とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

岡田修 津軽三味線コンサート

2011-11-29 18:53:45 | コンサート


昨日の夜は、市内にある天林寺というお寺に行った。お寺に何しにいったかというと、ヒロボーさんから是非聞いて欲しいという強いお誘いがあり、津軽三味線奏者の岡田修さんのコンサートを聴きに行ったのだ。

岡田修さんのプロフィールを紹介しておく。

1957年山形県酒田市に生まれる。1975年東京にて津軽三味線を始め、1980年より津軽三味線の大家「山田千里」に師事し津軽での修行を始める。1985年には津軽三味線全国大会で特別賞受賞し、翌年には同大会で優勝する。これを機に、演奏家・作曲家として活動を始める。以来西ドイツ・フランス・アメリカ(アーカディー音楽祭)・スリランカなど国内外で意欲的なライブ活動を行っている。1994年にはファーストアルバム”OSAMU”を、1999年にはセカンドアルバム”空へ”をリリースしている。

仕事を終わって急いで会場に向かった。会場には、一緒に誘った姉たちが既に来ていた。入口でチケットを購入してお寺の本堂に入ると、開演30分前というのに、ほぼ満員に近い人で溢れていた。ヒロボーさんやうっちゃんなどが前のほうにいたが、もう一杯なので少し後ろの空いた場所を見つけ座った。ちょうど、くーかいさんたちがいたのでその隣となった。

このコンサートは東日本大震災復興祈念と銘打って、収益金は全て義捐金として新聞社に届けられるそうだ。さて、津軽三味線のコンサートなんて初めて聴く。たまにテレビなどで三味線の音を聞くことがあるが、長時間にわたって聴く事はなかった。魂が揺さぶられるような音が聴けるという話を聞いており、どんなコンサートになるか楽しみであった。

第1部は、「津軽じょんがら曲あわせ」から始まる。ジャン、ジャンジャ、ジャン、ジャン・・・♪と津軽三味線の独特の、ど~~んとくる張りのある力強い演奏が始まる。撥を叩きつけるように弾く打楽器的奏法で、テンポが速いのが特徴だ。津軽三味線の世界に浸るため目を閉じて聴いていた。その後、「津軽じょんがら節」「津軽音頭」「津軽あいや節」「流雲」が演奏されたが、特に「流雲」という曲が力強く壮大な世界を表しているようなイメージが浮かんできて聞き惚れてしまった。

曲の合間には、岡田さんのトークもあり、津軽三味線のルーツは中東だったという話はビックリした。中東から構造的に変化しながら、インドを経て中国に入る。中国南部において「三絃」が成立し、この「三絃」が沖縄を経て日本に持ち込まれ、江戸時代中期に日本独特の三味線となった。以降、三味線は日本各地の土着芸能と融合して発達し、当時日本最北端であった津軽地方において津軽三味線となったという。三味線を半音下げると如何にもアラビア風の音に聞こえるから面白い。

岡田さんのコンサートは、いつもは1時間半ぶっとうしで行なうそうだが、この会場が畳という事もあり、観客が座り疲れてしまうことを考慮して休憩を入れてくれた。胡坐をかいているとはいえ、長時間座っているのは確かに辛い。休憩があって助かった。

そして、第2部では「さかた幻燈記」「津軽じょんがら節(旧節)」「斉太郎節」「津軽四季彩」が演奏された。「津軽四季彩」では、津軽の四季を一本の三味線で表した。春から夏、夏から秋、秋から冬と時には激しく、時には優しく絶妙の撥さばきで表している。こちらもじっと目を閉じていると、津軽の四季が頭に浮かんでくる気がした。まさに、魂を揺さぶられるような音色である。また、旧い津軽三味線と、最近の津軽三味線では弦や皮の張り方が違うという。旧いほうが張り方がゆるく音が小さいようだ。それぞれ聴いてみると音色が違う。旧いほうが哀愁があって少し鈍い音色だ。それに対して最近のは限界まで張ってあり、大きな音がして伸びがあり力強さを感じる。こんな話もトークで聞かせてもらった。

約1時間半だったが、あっという間に終わった感じだった。ここまで芸術的な音楽として津軽三味線を聴く機会はなかなかないものである。前評判どおり、心を揺さぶられたようなコンサートだった。