息子のために精一杯のもてなしをする蓮子さん。これが最後の晩餐か…と覚悟もしていたでしょうね。戦争には反対していた蓮子さんですから、本当は戦地になんかに行かせたくなかったのです。行かないで…という言葉を必死にこらえ、再び任地へと送り出します。本当に切ない別れです。
東京は、1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空襲を受けました。
1945年(昭和20年)2月26日,2月28日特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だったようです。
花子の住む大森区・蒲田区(現在の大田区)も4月15日に空襲・機銃掃射が襲います。
その時の被害は、死傷者4004人、約22万戸もの家屋を焼失したそうです。
焼夷弾の降るなか、花子は必死に逃げるのですが、その手にはしっかりあの原本と辞書がありました。これだけは守りたいという必死な思いが、花子と原書を生かしたのでしょうね。この原書が焼失していたら、"Anne of Green Gables”は世の中に出なかったのです。