たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

山清(サンジョン)へ  韓国旅行 (5/11)

2014年06月20日 | 海外旅行
海印寺(10:10発)→コチョン(10:55着)(11:35発)→山清(12:35着)  計 9310ウオン
                       
「コーヒーでも飲んでいって下さい」

ハルモニに薦められたが「バスの時間なのでご厚意だけ頂戴します」と言うと

慌ててスティックコーヒーを二つ掴み持たせてくれた
 
バスの待合所では私達に宿を紹介したハルモニが観光客が来るのを待ち構えている
     
私達の顔を見るとニヤリと笑った

コチョンは発音が難しい

宿に遊びに来ていたハラボジに雄さんは発音の訓練を受けていたが

コチョンでは駄目、コチャンでも駄目、文字に表す事も難しい

案の定、切符売り場で乗車券を購入する段でスッタモンダしてしまった

山清は漢方薬で名高いと言われているが小さな山間の町だ

だが世に名高い智異山登山の拠点でも有る為その看板だけが煩いほど賑やかだった

私達が登る黄梅山(ファンメサン)は片隅に追いやられている感じだ

日本で調べたところに寄ると黄梅山行きの郡内バスが此処から出ていると言う事だったが

バスターミナルで調べてもそれらしき表示が見当たらない

私達は途方に暮れ一軒の民間観光案内所らしき建物に入った

留守の様だったので暫く待っていると8人のアジョシ、アジュンマが入って来たので

「黄梅山へのバス、ご存知ですか?」と問うと

事故が有ってバスは行っていない、花も今年は咲いていないと言う様な事を

身振り手振りで説明してくれたが

実際、8人が口々にそれも早口で言うものだから全く理解不能だった

仕方なく此処は諦めて次の目的地まで行ってしまおうかと話しながらバスターミナルに戻ると

相向かいのタクシー会社が目に留まった

聞くと「バスは出てないけどタクシーなら行けるよ 花?咲いてるよ」との事

それではと民宿が有る所まで送って頂く事にした

最奥のシンジョンマウル(シンジョン村)まで25分、25000ウオン

ヨンファサンソン(映画山荘)と言う名の山荘だ

写真は山荘のご主人(左)と宿泊不可だった場合、客を放って置いて帰ってしまう訳にはいかないと

交渉に付き合って下さったタクシーの運転手さん(右)

結果、一泊50000ウオンという事だったので2泊をお願いした






案内された部屋は左の建物だったが暗い印象だったので右の建物を見せて頂くと

チェックアウトしたばかりの様で部屋はゴミや布団がそのままで散らかり放題

それでも、とても明るい部屋だったので掃除が済むまで待つ事にした

しかし幾ら客とはいえ散らかしっぱなしでチェックアウトするなんて 

日本には立つ鳥、後を濁さずと言う言葉が有る

連泊の場合、毎日掃除が入る訳だがそれでも出かける時には片づけだけはしたいものである

それがマナーと言うものではないだろうか


キッチン付きだが材料調達していないので今回はお飾り

だだっ広い部屋はテレビ、机、布団が有るだけの、如何にも韓国風の殺風景な部屋だ

部屋の鍵は無い、オーナー言うに此処では必要ないんだそうだ




夕方、登山口の確認をしながら山荘の裏手に行ってみると

ツツジと林檎の花が咲き誇っていたが

ここで満開という事は山はどうなんだろうと不安になる

どうか咲いています様に 






今日は日曜日、登山帰りに寄った客のマイクを通した歌声が離れの部屋までガンガン響いてくる

山荘は忙しいらしく頼んだタオルとツッカケが中々届かないので夕食がてら頂きに出かけると

コーヒーでも飲む?と言ってオーナーが一杯ずつサービスしてくれた

傍らでは職員が焼く貝の香ばしい匂いが漂っている

恨めしそうに見ていた訳ではないが又、オーナーが来てその内の二匹を私達に下さった

半分、生焼けの部分も有り少々生臭かったが折角の行為

後で胃腸薬を飲む事にして有り難く頂戴する事にした




こちらはオーナーの奥さん

オーナーが気が良い人で有れば奥さんはシッカリ者

まぁ、釣合が取れた似合いの夫婦と言えよう

後日、奥さんに「いい旦那さんで幸せですね」と言うと顔をしかめて

「とんでもない、嫌いだわ」と・・・心にもない事を


山帰りの人達との間に国境はない

ごく自然に融け合う事ができるのが嬉しい

そして此処の職員ともスッカリ仲良くなってしまった




続く



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二度目の失敗 (韓国旅行)

2014年06月18日 | 海外旅行
昨夜の事

シャワーを浴びた雄さん、ドライヤーを使おうとスイッチオン

プツッ 

海外使用の切り替えがしてなかったのです

使えない物を持っていても仕方ありませんから一端はゴミ箱に捨てたものの

ちょっと待てよと取り出しまして

携帯のドライバーセットで分解し線を繋ぎ合わせてお見事使用可に

と、その時ドアを叩く音がしました

開けますとハルモニがトイレットペーパーを持って立っていたのです

未だ沢山あるのに・・・ハハァ、ボイラーの件だな?と直感しました

実は、先ほどシャワーのお湯がぬるま湯で使用するにつれお水になってしまった為

言いに行ったところボイラーを炊くのを忘れてしまったらしいのです

こちらは気にしていませんでしたのに、きっと申し訳ないと思ったのでしょうね

そしていきなり昔九九を習った事があると2x2=4・2x3=6・・・と言い始めました 

これも「字は書けないけど九九は言えるのよ」と言う事をアピールしたかったのかもしれません

「ハルモニ 凄い」と手を叩きますと何処か懐かしい笑顔を残して帰って行ったのです


ハルモニ ボイラーを炊くのを忘れる事だって有りますよ 人間ですもの

ゴミ箱に前の客が捨てたゴミがそのまま残っていたのも御愛嬌

でもハルモニの笑顔を見ていると全て許せちゃうのよね

それよりも今日は客が3組、良かったね

ここでの2泊の滞在はきっと私の心から消える事は無いでしょう

ありがとうございました

そんな事を考えている内に何時の間にか私は心地良い眠りについたのでした


(久し振りにパソコン画を描きましたので余り上手くいきませんでした)


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伽耶山サンワンポン (韓国の旅)

2014年06月17日 | 海外旅行
登山口(11:00)昼食(13:00)ポンジョンテ(13:56)サンワンポン山頂(14:00)下山(15:30)→休憩含む


海印寺の見学も粗方終わったので

寺の上に頭だけ見えていた伽耶山の全容が見える所まででも歩こうかと登山道に向かった

左に音を立てて流れる渓流が右に流れを変える辺りに

入山者名簿が有ったが登頂する気も無かったので記帳せずにそのまま緑の中に分け入る


後方から男女6名の登山者が私達を追い抜きながら

「何処まで行くんですか?」と声を掛けた

行ける所まで行ってみようかと思っていると言うと「お先に」と言って速足で登って行った

何せ飲みかけのペットボトル一つと

宿の向かいの食堂で作って頂いたキムパプしか持ち合わせがないのだ

30分ほど緩登すると先ほど追い抜いたグループが休憩をとっており

私達が通り過ぎようとすると「ミニトマト食べませんか?」と差し出す

有り難く頂戴し少しばかり会話を交わして別れたが

それからは後になり先になり声を掛けたり掛けられたり






登山道の両側がツツジの群落に包まれると

いよいよ勾配もきつくなり足元も岩交じりに変わった




もう時刻は1時になろうとしている

スタミナ切れで主人の後に付いて行くのもしんどい

主人が先に行き格好の休憩場所を探してくれていた

やれやれ

このキムパプ、結構なお値段だなと思っていたら何と4本分入っていたのだ

「あの食堂の若主人、英語が堪能だったね 韓国語話すより会話が進んだのじゃない?」

なんて事を言いながら取り敢えず2個分を食べ再び歩き出す


階段を登り詰めるとようやく伽耶山のサンワンポンが見えてきたが相変わらず木の向こう

私を思いやっての言葉なのだろうが「此処まででいいかな」と主人

「もう少し行こうよ」と私

ただ、ここの景色は素晴らしかった

暫く眺めカメラを向け息を整えてまたガンバロウ 










しかし、ここからがキツカッタ

旅行前に20日間余り寝込んだ事が私の体力にかなりヒビイテいる様だ

下山の女性がどんなマスクをしていたか、この時 私は気付かなかったが

後で主人が写した写真を見て思わず吹き出してしまった

この先の旅行中、街の中でも、こんなマスクをした人に かなり出会う事になるのだが

中には男性も着用しているのには驚くばかり

それにしても私の格好


ポンジョンテと言う伽耶の19名所である大岩に出たとき

急に視界が開けサンワンポンは目の前に迫ったいた



とてつもなく




そしてまさか来るはずでなかったサンワンポンの頂に立てたのだ

因みに伽耶山はここから4時間以上先、とてもとても行ける距離では無い


私達はお水も十分な量が無いため早々に下山する事にしたが

丁度その時、先になり後になって登って来たグループがやってきたので

「皆さんのお蔭で予定外の頂上に立つ事が出来ました」と手を付けなかったキムパプを渡すと

お礼にマッコリ(軽い酒)を下さった

さぁて下山開始

「何してんだよ」「だって、この岩 滑るのよ~」




登る時は夢中だったので気付かなかったが

とてつもなくデッカイ一枚岩が有った

登ってみると願望よろしく折り重なるような山々が遥か彼方にまで続いているのが一望できる

去りがたい場所だったので暫く休憩を取りましょうか






ツツジの群落を抜け林間を歩く様になれば山道もグッと歩きやすくなる

ノンビリ歩いていると山岳ツアーの団体が足早にやって来た

この人達に限らず韓国の登山者は歩くのが早い

足元に咲く可憐な花たちに目を向ける者など殆ど居ない

お先にどうぞどうぞと道を譲った


登山口に帰り着いたのは3時半頃だったか

前方から庵主さんが・・・どこへ行くのだろう


夕食は宿の隣の例の食堂で

何故か子供に好かれる主人

ここでも子供たちが寄ってきて離れない

ところが両親はと言うと「お食事中、申し訳ないですね」でもなく

帰りには私達夫婦を横目で一瞥するとそのまま食堂を出ていった

反日? ふとその二文字が浮かんだ


出会った花々

    


  


  


  


  

  


                                         
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韓国三大名刹・海印寺(世界遺産) (韓国旅行)

2014年06月15日 | 海外旅行
今日は海印寺(ヘインサ)へ


出店を通り

宿から20分程の道のりで山門の解脱門だ






解脱門を潜り


なおも潜る


更に潜る




息を切らせて上り詰めると石塔や伽藍が点在する中庭に出た

小学生の課外授業だろうか

先生を先頭に緑や赤、ピンク、黄色の旗の間を手を合わせ何度も何度も回り歩いている

日本には無い小さい内から先祖を敬う心、それを育てる姿を恨めしく見つめた








最上段には蔵経板庫が有りここには木版経典や八方大経典が収められているという

それを目にする事は出来ないが、ここから見下ろす複雑に入り組んだイラカの美しさは実に素晴らしかった










お堂内部、その傍に伽耶山から流れ出た甘露水が有り私も有り難く一口頂戴させて戴いた

大木は新羅の時代のチョーチオンが植えた物

チョーチオンは昨日バスで通ってきた伽耶の出身で琴造りの名人なのだとか

因みに伽耶は皇室の先祖がここから来た事を小説で読んだ事が有ると主人は言っていた

とてもとても想像できない山間の鄙びた場所だ






いきなり「ソンセニムン チェイル ハングㇰ サラミエヨ?(在日韓国人なのか?)」

海印寺の案内人に呼び止められた

主人の話す韓国語を耳にして、たどたどしさが感じられたのだろう

案内人「ヨギェヌン メイル イサンペンミョン カングァンケキ チャジャオゲスミダ

これを日本語ではどうに言いますか?」

主人「ここには毎日2~300人の観光客が訪れます・・と言います」

案内人「貴方は本当にオリジナル イルボン(日本人)ですか?」

主人「えぇ、日本人ですよ」

案内人の言葉はすべて韓国語だが後で主人が私にオリジナル イルボンか?だってよと笑いながら話す


その頃、私は別の女性に声を掛けられていた

逆にオリジナル 韓国人ですかと言いたいくらい違和感の感じられない日本語の堪能な女性だった

「日本にいらした事が有るのですか?とてもお上手ですね」と言うと

「とんでもありません、私は一度も日本へ行ったことがないんですよ

娘が現在、東京の学校で学んでいるものですから私も少しずつ始めているんです」と言う

他人との日本語は久しぶりだったので主人が主人なら私は私で花が咲くほど話し込んでいた


中庭に戻ると未だ若い僧が交代で大太鼓を鳴らしていた

写真を写させて頂いても宜しいですか?と聞くと「どうぞどうぞ」

未だアドケナサが残る顔が可愛い僧達だった










時刻は未だ11時を回ったところ

これからどうしよう


続く



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海印寺へ(韓国の旅) 5/9

2014年06月13日 | 海外旅行
チャガルチ市場(10時25分)~釜山西武バスターミナル(11時着)(11時半発)~大邱(13時半着)(14時発)海印寺(15時20分着)

西武バスターミナルまで(61番のバス)→ @1500ウオン

大邱まで(3番のバス)→ @9900ウオン

大邱~海印寺まで(市内バス)→ @7100ウオン+入山料3000ウオン



朝食はバイキング形式で上品な味付けに大変満足

が、落ちついて食べているわけにはいかない

どうしても交換機を釜山で手に入れないと次は晋州迄、手に入れる事が出来ないのだ

電気店はロッテホテル近くとの事なのでホテルに荷を預かって頂き身軽でロッテホテルを目指す

数人に尋ねた結果、この住所は地下街と言う事だった

教えられた通り地下街に下りプリントアウトして下さった住所に行くと何と何とそこは衣料品店

10時前だったので未だシャッターを下ろしている店の方が多かったが開いている店も有ったので

尋ねると一緒に探してくれたが、やはり住所はそこに間違い無いと言う

ホテルマンがプリントアウトしてくれた情報が古く新情報は未だ登録されていなかったのだろうか

そこへ偶々地下街の警備員さんが通りがかった

尋ねるとやはり同じ場所に連れて行かれるので事情を説明すると

思い当たる節が有るのか私に付いて来て下さいと言う

一旦、大通りに出て少し歩いた先の国際ビルディングの前で警備員さんは足を止め

もしかしたら、この中に電気店が有るかも知れないと言われた

ホテルを出てこれまで長時間スッタモンダしたが最後まで諦めず助けてくれたのだ


隔して交換機を手に入れた私達はホテルで釜山バスターミナル行きのバス乗り場を聞き

教えて下さった市場方面の通りへ急ぐ

市場近くの通りでバス停を探していた時ふと振り返ると後方からバスが

窓を見ると教えていただいた61番が表示されている

思わず手を挙げてバスを止めてしまった私

そのお蔭でその後のテグ(大邱)ヘインサ(海印寺)への接続がスムーズにいく事になったのだが

小母さんパワーと笑われそう 

海印寺着15時20分

バスを降りると待ち構えていた様に一人のハルモニが私の所へやってきて

「宿は決まっていますか?もし未だなら良い所を紹介するよ 一泊35000ウオン、安いだろ?」

とヒツッコク詰め寄る

冷たく断るのが苦手な私は主人が傍に居なかった事もあり、ついOKしてしまった

案内された宿は「ヒョンデチャン」

壁の塗装こそ最近した気配は有るがお世辞にも快適とは言えなそうな建物だ

マッ、シャーナイ

2泊の手続きを済ませケサンソ(計算書→領収書)を下さいと言うと宿のハルモニが急にソワソワし始めた

チェコで領収書を貰わなかったばっかりに(解決したが)日にちを間違えられてしまった嫌な経験が有るので

私たちは必ずそれを頂く事にしている

偶々遊びに来ていたハラボジが「後で渡すよ」と言っていたので

時間も中途半端な事も有りバスの窓から眺めた渓谷を歩く事にした

*ここの部屋には鍵が無い、ハルモニは「大丈夫だよ、私が何時もいるから」と言うが




渓谷に向かう途中、目にした燃料の価格

上からガソリン、軽油、灯油だが日本より高値

韓国の経済からすると非常に高い


この時期の緑は実に美しい

白い岩を滑るように流れる滝の数々は悩み事が解決した後と言う事もあり

その白さが一層 際立って見える




渓谷の中ほどで今も稼働している水車を見つけた

案内板によると1950年代チイン村の住民が発電を行う為に設置したものだとか




ヒンヤリした空気の中を再び歩き出すとまた渓谷沿いの道となった

午後の陽を浴びた水が川面に踊る

白い岩は一層、輝きを増した








おや?この“下心” 一体何を意味するのだろう

状況から判断すると下に気を取られていると木の枝にぶつかるよとでも?


未だ先は有るようだがこの辺りが潮時かもしれない

とっても匂いの良い花が続く小道に一匹の蝶が花の蜜を吸いにやってきた

クロアゲハとは少々違う大きな蝶だ


対岸に海印寺の分院かどうかは定かではないが こじんまりとした寺が懸崖造りで建っている

外から眺めただけだがコジンマリした中にも厳かな感が伺えた




来る者 去る者


途中、遊歩道から通りに出て海印寺の入り口まで行って見る事に

もう、6時でそろそろ売店も店終いを始める頃だった

それでもハルモニやアジュンマ達が私達の姿を見ると「これ美味しいよ、土産にどう?」と声を掛けてくる

旅の途中だからと言ってもかなりヒツッコイ

引き返す後ろでイルボン・イルボン(日本人)と声が追いかけてきた


宿に戻るとハルモニが嫁の所に一緒に行ってくれるかと声を掛けて来たので主人が付いて行くと

その嫁に領収証を頼んでいたと言う

要するにハルモニは字が書けなかったのだ

早くそれが分かっていたら無理は言わなかったのに・・・

夕食は隣の食堂で(この店もバスを降りた時にやってきたハルモニが紹介した店だ)

それにしてもビビンパプの入れ物がボールとは、、、値段もちょっと高かったかな?

金額はドンドンチュ(どぶろくの様なもの)を入れて25500ウオン





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