石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

ニュースピックアップ:世界のメディアから(4月28日)

2010-04-28 | 今日のニュース

・原油価格19ヵ月ぶり高値の利食い売りで一服。ニューヨークは84.96ドル。

・サウジ・クウェイト:旧中立地帯の生産能力を61万B/Dにアップ。OPEC生産枠の対象とせず他の油田で調整。

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(4月23日)

2010-04-27 | 今日のニュース

・サウジ、石油の余剰生産能力は4百万B/D:アラムコCEO

・イラン、Parsガス田開発でShellに1週間の回答期限

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OPEC50年の歴史をふりかえる(4)

2010-04-26 | OPECの動向

(注)本シリーズ1~9回は「MY LIBRARY(前田高行論稿集)」に一括掲載されています。

4.結成後10年余で決着のついた国有化

 産油国がOPECを結成した目的の一つが国際石油会社から石油価格の支配権を奪い取ることにあるとすれば、もう一つの目的は自国の油田を自らのものにすること、即ち石油産業の国有化であった。

  最初に石油産業の国有化を目指したのはイランである。ムハンマドレザー皇帝(シャー)のもとで首相に就任したモサデグは第二次大戦後の世界的な民族主義運動の波に乗り、1951年に石油産業国有化法案を成立させた。しかし当時は欧米国家と国際石油会社の力が圧倒的に強く、英国政府はアングロ・ペルシャ石油(後のBP)の後ろ盾として国有化法を不承認とする声明を発表し、他の欧米諸国もイラン原油をボイコットした。

  この時日本の出光興産は自社タンカー日章丸を送り込み「赤い石油」と言われたイラン原油を買い付けたのであるが、全ての国際石油会社を敵に回したイランは多勢に無勢。次第に窮地に追い込まれ、1953年ついにモザデグは失脚した。イランの石油産業国有化は時期尚早だったのである。

  しかしOPECが結成される1960年ごろから潮目が変わり、石油に限らず天然資源についてはそれを保有する国のものであるという主張が認められ始めた。それは1962年の第17回国連総会で「天然の富と資源に対する恒久主権」決議により世界的に認知され、1966年の決議によってさらに強固なものとなった 。1966年決議では(1)資源は本来所在国に帰する、(2)資源の開発と販売は資源所在国が自力で行うことが望ましい、(3)資源開発に従事する外資は受入国のコントロールに服さなければならない、と天然資源国有化の正当性をはっきりと認めたのである。

  これに勢いを得てOPEC加盟国の中で先陣を切ったのはリビアであった。1969年に革命により実権を掌握したカダフィ大佐は翌年国内で操業する欧米石油企業に対し原油公示価格の値上げを迫った。彼は国内で操業する石油企業の中から米国のオクシデンタル石油を狙い打ちし、命令に従わない同社に減産命令を下したのである。これは極めて巧妙な戦術であった。と言うのは当時オクシデンタルが海外に保有する油田はリビアだけだったため、同社は公示価格引き上げの要求をのまざるを得なかったのである。同社が要求をのむと、他の石油企業も相次いでカダフィに屈服した。

  こうしてOPECはトリポリ協定(1971年)、リヤド協定(1972年)と次々に戦果をあげ、1972年にはイラクが、1974年にはリビア、さらに1975年にベネズエラがそれぞれ石油産業を国有化したのである。その他のOPEC諸国も同じように石油産業に対する完全な支配権を確立していった。

  但し支配の形式は各国によって異なり(1)国有化、(2)事業参加、(3)生産物分与(PS)契約の三つの方式に分類される。国有化は外国の石油会社が持っていた石油開発の利権を没収するものであり、これにより外国企業は撤退を余儀なくされる。リビア、イラク、イランなどがその例である。これに対して事業参加方式は外国企業の利権は残すが、開発・生産・販売全ての事業について産油国が一定の割合で参加する方式であり、国有化よりは穏健なやりかたと言える。

  例えばサウジアラビアは1968年に米国籍のアラムコ(Arabian American Oil Company)社に石油利権の50%の返還を求めた。サウジ側は石油操業に関わる投資及び経費の50%を負担する見返りに生産された原油の50%の所有権を持つということであり、操業は引き続きアラムコに任された。アラムコ側から見れば生産原油の50%については従来通り自社が自由に販売できる。事業参加の比率は 1974年に100%に引き上げられてアラムコは完全国有化され、社名はサウジアラムコに変更された。

  これらに対して生産物分与(PS)契約方式を採用したのがインドネシアである。この契約では外国石油会社が自己資金及び技術で探鉱・開発事業を行い、石油又は天然ガスの生産にこぎつければ、それまでに使った資金及び技術料相当分をコスト原油として受け取り、残余の原油を契約による比率でインドネシア政府と外国石油会社が分け合うのである。外国企業にとって安定的に原油を確保できるPS契約方式はうま味が多い。日本のインドネシア石油(現国際石油開発帝石)は操業を欧米企業に委ね、資金の一部を負担する形で石油開発事業に参入したが、終始安定した利益をあげ、今では国内でも超一流の財務内容を誇る企業に成長しているが、これはPS契約方式が幸いしたと言えよう。

  そして1975年にベネズエラが、1977年にはクウェイトが完全国有化に踏み切り、サウジアラビアの100%事業参加を含めOPEC加盟国は国連で決議された「天然資源に対する恒久主権」を手中にしたのである。

(続く)

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601

Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

E-mail; maedat@r6.dion.ne.jp

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今週の各社プレスリリースから(4/18-4/24)

2010-04-24 | 今週のエネルギー関連新聞発表
4/19 出光興産   戦略的アライアンスの検討について http://www.idemitsu.co.jp/company/information/news/2010/100419.html
4/21 Aramco   AOC, University of Tokyo Eye Research Partnership http://www.saudiaramco.com/irj/portal/anonymous?favlnk=%2FSaudiAramcoPublic%2Fdocs%2FNews+Room%2FNews&ln=en#clr=N&lang=EN&category=Our%20World&month=&year=&page=&lnchPath=
4/23 国際石油開発帝石   チモール海共同石油開発地域JPDA06-105鉱区キタン油田開発移行決定について http://www.inpex.co.jp/news/pdf/2010/20100423.pdf
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ニュースピックアップ:世界のメディアから(4月23日)

2010-04-23 | 今日のニュース

・エネ庁幹部:沖縄のサウジ原油備蓄、年末までにアラムコとの合意目指す。

・ロシア、ウクライナ向けガス価格を30%値引き、見返りは黒海海軍基地の租借25年延長。

 

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(速報)ガス輸出国フォーラム(GECF)オラン閣僚会議について

2010-04-22 | 今日のニュース

 4月19日、アルジェリアのオランで第10回ガス輸出国フォーラム(Gas Exporting Countries Forum, 略称GECF、末尾注参照)の閣僚会議が開催された。天然ガス価格の問題が会議の主要議題であり、石油価格と連動させた価格方式を導入するための作業部会を設置することが決定された 。

   天然ガスの需給は長期契約が主流で短期のスポット契約は少ないが、現在の価格は長期物で100万BTU(British Thermal Units)当たり7-8ドル、スポット物では4ドル程度と言われる。これに対し原油価格はバレル当たり80ドル前後であり、これを100万BTU当たりに換算すると13-14ドルに相当する。このためガス輸出国の間には現行の価格水準に強い不満があり、今回の会議冒頭で議長のアルジェリア・エネルギー相は価格引き上げの為の生産削減を提案したほどである。

  但しカタールのアッティヤ副首相兼エネルギー相は会議直前の談話として、会議では生産削減の議論は行わないと釘をさしており、またロシアのシュマトコ・エネルギー相も会議の主な目的は妥当なガス価格を見出すことにあると述べている。このため会議では生産量削減問題は正式議題には取り上げられなかった。

  アルジェリアとロシアはガスパイプラインを通じてヨーロッパが消費する天然ガスの40%を供給している。両国が天然ガスの供給者として共同歩調をとりガス価格の引き上げを狙えば西欧各国にとって大きな脅威になることは間違いない。ロシアからのパイプラインによる天然ガスの供給については、これまでロシアとウクライナ間の交渉が暗礁に乗り上げ、ロシア側がガスの供給を停止した例が一度ならずある。このため西欧各国は両国の交渉に多大の関心を抱いている。

  今回はGECFが本格的な体制を整えた最初の閣僚会議である。加盟各国が原油価格に比べてガス価格が安すぎると考えていることは間違いない。彼らは原油にリンクしたガス価格体系を樹立するための理論武装を開始した。近い将来GECFは価格引き上げの具体的な戦略を打ち出すものと考えられる。GECFが「ガス版OPEC」に変身する日はそう遠くなさそうである。

(注)

GECFは2001年にイラン、ロシア、カタール、アルジェリアなど世界の主要な天然ガス輸出国によって結成されている。当初は規約、メンバー資格、常設本部組織も無く毎年各国持ち回りで会議を開いていたが、2008年の第7回会議でカタールのアッティヤ副首相兼エネルギー相が議長に選出され、翌2009年にカタールのドーハに本部(事務局長:レオニード・ボハノフスキー、ロシア)が開設された。

  GECFの正式メンバーはアルジェリア、ボリビア、エジプト、エクアトール・ギニア、イラン、リビア、ナイジェリア、カタール、ロシア、トリニダード・トバゴ、ベネズエラの11カ国であり、このほかブルネイ、インドネシア、カザフスタン、マレーシア、オランダ、ノルウェー及びUAEがオブザーバーとして会議に適宜参加している。

以上

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601

Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

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OPEC50年の歴史をふりかえる(3)

2010-04-22 | OPECの動向

(注)本シリーズ1~9回は「MY LIBRARY(前田高行論稿集)」に一括掲載されています。

3.OPECと原油価格

(図:「原油年間平均価格の推移」http://menadatabase.hp.infoseek.co.jp/2-D-2-97OilPrice1946-2010.gif参照)

 1960年に産油国がOPECを結成した動機は二つある。国際石油会社から石油価格及び油田の支配権を奪い取ることであった。  20世紀初めエクソン・モービル(当時はスタンダードオイル系二社)、ロイヤルダッチシェル、BPなどセブン・メジャーズと言われた国際石油会社が世界の石油産業の支配権を確立し、その構図は半世紀以上続いた。この間原油価格はバレル当たり1~2ドルの状態が長く続き第二次大戦直後の1948年は2.77ドルであった(因みにこの価格はインフレ係数で現在の価格に直すと25ドルに相当する)。その後1960年代前半には3ドル台に上昇したが、実はインフレ係数で見なおすと48年よりも低い20ドルすれすれだったのである。このような安い原油価格の恩恵を最大限に享受したのが日本である。

  一方の産油国は国際石油会社による増産によってわずかに収入を増やしたにすぎなかった。しかもインフレが昂進したため1957年以降産油国の実質的な収入は年々低下していった。それに追い打ちをかけたのが石油会社による公示価格の引き下げである。公示価格とはいわば石油会社が産油国から原油を買い取る基準価格ともいうべきものであり石油会社が一方的に決定するものであった。つまり原油価格の決定権は石油会社が握っていたのである。戦後不況により石油の需要が落ち込んだ1959年、石油会社は公示価格を一方的に引き下げた。これによって産油国の財政状態は一気に悪化し、産油国からは石油会社に対する怨嗟の声があがった。産油国は結束して石油会社に立ち向かう決心を固め、翌1960年、サウジアラビア、イラン、イラク、クウェイトの中東4カ国とベネズエラがOPECを立ちあげたのである。

  その後1970年はじめまでにOPEC加盟国は11カ国に増加しカルテルとして一大勢力となったが、国際石油会社セブンメジャーの力はなお強大であった。原油価格は3ドル半ばに抑え込まれOPECは利権料を経費化すると言った小手先の経理操作で実質収入の低下を防ぐのが精一杯であった。この間のOPECの成果はむしろリビアが口火を切った石油産業国有化の動きであろう(次回に詳述)。

  国有化の進展によりOPECと消費国が直接対峙する状況が生まれたが、OPEC構成国がアラブイスラム国家を中心とする開発途上国であり、一方の消費国が西欧先進国であったことから、OPECと消費国の対立はアラブ対西欧、イスラム対キリスト・ユダヤ教と言う文化的宗教的な対立の要素をはらむようになった。それが火を噴いたのが1973年の第四次中東戦争に端を発する「第一次オイルショック」である。同年10月6日にエジプトがイスラエルに攻め込むと(第四次中東戦争)、サウジアラビアのファイサル国王(当時)は直ちに参戦、同時に湾岸の産油国と共に原油価格を一方的に70%引き上げた(クウェイト宣言)。さらにOPECメンバーのアラブ産油国(OAPEC)に呼び掛けて、米国及びイスラエルの支持国に対する石油供給の削減を決定した(石油戦略発動)。本来純経済的な商品である石油が史上初めて武器として使用されたのである。

  その効果は絶大であった。それまで3ドル台にとどまっていた原油価格は翌年一挙に10ドルを超え、従来価格の3倍以上の水準になったのである(第一次オイルショック)。しかし実はOPECが市場原理を押さえて自らの力で価格を形成することができたのは後にも先にもこの時だけだった。

  1979年に第二次オイルショックが発生したが、これはOPECの有力メンバーであるイランでイスラム革命が勃発、同国の石油輸出がストップしたためであった。この時原油価格は最高40ドルまで急騰し、1980年の年間平均価格は37.4ドルに達した(インフレを加味した現在価格では98.5ドル)。しかしこれはOPECが演出した価格ではなくあくまで政治的なものである。

  1980年以降産油国でいくつかの戦争や内紛があった。産油国の紛争は石油価格が急騰する要因でありOPECとしてはその存在感をアピールするチャンスのはずである。しかし1980年から89年まで続いたイラン・イラク戦争、1991年の湾岸戦争及びソ連邦の崩壊、2003年のイラク戦争など産油国に直接関係した戦争や内戦が起こったが、石油価格の急騰は一時的なものにとどまりOPECがその存在感を示すことはなかった。

  むしろ80年代後半及び90年代後半の世界の景気後退に際してOPECは生産量削減と言う形で価格の下落を防ごうとしたが、「見えざる市場の手」に翻弄されカルテルとしての機能を果たすことができなかった。原油価格は1986年には14.4ドルに、また1998年には11.9ドルという破滅的な水準にまで落ち込んでいる。これはOPECが市場原理に対抗できないことを如実に示したものである。価格崩落によりOPEC内部の結束も乱れ、1986年の場合、自他共にOPECのリーダーと目されていたサウジアラビアのヤマニ石油相が失脚した。そして後者についてはナイミが新たにサウジアラビアの石油相となり産油国と消費国が協力関係を築く新たな時代を作りあげたのである。2004年以降、原油価格が急騰し2008年7月にはついに史上最高の147ドルとなったが、これは投機マネーが演出したものであり、OPECは消費国と同様むしろ振り回されただけである。

  つまり1973年の第一次オイルショックを除けばOPECが石油価格を支配できたことは一度もないのである。今でもOPEC総会が近づくと、価格に関するOPEC首脳の発言に対してメディアは派手に報道する。しかし本当のところOPEC首脳が表明する価格は彼らが望む価格水準を示しているだけであって、彼らにかつてのような価格決定力が無いことは誰の目にも明らかである。

(続く)

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前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(4月20日)

2010-04-20 | 今日のニュース

・ガス輸出国フォーラム、アルジェリアで会合:油価連動型の新価格方式を検討。

 

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OPEC50年の歴史をふりかえる(2)

2010-04-16 | OPECの動向

(注)本シリーズ1~9回は「MY LIBRARY(前田高行論稿集)」に一括掲載されています。

2.加盟国の変遷

 OPECの現在の加盟国はサウジアラビア、イラン、イラク、クウェイト、ベネズエラ、カタール、リビア、アラブ首長国連邦(UAE)、アルジェリア、ナイジェリア、エクアドル、アンゴラの12カ国である。このうちサウジアラビア、イラン、イラク、クウェイト及びベネズエラの5カ国が1960年のOPEC創立時のメンバーである。

 その後1961年にカタールが、また1962年にリビア、インドネシアが相次いで加盟し、さらにUAE(1967年)、アルジェリア(1969年)、ナイジェリア(1971年)、エクアドル(1973年)が加盟して現在のOPECメンバーの骨格が出来上がった。なおインドネシアは2004年に石油の純輸入国となりOPECにとどまる意味がなくなったため一時脱退と言う形で昨年メンバーからはずれている。また1973年の第一次オイルショック後の1975年にガボンが加盟したが、同国は1995年にOPECを脱退している。90年代前半は原油価格が低迷しOPECの結束が乱れた時期であり、1993年にはエクアドルもOPECを脱退している。しかし同国は2007年に再加盟しており、同じ年にアンゴラが新たに加盟したことにより冒頭に述べたとおり現在のOPECは12カ国で構成されている。

  12カ国を地理的分類でみると、中東・北アフリカ(MENA)地域はサウジアラビア、イラン、イラク、クウェイト、カタール、リビア、UAE、アルジェリアの8カ国であり全体の3分の2を占めている。そしてナイジェリアとアンゴラがサブサハラ(サハラ砂漠以南)のアフリカにあり、ベネズエラとエクアドルは南米国家である。また民族的な視点で見るとMENA8カ国のうちイランを除く7カ国はアラブ国家であり、宗教で言えばMENA8カ国とナイジェリアはイスラム国家である。これらのことからOPECの中核はMENA地域にあるアラブ・イスラム国家であることがわかる。

  OPECは石油と言う経済商品を媒介とした国家カルテルであり各構成国の民族或いは宗教とは直接無関係である。しかしOPECの意思決定の主体が国家であることの意味は大きい。カルテルは通常民間企業で構成されるものであり、その目的は企業収益の最大化である。従って需給がひっ迫した時は強気の販売戦略で価格を吊り上げ、一方需要が落ち込んだ時は供給量を絞って価格の下落幅を押さえるという純粋に経済的な戦略を打ち出す。

  これに対しOPECのように意思決定が国家単位である場合、そこには経済的な理由だけではなく、各国の外交・内政両面にわたる政治的判断が重要な要素となる。各加盟国が増産或いは減産を判断するのはOPEC全体の利益のためではなく、あくまで自国の利益のためである。従って加盟各国の固有の事情や歴史的背景がその判断に色濃く反映すると言える。

  OPEC結成当初は、国際石油会社に対する収益改善交渉から始まり自国による石油産業の支配(国有化、事業参加或いはP/S契約など)と言う目的において加盟国の利害は一致し、そのため団結して行動することができた。しかし国際石油会社との戦いに勝利した後は、欧米の石油消費国と対峙する図式となり、意思決定の基準の一つとしてアラブ、イスラムと言った非経済的な要素が影響するようになった。1973年の中東戦争を契機とした第一次オイルショックは、OPEC加盟国と欧米諸国特に米国との対立の構図が鮮明になったが、これなどはその典型的な例であろう。

  このこともあってOPECはこれまで何度か他の石油輸出国に加盟を働き掛けてきた。世界第2位の生産量を誇るロシア(昨年はサウジアラビアを抜き世界1位になったとも言われる)や同7位のメキシコ、15位のブラジルの他、近年産油国として台頭してきたカザフスタン、アゼルバイジャンの中央アジア諸国などである。OPECは折に触れてこれらの国をオブザーバーとして総会に招いている。

  しかしこれらの国がOPECに参加する気配は見られない。20世紀末から今世紀初めにかけて欧米先進国がOPECとの対決姿勢を崩さなかったのは、単に産油国と消費国の対立と言う意味合いだけではなく、OPEC加盟国の中にアラブ、イスラム国家が多く、また反米国家が多いという事実も無視できない。このためロシア、メキシコなどもおいそれとOPECに加盟に踏み切れないのである。

(続く)

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(4月16日)

2010-04-16 | 今日のニュース

・OPEC月例レポート:需要を上方修正、価格70-80ドルと予測。

・来週アルジェリアでガス輸出国会議、ロシアは欧州向け供給削減の共同行動を狙うがカタールは消極的  *

 

*参考ブログ

ガスOPECh生まれるか?」(2007年レポート)

拡大を続けるLNG貿易」(2009年レポート)

 

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