らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

AYu:Mコンサート終了。

2019年09月15日 23時59分59秒 | 山形弦楽四重奏団
 白鷹町出身の戦没作曲家〜紺野陽吉の遺作3作品を演奏するコンサート終了しました。

 クラウドファンディングにより、蔵から見つかった紺野陽吉の使用していたヴァイオリンを修復、今回は町の皆様へのお披露目コンサートとも言えるかもしれません。

 今回、未完の弦楽三重奏曲を演奏するにあたって、かつて演奏したときに使用した楽譜ではなくて、以前いただいていた紺野陽吉の原譜のコピーから起こした楽譜を新しく制作して演奏しました。

 紺野陽吉の音符の書き方などの習慣を原譜から感じる事が出来たり、曲がどのように着想されていったかなど、楽譜を作りながら多くを感じる事が出来ました。

 「未完」〜二つの楽章の設計図は完成されていて、最後の第3楽章が途中で出征のため途切れてしまうと簡単に言うことも出来ますが、第1楽章も第2楽章もアーティキュレーションやダイナミクスなどの調整は殆ど出来ていない状態です。第3楽章は、第1主題〜展開部あたりで切れていますが、この後は同じような展開で終始するために省略されているのかもしれません。

 前回の演奏までは、自分の中でも作曲家の夢を抱きながら戦争というものに、その夢を絶たれてしまった将来を期待されていた作曲家の卵という悲惨なイメージがありました。

 原譜を細部にわたり見ながら、紺野陽吉の音楽の世界に入ろうと努力している内に、今回初めて、少しウキウキするような気分になった自分がいて不思議だったのです。

 家族や親しい友人達と音楽を奏でるために作曲したF.シューベルトと書かれている音楽がかぶる気がしたのです。

 両方の作曲家の共通点は歌にあって、一方は自宅や酒場で仲間達と演奏を楽しんで、もう一方はお蚕小屋で家族や親戚友人達の前でヴァイオリンを演奏披露した作曲家です。

 紺野陽吉もきっと周りにいた友人達と一緒にアンサンブルを楽しんでいたはずです。

 書かれている音楽は、戦争の悲惨さとはまるで遠く、明るいイメージ〜それこそ村の盆踊りの時に流れていてもおかしくない音楽なのですから。

 紺野陽吉の音楽には悲惨さはないです。音楽を楽しんで下さいと天から言われた気がしました。

 今後は、戦没戦没と連呼することなくこの作品と真摯につきあい始められると思っています。

 P.S.第3楽章の途中で切れるところは音型が上行音型で(ヴァイオリンは下降音型)、この先の夢に向かって走っているようです。だから紺野陽吉の夢が続く気がするので、変に完結させたり終止させない方がかっこよいと思います。紺野陽吉の音楽そのまま演奏するのが私は好みです。

 (写真)コンサート後の帰り道〜白鷹町の風景。

 最後に、コンサートを準備して下さった関係者・スタッフの皆さん!クラウドファンディングでお金を出して下さった皆さん!会場に来ていただいたお客様!一緒にコンサートを演奏してくれた仲間達に感謝して終わります。
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