石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

ニュースピックアップ:世界のメディアから(1月30日)

2011-01-30 | 今日のニュース

・加盟国から臨時総会開催の要求なし:OPEC議長国イラン石油相

 

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今週の各社プレスリリースから(1/23-1/29)

2011-01-29 | 今週のエネルギー関連新聞発表
1/24 三菱商事    ドンギ・スノロLNGプロジェクトの最終投資決定 http://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/pr/archive/2011/html/0000011632.html
1/26 ConocoPhillips    ConocoPhillips Reports Fourth-Quarter Earnings of $2.0 Billion or $1.39 Per Share   http://www.conocophillips.com/EN/newsroom/news_releases/2011news/Pages/01-26-2011.aspx
1/27 ExxonMobil    Rosneft and ExxonMobil to Develop Black Sea Resources http://www.exxonmobil.com/Corporate/news_releases_20110127.aspx
1/28 Chevron    Chevron Reports Fourth Quarter Net Income of $5.3 Billion, Up From $3.1 Billion in Fourth Quarter 2009 http://www.chevron.com/chevron/pressreleases/article/01282011_chevronreportsfourthquarternetincomeof53billionupfrom31billioninfourthquarter2009.news
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ニュースピックアップ:世界のメディアから(1月28日)

2011-01-28 | 今日のニュース

・ExxonMobil、ロシアの黒海油田開発に10億ドル投資:ダボス会議でRosneftと共同記者発表  *

 

*スーパーメジャーのロシア進出はBPの北極海開発に続く第二弾。なおExxonMobilはサハリン開発でロシア政府の介入を受け出資比率を強制的に下げさせられ、またYukos買収もロシア政府の横やりでとん挫、Yukosoはその後脱税容疑で当時の社長が逮捕、Rosneftに吸収された。このためExxonMobilは対露投資に慎重であったがCEO交替によりロシア再参入を決意した模様。黒海は過去100年間石油が発見されておらず、プロジェクトの成果が注目される。

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荒葉一也SF小説Part II「エスニック・クレンザー(民族浄化剤)」(3)

2011-01-27 | 中東諸国の動向

(お知らせ)
荒葉一也のホームページ「OCIN INITIATIVE」が開設され、小説「ナクバの東」として続きを連載中です。
http://ocin.web.fc2.com/

退役将軍「シャイ・ロック」(3)
一介の理髪師に過ぎなかった『シャイ・ロック』の父親はイスラエル独立闘争の勇猛な戦士として頭角を現し、その後の第二次中東戦争でも活躍した。彼は何度も何度も武勇談を息子に言って聞かせた。いつしか『シャイ・ロック』は父親の最初の言葉だけでそれがいつ、どこであった話か解るようになったほどである。それでも彼はその話を聞くのが好きだった。ただ父親は独立戦争以前に行ったテロ活動については息子に何も話さなかった。時として無辜の市民を巻き添えにするテロ活動ーそれは父親自身思い出したくない時代であった。いつの時代でも大義のために無関係の他人が犠牲になる。それが歴史の事実である。そして息子もあえてその頃のことを父に問いただそうとはしなかった。

父親に洗脳された『シャイ・ロック』は創設期の空軍に入隊、パイロットを目指した。そして彼は第三次中東戦争で戦闘機パイロットとして大活躍した。ソ連の対イスラエル断交、エジプトのナセル大統領によるチラン海峡封鎖を契機として始まった第三次中東戦争は、イスラエル空軍の先制攻撃によりエジプト及びシリアは壊滅的な打撃を受け、戦いはわずか6日間で終わった。世に「六日戦争」と呼ばれる第二次中東戦争は、世界にイスラエル不敗神話を印象付けた。勝利の立役者は空軍であった。

戦後『シャイ・ロック』は米国のイスラエル大使館付武官として家族を伴いワシントンに赴任した。六日戦争の功績に対する論功行賞である。彼は戦場では沈着冷静、勇猛果敢な男だが普段は寡黙で口下手である。武官とは言え外交官の一翼となることに躊躇したが、階級社会の軍隊で上を目指すには米国駐在の経験は願ってもチャンスであり断る理由はなかった。妻も二人の娘も彼の背中を押した。特に長女のゴルダは父の米国赴任が決まると大喜びであった。

ワシントンに赴任した彼はこれまで知らなかった世界を垣間見た。生まれてこのかた戦争に明け暮れ、祖国での生活は緊張の連続を強いられるものであった。周囲を取り巻くアラブ諸国に対して連戦連勝のイスラエルであり、『シャイ・ロック』たち軍人の意気は上がり一般国民も過剰ともいえる自信を持ち始めていたが、明日何が起こるかわからない中東では息を抜く暇はなかった。
それに比べ米国とその国民は何とのんびりとおおらかな毎日を送っていることか。彼が米国に来たのはこれが初めてではない。未だ独身だった頃、パイロットの訓練生としてネバダの米空軍基地にいたことはある。しかしイスラエルからネバダまでは米空軍機で運ばれ、ニューヨーク、ワシントンなどの東海岸の大都市を見ることはなかった。彼自身も訓練に情熱を燃やしていたため訓練の休日にロスアンジェルスを垣間見たぐらいである。何よりも祖国の緊張状態を思うとのんびりした気分になどなれず、パイロットとしての技能を高め一刻も早く祖国の第一線に復帰したいという思いに駆られていたのである。


 (続く)

(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)

荒葉一也:areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

 

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(1月25日)

2011-01-25 | 今日のニュース

・サウジ石油相が今年の原油市況見通し:需要は増加するが、価格は安定。

 

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荒葉一也SF小説Part II「エスニック・クレンザー(民族浄化剤)」(2)

2011-01-23 | 中東諸国の動向

(お知らせ)
荒葉一也のホームページ「OCIN INITIATIVE」が開設され、小説「ナクバの東」として続きを連載中です。
http://ocin.web.fc2.com/

退役将軍「シャイ・ロック」(2)
しかし問題はエルサレムとその一帯の土地であった。ユダヤ人にとってそこは神に約束された土地であり、2千年前の「ディアスポラ(大離散)」で心ならずも追われた祖国の地である。英国政府は戦争協力と引き換えに祖国再建を約束したのだ。一方アラブ人もエルサレム地方は有史以来連綿として自分達が住み続けた土地であり、オスマントルコから独立して民族国家を創ることが夢であった。英国に協力して第一次大戦の勝利に貢献した以上、アラブ民族によるパレスチナ国家を樹立することは当然の権利と考えた。
英国はユダヤ人とアラブ人に二枚舌を使ったのである。第一次世界大戦終了後の結果は明白であった。ユダヤ人とアラブ人がともに独立運動を展開し、エルサレム一帯はのっぴきならない状態になった。窮した英国はパレスチナを委任統治領としてユダヤとアラブ双方を抑え込もうとした。当時インド及びマレー半島など東南アジアに広大な植民地を持っていた英国にとってパレスチナ地方はスエズ運河とともにアジアの植民地運営の中継基地として必要だったのである。

『シャイ・ロック』の父親達はユダヤ人の祖国イスラエル建国のため、ある時はアラブ人と戦い、またある時は植民地政府の英国と戦った。パレスチナが英国の委任統治領であって正式な国家ではない以上、そこでの戦いは反政府運動ではなく秩序なき戦いであった。強いものが勝つ。ユダヤ人にとって負ければ2千年来の祖国再興の夢は潰え去る。彼らは手段を選ばず時にはテロ活動も辞さなかった。
『シャイ・ロック』が物心の付いた9歳の1948年にイスラエルは独立を宣言した。彼はその時父親が自分を抱き上げて体中で喜びを見せたことを今でもよく覚えている。しかしその喜びもつかの間、周辺のアラブ諸国が新生国家イスラエルになだれ込んできた。世に言う第1次中東戦争であり、ユダヤ人達はこれを独立戦争と呼んだ。天は必死の彼らに味方した。と言うか、欧米列強特に米国がイスラエルを物心両面で強力に支持したのに対し、アラブ側はソ連の助けが無いうえ内部も烏合の衆だったため敗北したと言うのが実情である。当時のソ連は第二次大戦後の自国の再建に手を取られアラブを助けるどころではなかったのである。「衆寡敵せず」という言葉があるが、中東戦争に関する限り全く逆であり、少数派のイスラエルが圧倒的多数のアラブを敵に回して独立を勝ち取った。アラブ側は完敗し、彼らはこの戦争を「ナクバ(破局)」と名付けた。その後数次にわたる中東戦争でアラブ側はイスラエルに一泡吹かせようとしたが未だ一度も成功していないのである。

 (続く)

(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)

荒葉一也:areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

 

 

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今週の各社プレスリリースから(1/16-1/22)

2011-01-22 | 今週のエネルギー関連新聞発表
1/17 経済産業省   資源エネルギー庁とガスプロムのロシア極東における協力発展に関する合意書の締結について http://www.meti.go.jp/press/20110117004/20110117004.html
1/17 経済産業省   エネルギーフォーラムin東京、in大阪 「低炭素社会における日本のエネルギー政策を考える」の開催について http://www.meti.go.jp/press/20110117001/20110117001.html
1/19 出光興産   ノルウェー領北海における公開入札にて3鉱区の権益を取得 http://www.idemitsu.co.jp/company/information/news/2010/110119.html
1/20 昭和シェル石油   ソーラーフロンティア・ヨーロッパ、増員に伴い本社を移転 【ソーラーフロンティア株式会社】 http://www.showa-shell.co.jp/press_release/pr2011/0120.html
1/20 石油連盟 天坊   石油連盟会長定例記者会見配布資料 http://www.paj.gr.jp/from_chairman/data/2011/index.html#id466
1/20 石油資源開発   インドネシア共和国カンゲアン鉱区のパゲルンガン・ウタラ油田の生産開始について http://www.japex.co.jp/pdf/2010/20110120_Kangean_PUO.pdf
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ニュースピックアップ:世界のメディアから(1月21日)

2011-01-21 | 今日のニュース

・NY原油3日連続で下落、90ドルを割る

・アブダビShah Gas開発プロジェクト、Occidentalが100億ドルで受注

 

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荒葉一也SF小説Part II「エスニック・クレンザー(民族浄化剤)」(1)

2011-01-20 | 中東諸国の動向

(お知らせ)
荒葉一也のホームページ「OCIN INITIATIVE」が開設され、小説「ナクバの東」として続きを連載中です。
http://ocin.web.fc2.com/

退役将軍「シャイ・ロック」(1)
彼の名は『シャイ・ロック』。勿論本当の名前は別にあるのだが、世間では蔭で彼のことをそう呼んでいる。戦闘機のパイロットとして軍歴を歩み出した彼は、数次の中東戦争を経て空軍のトップに上りつめ、「将軍」の称号を与えられた。『シャイ・ロック』と言う呼び名は英国の有名な戯曲に登場する金貸しの名前とそっくりであり彼は決して喜ばない。だから面と向かっては誰もが彼のことを『将軍』と呼んでいる。ただ上機嫌な時や外国の要人との面倒な話をまとめようとするときだけ、彼は自らを道化役者に見立てて「私シャイ・ロックとしては---------」などと前置きを置くのである。シャイロックと言う言葉が持つイメージを逆用して、相手に畏怖心を与えることも彼の軍師的才能の一つと言える。

『シャイ・ロック』の生涯は常に戦争がつきまとってきた。既に70歳を超え空軍を退役しているが、今もいろいろな相談事を持ち込まれる。多分死ぬまで彼には戦争の影がつきまとうに違いない。
そもそも彼が生まれたのは第二次世界大戦が始まった1939年である。彼の父親はドイツ地方都市のゲットー(ユダヤ人居住地区)で散髪屋を営むごく平凡な市民であった。アシュケナジムと呼ばれる彼らドイツ国籍のユダヤ人達は社会的には蔑まれ生活は楽ではなかったものの、それなりに平和な暮らしを送っていた。
しかし第一次大戦後の混乱に乗じてナチスが台頭、1933年にヒットラーが政権を握ると事情は一変した。当初は政治犯を収容することが目的であった強制収容所がユダヤ民族を抹殺するための道具となった。ヒットラー率いるナチス党は「民族浄化(エスニック・クレンジング)」の旗印を掲げ、ゲシュタポによる組織的なユダヤ人狩りが始まった。
身の危険を感じた『シャイ・ロック』の父親はシオニズム運動に身を投じ、生まれたばかりの赤子の彼を連れてエルサレムに移住した。もし移住が数カ月遅れていれば残った同胞と同じ運命をたどり彼ら一家はこの世から抹殺されていたであろう。それは危機一髪のドイツ脱出であった。

「シオンの丘」に帰ろうと言ういわゆるシオニズム運動でエルサレムに移住した彼らに待ち受けていたのは厳しい民族紛争であった。当時のエルサレム一帯はイギリスの委任統治領であった。第一次世界大戦でドイツ・オスマントルコ連合と戦った英国は、勝つために策を選ばなかった。世界の金融を支配していたロスチャイルドなどのユダヤ資本家を味方に引き入れて戦費を調達する一方、現地ではアラブ民族をそそのかしオスマントルコに対するゲリラ勢力に仕立て上げた。

味方に引き込むためには当然その見返りが必要である。戦いに勝ったときの恩賞である。英国がユダヤ人とアラブ人それぞれに約束した恩賞。それはユダヤ人には2千年近く前に滅んだユダヤ人国家の再建を認めたことであり、一方アラブ人達にはオスマントルコが支配するアラブの地をアラブに取り戻すこと、すなわちアラブ民族国家の樹立を認めることであった。

 (続く)

(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)

荒葉一也:areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

 

 

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ニュースピックアップ:世界のメディアから(1月19日)

2011-01-19 | 今日のニュース

・カタール、中国SinopecとLNG輸出交渉。米国の輸入急減でアジアに注力

拙稿「シェールガス、カタールを走らす」参照。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0148ShaleGasQatar.pdf

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