石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

米国の原油生産、二年連続で世界一:BPエネルギー統計2019年版解説シリーズ石油篇(7)

2019-06-30 | BP統計

BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2019」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。

 *BPホームページ:

http://www.bp.com/en/global/corporate/energy-economics/statistical-review-of-world-energy.html

 

(米国の生産量、世界一の1,500万B/D!)

(4)主要産油国の生産量の推移(1990年、2000年、2010年及び2018年)

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-2-G03.pdf 参照)

 産油国の中には長期的に見て生産量が増加している国がある一方、年々減少している国もある。ここでは米国、サウジアラビア、ロシア、イラン、イラク、中国、ブラジル及びベネズエラの8カ国について1990年、2000年、2010年及び2018年の生産量の推移を見てみる。

 

米国とサウジアラビア及びロシアは2018年の生産量がいずれも1千万B/Dを超えており、中でも米国が他の2国を引き離す圧倒的な生産量を誇っている。1990年以降三か国の順位は目まぐるしく変化しており、1990年はロシアの生産量が1,034万B/Dで3か国の中では唯一1千万B/Dを超えていた。ロシアに次ぐのが米国の890万B/D、サウジアラビアは3カ国の中で最も少ない711万B/Dであった。

 

しかし1990年代はロシアがソ連邦崩壊の後遺症で生産が大幅に落ち込み、また米国も油田の老朽化等で生産量が落ち込む一方、サウジアラビアは新興国のエネルギー需要の増加を取り込んで生産量が拡大した。この結果2000年の3か国の生産量はサウジアラビアが最も多い912万B/Dで、米国は773万B/D、ロシアは658万B/Dにとどまった。

 

2000年代に入るとロシアの生産量が急速に回復し2010年には1千万B/D台を回復し世界一の座を取り戻した。サウジアラビアも1千万B/D近くまで生産を伸ばす一方、米国は減退傾向が続き755万B/Dにとどまりロシアとは300万B/D近く格差が開いた。

 

ところが2010年代に入ると様相が一変する。米国でシェールオイルの生産が本格化し、サウジアラビアおよびロシアを一気に追い抜いてトップに躍り出たのである。2018年の米国の生産量は2010年の2倍の1,531万B/Dの生産を達成している。これに対してサウジアラビアおよびロシアは1,229万B/D及び1,144万B/Dと1千万B/Dを超えたものの、トップ米国との差はむしろ広がっている。

 

 イラン、イラク及び中国各国の1990年、2000年、2010年及び2018年の生産量を比べると、1990年から2010年まではイラン、中国、イラクの順であり、中でもイラクはイラン、中国よりもかなり少なかったが2018年はイラクの生産が急増しイランに肉薄、中国は生産が減退する兆候をみせている。イラクは1990年のクウェイト侵攻で石油の禁輸制裁を受け、2003年のイラク戦争とその後の経済停滞で原油の生産・輸出が極端に低迷していたが、最近は政情が安定、生産及び輸出が伸びている。

 

 人口が桁違いに多い中国は消費量も今や米国に次ぎ世界第2位であるが(次章「石油の消費量」参照)、国内生産量は伸び悩み最近では減少傾向に転じている。中国は現在も高い経済成長率を維持しており、石油需要が増加しているにもかかわらず生産が需要に追い付かないのは国内の石油資源不足が原因である。

 

 ブラジルとベネズエラの南米二大産油国は対照的である。ブラジルの1990年の生産量はわずか65万B/Dであったが、2000年には128万B/D、2010年は213万B/D、更に2018年には268万B/Dと1990年の4倍強に増えている。一方のベネズエラは1990年224万B/D、2000年311万B/Dとブラジルを大幅に上回り中国と同レベルの生産量を誇っていたが、2018年にはここで比較した8カ国の中では最も低い151万B/Dに落ち込み、ブラジルより大幅に少ない状況である。世界一の石油埋蔵量を誇る(前章「埋蔵量」参照)ベネズエラの生産量が落ち込んだのは米国の禁輸政策に為政者の失政が重なり経済が破綻しつつあるためである。

 

(石油篇生産量完)

 

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        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

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見果てぬ平和  中東の戦後70年 ( 二 )

2019-06-30 | その他

(英語版)

(アラビア語版)

 

プロローグ

 

2. ヨーロッパとアジアをつなぐ中東

 

 世界六大陸の中で最大のユーラシア大陸(Eurasia)はその英語名が示す通りヨーロッパ(Euro)とアジア(Asia)を合成した言葉である。それではヨーロッパとアジアの境界がどこかと言えば、境界線の一つが現在のトルコのボスポラス海峡であるとするのがほぼ常識的な見方であろう。ボスポラス海峡の西側がイスタンブールであり、海峡の対岸にあるウスクダラはアジアの入り口となる。日本が建設したボスポラス大橋は、まさにヨーロッパとアジアを結ぶ架け橋なのである。そしてウスクダラからトルコの首都アンカラのあるアナトリア高原一帯は「小アジア」と呼ばれている。

 

 アジアの呼称は15世紀に始まる「大航海時代」に当時のスペイン、ポルトガル、オランダそしてイギリスの各国が使い始めたものである。これらヨーロッパ諸国は、現在のインドからインドネシアに至る広大な海域で互いに貿易の覇権を競い植民地支配を強めていくが、この過程でアジアという地理的概念が確立されていった。それはヨーロッパ側からの一方的な決めつけであり、彼らがアジアと一括りにした広大な地域の住民は自分たちが一つのアジアであると認識していたわけではない。早い話、日本人の全てがイスラムを信奉するアラブ人を同じアジアの人間と考えているとはとても思えない。

 

ところが中東の人々は日本も自分たちと同じアジアとみなしている。中東の人々が極東の国々を同じアジアとみなすのは、近代になりヨーロッパあるいはその流れをくむアメリカによって世界秩序が形成される過程で彼らの定義を押し付けられ刷り込まれた結果であることは間違いない。各種スポーツ競技の世界予選の区分けを見れば一目瞭然である。サッカー・ワールドカップの「アジア地区予選」は極東の日本から中東各国までまたがっている。つまりヨーロッパ人は自分たちが「ヨーロッパ」と決めた地域以外は十把一絡げに「アジア」と決めつけたのである。

 

 ただ彼らが「アジア」と名付けた地域はユーラシア大陸の大きな部分を占めている。緯度で言えば西経10度(ポルトガル)からベーリング海峡の東経180度まで地球を半周するユーラシア大陸のうち、ヨーロッパの東端イスタンブールは東経30度である。つまりユーラシア大陸の6分の5はアジアであり、ヨーロッパはわずか6分の1にすぎないのである。

 

 したがってヨーロッパ人自身もアジアを一括りにできずいくつかの地域に分けた。それは彼らから見た地理上の遠近というごく単純かつ一方的な区分であった。ヨーロッパから近い順に近東(Near East)、中東(Middle East)、南アジア(South Asia、インド亜大陸)、東南アジア(South East Asia)そして極東(Far East)と名付けたのである。極東(Far East)とは「東の果て」のことであり、聞きようによっては極東の人々に対してずいぶん失礼な言い方ともいえる。(仮に立場が逆になっていれば、英国、フランス等は西の果て「極西諸国」と呼ばれていたかもしれない!)

 

ともかくボスポラス海峡を渡ってすぐが「近東」。現在のアナトリア半島一帯であり、さらに東のレバント(現在のシリア、レバノン)及びイスラエル、イラク、イランあたりまでが「中東」である。但し近代史では「近東」と「中東」が一体化して「中近東」と呼ばれ、さらに現代では単に「中東」の呼称が一般化している。そして中東の向こうにあるのがインド、パキスタンの南アジアである。

 

ヨーロッパが南アジアに直接到達したのはアフリカ南端の喜望峰を経由する帆船ルートであった。陸上ルートはオスマントルコ帝国或いはペルシャ帝国との中継貿易に頼らざるを得ず自由な交易が阻まれていた。こうして15世紀から17世紀に「大航海時代」が訪れた。ヨーロッパ勢が海に乗り出した最大の理由はオスマン帝国の領土を迂回して胡椒や紅茶などのインド洋沿岸諸国の富を手に入れ、或いは中国の陶磁器、日本(ジパング)の金銀を手に入れるためであった。

 

こうしてヨーロッパ諸国は南アジアからインド洋の沿岸伝いに東へ東へと進出していった。帆船による点と点を結ぶ東洋進出であり、「大航海時代」は交易の時代であった。自らは有力な交易商品を持たない当時のヨーロッパ諸国は、インド洋ルートの寄港地であるアフリカ、インド、東南アジア、ジャワなどの産物を行く先々で仕入れ(あるいは略奪し)、物々交換の差益を巨大な富として自国に持ち帰った。そして蓄えた富で工業化を図り鉄砲など武器を製造するようになるとそれまでまがりなりにも対等であった交易が、19世紀には武器による侵略すなわち「植民地主義」によるアジア支配の時代に入ったのである。

 

西欧諸国にとってアジア・ルートの最大の障害はオスマントルコであったが、植民地侵略を通じてオスマントルコ支配地域は徐々に浸食され、19世紀後半の1869年にはフランスがスエズ運河を建設、その後英国が実質的な支配者となった。こうして地中海からスエズ運河、さらに紅海を経由してインド洋に至るルートが確保され西欧列強のアジア支配は確固たるものとなった。そして1914年から17年の第一次世界大戦でオスマントルコ帝国が敗れたことにより、中東から東南アジアに至る広大なアジア地域は英国、フランス、オランダの西欧植民地主義国家が支配し、彼らはアジアの富を独占したのである。

 

(続く)

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 

 

 

ホームページ:OCIN INITIATIVE(http://ocininitiative.maeda1.jp/index.html) 

 

(目次)

 

 

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石油と中東のニュース(6月29日)

2019-06-29 | 今日のニュース

(参考)原油価格チャート:https://www.dailyfx.com/crude-oil

(石油関連ニュース)

・インド、イラン禁輸でサウジからの輸入が32%アップ

・米国原油が市場にあふれ油価は下落へ:ロイターの専門家アンケート6月結果

(中東関連ニュース)

・G20でトランプ大統領とサウジ皇太子が会談。 *

・サウジ皇太子、韓国防衛産業を視察。ミサイル・ドローン防御システムに興味。 **

 

*参考「サウジ皇太子と安倍首相の電話会談が語るもの:焦るムハンマド」(2019年3月)

http://mylibrary.maeda1.jp/0461MbsAbeMar2019.pdf

**参考「ビジネスチャンスを逃がすな!:和平外交の陰で武器輸出競争」(2019年6月)

http://mylibrary.maeda1.jp/0471ArmsBusinessInMena.pdf

 

 

 

 

 

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今週の各社プレスリリースから(6/23-6/29)

2019-06-29 | 今週のエネルギー関連新聞発表

6/26 国際石油開発帝石 

幹部社員の人事異動について  

https://www.inpex.co.jp/news/pdf/2019/20190626.pdf

6/26 Saudi Aramco 

Saudi Aramco advances global chemicals strategy with S-Oil expansion project in Ulsan, South Korea 

https://www.saudiaramco.com/en/news-media/news/2019/aramco-advances-global-chemicals-strategy-s-oil-expansion-korea

6/26 Saudi Aramco 

Saudi Aramco signs 12 agreements with South Korean partners worth billions of dollars 

https://www.saudiaramco.com/en/news-media/news/2019/aramco-12-agreements-korea-partners

6/28 JXTGホールディングス 

人事異動について  

https://www.hd.jxtg-group.co.jp/newsrelease/20190628_01_02_1080071.pdf

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湾岸小国以外はほとんどが世界100位以下:世界平和指数(2019年版)(2)

2019-06-28 | 今日のニュース

(MENAなんでもランキング・シリーズ その12)

 

(君主制国家が上位を占めるMENA!)

2. MENA諸国の2019年「世界平和指数」

(表http://menarank.maeda1.jp/12-T01.pdf 参照)

 

(平和の世界地図:青色Very high、黄緑 High、黄色 Medium、オレンジ Low、赤 Very low)

 

 MENA19カ国1機関の中で最も平和度が高いのはカタールで、世界ランクでは163カ国中の31位である。因みに世界で最も平和度が高いとされる国はアイスランドであり、日本は世界第9位である。

 

 カタールに次いでMENA第2位はクウェイトで同国の世界ランクは43位、MENA第3位はUAE(世界53位)である。5位及び6位はオマーン(世界69位)とヨルダン(同77位)であり、これら5か国が世界163か国中の上位グループに入っている。このほか世界100位以内にあるのはチュニジア(82位)とモロッコ(90位)であり、それ以外の12か国1機関はいずれも100位以下である。

 

世界100位以内のMENA7か国の顔ぶれを見るとチュニジア以外は全て君主制国家であることがわかる。これらの君主制国家はいずれも君主(国王または首長)が絶対的な権力を保持している。MENAは絶対君主制国家が命脈を保っている世界的にも珍しい地域であるが、そのような絶対君主制国家の平和度がイラン、トルコ、エジプト、イラクなどの共和制国家よりも高いことがMENA地域の大きな特徴である。因みに同じ君主制国家でもバハレーン及びサウジアラビアの世界ランクはそれぞれ124位及び129位であり他の君主制国家よりかなり低い。

 

MENA8位のアルジェリア以下の国々はいずれも世界100位以下であり、このためMENAの平和度の世界平均ランクは115位と極めて低い水準にある。MENAの大国であるエジプト、イランおよびトルコはそれぞれ136位、139位、152位である。

 

イランとトルコをはさむ世界140位台にはパレスチナ自治政府、イスラエル及びレバノンが並んでいる。イスラエルは経済、社会に関する世界ランクでは常に上位を占め、MENA諸国の中でも1,2位を争っている[1]が、平和度は世界146位と極めて厳しい評価である。さらに世界最下位近くにはリビア(156位)、イラク(159位)、イエメン(160位)が並んでいる。

 

そしてシリアは世界最下位からわずか1ランク上の162位であり「イスラーム国」などの過激組織との内戦状態は終結に向かっているが同国の平和度は極めて低い。因みに世界163カ国で最も平和度が低いとされたのはアフガニスタンである。

 

なお日本は世界9位であるが、米国は世界128位で中国(同110位)よりも低い。

 

平和指数ランクでは安全度に応じてVery high(非常に高い), High(高い), Medium(中程度), Low(低い)及びVery low(非常に低い)の5段階に分類されている。日本はVery highであるが、MENA地域ではカタール、クウェイト、UAE及びオマーンの4カ国だけがHighにランク付けされている。そしてヨルダン、チュニジア、モロッコ及びアルジェリアの4カ国はMediumとされ中国と同じ範疇である。そしてバハレーン、サウジアラビア、エジプト、イラン、イスラエル等はLowレベルとされ、米国もこの範疇にある。トルコ、リビア、イラク、イエメン及びシリアの5カ国は最も低いVery lowのレベルとされている。

 

 (続く)

 

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[1] 例えばUNCTAD「人間開発指数」、WEF「男女格差」はMENA1位、世銀「ビジネス環境」はMENA2位等。

http://menarank.maeda1.jp/11-T01.pdf

http://menarank.maeda1.jp/8-T01.pdf

http://menarank.maeda1.jp/13-T01.pdf  

 

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石油と中東のニュース(6月27日)

2019-06-27 | 今日のニュース

(参考)原油価格チャート:https://www.dailyfx.com/crude-oil

(石油関連ニュース)

・米原油在庫減統計で原油価格5月末以来の高値。 Brent $65.91, WTI $58.98

・トランプ大統領ツィート:日・中などペルシャ湾にタンカーを派遣する国は自力でシーレーンを守れ!

・サウジアラムコCEO:顧客の需要は充足可能

・ロイドの船舶保険一部引き受け停止で中小保険他社が料率つり上げ

(中東関連ニュース)

・トランプ大統領:対イランの軍事行動は必要だが紛争は長期化しない

・クシュナー米大統領顧問主導でパレスチナ支援バハレーン国際会議開催。パレスチナはボイコット

・パレスチナ問題解決は経済より政治が先:ブレア前英首相などバハレーン会議参加者から異論続出

・オマーン、パレスチナ領ヨルダン川西岸ラマッラーに大使館開設。

・オマーン、韓国大宇と30万トンVLCC3隻契約

・サウジアラビア、韓国と製油所建設など83億ドルの経済協力締結

・トルコへのS-400ミサイル供給は7月:ロシア兵器輸出機関が明言

・トルコ大統領:シリア北部に安全地帯が出来れば避難民百万人が帰還可能

 

 

 

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湾岸小国以外はほとんどが世界100位以下:世界平和指数(2019年版)(1)

2019-06-25 | その他

(MENAなんでもランキング・シリーズ その12)

 

 中東北アフリカ諸国は英語のMiddle East & North Africaの頭文字をとってMENAと呼ばれています。MENA各国をいろいろなデータで比較しようと言うのがこの「MENAなんでもランキング・シリーズ」です。「MENA」は日頃なじみの薄い言葉ですが、国ごとの比較を通してその実態を理解していただければ幸いです。なおMENAの対象国は文献によって多少異なりますが、本シリーズでは下記の19の国と1機関(パレスチナ)を取り扱います。(アルファベット順)

 

 アルジェリア、バハレーン、エジプト、イラン、イラク、イスラエル、ヨルダン、クウェイト、レバノン、リビア、モロッコ、オマーン、パレスチナ自治政府、カタール、サウジアラビア、シリア、チュニジア、 トルコ、UAE(アラブ首長国連邦)、イエメン、

 

 これら19カ国・1機関をおおまかに分類すると、宗教的にはイスラエル(ユダヤ教)を除き、他は全てイスラム教国家でありOIC(イスラム諸国会議機構)加盟国です。なおその中でイラン、イラクはシーア派が政権政党ですが、その他の多くはスンニ派の政権国家です。また民族的にはイスラエル(ユダヤ人)、イラン(ペルシャ人)、トルコ(トルコ人)以外の国々はアラブ人の国家であり、それらの国々はアラブ連盟(Arab League)に加盟しています。つまりMENAはイスラム教スンニ派でアラブ民族の国家が多数を占める国家群と言えます。

 

 第12回のランキングは、NGOグループVision of HumanityがThe Economist Intelligence Unit (EIU、英国の経済誌エコノミストの一部門)のデータをもとに取りまとめた「The Global Peace Index 2019」からMENA諸国をとりあげて比較しました。

 

*Vision of Humanityのホームページ:

http://visionofhumanity.org/app/uploads/2019/06/GPI-2019web003.pdf

 

1.「The Global Peace Index」について

Global Peace Indexは、各国の平和の程度およびそれを維持するための機能を指数化し、ランク付けしたものである。2007年に実施された第1回調査ではその対象は121カ国であったが、その後毎年着実に増え、今回の2019年版では163カ国を対象に調査が行われている。因みにMENA諸国については19カ国1機関全てが評価付けされている。

 

平和指数はEIU社の国別調査員と外部ネットワークの協力を得て作成されている。指数は小型破壊兵器(銃、小型爆発物など)の入手の容易さ、国防費、汚職、人権に対する尊重の度合いなど24項目をベースにして作成されたものである。

 

「世界平和指数」の査定結果には以下のような特徴が見られる。

・      平和の度合いは収入、教育制度、地域一体化のレベル等の指標に関連している。

・      平和な国の多くは政府の透明性が高く、汚職が少ない。

・      小さいが安定した国は平和のランクが高い。

 

(続く)

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米国の原油生産、二年連続で世界一:BPエネルギー統計2019年版解説シリーズ石油篇(6)

2019-06-25 | BP統計

BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2019」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。

 *BPホームページ:

http://www.bp.com/en/global/corporate/energy-economics/statistical-review-of-world-energy.html

 

(米国の増産でシェアが長期低落傾向のOPEC!)

(3)石油生産量の推移とOPECシェア(1970~2018年)

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-2-G02.pdf参照。)

1970年の世界の石油生産量は4,807万B/Dであったが、その後1979年の第二次オイルショックまで生産は大きく増加、1980年には6,294万B/Dに達した。その後価格の高騰により石油の消費が減少した結果、1985年の生産量は5,734万B/Dにとどまった。1980年代は石油の生産が歴史上初めて長期にわたり減退した時期であった。

 

1990年代に入ると石油生産は再び右肩上がりに増加し始めた。そして1995年(6,784万B/D)以降急激に伸び2000年に7,452万B/D、2005年は8千万B/Dを突破して8,179万B/Dに達している。これは中国、インドなど新興経済国の消費量が急増したことが主たる要因である。その後2000年代後半は原油価格の急騰とそれに続く景気後退で石油生産の増加は一時的に鈍化したが、2010年代は再び増勢に転じ2018年の生産量は9,472万B/Dに達している。

 

 地域毎のシェアの変化を見ると、1970年は中東の生産量が29%でもっとも多く、北米28%、ロシア・中央アジア15%、アフリカ13%、中南米10%と続き、アジア・大洋州は(3%)と欧州(2%)のシェアは小さい。その後北米の生産が停滞する一方、中東及びアジア・大洋州の生産が伸び、現在(2018年)では中東のシェアが34%と飛び抜けて高い。北米は1980年代には欧州・ユーラシア地域にも追い抜かれ2000年代半ばにはシェアは17%まで落ち込んだが、その後シェール・オイルの生産が急増したことにより2018年のシェアは24%に高まっている。

 

 石油生産に占めるOPEC加盟国のシェアの推移を見ると、1970年は48%であり、世界の石油生産のほぼ半分を占めた。しかし1970年代後半からシェアは下落し85年には30%を切った。その後80年代後半からシェアは回復し、1995年以降は40%台のシェアを維持している。2018年のシェアは42%である。

 

2014年後半から石油価格が急落する中でOPECは価格よりもシェアを重視する方針を打ち出したが、OPECのシェアは思ったほど伸びなかった。その背景にあったのは近年急激に生産を拡大し価格競争力をつけてきた米国のシェール・オイルであった。シェール・オイルの追い落とし策としてOPECが掲げた低価格政策は2016年半ばに行き詰まりを見せた。

 

このためOPECはロシアなど非OPEC産油国を巻き込んでOPEC・非OPECの協調減産体制(いわゆるOPEC+体制)を作り上げ、2017年1月から2018年12月まで合わせて180万B/Dの減産体制をとった。これにより価格は反転し消費国から増産要請が出たこともあり、OPEC+は今年前半に120万B/Dの減産を継続中である。今年後半については7月初めのOPEC総会及びOPEC+による生産調整会議で決定されることになっており、専門家の間では今年前半の減産体制が下半期にも引き継がれるであろうとの見通しが有力である。

 

なお長期的な需給で見ると石油と他のエネルギーとの競合の面では、地球温暖化問題に対処するため太陽光、風力などの再生可能エネルギーの利用促進が叫ばれている。さらに石油、天然ガス、石炭の炭化水素エネルギーの中でもCO2排出量の少ない天然ガスの人気が高い。このように石油の需要を取り巻く環境は厳しいものがある。その一方、中国、インドなどのエネルギー需要は今後も拡大するとする見方が一般的である。基幹エネルギーである石油の需要は底堅く、今後も増えていくものと予測される。

 

供給面で特筆すべきことはシェール・オイル、サンド・オイルなど「非在来型」と呼ばれる石油が商業ベースで生産されるようになり、特に米国におけるシェール・オイルの生産には目を見張るものがある。このような技術的要因に対して政治的・経済的な要因としてはイランに対する経済制裁が強化され、また有力産油国のリビア、ベネズエラの治安及び経済が悪化している。一方需要面では米中の貿易摩擦による世界景気の減退が懸念されており、供給と需給の両面で石油市場の不安定要因が増している。

 

(続く)

 

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見果てぬ平和  中東の戦後70年(1)

2019-06-25 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

プロローグ

1.スエズ運河グレート・ビター湖の会談

 

 第二次世界大戦における連合国の勝利が確実となった1945年2月14日。スエズ運河北部に位置するグレート・ビター湖。そこに浮かぶ米国の最新式巡洋艦クインシー号上で米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトはサウジアラビア初代国王アブドルアジズ・ビン・アブドルラハマン・アル・サウド(通称:イブン・サウド)と首脳会談を行った。

 

 ルーズベルト大統領は直前の4日から11日までクリミア半島のヤルタで英国チャーチル首相、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)スターリン書記長と3者会談を行い(ヤルタ会談)、第二次大戦後の新しい世界秩序や日本の無条件降伏について話し合っている。

 

ルーズベルト大統領はヤルタ会談終了後マルタ島経由で直ちに帰国する予定であった。しかしマルタで戦艦クインシーに乗艦したルーズベルトは米国本土に向かうのではなく、地中海におけるドイツの潜水艦Uボートによる攻撃の危険を冒してクインシーをスエズ運河に回航させ、サウジアラビア国王と会談を行った[1]。大統領が帰国前の貴重な時間を割き危険を冒してまで国王と会談したことは、彼自身及び米国が戦後のアラブ世界の盟友としてサウジアラビアを重視していたことを何よりも明白に物語っている。

 

米国がサウジアラビアを重視した理由の一つは同国の地下に眠る石油資源にあった。第一次世界大戦でドイツの猛攻にあったフランスのクレマンソー首相が当時の米国大統領ウィルソンに宛てた「石油の一滴は血の一滴」と言う有名な電文があるが、第二次大戦でその価値がますます実証され、戦後の経済復興にも不可欠なものであることはルーズベルトならずとも誰の目にも明らかだった。

 

 両世界大戦の谷間の1930年前後にイラク及びクウェイトで大油田が発見され、ペルシャ湾が大油田地帯であることが立証された。その掉尾を飾るのが1948年の米国石油企業による世界最大のサウジアラビア・ガワール油田発見である。70数年後の今もガワール油田の埋蔵量を上回る油田は発見されておらず、今後もこの記録が破られることは無いであろう。第二次大戦中の石油の消費量は第一次大戦時の実に百倍に達しており、米国は新しく発見する以上のペースで消費し石油の供給が先細りになっていることを大統領は憂慮していた。米国としては戦争が終わり次第一刻も早くサウジアラビアの油田の開発に乗り出すことで、石油を安定的に確保するとともに合わせて戦後の世界エネルギーの覇権を握りたかったのである。

 

 そしてもう一つルーズベルトにはアブドルアジズの支援を取り付けたい外交問題があった。それはパレスチナにおけるユダヤ人とアラブ人の紛争を回避するための支援である。第一次大戦中に英国がユダヤ側とアラブ側それぞれに約束したバルフォア宣言とフセイン・マクマホン協定によりユダヤ人もアラブ人もパレスチナの土地を巡って独立運動を強めており、両者の対立はもはや抜き差しならない状況になりつつあった。とは言えルーズベルト以前の大統領時代から米国の一貫した方針はユダヤ人の移民と入植を支援することであった。ルーズベルトは会談前にも折に触れてアブドルアジズに書簡を送り、土地と移民をめぐるユダヤ人とアラブ人の衝突をいかにして軽減するかについて国王の助言を求めた。しかし米国同様アブドルアジズ国王の方針も一貫しており、紛争を回避する方法はパレスチナへのユダヤ人の移民を止める以外にない、というのがアブドルアジズ国王の回答であった。

 

 将来に困難な問題を含みつつも両者の会談は非常に友好的なものであった。アブドルアジズはアラビア半島制圧の度重なる戦闘により満身創痍、足を引きずる身であったが、1メートル90センチの巨躯は見る者を圧倒し、カリスマ的指導者の風格があった。さらに彼は表裏の無い宗教的な生活を送っており、それらのことからルーズベルトはアブドルアジズに人種や宗教の偏見を超え個人的な親しみを感じたようである。

 

会談後、ルーズベルトはこう力説している。

「アラブ対ユダヤの問題については、サウジアラビア国王との話し合いによって、これまで幾度となく国務省からの文書で知らされてきた以上の、より得難い多くの内容を、たった1回の会談から得ることができた[2]。」

 

なおルーズベルト大統領は帰国後、連合国の勝利を目前にした4月12日に脳卒中のため現職大統領のまま63歳の若さで亡くなっている。ルーズベルトとアブドルアジズの会談は第二次大戦後最初の歴史的意義の大きい「西と東の出会い(West meets East)」なのであった。

 

(続く)

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 

 

 

ホームページ:OCIN INITIATIVE(http://ocininitiative.maeda1.jp/index.html) 

 

(目次)

 

 



[1] レイチェル・ブロンソン著「王様と大統領 サウジと米国、白熱の攻防」(佐藤陸雄訳、毎日新聞社刊)P.71参照

[2] 同上P79

 

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石油と中東のニュース(6月24日)

2019-06-24 | 今日のニュース

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