報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

小説の途中ですが、ここで本日の雑感をお送りします。20170212

2017-02-12 22:33:47 | 日記
 日蓮正宗を離檀してから約3ヶ月くらいになるだろうか。
 顕正会脱会のように特に大きな罰も無く、むしろ何事にも縛られない解放感というか、スッキリ感があって素晴らしい気分である。
 信仰上の功徳は無いが、離檀後の罰も無い。
 もし日蓮信仰自体に疑問があり、先輩信徒もお坊さん達も相談相手として何の役にも立たないようであるのなら、私のように離檀して無宗教になるか、いっそのこと他の宗派に鞍替えすることをお勧めする。
 私のように、前に進めた者も存在するのだから。

 法道院時代、一時の功徳らしきものがあったが、それが次に繋がるものでなければ、それを“魔の通力”と呼ぶのだったか。
 資格を取ってもそれを生かせないどころか、却って稼げない現場に配属されたということは、やはり“魔の通力”ではないのだろうか。
 尚、それは信仰していた時にあったのであって、辞めてから起きたのではない。
 それは声を大にして言わせて頂く。

 マイケルさんがこれをお読みになっているのなら、私は日蓮信仰への復帰をオススメしない。
 恐らく、同じことの繰り返しになるだけだと思う。
 厳虎独白への書き込みはもうしないことに決めているので、ここに書かせて頂く。
 閲覧はだけはさせて頂いているが。
 大沢克日子さんの回答を見て、
「ああ、やはり妙観講さんだな」
 と思った。
 実は私がまだ顕正会員だった頃、とある妙観講員の所に1度だけ相談したことがある。
 その回答はけんもほろろ、
「あなたのような信心では、あいにくとうちは紹介できない」
 と、断れたのはまだ覚えている。
 もちろん、今となってみては、あのまま紹介されなくて良かったと思っている。
 逆を言えば、妙観講員さんに、
「是非うちに来てください」
 という回答がもらえれば本物なのだろうと思う。

 だからマイケルさん、やめておいた方がいいよ。
 大沢さは確か、元顕のベテラン信徒だったと思う。
 その人が芳しい答えをしなかったということは、つまりあなたはそういう風に見られているということ。
 桜梅桃李さんは……恐らく、昔ほど他のブログを巡回しなくなったんだと思う。
 だけど、どこかで見つけてくれて声を掛けてくれるはずなのたが、それが無いということは……。
 今現在は仏縁が薄いということだ。
 私は受誡と勧誡を受けたわけだが、一時期の迷いでするもんじゃないと思った。
 一時期の迷いで信心を始めて、早速壁にぶつかっても、頼れる人は全くいないことに気づいた。
 法道院の方はヒドいもので、電話には一回で出てくれた試しは無いし、メールの返信は何日も経ってからだし、育成もヘッタクレもないと思ったね。
 少なくとも、何か悩みに直面した際、誰も助けてくれないし、相談にも乗ってくれないんだということに気づいた。
 そんな法華講組織、必要ですか?
 マイケルさん、悪い事言わないから、いま戻ろうしたところで折伏要員にされるだけだから。
 どうせなら、平成33年を過ぎてからの方がいい。

 纏まりが無い文章で申し訳無いが、無宗教に戻って良かった私が、無宗教に戻って悩んでいる人に対して、ちょっとお節介をしただけの話だ。

 もう1度考えてみて。

「その組織は本当に功徳が出ることが保証されていますか?」
「心の隙間が本当に埋まる体制になっていますか?」
「先に負担ばかりを求めて来るような所ではありませんか?」
「一時の功徳のようなものが、その先に繋がることが保証されていますか?無ければ、それは“魔の通力”です」
コメント (23)
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