らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

再会

2013年03月02日 23時59分17秒 | 山形交響楽団
 本日、山形響は天童市市民文化会館でコンサートでした。

 久しぶりに執行恒宏さんが客演コンサートマスターとして、山形響に登場しました。彼が山形響を辞めてから、もう7年も経っていたのですね。時が過ぎるのは早い・・・・。それ以来の、客演でした。

 学生時代に、パーティーで演奏して(安易に)小遣い稼ぎをしている女の子達(当時はバブル景気で仕事も多く、ギャラも良かった・・・)を尻目に、男の子達は仕事と言えば、毎日練習ばかりでお金を稼ぐ機会は、プロオケやアマオケなど硬派なお仕事が主でした。今じゃ考えられないくらい恵まれていたのですが・・・・。

 パーティー仕事は(全てというわけではないですけど)、数時間拘束で、数十分演奏すれば、数万円もらえるというお仕事でしたので(もちろん聴くのに主眼が置かれていたのではなく、会の彩りという意味合いが多かったので若い女の子に仕事が回って来安かったのです。)、練習時間確保や授業に出たりという時間を有効に使えたのです。プロオケにエキストラに行けば、もちろん現場での勉強にはなりますけど、一日仕事ですから。
 
 そこで私は、某事務所に男の子達だけでビシッとタキシードを着て、パーティーで演奏したらかっこいいのではないかという企画書を出して採用されました。仕事はほとんどクァルテットでしたので、そのメンバー集めからやりました。そのクァルテット仕事に参加してくれた当時の学生さんの中には、N響を始め東京のオケの首席クラスの方々や団員さんがかなりいます。その中に執行さんもいたんです。知り合いの方に紹介してもらったのが最初でした。この企画かなり当たったらしく某事務所の看板商品になりました。

 その時まだ学生だった執行さんが「自分のヴァイオリンでお金をもらうの初めてなんです!」と言ってましたが・・・・。今は押しも押されるコンサートマスター家業になったのですもの!

 それ以来、色々なオケで会うたびに食事しながら将来を語り合ったりしたものでした。

 今の自分達は、その当時想像していた形とは少々違うかもしれませんが、こうやって20年!もあとに共演する機会があるなんて不思議な気分です。不景気で廃業なさる方々も多いですからね。山形Qの中島氏なんて子供以来の付き合いだそうです。先生が一緒ですからね。世間は狭いです。

 7年とは言わず、また山形響に登場してくれると良いなぁ~と思っています。

 あ~楽しかった。
コメント
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