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(目次)
第4章:中東の戦争と平和(24)
110 イラン・イラク戦争:産油国と米国が味方のイラクと孤立無援のイラン(2/3)
イラクや湾岸王制国家の為政者たちはホメイニの獅子吼に震え上がった。サウジアラビアではイラン革命の年の11月、聖地マッカでマハディ(救世主)を名乗る男がカーバ神殿を占拠する事件が発生した。為政者たちはシーア派住民の締め付けを強化した。イスラームの歴史上、シーア派とスンニ派の対立が表面化したのはイスラーム帝国建国の初期以来のことである。キリスト教では対立する宗派間で教義論争が繰り広げられ、それが武力衝突に発展することは少なくなかったが、イスラーム社会では概して宗派の違いに寛容でお互いに干渉しない不文律があった。しかしイラン革命により、イスラーム社会にスンニ派対シーア派という新たな対立軸が生まれたのである。
この対立を権力基盤拡大の好機と見たのがイラクのフセイン大統領であった。彼はイランに宣戦布告することにした。独裁者が国内問題から国民の目をそらせるために外国と戦争することはよくあることであり、フセイン大統領の意図もそこにあった。しかしそれ以上に彼を戦争に駆り立てたのはイランと戦争すればいくつかの外国勢力が彼に加担すると見込んだからである。彼は対イラン戦争をペルシャ人対アラブ人、シーア派対スンニ派の戦いに仕立て上げたのである。
(続く)
荒葉 一也
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