たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

思い出に残る山(3)槍ヶ岳登頂

2017年02月17日 | 心に残る思い出の山
続き


入山、二日目の朝

東の空が明るんで、いよいよ御来光の時が来た

眼下は今朝も一面の雲海だ、太陽が姿を見せるにつれて

その雲の海が紅く染まっていく

~略~

テントを撤収して、いよいよ今回の山行の目的地

槍ヶ岳へ歩を向けた


直ぐに長い梯子で水俣乗越への下降が始まる

下って下って呆れるほど下る

下りきって今度は東鎌尾根への登りが始まった

ロープや梯子、鎖の手を借りてジリジリと高度を上げ

はい松と荒涼とした岩肌が迫って来ると、いよいよ痩せ尾根となり

そこが東鎌尾根だった


一寸歩いては一息つき天空を見上げる登りが始まる

目指す槍ヶ岳は本当に遠い




突然、本当に突然 目の前に憧れの槍

ヒュッテ大槍に辿り着いた時だった

ガスの切れ間に今まで槍が穂先を点に突き上げ

~略~

その直後、アッと言う間に槍ともども周囲の眺めも失せ

束の間の面会は閉ざされてしまった


ちょっと怖そう、でも何とか登りあげました

        

槍下山の写真ですがクリックして頂ければ拡大します

終に憧れの一万尺の穂先に立った

しかし絶好の展望を誇る頂は四方どちらを見ても乳白色

~略~

下山は登りより緊張した、雄さんの右、左の誘導に助けられ

2時50分、無事下山 改めて仰ぐ槍は相変わらず上半身を隠したままだが

あの急峻な岩を登ったのだと思うと感慨もひとしおだった


この日の夜は大荒れの天気

シュラフの中で震えながら、ふと喜作さんの無念の風かなと思ったものでした






これは後半の山行を共にした清水市のY氏から送られて来ました手紙です

奇遇にも横浜の某本社で技術研究していた私の長兄と同じ職場で働いていたと

いう事も有りY氏とはその後、ずっと手紙のやり取りが続きましたが

八年後、病に倒れ帰らぬ人となってしまいました

それが何としても残念でなりません




Y氏自作の版画絵を最後に載せて槍ヶ岳の章を終わりにしたいと思います

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長文になってしまいました

最後まで読んでいただきまして本当にありがとうございました

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思い出に残る山(その2)槍ヶ岳

2017年02月15日 | 心に残る思い出の山
今回は槍ヶ岳を選んでみました,私のアルプスデビューです

1988年8月(山中3泊)

かなり省略して有りますが青字は当時の日記です


中房温泉から入山して第一ベンチ、第三ベンチ、富士見ベンチを過ぎ

漸く辿り着いた合戦尾根で名物のスイカ(一切れ400円)は

疲れた体を蘇らせる味でした

あれから29年、名物のスイカは今でも売られているのでしょうか

・・・・・やっと辿り着いた合戦の頭で一気に展望が開けた

私達はリュックをおろし休憩をとった、休憩を取ったと言うより

へたり込んでリュックを投げ出したと言った方が良いかもしれない

すると先ほど駆け下って行った若者が荷物を背負って

まるで平坦な道を歩いている様な足取りで戻ってきた

「げんきですねぇ何処まで行くんですか?」雄さんが声を掛けると

「大天井です」と応えまた元気に通り過ぎて行った

この差は若さだろうか、テントを担いでの重い荷物のせいだろうか

私達はそのバイタリティに只ただ唖然として見送った

そしてそんな若者のエネルギーをつくづ羨ましいと思った

頭上には水色の澄んだ空が広がっていた


私達がヨレヨレにみえたか上から励ましの声が聞こえてきました

「もう少しで燕山荘ですよ~~頑張って~~」

顔を上げると霧の掛かる尾根に人影が小さく手を振っています




燕山荘はまるでお伽の国のお城の様な佇まいでした

「ウワー凄い」私の叫びに目を覚ました雄さんがテントから這い出してきた

「苦労して登って来ると言うのは、これなんだな」と灌漑無量でつぶやく


右に花崗岩が林立する燕岳が有り目指す槍・武尊の連峰が

このまま雲の上を渡って、歩いて行けそうな気にさせる

分厚い雲の彼方にどっしりと構えている


後ろの岩のレリーフはこの山行のきっかけを作ってくれた小林喜作さんです


私は山本茂美著「喜作新道」を読みいよいよアルプスへの憧れが強まりました

北アルプスと言えば嘉門次さんも有名ですが喜作さんの

素朴な人物像に魅かれ繰り返し繰り返し読んだ記憶が有ります

この時に登場した常さん(内野常次郎)で面白いエピソードが有りました

秩父宮妃がアルプスを訪れたおり、この常さんが妃殿下の事を

「おかみさん」と呼んでしまいました

さぁ、世が世でも有りお付きの人達は相当、慌てました

その時に妃殿下が発した言葉が「常さんは、おかみさんで宜しい」

これは欲も得も無い常さんの人徳と言うものでしょうか

喜作さん、常さん、嘉門次さんの名はアルプスに欠かせない人物ですね


大天井からダケカンバ、ハイ松の樹林帯を抜け出た稜線は

幅広の尾根道となりたった今、歩いてきた道が白く弧を描いて見えた

人間の足の一歩一歩は凄いものだと改めて思った瞬間であった

(行く手に見える山は赤岩岳です)


「対岸に見える山が常念岳、その脇に小さく見える小屋が常念小屋」そう教えて

くれた燕岳から付かず離れずして来たY夫婦との縁はこの時から始まりました

次にテントを張る西岳はもう一踏ん張り

私達は初めて見る雷鳥に興奮し石楠花の美しさに見とれ

西岳ヒュッテに着いたのは3時15分だった

先ずはテントを設営し小屋で1リットル100円の水を

水筒に入れ夕食の準備に取り掛かった

隣りの男子学生のパーティはシチュウを作ると言って後輩が

慣れない手つきでジャガイモの皮を剥いている

刻々と暮れなずんで行く谷の向こうに常念岳が薄墨色のシルエットを

見せていた。その脇には小屋の灯りがマタタキ始めた

灯りと言う物は何故か心を落ち着かせるものだ

そして一寸した感動も与えてくれる

私達は感動の中で暫くその光景を佇んで眺めていた

大分、つらつらと長くなってしまいましたので

槍ヶ岳登頂は次回に書きたいと思います

よって本日もコメント欄はクローズさせて頂きました

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待てば海路の日和あり (カオジロガビチョウと判明)

2017年02月13日 | 

何か動いた!

ノンビリと福寿草見物にやって来た様です

「君の名は?」とtakeさんを真似て


ついでだから一風呂浴びて行こう、たかさんも如何ですか?

と誘われましたが何の報奨金も無く・・・嫌ですよねぇ


一風呂浴びた後は木陰で寛ぎタイムだそうです


メジロやシジュウカラ等を追い払うヒヨドリが、どうしたのでしょう

遠巻きにジッとその様子を見つめています

ヒヨドリにも叶わない天敵がいるのでしょうか、意外ですね


午後にやってきたのはツグミ

何を突いているのか土の上を行ったり来たり






気の早い虫が啓蟄を待たずにノッソリ出てきたのかもしれませんね

どうぞどうぞ、たんとお食べ下さいまし


そう言った私に気付いたかサササ―ッと身を隠しました

でも頭隠して尻隠さず

♪ 大きなお尻が見えてるよ

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この寒さも気象庁を信じれば明後日から少し緩む様です

そうしたら私も何処かへふらりと行ってみよう

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♪ 雪が降って来た ほんの少しだけれど

2017年02月11日 | 自然
日本全国、またまた寒波が居座ると言います

1月9日、この日、雪の予報が出ました


13時過ぎついに細かな雪が落ちて来ました


そして16時半、薄っすらと庭に化粧を始めました

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1月10日




目覚めれば

夜半まで降り続いた雪は周囲の景色を一変させておりました

朝焼けが道をホンノリと道を染めているのも美しいものですね




何だか別の景色に見えます


雪花


嫌われ者のセンダングサ(?)も雪を纏えば中々の美人さん


夕暮れて満月が東の空から顔を出しました

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2月11日 建国記念の日

建国記念の日とは解った様な解らない様な祝日ですが

では何時に定めるか、お偉方の間で議論が交わされた様ですが

結局、神武天皇が即位した日という事で話が纏まった様です

以前は紀元節と言う言葉が使われていた時代も有りましたよね

その2月11日は荒れた世を象徴するかの様な北風が吹きすさぶ一日でした




漸く2月も中旬に入りました

しかし3月の声を聞くまでは空っ風との戦は続きます

これは群馬の宿命

暫くは薄っすらと残る畑の隅や庭木の陰の雪も消える事は無いかと

本日、コメント欄は閉じさせて頂きました

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思い出に残る山(その1)尾瀬・赤城・妙義

2017年02月09日 | 心に残る思い出の山
過去に登った山々の中から思い出に残る山をピックアップしてみました




1987年7月 尾瀬ヶ原

私にとって尾瀬は初めてで有り娘の登山デビューでも有りました

水芭蕉は既に無くドデカイ葉が木道の脇に密生するばかり

この日は山の鼻にテントを設営し

翌日は歌に歌われた尾瀬の良さを心行くまで満喫致しました

風に揺れるニッコウキスゲの奥に聳える燧ヶ岳を知ったのもこの時でした






1988年5月4日 赤城山

大沼までの林道は数日前に振った雪で除雪がされておらず

少し広くなった場所に車を置き登山口までの長い距離を歩く羽目になり

そんな事で登山を開始したのが既に1時を回っていました

時に膝まで有る雪に時々足を取られながら辿り着いた猫岩

指差す先に見えるのは駒ヶ岳、黑檜山頂は未だまだ先です

「今日は此処までか」

一寸ばかり後ろ髪を引かれはしましたが仕方有りません

それ以上に雪山は楽しいものです、何しろ童心に返れます












1987年11月20日 山歴に汚点を残した裏妙義山

この日は暖かな登山日和でした

丁須の頭(ちょうすのかしら)から赤岩、烏帽子を廻る縦走コースが

この日の計画でした  だったはずでした

ところが

全てをクリアして、いよいよ登山も終盤に入った時

時々現れる鎖場に好奇心と恐怖を交錯させながら

三方境を通る時には日も西に傾き山の中という事も有り

辺りはグッと暗くなってしまったのです

そうした中、沢を超えるべきを

沢登り用のテープを頼ってしまったのが間違いの素でした

鎖も設置されてない滝を3か所、下る段になって

ようやくルート間違いに気付いた時にはもう遅すぎました






これは前略・後略ですが下山後の私の反省を兼ねた参考記録です

余りの天気の良さに丁須の頭で長居をしすぎてしまった事による

完全な失敗でした

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