | 日々の風の吹くまま
4月12日(水曜日)。(ウィレムスタット)。🌧☁🌥☁。悪天候を避けてコースを離れて、ドアの下から配達されたお知らせによると、今日はウィレムスタットに停泊。おお、オランダに戻ったんだ。でも、朝起きたときの停泊場所はだだっ広い広場のようなところで、道路を隔てた向こうに倉庫らしい建物が見えるだけ。すでにタラップが降りていて、7時半過ぎには大型バスが3台。ぞろぞろと船を降りてバスに乗ったのは、ブリュッセルで乗船して来たアメリカ人(と思われる)グループ。私たちと似たような年代だけど、男性の比率がずっと大きくて、ほとんどが野球帽をかぶっている。バスが去った後、Arts Club組は観光先を変更したようで、船は小さな水たまりのような船着き場を離れて広い川(海?)へ。

巨大な国際貿易港ロッテルダムに近いせいか、艀の行き来はほんとにハイウェイの大型トラックのような感じで、いたるところに風力発電の風車の林があって、おもしろ半分に見える範囲の風車を数えてみたら24基あって、5基とか6基ずつのグループになっていて、風が強そうなわりにはゆっくり回転。窓を開けて耳を澄ましてみたけど、音は聞こえなかったな。それにしても、オランダの風力発電はたいしたもんだな。昔からの風車小屋イコールオランダのような感覚のままで発電用の風力タービンをどんどん建てたんだろうな。オランダはロシアの石油なんか(使っているかどうか知らないけど)いらないんじゃないかな。とにかくそう思ってしまうくらいの数なんだもの。閘門を通る時にも、近くに風車が立っていることが多いから、ゲートの開閉や排水や注水のポンプのエネルギーを供給しているんだろうな。その閘門の中に入って前方と後方をきょろきょろ見ている方が、ワタシには中世の建物を観光するよりずっとおもしろい。小さいところは1回の開閉で1隻を通しているけど、このあたりは一度に2隻を通すところや水路が3本が並行しているところもある。運河の閘門って、エレベーターか階段みたいなものかな。




後方のゲートを閉めて2隻一緒。

閉まっている前方のゲート

ゲートが開き始めた

ゲートが開いて、いざ前進

川と言うには海のように広いところを波を蹴立てて進んで、やがて川らしい川に入って、ウィレムスタットという小さな町のヨットハーバーにしずしずと進入。ググってみたら、16世紀の後半からある町で、現在の人口は2500人。午後一番に出てみたら、雨に降られて10分ほどで船に避難。ドアを閉める前に同じようにマスクをしたシニアカップルが通りかかって、奥さんが「お宅も災難でしたねえ」。あ、コロナ陽性だったカップルね。夫氏が「オレは陰性なのに女房はまだ陽性でねえ」。あ、それは我が家も同じで、陰性と陽性が一緒なの。お散歩なら、雨が降り始めて、風もあるから、濡れないように気を付けてね。でも、しばらくするとまた晴れて来たので、今度は傘を持って再トライ。旧市街は函館の五稜郭のような壁の中にあるけど、形はダビデの星のような六芒星で、船から教会のように見えた建物は旧市役所。そこから並木のような歩道が中央に置くのドームのような大きな建物(教会)までまっすぐに続いていて、両側が車道と古い家や店。中心からちょっと外れたところに(これも船から見える)風車があって、いたって静かな町というところ。風車までは足を延ばさなかったけど、帰りに郵便局兼おみやげ屋があったので、’冷蔵庫のマグネットを3個ゲット。思い出多いマグネットになりそう。やげ屋があったので、’冷蔵庫のマグネットを3個ゲット。思い出多いマグネットになりそう。


ウィレムスタット(市の広報から)


と言うわけで、マザーネイチャーの怪我の功名で、こんな小さなところに「漂着」したおかげで、ちょっぴり観光客をやることができて、おまけに諦めかけていたおみやげも買えて、まあ、何となく満足と言うのか何と言うのか・・・。晩ご飯の前にミハイが来て、また検査。今日がDay 6。結果はまだ陽性。ワタシはDay 3とDay 4で陰性になって、今日も陰性。陽性のカレシとずっと一緒に小さなキャビンにこもっているというのに、しっかり陰性ってことは、カレシのウィルスはもう感染力がなくなっているってことじゃないかな。それでも2週間も3週間も陽性のままと言う人もけっこういるらしいけどね。まあ、「2度連続陰性で隔離を解除」というのはAvalonだけのプロトコルだから、このまま終点まで行って船を降りて、そのまま飛行機に乗って、まっすぐ帰れたらそれでよし。カナダのコロナ関連の入国条件は、ワクチン証明も搭乗前の検査も陰性証明も入国前後の検査も入国後の隔離も、はてはマスク着用も、みぃ~んな「不要」だもん。「政府がもう気にしてないのに、なんでオレが気にしなきゃならないんだよっ」とカレシ。でも、マスクはしていた方がいいかも・・・。

旅の空から~悪天候なんてどうでもいいの

2023年04月12日 | 日々の風の吹くまま
4月11日(火曜日)。(ゲント/ザイプ)。☁🌧☁⛅☁🌧。けっこう早めに目が覚めて、カーテンの隙間から外をのぞいたら、あれ、何だかきのうと同じ風景。今日は次のボサイトに接岸しているはずなのに、停泊したままだったみたい。きのうの午後に、タマシュが「若干の変更がありますので、必ず家族の誰かひとりがラウンジに来てください」と船内放送していたから、たぶん行く先で予定通りに到着できない事情ができたんだろうな。私たちは出られないし、少し予定が変わったからと言ってどこに行けるわけでもないので、ぜんぜん関係ないからいいんだけど、どこもリバークルーズの出入りがタイトらしいときに、予定変更なんかあると調整が複雑でタイヘンだろうな。

今日のツアーは「フランダースの野」一択で、第1次世界大戦の激戦地だったイープルの戦場跡と戦没者の墓地。夜の軍葬ラッパの儀礼までいればほぼ1日がかりというツアーもあるから、参加する人たちはゲントからバスでボサイトへ向かったのかな。フランダースの野に咲き乱れる赤いケシの花に戦争の悲惨さや無残に散った若い命への思いを託した詩を書いたのがカナダ人の軍医ジョン・マクレー中佐だったので、ツアーに参加する人は多いだろうな。小さい頃に、伯母がワタシの顔を見ては、太平洋戦争の終戦間際に戦死して、そのまま髪の毛1本すら帰って来なかった叔父の目をしていると言っていたので、フランダースの野を見渡して、胸の中であの有名な詩を暗唱して追悼したかったな。でもねえ、遠い昔から誰がどれだけ戦争の悲惨さを後世に伝えようと努力しても、人間は戦争をやめたことはないわけで、もしかしたら、人類が地球上で一番愚かな生物種なんじゃないかと思ってしまう。

昼前にミハイが来て、今日はカレシだけ検査。結果が出るのを待っている間、どうして予定変更したのか聞いてみたら、「悪天候で、風が強すぎたんです」との返事。へえ、海の上でなくても、風で航行が危険ということがあるんだね。船は平たいから重心は低そうだけど、喫水が深くないから、船や艀がスリップしたような感じで、接触事故が起きかねないということかな。何たって、川はこの地域の「ハイウェイ」だもんね。「午後には出ますから」。ああ、そこでツアーに出た人たちと合流するわけか。と言っているうちに検査の結果が出て、「う~ん、かなり薄いけれども、まだ2本出てますねえ」。あら、残念。でも、薄いということは陰性に近づいていると思っていいんじゃないかな。「そうですね、夕方にもう一度検査しましょう。それでもまだなら、明日の朝ということで」。はい、オッケー。でも、2週間も3週間も経ってまだ陽性と言うケースもあるそうで、もしもカレシがそうだったら、このまま隔離したまま居座ってグルメ三昧で暮らすのかなあと言ったら、「それは困ります」。じゃあ、さっさと陰性になってもらって、シャンペンを注文しようかなあと言ったら、ミハルが大笑い。ちっとも危機感がないなあ、もう。

アムステルダムを出て最初の3夜はダイニングルームの隅の8人席のテーブルで仲良しとワイワイやっていたので、ときどきジェフに仲間は大丈夫か聞いているけど、今のところはみんな大丈夫。でも、Arts Clubグループのメンバーが2人、検査をして陽性だったそうで、「きみたちだけがアンラッキーだったんじゃないよ」。そうだよね。救急センターのドクターが「ウィルスはもうそこら中にいるからね」と言ってたし、他のグループや個人客の中にだって「保菌者」がいる可能性はあるだろうな。それにしても、ミハルは大変だなあ。検査の時はマスクとゴム手袋をして来るけど、もしかしたらバリバリの感染力を持っている人もいるかもしれないじゃないの。いくらやり慣れていたって、そのあたりはどうにもならないもんね。まあ、自主隔離するケースが増えたら、その世話でよけいな労力がかかるから、船の方としては早く陰性になって回復してくれるに越したことはないだろうけどね。さて、船も動き出したことだし、日も差してきたので、ルーフデッキでウォーキングをして来ようっと。


ルーフデッキ。風に飛ばされないように椅子をたたんである






夕方になって、また明日の予定が変更になるからと、タマシュからラウンジへの集合命令。船はいつの間にか海のような広いところで、川を行く艀と海を行く外航船が混在していたのでびっくり。ちょうどカレシの検査に来たメルエルが「海ですよ」。へえ。どうやら北海に面して、入江が複雑に入り組んでいるところらしい。カレシの今日2度目の検査はまた陽性だけど、朝のよりはまた「陽性」を示す線が薄くなった感じ。大勢の客の検査をして結果を見て来ているメルエルが「あと1日か2日ですよ」。そうだといいけど、なぜ2人とも海のクルーズの方がずっと落ち着くという結論に達して、後はどうでもよくなったみたいで、アムステルダムに着いて船を降りるまでに陰性になっていればそれでよしという気分。ワタシは今年もArts Clubのアーティスト支援基金(BMAF)の奨学金の選考委員になっているもので、スティーブンがどさっと50件以上の申請を送って来て、日曜日か月曜日までに推薦候補10件をリストにして送ってと言うもので、一つ一つ読んで採点するのに大わらわで、観光どころか、もう「ワーケーション」なんだもん。

旅の空から~快適過ぎる隔離生活

2023年04月11日 | 日々の風の吹くまま
4月10日(月曜日)。(ゲント)。☁🌧、オランダ語で「ヘント」、フランス語で「ガン」、英語で「ゲント」。同じ街に住んでいて、チャットかなんかで「どこに住んでるの?ゲント。君は?私はガンよ。ゲントの天気はどう?」なんて会話があったりしないのかな、なんて考えながら。起きてカーテンを開けてみてびっくり仰天。岸壁じゃなくて別の船。窓を開けて見たら、ぎりぎりに横付けして、ロビーの位置を完璧に合わせての、何ともみごとな二重駐車(駐船?)で、2隻の間に「通路」を渡してあるので、1隻分の接岸スポットを共有しているらしい。ヨーロッパではリバークルーズの船の数が増えたのに、接岸スペースが足りなくて、やむを得ずダブルドッキングということ。船を降りるのに、外側の船の客は内側の船を通らなければならないので、競合会社同士がダブルドッキングした場合(選択の余地はない)、内側になった船では通り抜けるライバルの乗客にPRチラシを配ったり、ときには船の中を案内したりして、営業をかけるというからケッサク。



まずは「トイレットペーパー、タオル、枕カバー」と書いたメモを作っておいて、朝ご飯を届けに来たワヤンに空の水のボトルと一緒に渡して、おねがぁい。ご飯を食べ終わらないうちに、ハウスキーピングの女性がメモの品、ラウンジのウェイターが2本のボトルを持って同時に来たので、タオルを腕いっぱいに抱えて、上のペーパーを落とさないように顎で抑えて、下から突き出した手にボトルを握らせてもらって、ありがとぉ。ご飯の後はすぐに枕カバーを取り替えて、バスルームに新しいタオルをかけて、ペーパーを戸棚に入れて、汚れものを大きな枕カバーにひとまとめに押し込んで廊下にポン。後は何となくだらだら。隔離暮らしがあまりにも普通の毎日に似て来たせいで、心地良くなり過ぎたのかもれしないけど、窓からツアーのバスに乗る仲間を見送ってもちっとも羨望が湧いて来ないから不思議だな。実は、停泊地ごとのツアーを選んでいたときに、無料のツアーはどれも判で押したように「中世の街並みを歩いて観光」とうたっていること気づいて、何となく期待感を削がれていたのもありそう。

つまり、最初のナイメーヘンとマーストリヒトでは旧市街のウォーキングツアーにまだ物珍しさがあったけど、次のナミュールで、何だかどこも似たり寄ったりの風景だなあと思ってしまったわけ。まあ、中世に水上交通を発達させてひとつの政治経済文化圏を形成していた、地理的には狭い地域の中だから、当時の建築物も街並みも必然的に似たり寄ったりになってしまっても不思議はないけど、毎日同じような風景を見ていると、どれがどこなのか区別がつかなくなって、それぞれに受けた感動もぼやけてしまって、どこが一番良かったかと聞かれても答えられなくなってしまう。昔2人で日本の寺社仏閣を観光して歩いていた頃にも、3、4ヵ所見て回ると後は「ああ、またか」という倦怠感が湧いて来て、今ではあれだけ日本旅行に積極的だったカレシでさえ「行ったってことしか覚えてないよ」というありさま。まあ、今回は、カレシの方はArts Clubのクルーズだから同意しただけで、観光には特に興味はなかったそうなので、コロナ感染で自主隔離することになったのはまったくの想定外だったけど、最後的には、2人して思い出すたびに「毎日3食グルメ三昧で甘やかされて、意外とのんびりできた、いいバケーションだったなあ」と言っているんじゃないかと言う気がするな。

私たちの部屋の側に別の船がいるので、どっちが内側か外側かわからないけど、今日も運動ウォークに船の外へ。ロビーに降りて行ったら、フロントのヴァネッサが右側を指して「外に出るのはあっちよ。ルーフデッキに上がって、そこから降りてね」。あ、バスが止まっているのが見える。反対側を見たら、隣の船のロビーが見えるじゃないの。船の名前はMonarch Governess。外に出て、倉庫が並ぶ埠頭を行けるところまで。接岸スポットは2隻分だけで、前にいた船が離岸すると、姿が見えなくならないうちに次の船が接岸。なるほどね。埠頭を反対の端まで歩いて、船に戻って、今度はルーフデッキのジョギングトラックをぐるぐると4周。モールを2周したくらいにはなるかな。雨が降り出したので、船室に戻ってのんびりしていたら、ミハイが来てまた検査。ワタシはまた「陰性」。やったぁ。でも、カレシは2回やってもまだ2本の線が出て来て、「すっかり元気なのに」と、ちょっとがっかり。でも、隔離丸4日だから、検査は陽性でも感染力はなくなったと思われる頃。他の人に広げる心配がなくなったわけだから、いいじゃないの。ミハイが「明日の朝また検査しますね」と言うので、ワタシも?と聞いたら、「ご主人はまだ陽性だけど、いや、もういらないでしょう」。ふむ、意地悪なことを言えば、陽性の人と一緒にしておいて、また陽性になったらバツが悪いよねえ。ま、何事も、またあした、ね。






チェス、する?

二重駐車の船が出て行って、やっと視界良好

旅の空から~もうちょっとかな/川べりの風景

2023年04月10日 | 日々の風の吹くまま
4月9日(日曜日)。(ブリュッセル)☀⛅。自主隔離3日目。きのう1日昼間のうちに眠り過ぎて、早くに目が覚めてしまったそうだけど、カレシはまだ喉が痛いだけで、かなりよく眠れたようで何より。今日は復活祭。カナダでは月曜日も法定休日ではないけど休みで三連休になる人もいるけど、ヨーロッパではどうなんだろうな。勤めていた会計事務所は確定申告の季節だからと休みにはならず、当然のように休みの公務員のカレシが寝坊を決め込んでいるのを横目で見ながら、ひとりで起きて、ひとりで朝ご飯を食べて、ひとりでバスで出勤したっけな。その確定申告の季節に、歳入庁の職員がストに入るとかなんとかというニュース。タイミングを選んだということだろうけど、ワタシがトルドー君だったら、還付を期待できない納税者の申告期限を2ヵ月くらい先延ばしするかな。申告と同時に納税しなければならない人たちが喜ぶと思うけどねえ。

朝ご飯が終わって、さあて、という頃に、ミハイから「検査しに行っていいですか」という電話。まだ3日目なのに、もう検査を始めるのか。タマシュは4日目か5日目からと言っていたから、いい兆候かも。抗原検査のキットを2つ持って来て、まずワタシ。綿棒を入れられて、くすぐったさに笑い出してしまったけど、最初の日はちょっと緊張していたのが、私たちがまじめにプロトコルに従っているせいか、けさはもうかなり打ち解けた雰囲気。そうだよね。私たちは文句がないからいいけど、クルーズ船のような閉ざされた環境でクレーマーが暴れまくったら手に負えないもの。カレシが「何度も検査をやって慣れてるんでしょ?」と聞いたら、「そうなんです」。つまり、クルーズ中に乗客のコロナ感染が発覚するのは珍しくないってことかな。乗船前にワクチン接種の証明は要求するけど、EUでもどこでもうるさい入国制限を取り払ってしまっているから、誰かがウィルスを持って乗って来ることは十分にあり得るもんね。私たちだって、たぶん船に乗る前に1泊したアムステルダムのホテルが感染源の第一候補だと疑っているしね。大きな声でいいたかないけど、中国人の団体客で混んでいたので、つい、もしやってなるわけ。そんな話をしているうちに、ワタシの結果は、おおっ、陰性だっ。やったぁ。

次にカレシの番で、検体を垂らしてじぃ~っと見ていたら、下の方(陽性)の方がだんだんピンク色になって来た。ミハイが「まだですねえ」。でも、上の方(陰性)ほどは濃くならないので、はっきり陽性というわけでもないようで、「もう一度検査してみましょう」。ということは、もしかして、悪くしても陽性と陰性の境目くらいなのかな。しばらくしてミハルが検査キットを持って来て、もう一度カレシを検査。今度は残念ながら、もうちょっと陽性寄りの2本の線。あぁ~あ。でも、ミハイが「ツアーに行く人たちがほとんど出た後で、マスクをして船の外に出るといいですよ。運動するとか、何なら街に出てみるとか。プロトコルは船の上だけのルールですからね」。おお、ありがたいね。もう3日もまともに歩いてないから、足腰が弱ってしまわないかと心配になっていたところ。さっそく、午後のツアーが出たのを見計らって、マスクをしてロビーに出て、フロントのヴァネッサに「行ってらっしゃぁい」と送られて船の外へ。ブリュッセルのクルーズターミナルということだけど、停泊しているのは私たちのだけ。中心街からはかなり遠いみたいな感じで、とりあえず川に沿って遊歩道をてくてく。往復で30分ほどのウォーキングをして来て、ああ、気分さっぱり。





私たちArts Clubグループはアムステルダム~ブリュッセル、ブリュッセル~アムステルダムの1週間のコースを2つ組み合わせた周遊コースだけど、前半コースのグループや個人客はブリュッセルで下船して、午後になって後半コースの客が乗って来る。窓の外に着いた観光バスから降りて来たのは中年のグループで、メタボ腹に野球帽と言うおっちゃんたちのいでたちは、いかにもアメリカ人だぞ!と言う感じ。タクシーで来る個人客とは対照的なのがおもしろい。ブリュッセルを出たのは6時過ぎで、川べりに家族連れや釣り糸を垂れる人。見ていたら、手を振っているおじさんたちがいたので、窓を開けて手を振ったら、何を言ってるのかわからないけど大きな声が帰って来た。そのうち船が止まったので外を見たら、閘門の中。後ろのゲートが閉まり、水位がどんどん下がって、やがて前方のゲートが開いて、船は前進。パナマ運河のミニチュア版と言ったところで、実際に通過するところを見られたのはうれしいね。再びのどかな川べりの風景に戻って、ワインとビールを楽しみながらの晩ご飯。
















旅の空から~水上のハイウェイは自動車持参で

2023年04月09日 | 日々の風の吹くまま
4月8日(土曜日)。(ブリュッセル)。☁⛅。アントワープから川をさかのぼって、内陸のサンヌ川河畔のブリュッセルへ。晩ご飯を食べ始めたころは、(どのへんかわからなかったけど)窓の外が一面のコンクリートの壁で何にも見えない。それが、急に壁が下がりだして(というよりは船が浮き上がりだして)川岸の景色が見えるようになり、メインに舌鼓を打っている頃にはごく普通の川べりの船着き場になり、しばらくしてしずしずと前進。下流から来て閘門で上流の水位に上げてもらったわけね。閘門を通る時刻が決められているそうだから、その時間にきっかり行かないと、遅れたら後がつっかえてしまうんだろうな。何しろ中世には大経済圏だったのは、縦横に流れるいくつもの川を運河でつないで、閘門を作って交通整理をしたからだと思う。いわば、川の流れは高速道のみたいなもので、閘門は交差点を取り仕切る交通信号の役割をしていたのかもね。

橋げたを跳ね上げて

橋げたを下ろして

橋げたを上にスライドして船を通して(交通が再開するのを待つ車の列)

窓からの眺めはどこに行ってもだいたい同じで、川べりに並ぶ家々は、ほとんど築何百年は経っていそうな、ヨーロッパ風(ってここは当たり前にヨーロッパなんだけど)の石造り。配線や配管のない時に作られたお屋敷に21世紀の今も人が住んで日々の生活をしているわけだけど、配管パイプや水道、電気配線はもちろん近代化してあるだろうな。でないと現代人には住めたもんじゃないと思うもの。じゃあ、どうやって配線配管の工事をしたのかな。どこの城だった忘れたけど、外壁側の配線は天井と壁が出会うところにむき出しになっていて、妙に貧乏くさく見えたもんだったな。中世の暮らしじゃあるまいし、壁の中に埋めることを考えなかったのかな。そりゃ、部屋が2桁の単位であるお屋敷だから、すごい費用が掛かるだろうけど。

窓の外をすれ違う艀を眺めていて、おもしろいことに気が付いた。どの艀も操舵室の後ろに車を乗せている。それも、トラックの類じゃなくて、れっきとした乗用車で、中には2台も乗せていたり、ボートまで。車は乗せていないけど、代わりに自転車という艀も。積み荷が砂利だったり、コンテナだったり、ガスだったり、スクラップだったりといろいろだし、国旗はベルギー、フランスなど、この地域の国ものものがほとんどだから、行く先で観光するとか遊ぶという目的ではなさそう。たぶん、往来している川のどこかに住まいがあって、本拠地に戻って仕事が終わったら、車を下ろして家に帰り、次の仕事のためにまた車で来て、艀に積んで行くということなのかもしれないな。言うなれば勤務先の駐車場みたいなものかな。そうやって、いろんな物資を積んだ艀が川から川へと縦横に走り回って、この地域の経済と生活を支えているってことだな。ところ変われば何とかって、ほんとだな。













夜のうちに、穀物の積み出し埠頭のようなところに停泊。ブリュッセルはEUの本部がある大都市。朝ご飯の時間を8時半に指定しておいたので、けさはゆっくり。カレシは夜の間ほとんど咳をしなかったし、けさは熱も下がって、喉がちょっと痛いだけ。ワタシは相変わらずぴんぴんしていて、なぜかやることが多すぎるとぶつぶつ。カレシがああだこうだとかまって来るから、せっかくチャンスだと張り切った翻訳の見直しがさっぱり進まないじゃないの。それでも、人間ってのはたいていのことに慣れるもので、それなりに環境に合わせたルーティーンができるからおもしろい。

旅の空から~やっぱりペア感染/楽しみは食べること

2023年04月08日 | 日々の風の吹くまま
4月7日(金曜日)。(アントワープ)☁⛅。朝、アントワープ到着。ベルギーきっての港があるところ。カレシは咳がまばらになって、おでこを触ってみたらもともとそれほどには高くなかった熱もほぼ下がった感じだし、節々の痛みや吐き気もなくなったそうで、「腹が減った」というところを見ると回復基調というところかな。朝ご飯は軽くジュース、オートミール、クロワッサン、コーヒー。周りに誰もいない部屋で差し向かいの2人だけの朝ご飯は、ロマンチックと言うにはほど遠いけど、カレシが食欲もりもりなのいいね。
電話が鳴って、船室担当マネジャーのミハイが「奥さんも検査していいですか」。陰性だったら陽性のカレシと一緒にしておけないということかな。もちろん、オッケー。ミハイがすぐに抗原検査のキットを持って来て、綿棒で鼻をぐりぐり。うへ、くしゃみが出そう。風邪をひいたときに家でやったように、検体の液を3滴。赤い色の広がり具合からして、やばいねえと、見ていたら、あ、2本の線が出ちゃった。ほんとに救急センターのドクターが言った通り「陽性」。もっとも、鼻水もくしゃみもほぼ止まって、今は無症状のようなもの。カナダの統計局が無作為に抽出した全国10万人を対象にコロナの抗体検査をしたところ、統計的にカナダの成人の98%が去年の夏までにコロナの抗体を持っていて、そのうちの54%が感染したウィルスによる抗体を持っていたそうで、感染したことをまったく知らないでいた人は42%。実際のところ、そういう人たちのどれだけと道路ですれ違ったか知る由もないし、ワクチンを5回接種した私たちでも、防衛線をかいくぐる(賢い?ラッキーな?)ウィルスに出会ったらお手上げってことかな。



丸々1日一歩も部屋の外に出ずに、カレシは携帯、ワタシはラップトップを睨んで過ごしていたら、何だか日常の毎日と変わらないんじゃないかと言う気がして来たからおもしろい。違うところは、ご飯の支度をしなくてもいいってことくらいかな。朝ご飯は夜のうちにリストをドアの外の取っ手にかけて置けば、指定した時間に来るから、特に早起きしなくてもいいし、ランチと晩ご飯はフロントのヴァネッサがレストランのその日のメニューを持って来てくれるので、前菜、スープ、メイン、デザート、コーヒーと選んで丸で囲んで、選んだよぉと電話すれば飛んで来てくれて、1枚のトレイに載せきれないときは2回、3回に分けて運んで来てくれる。重いから部屋の中まで運ぶよと言ってくれるけど、ここは一応「隔離病室」なので遠慮。ほんと、みんなにこにこしていて、半分はマスクもなしで、至れり尽くせり。おかげで、おなかの周りがなぁ~んとなくぷくっとして来たような感じがしないでもない。もしかしたら、これまでで最高のバケーションのひとつになったりしてね。塞翁が馬と言うのか、何と言うのか・・・。

ランチ


午後早くにアントワープを出て、ブリュッセルへ。リバークルーズは河畔の風景も興味深いけど、すれ違う艀やボートを見るのもおもしろい。何となく屈伸運動をしながら外を見ていたら、艀の操縦室の後ろにわ犬がいたので、カメラをつかんだら、目が合ってパチリ。晩ご飯が近づく午後、フロントのヴァネッサが、明日ブリュッセルで下船する一行(あの11人組かな)がいるので、船長主催の特別ディナーがあると言って、いつもより長いメニューを持って来た。前菜のサラダとスープの次に「口直し」が入っていて、メインの後はAvalonの「看板デザート」。ヴァネッサが取りに来るまで、カレシと、どれにする?どれがいい?と思案投げ首。最後的に、グリル野菜のサラダ、トリュフ風味のかぼちゃのスープ、「口直し」はカレシがアスパラガスのグリル、ワタシはロブスターのしっぽ。メインはカレシがシーザーサラダの大盛り、ワタシはマトウダイで、看板デザートとコーヒー。ヴァネッサがワインはどうかと聞くので、う~ん、カレシはまだ早いかもしれないから、今夜はスキップ。「明日はワインを飲めるといいですね」と言って、ヴァネッサは丸の一杯ついたメニューを持って行った。おいしいものが何よりだもんね。





旅の空から~災難は予告なしにやって来る(その後)

2023年04月08日 | 日々の風の吹くまま
4月6日(木曜日)。(リエージュ)。船に乗ったら、船室に直行して、カレシをベッドに入らせ、ワタシは病院でもらった書類を持ってロビーへ。クルーズディレクターのタマシュがちょうど戻ってきたところで、マスクをしているワタシを見て、やばいっという表情。周りにツアーから帰って来た人たちがたくさんいるので、黙ってデスクに「陽性証明」を置いたら、一目見て小声で「S…t」。デスクの下から分厚いバインダーを出して、「この場合のプロトコルは」とページをぱらぱら。そうそう、それを聞きたいからここにいるの。

Avalonのコロナ対応策としては、オプションその1は、すぐ帰国できるように最短ルートでのフライトを手配。この費用はAvalonが負担。オプションその2は、自主隔離すること。食事や必需品は「9」を押してフロントに電話すれば部屋まで届ける。船内のレストランやラウンジには入れないけど、みんながツアーに出た後など人けの少ない時は、マスクをして船外に出て運動したり、近ければ街中に出かけるのはOK。なるほど。自主隔離は大体何日くらいか聞いたら、「4日目か5日目から抗原検査をして、2日連続で陰性になったら隔離を解除」。ふむ、Avalon持ちの帰国便ならエコノミーだろうし、カレシは直行でも9時間以上かかるフライトに耐えられる体調じゃないので、うん、オプション2の一択だな。クルーズはあと10日あって、ドクターが終わる前には回復しているよと一定の蓼、それで決まりと言うことで、処方箋を見せて、英語の通じる薬局が見つかるかどうか聞いたら、タマシュが「あ、明日僕が街に出たときに買って来ますよ」。うわ、大助かり。「正直に報告してもらってこちらが大助かりですよ」。へえ、内緒にする人もいるんだ。せっかく楽しみにしていたバケーションなのにどこにも行けないなんて嫌だということかな。でも、そんなことをしたら、集団感染になって、全員のバケーションがキャンセルになってしまいかねないけど、いいのかな。恨まれるよ。

部屋に戻ったら、カレシは何事もなかったかのようにすやすや。大騒ぎの半分は体調の崩れを感じて不安症が起き、それがストレスになってパニック状態になったことに起因していそうだから、コロナそのものはごく軽いんだと思う。救急センターのドクターが「ずっと一緒にいたんだからあなたも多分陽性だよ」と言ったけど、ワタシはちょっと鼻水が出ていた程度でいたって元気なんだもの。陽性でも陰性でも一緒に隔離生活になるのは同じだから、どっちでもいいんだけどね。フロントのヴァネッサが今夜の夕食メニューを持って来て「ご注文は」。カレシは食べそうにないから、私の分だけサラダ、コンソメ、スズキのグリル、チョコレートこってりのラバケーキのフルコースを注文。しばらくして来たのは大きなトレイいっぱいのちょっと豪華な晩ご飯。ひとりで食べて、ひと仕事して、じゃ、おやすみなさい。思いがけない冒険になっちゃったけど、明日はまた新しい明日・・・。



旅の空から~災難は予告なしにやって来る

2023年04月08日 | 日々の風の吹くまま
4月6日(木曜日)。(ユイ)。☁🌧。天気は下り坂。船はゆうべからリエージュの郊外のユイと言う小さな町に停泊。ツアーのグループを送り出してから、昼過ぎにリエージュに移動して、夕方にグループと合流してから次のアントワープに向かう予定。私たちは植物園の薬草園を見学してから、旧市街のウォーキングツアーということになっていたんだけど、カレシが「調子が良くないから、一人で行って来いよ」。寒い中でのウォーキングツアーが続いたし、夜の間ずいぶん咳をしていて、あまり寝ていないから疲れているのかな。バケーションなんだから、のんびり昼寝をしていればいいよね。

そういいながら、ワタシはツアーに出かける準備をしていたら、トイレに言ってベッドに戻ろうとしたカレシが仰向けに倒れて唸りだしたのでびっくり仰天。駆けつけてみたら、仰向けのまま突然吐いたようで、声をかけても反応が鈍い。このままでは窒息してしまうと、とにかく何とか抱き起したけど、吐くのが止まらない。タオルを持って来てそれに吐かせたけど間に合わなくて、バスタオルにげえげえ。廊下にハウスキーピング担当のトリーがいたので、これこれの事情でベッドもタオルも汚しちゃったので、申し訳ないけど取り替えてとお願いして、カレシをベッドから降ろしてソファに座らせて、ビニール袋か何かないかしらと言ったら、トリーが出て行ってフロントデスクのヴァネッサを連れて来て、状況をさっと見たヴァネッサが出て行って、次にクルーズディレクターのタマシュから電話。事情を説明したら、「医者を呼びますか」。うん、本人はまた心臓発作じゃないかとパニックになっているから、そうして。少しして、またタマシュが電話して来て、「1時間で船が出るので、医者よりも救急車を呼びます。搬送することになった場合に、リエージュでの船の接岸場所や連絡先をあげます。パスポートと携帯を用意していてください」。了解。ヴァネッサが大きな紙袋を持って来てくれて、ごみ箱の中に広げてくれたので、カレシはごみ箱を抱えてげえげ。何だか大ごとになって来たな。

救急車が来たのは15分ほどしてからで、英語を話せる救急隊員がカレシにいろいろ質問。カレシは「何の前触れもなかったから、パニックになって」。もう1人が血圧や血中酸素を測って数値を読み上げたのをゴム手袋に書き込んで、「それほど悪い数字ではないけど、一応病院でさらに検査をした方がいいですね」。うは、ほんとに大ごとになってきた。急いでパスポートを入れてあるバッグに2人の携帯とホットスポットをぶち込んで、カレシのジャケットを持って、はい。カレシは何とか立ち上がって、そろりそろりと階段を降りて、船の外に止めてあった救急車へ。ワタシはタマシュから電話番号やリエージュの停泊場所(停泊時間午後5時~6時半)と念のため次のアントワープの停泊場所の住所を書いたメモをもらって、救急車の助手席に乗って、サイレンを鳴らして病院へ。救急センターの静かなことにまずびっくり。カレシのパスポートを出してチェックインしたら、ワタシは待合室で呼ぶまで待つように言われて、周りを見たらほとんどがマスクをしているし、経験上、病院はウィルスを拾う危険性が一番高いところだから、ワタシもマスク。



しばらくして呼ばれたので、カレシのいる診察室へ。ああ、モニターのワイヤをつけられてる。開口一番に「心臓じゃないって」。ああ、よかった。「でもコロナの可能性があるって言ってた」。ええ?それでも、心臓に異常がないのは何より。後は帰っていいよといわれるのを待つばかりかな。もっとも、船がリエージュに着くのは5時だから、早く行ってもしょうがない。周りに危機感がないこともあってか、カレシが昼寝を始めたので、携帯でいろいろとググっていたら、コロナの初期症状の中に急激な嘔吐と冷や汗があって、ふむ。ユイからリエージュまでは車で30分ぐらい。ふむ。しばらくして目を覚ましたカレシが「トイレに行きたい」と言うので、廊下に出てナースステーションで、カレシのいる部屋を指さしてトイレ、トイレ。奥の方にいた人が「トワレ、トワレ」。そうなんだ、ここはフランス語圏。昔かじったフランス語の記憶を辿って、モン・マリ、トワレ。元気のいい看護師さんがウィ、ウィ。すぐに行って、カレシのワイヤを外してくれて、ベッドから降ろして、廊下で少し先のWCと書いてあるドアを指して「ラバ」。おお、メルシ・ボクゥ。

そろそろ4時と言う頃に、(英語が達者な)ドクターが来て、「コロナ陽性。今どきはウィルスはそこら中にいて、風邪みたいに気を付けていてもかかるときはかかるんだよ。もう怖いものじゃないから、船に帰るのが一番。ただし、悪くなったら救急車を呼んでもらいなさい」。ああ、よかった。早速カレシに服を着せて、メルシとサンキューを連発しながら、待合室に出て、受付のお姉さんにクレジットカードを見せて、支払いの意思表示をしたら、「ノー・ペイ」。え、払わなくていいの?ノー・ペイ?払わなくていいって言ってるんだから、そこは深追いしないで、リエージュまでタクシーがいると言ったら、すぐに電話で呼んでくれて、「もうすぐタクシーが来るわよ」。外の駐車場の方を眺めていたら、5分ほどで到着。運転手の若いお兄ちゃんは英語が苦手のようだったけど、GPSにアドレスを入れて、「オッケー」。どこかと話して、「75ユーロ」と書いた紙きれを見せたので、前払いなのかなと思って、100ユーロあげたら、財布を出してお釣りをくれるそぶり。いいの、いいの、キープ、キープ。メルシ、メルシ。と言うことで、一路リエージュへまっしぐら。午後のラッシュでところどころ渋滞していて、目的の場所に着いたのは5時ちょっと前。タクシーのメーターは85ユーロ。ちょっと離れた川べりに船が見えたので、そばまで行って接岸作業が終わるのを待って乗船。長い1日だったな。


旅の空から~ナミュール?ナムール?ナーメン?

2023年04月07日 | 日々の風の吹くまま
4月5日(水曜日)。(ナミュール)。☀。夜の間にベルギー入り。ナミュール到着が午後なので、今日はみんな朝寝坊の日。朝ご飯は7時半から、ランチも12時半からで、川べりに並ぶすてきな家々を眺めながらの朝ご飯。午前中ラウンジで「講演会」。イギリスで新聞に園芸欄を持っていて、テレビで園芸番組をやっているという人(ロンドンで番組を収録してから飛んで来て合流したそう)が「1年中花の香りが絶えない庭」というテーマでスライドを使って講演。花の香りの化学成分や香りの機能を解説して、季節ごとに独特の香りのある花を紹介。高齢の女性が大多数だから、講演は大盛況。講演の間にムーズ川のクラシックな橋の下の閘門を通ったら、信号があって、青。なるほど、川は中世のヨーロッパの高速道路だったんだよね。船よりも高い岸壁をこすりそうなくらいにぎりぎりで通過して、川の真ん中でUターンして、後ろ向きに遡って、正午過ぎにナミュールに到着。すぐ外は川べりの遊歩道と言う感じで、市民が傍のクルーズ船には目もくれずに三々五々ジョギングや犬の散歩。風もなく、あまり寒くはない。



ナミュールはワロニアにあって、オランダの公用語によって、ナーメン(オランダ語)、ナムル(ドイツ語)、ナミュール(フランス語)と微妙に名前が違うんだけど、この地域の本来の言語であるワロン語は公用語ではないので、ワロン語のナムールは冷や飯を食っている感じ。ついベルギーはフランス語圏だと思ってしまいがちだけど、オランダ語話者の人口が圧倒的なんだそうな。まあ、川の多いこのあたりは軍事や交易の要衝だったせいで、中世以来オランダやドイツ、フランスといった強国にもまれて来た、いうなれば「言語の歴史遺産」というところだけど、人口が1千万人ちょっとでメトロバンクーバー10個分の狭い国だから、バイリンガルは普通じゃないのかなと勝手に推測。



ところが、ツアーに出発する時間になって、その推測はあっさり沈没。私たち「ゆっくりウォーク」(ほんとにゆっくり歩くわけじゃなくて、ツアーの距離が短いだけ)組のガイドと言う人が、かなり年配のおばさんで、まさかぁというくらいに英語がたどたどしい。立ち往生するたびに、英語センセイのカレシと通訳経験者のワタシが助け舟を出す始末で、バスに乗ってからもみんな顔を見合わせては「この人、大丈夫?」という。最初の観光スポットはムーズ川とサンブル川が合流する地点の高い崖の上にある「シタデル」(城塞)。大きなバスがヘアピンカーブをそろりそろり曲がって、曲がってして着いたのはおそらくナミュールで一番高いところのようで、うはぁ、素晴らしい眺め。旧市街地が一望に見渡せるし、シタデルの崖のとがった先端が軍艦の舳先のように見える。でも、ガイドの説明が何とかわかるのは初級英語に慣れているカレシだけで、他はさっぱりわからなくて困惑顔。みんなガイドなしでてんでにあっちだこっちだと見学(後でググればいいもんね)。でも、ちょっとひどすぎるなあ。観光ガイドの資格試験みたいなものはないのかな。




ガイドに呼ばれたので、バスのところに戻ったら、え?運転手がいなくなったの?「ふつーウォーク」組のバスも運転手の姿が見えないとわいわい。ゆうに30分ほどして、運転手2人が連れ立って戻って来て、やっとバスのドアを開けてくれたけど、今度は運転手とガイドがけんか。どうやら運転手は言われた時間に戻って来たらしい。山を下りたときには旧市街の散策について行ったのは1人だけで、後はみんなそのまま船に帰って来てしまった。だって、わからないんだから案内してもらう意味がないもんね。クルーズディレクターのタマシュに、一生懸命にやっているのはみんなわかったけど、プロのガイドじゃないと思うよと言ったら、「ローカルのエージェントが手配するんだけど、ここは数が少ないから、みんな出払ってしまうと補欠の補欠が来るんだよね」。なるほど。でも、TOEICなら300点台と思われるレベルでツアーの観光ガイドをやるのはちょっと無理だと思うんだけどねえ。

水上の仮の我が家


旅の空から~EU誕生の地マーストリヒト

2023年04月06日 | 日々の風の吹くまま
4月4日(火曜日)。(マーストリヒト)。☀⛅。一晩中船のエンジンがかかったり止まったりしていたせいもあるのか、2人ともよく眠れなくて、また5時半に起きてしまった。携帯でチェックしたら外の気温はマイナス1度だって。おいおい、もうチューリップが咲く4月じゃないの。(でも、日曜日にはバンクーバーでビーチが白くなるほど雪が降ったそうだから・・・。)

マーストリヒトは、かっては経済的に栄えていたそうだけど、今は最大の雇用主がマーストリヒト大学と言う、大学町。でも、EU誕生の基礎となったマーストリヒト条約が締結されたところ。今日も徒歩での観光なので、白い「ゆっくりウォーク」組のタグをつけて、大学で働いているという(つまりは副業?)ガイドに従って、ぞろぞろと下船。この辺りがリバークルーズのいいところで、船を降りたら歩道があって、少し歩いて道路を渡ったら、そこが観光先の旧市街。かっては城壁がぐるりと街を囲んでいたんだそうで、修復と再建の努力が続いているという話。石の壁を修復するのに、周りの木を伐り払ったら、壁が崩れたことがあって、それで初めて壁に沿って植えられていた木の根が地盤を固めて、地下水から壁を守っていたことが分かったというから、昔の人の知恵は侮れないよね。




地獄門~向こうは評判よろしからぬところだった
オランダ最古の水車~まだ回っていた



「かたつむり」という名の酒場
中世の石畳
アウシュヴィッツで亡くなったユダヤ人の名前がが住んでいた住居の前にはめ込まれている

廃止になった聖堂を改装した本屋
中央広場は2つの教会の後ろ

この地域は今ではオランダだけど、ベルギーとドイツとの国境がほんの数キロと近くて、マーストリヒトもかってはフランス語圏だったそうで、旧市街の建物のあちこちにフランス語があるし、ちょっとおしゃれな店も(おそらく意図的に)フランス語の名前だったりするから、おもしろい。ガイドさんも奥さんはベルギー人で、車でぶっ飛ばして2時間もかかるアムステルダムよりもすぐそこのベルギーの方が親近感があると言っていた。国と国の間の距離感そのものが北米大陸の感覚とスケールがまったく違っていて、国境も2000年の枠で見ると、ひっきりなしに引き直されて来たってことだね。距離感よりももっと差があるのは「歴史」であらわされる時間の感覚かな。いともあっさりと10世紀には、13世紀にはと言うけど、コロンブスがアメリカ大陸にたどり着く前の話なわけだけど、ヨーロッパの人たちにとっては、歴史は川の流れのように連綿と続いて彼らの「今」を形成している本質なんだと思う。

マーストリヒトの生まれ育ちで今も住んでいるガイドさんは、わが町の案内に熱心なあまり、1時間半のツアーが何と2時間半の長丁場。ゆっくり組のじじばばにはちょっと応えたかな。船に戻ったときはもう正午を過ぎていたので、ほぼ回れ右でランチ。午後は夕食までぶらぶらして、夕食後はラウンジでバイオリン、ヴィオラ、ピアノのトリオによるクラシック音楽の演奏。部屋に戻ったら、世界のニュースをチェック。過去のクルーズで、インターネットへのアクセスに苦労したので、無料のWiFiは大丈夫かなと心配していたら、Avalonの船にはGo Beyondという手のひらに収まるようなキカイがあって、これが何とパーソナルなホットスポット。観光ガイドの説明を聞くための無線ラジオと組み合わせたもので、表示されているネットワークを選んで、表示されているパスワードでログインすると、信頼性はかなり高い。もちろんレンジが極端に狭いから、部屋に置いたままラウンジに出てしまうとネットは使えない。それにときどきは閘門など船の位置によってはネットが遮断されるんだけど、それ以外は手近においておけばいつでもネットが使えるからすごい。まあ、海の上と陸地では事情は違うだろうけど、おととしの地中海は特にアクセスが貧弱だったから、この秋に行くクルーズでSilverseaが採用していてくれるといいなあ。



旅の空から~オランダ最古の町ナイメーヘン

2023年04月05日 | 日々の風の吹くまま
4月3日(月曜日)。(ナイメーヘン)。☀。目が覚めたのが5時ちょっと過ぎ。ゆうべの就寝時間が10時頃だったので、けっこうちゃんと眠ってるじゃないの。この年になると、時差の変化に対応するだけでも2日や3日はかかるのがフツーなんじゃないかな。外を見たらもちろんまだ真っ暗だけど、対岸に見えるライトが動いていないので、そっか、夜の間にナイメーヘンに着いちゃったんだ。まあ、大海原を行くクルーズと違って、リバークルーズは人が住んでいる陸地を流れる川から川へと行くわけだから、距離があまりないんだろうな。暗すぎると眠れないみたいなので、カーテンをちょっと開けておいたのが良かったみたい。(我が家ではブラインドから外の明かりが入るから、寝室は真っ暗にはならないので、生理的にそっちの方に慣れているんだろうと思う。)結局、しばらくとりとめのないおしゃべりをしていて、起き出したのは6時。



午前6時半ごろ、川上の橋の向こうに朝の光。今日はウォーキングツアーを予約してあって、集合は9時半。レストランが開くと同時に降りて行って、バフェでしっかり腹ごしらえ。ツアーは3組に分かれて、白いタグは年寄り向けの「ゆっくりウォーク」組。外はめちゃくちゃ寒いらしいので、Tシャツを2枚重ね着して出たけど、うっはぁ、寒い。アムステルダムほどじゃないけど、風が冷たい。「ゆっくりウォーク」組のガイドは年配のおじさんで、なかなかユーモアに富んだ人。川沿いの道路の高い壁を指して、水位が上がるとここまで(1メートルくらい)して、ひどいときはここまで(4メートル)冠水すると説明。その時の水量に合わせて即席の堤防を設置できるんだそうだけど、気候変動でさらに水位が上がったら、ナイメーヘンは水没してしまうと心配顔。何しろ「山」と呼んでいる一番高い丘は海抜29メートルなんだそうで、我が家のあるニューウェストミンスター市で一番高い「丘」が海抜100メートルだから、その平坦さがわかるというもの。ナイメーヘンは紀元1世紀にローマ帝国の軍事基地としてできたオランダ最古の都市で、ドイツとの国境までたったの7キロと言う近さのために、戦争中に連合軍の誤爆で大変な被害を受けたけど、戦後になってその時のアメリカ空軍のパイロット(今はその子供)たちが町の再建を助けるために毎年やって来て、今でも交流が続いているという話。



古い市街の石畳の道を歩いて、「丘」の上に建つ聖シュテフェン教会へ。そそり立つ尖塔の上の風見鶏が日差しを受けてキラキラ。中に入って、天井を見上げて、うわ、首が折れそう。音響効果を実演するために、ガイドのヤンさんが朗々とした素晴らしい声で歌い始めて、それが教会に反響したときは、一同が大感激。クリスマスにはシャンデリアのろうそくを灯して、市の男性100人の合唱団の声が響き渡るんだそうな。それを古いパイプオルガンが伴奏するわけで、壮大だろうな。あのオルガンで『アダージョ』を聞いてみたいもんだな。教会から出て来ると、そこはマーケットの広場。ヤンさんによると、オランダ人はスコットランド人に負けず劣らずのケチなんだそうだけど、英語でgo Dutchと言うと「割り勘にする」ことだから、なるほど。でも、取引の信用性を確保するシステムがあったみたいだから、商売上手だったんだろうな。そのおかげで中世に経済的に栄えたのかもしれない。







ツアーから戻って来て、いの一番にラウンジのバーにあるコーヒーマシンで温かなココアを作って人心地をつけて、後はのんびり。午後4時過ぎに船が動き出して、次の目的地マーストリヒトに向けて、マース・ワール運河(延長13キロ)へ。ナイメーヘンを流れる川は、実はライン川だという話だけど、オランダに入って来たライン川は支流が縦横に分かれているようで、ほんとはどれがどれかわからないんじゃないかな。でも、長い艀がひっきりなしに往来していて、ヨーロッパの大動脈のひとつであることに違いはなさそう。橋を2つくぐって、発電用の風力タービンの裏側に進路を向けて、一路マース川(ベルギー領ではムース川)へ。次の目的地はマーストリヒト。





旅の空から~チューリップ祭を見て、いざ船出

2023年04月03日 | 日々の風の吹くまま
4月2日(日曜日)。(アムステルダム)。🌤。案の定、時差ボケ気味で、あまりよく眠れなくて、朝の5時半にはあきらめて起床。カレシが全然眠れていないとうるさいので、きのう部屋に入ってからすぐ2時間もいびきをかいて昼寝してたじゃないのっ。まあ、眠っていないと思ってしまうと、それが気になってよけいに眠れなくなって、トイレに起きてばかりになるので、せっかく寝付いたこっちまでめがさめるから始末が悪い。もしかしたら少々ボケが入って来てるのかもしれないけど、そんなんでワタシまでストレスになっていたら、バケーションの意味がないよなあ、ほんと。でも、船に乗ってしまえば、後はのんびり過ごせそう。ああ、おなかが空いて来た。朝ご飯、食べに行こう。今日は何とも忙しいので、ランチを食べ損ねてもいいように朝食をがっちり。どうやら団体客が中心のようで、中国人らしいグループ、東欧から来たらしいグループなどで、ホテルのバフェは満員御礼。定番のオレンジジュースとスクランブルエッグとソーセージとフライドポテトとクロワッサンとコーヒー。前夜の晩ご飯もそうだったけど、そういうタイプのホテルとしてはまあまあの味。おなかがいっぱいになったところで、持って行ってもらう荷物にタグを付けて、8時45分きっかりに部屋の外に出して、忘れ物がないか最後の点検をして、9時過ぎにロビーへ。別のクルーズ船に乗るためいに早く出る団体でごった返していたけど、Arts Club組は端の方に固まって(またまたてんでに)おしゃべり。そのうちに廊下に出してあった荷物が降りて来て、自分のものを見つけたら「確認」のステッカーを貼って、待っているバスへ。バンクーバーなら注意報が出そうなくらいの風。いつもこんなに吹くから風車ができたんだろうけど、4月としては身を切るような冷たさ。

アムステルダムにはリバークルーズ船の埠頭が何ヵ所もあって、私たちが乗る船が停泊しているのはほんの数分先。船室が清掃中ですぐに入れないので、みんなラウンジに集められた荷物から自分のを探し出して、厚手のジャケットを出したり、スカーフを出したり。中にはマフラーとスキージャケットなんて人もいて、チューリップ見物と言うよりはスキー場に行くようないでたち。みんながレストランでランチをしている間、私たちはラウンジでコーヒーを飲みながらのんびり。好きに選んだ青、茶色、黄色のタグのグループに分かれて、それぞれの色の旗を持ったガイドに引率されて、バスでキューケンホフ公園へ。チューリップ祭やっているので、観光バスの駐車場に止まっているバスの数がすごい。広い公園のあちこちの花壇に植えられたチューリップはまだ先始めたばかりだけど、大きなパビリオンの中では在来種や栽培業者が開発した新種の大小のチューリップの花が色とりどりに咲き誇っていて、圧倒されるにぎやかさ。まあ、これを見に来たんだけどね。日曜日とあって結婚式が多いようで、花嫁が何人も肩むき出しのドレスで写真を撮っていたけど、寒風に肩をすぼめているのは観光客の方。アツアツの恋の頂点なんだもん、冷たい風なんか何のそのだよね。









「男子トイレ」と言うあだ名がついた超高級マンション。最上階は8億円以上で売れたとか。

船に戻ったのは6時からの避難訓練と歓迎レセプションのぎりぎりの時間。船室に入って、風に吹かれた髪を整えるのがやっとで、荷物をほどいている暇がないまま。ラウンジに集合。救命衣の付け方と避難口の説明があって、船長以下のクルーの紹介。船長はハンガリー人、一等航海士はルーマニア人、コック長はトルコ人、ハウスキーピング女性リーダーはカザフ人と言う顔ぶれ。シャンぺーンで乾杯した後は晩ご飯前のハッピーアワーで食前酒をひっかけてから、みんな三々五々レストランへ。各テーブル8人で、知らない同士でも相席できるオープンテーブル形式。私たちのテーブルはケイトお姉ちゃん、ロバート、ジョーン、ティムとヒラリーの7人。食事が始まる頃に船が動き出して、ワインで乾杯。平たい川船だから、動きはびっくりするほどスムーズで揺れがない。前菜、メイン、デザートのどれもおいしくて、幸先のいい船出。私たちのテーブルがレストランで一番賑やかだったかもね。


リバークルーズ御一行様アムステルダムで勢ぞろい

2023年04月02日 | 日々の風の吹くまま
4月1日(土曜日)。(アムステルダム)☂☁。なかなか快適な飛行で、無事にアムステルダムのスキポール空港に到着。バンクーバー空港では預ける手荷物をカウンターに持って行くだけで、そこで搭乗券をもらって、セキュリティを通って、「スカイチーム」のラウンジへ直行。というはずが、セキュリティでカレシの荷物を入れたトレイが反対側(つまり検査)に行ってしまって、しばらく並んでからバッグの中身を徹底検査。何のことはない、ポータブルのキーボードが何らかの理由で引っかかったらしい。それでもパスして、ラウンジへ。そこでティムとヒラリーとケイトお姉ちゃんのボーイフレンドのロバートがいて、おお、仲間がいるのは心強いね。その後、搭乗ゲートに向かっていたら、Arts Clubのキャシーと会い、ジーンと会い、ジョアンと会って、と言う具合にグループの顔ぶれがわかって来て、ますます旅行気分。でもねえ、みんな80代で、やっと70代の半ばにさしかかったワタシは、元気過ぎるお姉さまたちにかわいがられて、何だか子どもみたいな感じ・・・。

座席はちょっと硬めだけど、まあまあの大きさで、アメニティバッグはオランダ名産の陶器デルフト焼きのブルーの布製で、中のクリームなどは(オランダの)リチュアルズのもの。ふむ、なかなかイケてるね。バンクーバーを40分遅れて離陸して、すぐに食事の注文を取りに来て、前菜とメインをそれぞれ選んで、ワインでくつろいでいる間にテーブルに糊のきいた真っ白なクロスがかかって、食事。前菜が来て、トレイを見て、うはっ、かわいいっ。塩と胡椒のシェーカーがオランダの木靴の形。なかなかやるじゃないの。食事が終わる頃にはハドソン湾の上空に出て、その後はグリーンランド南部の上を飛んで、イギリスを越えてヨーロッパへと言う経路。食事の後は、機内のライトが消えて、寝る時間。座席を平らに伸ばして、わりと厚手のデュヴェットをかけて、おやすみぃ・・・。





さしたる揺れもなく、何となく眠って、朝。アムステルダムまで1時間半。朝ご飯が終わった頃に、客室乗務員デルフト焼きのオランダの家のミニチュアをお盆に一杯持って来て、「お好きなのをどうぞ」。あ、これがっ有名なKLMの「サプライズ」か。中身はオランダのジュネーヴァジン。カレシとワタシと別のデザインを選んで、じゃあ、帰りもまた2個もらえるんだろうな。どれを選んだか覚えておかなきゃ(とがぜん欲を出すワタシ)。だんだん厚くなる雲の中を降下して、あっさりスキポール空港に着陸。入国管理は簡単で、若いお役人君、「バンクーバーからですか。今ごろどんな感じですか」だって。荷物は人手不足とかで出て来るまでずいぶん待たされたけど、仲間と分かった同士でひとしきりおしゃべりをして、全員が荷物を受け取ったところで外の集合場所へ。私たちが乗ったミニバンは(ワタシを含めて)70代、80代のおばちゃま5人と黒一点のカレシ。おばちゃまたちはみんな独身で旅慣れている様子。にぎやかに空港での冒険談を披露しあいながら、今夜のホテルMovenpickに到着。

Avalonのデスクで明日の荷物の移動に必要なタグを受け取って、ホテルにチェックイン。この時点でArts Club御一行様は何かすごい人数。部屋に入ったら、平べったいクルーズ船が何隻も停泊している埠頭が見えるし、運河沿いのモダンな建物の向こうに教会の尖塔があちこちでにょきにょき。一休みしたら、5時からAvalon主催の歓迎会と説明会。今回のリバークルーズではグループ旅行が2組で、Arts Club御一行様はなんと61人で、もうひとつはこじんまりと11人。私たちがあんまりにぎやかなもので、説明役が「バンクーバーはきっと今ごろ静かでしょうねえ」。そうだろうねえ。見渡すと、総勢61人の70%はおばちゃま、おばあちゃまなんだもん。乗る船(Imagery II)は64室、乗客定員128人だそうだから、もしかしたら団体だけで船を占拠しちゃっているのかもしれないな。ま、明日は朝の8時45分に船に運んでもらう荷物を部屋の外に出して、9時15分までにロビーに集合して、荷物ともし主を照合して、まず乗船。それから午後にキューケンホフ公園を観光して、夜は6時から船長を交えての歓迎レセプション。また忙しい1日になりそう・・・。