石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇9

2016-06-30 | BP統計

 

3.世界の石油消費量(続き)

(石油を爆食する米国と中国、両国だけで世界の石油の3分の1を消費!)

(2)  国別消費量

(表http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-3-T01.pdf 参照)

 国別に見ると世界最大の石油消費国は米国で、2015年の消費量は1,940万B/D、世界全体の20%を占めている。第二位は中国の1,197万B/D(シェア13%)である。米国と中国を合わせたシェアは33%であり両国だけで世界の3分の1の石油を爆食していることになる。

 

 3位はインドで前年比8%増の416万B/Dであり、これに対して日本の消費量は415万B/Dで前年より4%減少している。この結果、インドと日本の順位が入れ替わり、インドが米国、中国に次ぐ世界第3位の石油消費国になった。日本の消費量は米国の5分の1、中国の35%である。

 

 5位以下はサウジアラビア(390万B/D)、ブラジル(316万B/D)、ロシア(311万B/D)、韓国(258万B/D)、ドイツ(234万B/D)、カナダ(232万B/D)と続いている。石油は米、日の先進2カ国及びBRICsと呼ばれる中国、インド、ロシア、ブラジルの新興4カ国に大産油国でもあるサウジアラビアを加えた7カ国で世界の半分強を消費している。

 

 上位10カ国の中で消費量が前年より増加した国は5か国(米国、中国、インド、サウジアラビアおよび韓国)、減少した国も5か国(日本、ブラジル、ロシア、ドイツおよびカナダ)である。この中でサウジアラビアおよび韓国の2か国は対前年増加率が各々4.4%、4.9%と高く、一方ブラジルおよびロシアはそれぞれ-2.6%, -4.4%の減少である。石油消費量の増減が各国経済の消長を示しているようである。

 

 国別消費量を前章の国別生産量(第2章(2))と比較すると興味ある事実が浮かび上がる。米国と中国は消費量世界一位と二位であるが、生産量についても米国は世界1位、中国は世界5位である。両国は石油の消費大国であると同時に生産大国でもある。そしてサウジアラビア及びロシアは生産量で世界2位、3位であり、消費量では5位と7位でいずれもベストテンに入っている。その他消費量10位のカナダは生産量世界4位であり、消費量6位のブラジルも生産量世界12位である。

 

 このように石油消費量上位10カ国のうち6カ国は石油の生産量も多い国々であるが、消費量ベストテンに入っていても生産量が皆無もしくは非常に少ない国は日本、インド、韓国及びドイツの4カ国である。このように石油を大量に消費する国といえどもその状況は各国によって大きく異なる。従って「消費国」と言うだけで結束して産油国(例えばOPECなど)に対峙することは容易ではないのである。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行        〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(6月29日)

2016-06-29 | 今日のニュース

・デンマークMaersk石油、カタールの権益喪失で会社存続の危機

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(26)

2016-06-29 | 中東諸国の動向
第3章:アラーの恵みー石油ブームの到来
 
4.富の分け前を求めてー湾岸産油国に殺到する出稼ぎ
 1960年代は石油の消費量が急激に増加した結果、中東の産油国に石油開発ラッシュが巻き起こった。OPECの資料によれば サウジアラビア、クウェイトおよびイラクの1960年と1970年の生産量は、サウジアラビアが130万B/Dから380万B/Dへ2.9倍に増加、クウェイトは170万B/Dから1.8倍の300万B/Dに、そしてイラクも97万B/Dから155万B/Dに増えている。
 
 生産量が増加すれば歳入も増え各国の財政は急激に豊かになった。各国の支配者たちがそれを自分とその一族の懐に入れたのは当然であるが、それでもなお有り余る豊かなオイルマネーはインフラの整備、教育・医療の改善など国家の近代化に注ぎ込まれた。石油発見以前のサウジアラビアとクウェイトは極めて貧しく、教育や医療が全く行き渡らない前近代社会であったが、一気に近代国家に衣替えし始めたのである。
 
 カネがあるから建物、道路、橋、港湾などのインフラ整備は難しくない。ヨーロッパの建築コンサルタントに設計を依頼し、トルコやエジプトの業者に工事を発注、労働者はインド、パキスタンの安い労働力で賄う。学校や病院についても同じこと。必要な教材或いは医療機器を揃えることもカネ次第で何とでもなる。
 
 こうして「ハコもの」はカネで片が付く。問題はヒト。インフラを維持するのは人間であり、学校の教師或いは病院の医師などの人材も必要である。それまで満足な学校や病院のなかったサウジアラビアやクウェイトには教師や医師が殆どおらず、学校や病院を急増したイラクでも教師や医師の絶対数が足りない。
 
 生徒或いは患者とのコミュニケーションが重要な教師や医師はアラビア語を話せることが必須である。アラビア語を話せる人材が必要なのは教師や医師のような分野ばかりではない。経済発展に伴い商業も活況を呈し始めたが、当時のサウジ人やクウェイト人は帳簿をつけたり簡単な釣り勘定すらできない。人材の供給源はエジプト人、パレスチナ人、レバノン人、ヨルダン人たちであった。人材を求める湾岸産油国と富の分け前を求める双方の需要と供給がマッチし、彼らは出稼ぎ人となってイラク、クウェイト、サウジアラビアの湾岸産油国に殺到した。
 
 パレスチナ難民の教師シャティーラが息子のアミンを連れて1956年にクウェイトに移り住んだことはすでにふれた。第二次中東戦争でイスラエル領エイラートから隣町のヨルダン領アカバに逃れたザハラの一家もヨルダンでの生活が一向に楽にならないため15歳になったばかりのザハラを出稼ぎのため一人でクウェイトに行かせた。彼は零細商店の小僧になった。
 
 クウェイトは難民を支援するという大義名分のもと大量のパレスチナ人を積極的に受け入れた。しかしクウェイト人たちは難民に同情した訳ではなく彼らを安い賃金で働く労働力として酷使した。それは形を変えた奴隷制度であった。砂漠のテント生活から一足飛びに豊かな都市生活に移ったクウェイト人はほとんど無学で粗野であったため、富の分け前を求めて群がり集まった出稼ぎのパレスチナ人たちを残酷で横暴に取り扱った。ザハラはじっと耐え忍び、安い給料の殆どを故郷の家族に送金したのであった。家業で習い覚えた経理の知識を糧に24歳の時イラクに出稼ぎに出たアンマンの商人の息子カティーブの身の上も似たようなものであった。
 
 その頃、クウェイトとサウジアラビアの中立地帯で石油の開発に乗り出した日本企業も人材が必要になり、数度にわたり募集広告を出した。1961年の最初の募集でアミン・シャティーラが採用され、その後ザハラも1968年に採用された。二人はともにパレスチナ難民であったが、応募書類のアミンの国籍欄はパレスチナのままであり、ザハラの国籍はヨルダンとなっていた。アミンの父親はパレスチナ人であることを誇りとし、いつか故郷のトゥルカルムに戻り教師を続けられる日の来ることを信じて国籍を変えなかった。一方ザハラ一家は数次の中東戦争を経て故郷の農地を取り戻すことはもはや不可能であると悟り、仕事を得るのに少しでも有利なようにと国籍をヨルダンに変更していた。彼らは以後パレスチナ系ヨルダン人と呼ばれることになる。
 
 ヨルダン人のカティーブも転職組の一人であった。中東の石油会社は給料も良く、なによりも社会的な地位が高い。カティーブが故郷アンマンの両親に石油会社への転職を伝えると両親は手放しで喜んだ。ただ両親はその石油会社が名も無い日本企業であることに若干の違和感を抱いたが、第二次大戦後も欧米に踏みにじられたままのアラブの現状を思うと、廃墟から不死鳥のごとく蘇った日本に一抹の清涼感を覚えたのであった。
 
 祖国パレスチナの復活を信じたパレスチナ人、ヨルダンに帰化して新しい人生を目指したパレスチナ系ヨルダン人、そして将来の豊かな生活を夢見るヨルダン人 ― 3人のアラブ人は運命に引きずられつつペルシャ湾沿岸の小さな町で日本の石油会社の従業員として同じ職場で働くことになったのであった。
 
 (続く)
 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 荒葉一也
 E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
 Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇8

2016-06-28 | BP統計

 

3.世界の石油消費量

(世界の石油消費の3分の1はアジア・大洋州!)

(1)  地域別消費量

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-3-G01.pdf 参照)

 2015年の世界の石油消費量は日量9,500万バレル(以下B/D)であった。地域別でみるとアジア・大洋州が3,244万B/Dと最も多く全体の34%を占め、次に多いのが北米の2,364万B/D(25%)であった。2007年以降はアジア・大洋州が北米を上回る最大の消費地域となっており、この傾向は今後定着するものと思われる。これら二つの地域に続くのが欧州・ユーラシア1,838万B/D(19%)であり、これら3地域で世界の石油の8割近くを消費している。残りの中東(10%)、中南米(8%)及びアフリカ(4%)の3地域を合計しても2割に過ぎず、石油の消費は先進地域(北米、欧州・ユーラシア)及び新興工業国が多いアジア・大洋州に偏っている。

 

 各地域の消費量と生産量(前回参照)を比較すると、生産量では世界全体の33%を占めている中東が消費量ではわずか10%であり、アフリカも生産量シェア9%に対して消費量シェアは4%に過ぎない。これに対してアジア・大洋州は生産量シェア9%に対して消費量シェアは34%と大幅な消費超過となっている。欧州・ユーラシアは生産量も消費量も19%で均衡している。また北米は22%(生産量)、25%(消費量)でありアジア・大洋州と同様消費量が生産量を上回っているがその差は年々縮小している。このことからマクロ的に見て、世界の石油は中東及びアフリカ地域からその他の地域特にアジア・大洋州に流れており、欧州・ユーラシアは地産地消型を維持、北米は近年域外からの輸入が減少、地産地消型に変化しつつあると言えよう。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行        〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇7

2016-06-27 | BP統計

 

(米国、サウジ、ロシア3か国が鎬を削る時代に突入!)

(4)主要産油国の生産量の推移(1990年、 2000年、2015年)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-2-G03.pdf 参照)

 産油国の中には長期的に見て生産量が増加している国がある一方、年々減少している国もある。ここでは米国、サウジアラビア、ロシア、中国、イラン、イラク、UAE、ベネズエラ及びブラジルの9カ国について生産量の推移を見てみる。

 

 米国は1980年代半ばまで1千万B/Dの生産量を維持していたが、その後は年を追う毎に減り1990年には891万B/D、さらに2000年には773万B/Dに減少している。そして2008年にはついに678万B/Dまで落ち込んだが、同年以降石油生産は上向きに転じ2015年には1,270万B/Dとサウジアラビア、ロシアを抑えて世界一の産油国になっている。米国の2015年の生産量は2000年の1.6倍である。

 

 サウジアラビアの生産量は1990年の711万B/Dが2000年には947万B/Dに増加、2015年は1,201万B/Dに達している。これは1990年比1.7倍という顕著な増加である。ロシアの石油生産は1990年に1千万B/Dを超えていたが、ソ連崩壊の影響で90年代は急減、2000年の生産量は658万B/Dに落ち込んだ。しかし同国はその後再び生産能力を回復し2015年は革命前を超える1,098万B/Dを記録している。

 

 中国、イラン及びUAE各国の1990年、2000年、2015年の生産量を比べると1990年から2000年の間は3カ国とも同じような増産傾向を示している。即ちイランの場合は327万B/D(1990年)→385万B/D(2000年)で、中国は278万B/D→326万B/D、UAEは228万B/D→266万B/Dであった。しかし2015年の生産量は中国が431万B/D、UAEが390万B/Dで共に2000年を超えているにもかかわらず、イランは392万B/Dにとどまり、中国及びUAEに追い抜かれている。これは欧米諸国による石油禁輸政策の影響である。

 

 イラクは1979年には350万B/Dの生産量を誇っていたが、1980年代はイラン・イラク戦争のため生産が減少、1990年の生産量は215万B/Dに落ち込んだ。更に1991年の生産量は湾岸戦争のため134万B/Dになり、経済制裁の影響で100万B/D以下に激減した年もあった。2000年には261万B/Dまで回復したものの、2003年のイラク戦争により再び低迷した。近年漸く生産は上向き2015年の生産量は403万B/Dと往時の生産量を超えている。

 

 ベネズエラは1990年の224万B/Dから2000年には1.4倍の310万B/Dに増加した後、2015年には逆に263万B/Dに落ち込んでいる。これと対照的に1990年以降の20年間で生産量を急激に伸ばしたのがブラジルである。同国の1990年の生産量は65万B/Dでベネズエラの3割程度に過ぎなかったが、2000年には1990年の2倍の127万B/D、さらに2015年には253万B/Dに急増、1990年の4倍に達している。

 

(石油篇生産量完)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行        〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(6月27日)

2016-06-27 | 今日のニュース

・露Rosneftのシベリア油田20%を中国が買収。プーチン大統領と習主席が会談

・LNG市場は今後5年間供給過剰、スポット市場拡大:カタールQNB銀行レポート

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の各社プレスリリースから(6/19-6/25)

2016-06-25 | 今週のエネルギー関連新聞発表

6/20 JOGMEC 露国営企業との石油開発事業の相互協力に関するMOU締結~エネルギー資源の豊富な近接国企業との関係強化~ 
6/22 伊藤忠商事 CITIC Resources Holdings Limitedとの石油・ガス開発分野での協業強化に向けた覚書の締結について 
6/23 出光興産 6月22日付の一部報道について 
6/23 石油連盟 木村 石油連盟会長定例記者会見配布資料 
6/24 経済産業省 LNG産消会議2016の日程を変更します 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(6月25日)

2016-06-25 | 今日のニュース

・英国のEU離脱のニュースで原油価格6%下落。Brent $48.61, WTI $48.01

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースピックアップ:世界のメディアから(6月24日)

2016-06-24 | 今日のニュース

・昨年のOPEC、生産量1.7%増にもかかわらず、売り上げは10年来の低水準

・米国の生産・在庫減で原油価格50ドルを維持。WTI $49.95, Brent $50.85

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費量でインドに追い抜かれた日本:BPエネルギー統計2016年版解説シリーズ:石油篇6

2016-06-24 | BP統計

(OPECは生産シェアにこだわるのか!)

(3)石油生産量の推移とOPECシェア(1965~2015年)

(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/1-2-G02.pdf 参照。)

1965年の世界の石油生産量は3,180万B/Dであったが、その後生産は急速に増加し、1980年には6,296万B/Dとほぼ倍増した。その後価格の高騰により石油の消費は減少した結果、1985年の生産量は5,746万B/Dにとどまった。1980年代は石油の生産が歴史上初めて長期にわたり減退した時期であった。

 

 1990年代に入ると石油生産は再び右肩上がりに増加し始めた。そして1995年(6,800万B/D)以降急激に伸び2000年に7,492万B/D、2005年は8千万B/Dを突破して8,190万B/Dに達している。これは中国、インドなど新興経済国の消費量が急増したことが主たる要因である。その後2000年代後半は原油価格の急騰とそれに続く景気後退で石油生産の増加は一時的に鈍化したが、2010年代は再び増勢に転じ2015年の生産量は9,167万B/Dに達している。

 

 地域毎のシェアの変化を見ると、1965年は北米の生産量が32%でもっとも多く、中東26%、欧州・ユーラシア18%、中南米14%、アフリカ7%と続き、アジア・大洋州は3%とシェアが最も小さかった。しかしその後北米の生産が停滞する一方、中東及び欧州・ユーラシア(特にロシア及び中央アジア各国)が急成長したため、現在(2015年)では中東のシェアが33%と最も高い。北米は1980年代には欧州・ユーラシア地区にも追い抜かれ2000年代半ばまでその状態が続いたが2015年のシェアは21%となり再び欧州・ユーラシア(19%)を上回っている。これはシェール・オイルの生産が急増したためである。

 

 石油生産に占めるOPEC加盟国のシェアの推移を見ると、1965年は44%であり、第一次オイルショック(1973年)前には50%近くに達した。しかし80年代前半にシェアは急落し85年には30%を切った。その後80年代後半から90年代前半にシェアは回復し、95年以降は再びシェアは拡大して40%台のシェアを維持している。但し2005年のシェア(43%)をピークに2015年は42%とやや下がっている。

 

 昨年後半から石油価格が急落する中でOPECは価格よりもシェアを重視する方針を打ち出している。これは近年急激に生産を拡大してきた米国のシェール・オイルの追い落とし策と考えられる。このため今年に入ってOPECのシェアは上昇したものと思われる。さらに昨年のOPEC総会でインドネシアが、また今年6月の総会でガボンの再加入がそれぞれ認められた結果、数字上のOPEC加盟国の世界シェアはアップする。しかし原油価格の下落に直撃されていずれのOPEC加盟国も財政状況が極めて厳しい。したがってOPEC加盟国がいつまでもシェア維持で結束できるかは疑問である。またインドネシアはかなり以前から石油の純輸入国であり、OPEC「石油輸出国機構」の名にそぐわない。今やOPECは内外でその存在意義が問われているようである。

 

 世界の石油生産の今後について需要と供給の両面で見ると、石油と他のエネルギーとの競合の面では、地球温暖化問題に対処するため太陽光、風力などの再生可能エネルギーの利用促進が叫ばれている。さらに石油、天然ガス、石炭の炭化水素エネルギーの中でもCO2排出量の少ない天然ガスの人気が高い。このように石油の需要を取り巻く環境は厳しいものがある。その一方、中国、インドなどのエネルギー需要は今後も拡大するとする見方が一般的である。基幹エネルギーである石油の需要は底堅く、今後も増えていくものと予測される。

 

 供給面で特筆すべきことはシェール・オイル、サンド・オイルなど「非在来型」と呼ばれる石油が商業ベースで生産されるようになり、特に米国におけるシェール・オイルの生産には目を見張るものがある。このような技術的要因に対して政治的・経済的な要因についてはイランに対する経済制裁が緩和され同国の生産は急速に回復している。その一方でリビア、ナイジェリア、イラク等の有力産油国の治安悪化など相反する要因がある。また経済的には石油価格の変動が及ぼす要因がある。特に米国のシェール・オイルは石油価格に敏感に反応し、スイング・プロデューサーの役割を果たすと考えられており供給面における不確定要素は少なくない。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行        〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする