石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

荒葉一也SF小説「イスラエル、イランを空爆す」(5)

2010-08-01 | 中東諸国の動向

三羽の小鳥(下)

「マフィア」はロシア正教を信じるウクライナ地方の貧しい農民の息子である。彼が生まれた当時はまだソ連邦の時代であり、社会主義国家のソ連はキリスト教、ユダヤ教を問わず宗教を敵視し教会を否定した。モスクワ中央政府は集団農場制度により農民はロシア時代の農奴制から解放され、コルホーズは労働者の天国になる、と宣伝した。しかし農民の暮らしは楽になるどころかノルマに追われる生活が続いた。支配者がかつての地主から中央政府の高級官僚に替わっただけだった。それでも農民たちはいつか救われると信じて自宅や集会所でひっそりとキリストのイコンに祈りを捧げていたのである。

1985年にソ連でペレストロイカが起こると、帰還法に触発されてソ連から100万人とも言われる大量の移民がイスラエルに流れ込んだ。イスラエルの「帰還法とは祖父母のうち少なくとも一人がユダヤ人ならば誰でも移住できるというものである。母親の実家の祖母がユダヤ人であったことを思い出した「マフィア」一家は当時5歳の息子を連れて新天地を目指した。仲間の中には役人を買収して祖父母がユダヤ人であったと言う偽の証明書を手に入れイスラエルに移住した者も少なからずいた。

ロシアからの移住者と言えば医者か農民のどちらかと言われ、おかげでイスラエルの一人当たりの医者の数は世界一となったほどであるが、医者達は病院の勤務医か開業医となってユダヤ人やアラブ人の中に溶け込んでいった。しかし所詮農地を耕すしかない者達は政府の与えた入植地で肩を寄せ合って暮らす他なく、「マフィア」一家が移住した開拓地は同じ境遇のロシア人ばかりであった。彼らのコミュニティではロシア語が使われ、そしてキリストに祈りを捧げた。政府はヘブライ語を半ば強制的に奨励したが、「マフィア」の父親たちの世代は新しい言語を覚えるには遅すぎたのである。

イスラエル社会ではヘブライ語を話せないキリスト教徒のロシア移民たちは冷遇され、二級市民の扱いであった。建前では移住者の出身地、宗教、学歴で差別されないことになっているが、それはあくまで建前である。幼い時は皮膚の色や親の職業など意識することなく小学校で仲良く遊んでいた「マフィア」も大きくなるに従い嫌でも差別を意識するようになった。そのハンディを乗り越えるために「マフィア」は学校では人一倍ヘブライ語を勉強し、優秀な成績を修めた。そして差別が少ない軍隊に入ったと言う訳である。

 3機編隊のしんがりを務める「アブダラー」は地元生まれのアラブ人遊牧民ベドウィンの子供である。彼らはオスマントルコ帝国の時代から現在の地に住み続けていた。そこは第一次大戦後のイギリスによる信託統治時代にユダヤ人に割り当てられた土地であった。この時アラブ人にも「パレスチナ」としてヨルダン川西岸が割り当てられた。第三次中東戦争でイスラエルがパレスチナ地区を占領した結果、大量の難民が生まれたが、もともとイスラエル地域に住んでいた「アブダラー」たちはそのまま住み続けることができた。彼らはアシュケナージたちよりも古い先住民族なのである。イスラエルでは彼ら先住民の他エチオピアなどアラブ・イスラム圏から移住したアラブ人達をミズラフィムと呼んでいる。

ミズラフィムもロシア移住者と同様二級市民として扱われたが、実質的にはロシアの移住者以下の扱いであった。イスラエル国内でイスラム過激派の自爆テロが頻発するようになり、白い肌のユダヤ市民たちは一目でアラブ人とわかるミズラフィムを警戒するようになったため、彼らの立場はロシア移住者よりさらに悪くなった。「アブダラー」の仲間の若者には絶望して過激派組織に身を投ずる者もいたが、「アブダラー」はイスラエル国民として生きる道を選んだ。彼は「良き市民」たらんとした。その選択が軍隊に入り国を守ることだった。彼の心のよりどころは民族でもなく宗教でもなく国家そのものなのである。

実は彼自身「アブダラー」と言うニックネームが好きになれないのである。「アブダラー」は最もありふれたアラブ人の名前であり、「アブドゥ(僕:しもべ)」と「アラー」を合わせたもの、即ち「アラーの僕」と言う意味がある。「アブダラー」自身にとってはイスラム色の強すぎるこの名前が嫌だったのである。しかし彼はそれを我慢した。いずれそのようなことを意識せずに済む日が来ると信じていたからである。

3人のパイロットはそれぞれの思いを抱きつつ夜明けの砂漠と地平線の太陽を凝視していた。しかしいつまでももの思いに耽ける余裕はない。なにしろ彼らは現在サウジアラビアの領空すれすれを飛んでいるのである。サウジアラビア空軍には地上レーダーと早期警戒機AWACSが完備しており、上空を通過する3機を察知しているであろう。サウジアラビア戦闘機がスクランブル(緊急発進)をかけ、イスラエル戦闘機をインターセプト(迎撃)するかもしれない。だから一時たりとも警戒を怠れない。

ただこの点については基地出発前のミーティングで、サウジアラビアの迎撃の可能性は無い、と上官から告げられていた。政府上層部が空爆計画実施の数日前米国に秘かに計画実行の日時を通告、その後米国とサウジアラビアの間でイスラエル戦闘機の通過を黙認することが合意された、と教えられていた。しかしパイロット達には念のためイラク国境近くにあるサウジアラビアのハファル・アル・バテン空軍基地の近くではこれを大きく迂回し、サマワの南方を飛ぶよう指示が与えられた。イラク領内深くに飛行コースを変更するのである。イラクの制空権は米軍が握っているため攻撃される心配はない。

イラク領内の飛行が安全であるなら、ヨルダン上空を横切りそのままイラク上空を飛び続ければ良いはずであるが、イスラエルー米国間の協議で戦闘機はサウジアラビアとイラクの国境線上空を飛行することが決定された。イラク南部はイランと同じシーア派住民がほとんどであり彼らはイランに対して宗教的な同胞意識を持っている。イスラエルのイラン空爆後、戦闘機が彼らの頭上を通過し、それを米国が黙認したことが判明すれば、それまで米軍に比較的協力的であったシーア派住民の反米感情に火がつくことは明らかであった。だから戦闘機の飛行コースはサウジアラビア-イラクの国境線上と決められたのである。

幸いハファル・アル・バテン基地から戦闘機がスクランブル発進する様子はなく、そのことは米国の軍事偵察衛星でも確認された。3人のパイロットは少し安堵して一路目標のナタンズにむけて高々度飛行を続けた。彼らはサウジアラビアが米国の意向に背くはずはないと信じて疑わなかった。とにかくイスラエルと米国は強い信頼関係で結ばれ、サウジアラビアごときが反抗できるはずはない、と言うのが3人のパイロットだけでなくイスラエル軍部全体の揺るぎのない確信であった。

しかしその頃、ハファル・アル・バテン基地の内部では慌ただしい動きが起こっていたのである。

(続く)

(この物語はフィクションです。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする