Friedrich Gulda / Ineffable : The Unique Jazz Piano of Friedrich Gulda ( 米Columbia CL 2346 )
私はクラシック・ピアニストとしてのグルダは好きではない。 どちらかと言えば、嫌いである。 この人が弾くモーツァルトからはモーツァルトの音楽が
まったく聴こえてこないし(DGGのソナタ集は酷い出来だった)、ベートーヴェンに至っては楽聖が苦心の末創り上げた造形の欠片すら拾えていない。
クラシックの場合は楽曲の曲想の表現を演奏者の個性が後押ししなければいけないのに、この人の場合は個性が音楽の中心になっていて、
作曲家の音楽がどこかに行ってしまっている。 だから、グルダがジャズの世界に首を突っ込んだのは、ある意味当然のことに思える。
元々がそういう心証を持っているのでグルダのジャズの演奏にも特に興味も持てずにこれまで来たのだが、このアルバムに関しては意外にいい、と思った。
少なくともジャズの世界においては他に見当たらない感性で創られた音楽になっていることは間違いないと思う。
当たり前のことだけどさすがに上手いピアノで、これを聴くとビル・エヴァンスのピアノが下手に聴こえる。 そういう意味では格の違いは確かにある。
アンドレ・プレヴィンのような硬直したピアノとは違い、柔らかくしなやかで、音と音の境目がない。 所々で弾き過ぎる悪いクセが出るけど、それでも
全体的にかなり抑制して弾いているのがわかる。 ジャズのピアニストにもしなやかに弾く人はいるけれど、これは質的にちょっと次元が違う。
黒人ジャズとも白人ジャズとも違うし、アメリカのジャズとも欧州のジャズとも違う、またもう一つ別の世界観の音楽としてそこに在る。
ジャズの世界にはさほど長居することなくまた元の世界に戻ったけれど、元々クラシックの世界ではマエストロとして認知されながらも、愛好家からは
暗黙的に少し際物扱いされていたところがあって、そういう生来の居場所の無さがこの人の音楽の独自性を担保しているのを実感する。
アルバムタイトルにもなっているB-3の "Ineffable" の筆舌につくし難い優雅なピアノの舞は圧巻。 1965年のジャズとは思えない、まるでピエラヌンツィが
弾いているかのような現代感があって、これは驚異的だ。 先入観を捨てるのは難しいことだけれど、これは聴くべき1枚だと思った。