聖書勉強会。月一・第四水曜日の『月例会』。
8月の暑さの中でも集まった。
『二人または三人がわたしの名によって集まるところには、私もその中にいるのである。』
…『イエスの御言葉』 マタイ福音書18-20
『5人(6人)の会』
キリスト教信者は私(カトリック)ともう一人(プロテスタント)。 五人は普通の主婦です。
私の友人が呼びかけて、お宅を提供して、5年程続く。
熱心に3時間。雑談などは全くなく、日本キリスト教会出版の手引きに従って、聖書を深く掘り下げる。
本当にまじめに『聖書』を学ぶ仲間の姿を見て、私はいつも頭が下がる
信仰を、これほどまでにまじめに考え&求める仲間の姿を見て、私はいつも、”この方たちこそ聖人だ!”と確信するのです
聖人とは、
使徒パウロがその多くの手紙の始まりで、「すべての聖なるものたちに」と呼びかけたように、
キリストに属する者となった人たちと同様に、
聖書の仲間を見ていて・・・生き方において高ぶることなく謙虚で、他の人物の模範となるような人物のことをさすのであろうと確信するのです。
そして。
今日は8月27日。年間第二十一主日。
『今日の第一朗読 神の御言葉』
『主は、宮廷を支配しているシェブナに言われる。
「わたしは、お前をその地位から追う。お前はその職務から退けられる。」』
イザヤの預言 22章19-23節
なんと恐ろしや!
神自らが与えてくださった地位と職務を、神自らがその人から取り上げることがあるのです!
どういうことか? と調べると・・・
『BC8世紀の終わり、ヒゼキアの時代に書記官としてユダ王国の宮廷を支配していたシェブナ(列王記下18-18)は、
自分のために立派な墓を建設したとして神からとがめられた。』
なるほど。 神は、謙虚でない人物を、その地位と職務から外す。ということです。
神の目に『立派な人』 は 『謙虚な人』 なのです。
『モーセ』 ミケランジェロ作品
『モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。』 民数記 12-2
謙虚な人は聖人なのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちも、謙虚になって・・・聖人のような、人生の勝ち組になりましょう!
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8月27日。今日の走距離 10Km
5時。ラン開始。 いつも出会う出勤する多くの人に、 ”暑い夏の通勤ご苦労様!”と、心の中で話しかける。
通勤者の方々がほとんどいない日曜日の今朝は、”8月最後の日曜日、ゆっくりして下さいね!”と心の中で呼びかけました。
8月の運動: ランニング 181㎞ 階段上り下り 0回 登山 2回