マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

登山再開・・・『アキノキリンソウ』 そして 『忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。』

2021-10-20 11:50:57 | 登山・ハイキング
10月20日。水曜日。晴れ。

花言葉には夢がある。

             『アキノキリンソウ』
    大好きな山々の道脇に咲いていた 『アキノキリンソウ』    懐かしい山景色です。


今朝のラジオから流れてきた。

      今日・20日の『誕生日の花』『アキノキリンソウ』
              『花言葉』『安心』 


    『安心』という花言葉に、一気に、私の心がとらえられました。
     人は、誰でも、いつでも、『安心』を求めるものでしょう。
      その『安心』を、何に? どこで? 見つけるのか。

            その花言葉になるほどに、
    『安心』は、『アキノキリンソウの姿』にあるということであろう。
             厳しい山の道ばたに、
        『ひっそり』と『喜びいっぱい』の姿です。
      この二項目が『安心』につながる重要要素なのでしょう。
         今朝もその生き様で語る花に教えられます。
           有り難いことです。感謝!感謝!

   
         アキノキリンソウの咲く山々が懐かしく、
         又 
         『安心』の花言葉に一目惚れ 一聞惚れして
            パソコンで調べてみると・・・
         『アキノキリンソウ』は昨日・10月19日の『誕生花』とある。
            放送局の間違いでしたね。どちらでもよしといたしましょう。

            懐かしい『かわいい花』
         

             山々 と そこに咲く花々


               写真だけでなく、
             リアルに現実の山と花に
              会いに行きます♡♡♡


       コロナ禍、更には緊急事態宣言で、
       二年間近く中止になっていた『登山』です。
       私の属する三つの『山中間』からお声がかかりました。
       大声おしゃべり禁止。食べ物のお裾分けなし。アルコール厳禁。
       マスクを外すのは食べ物を口に入れる瞬間だけ。 
              禁止がいっぱい。
       それでも、『山がそこにあるから・・・』、登山です。
         嬉しいですね。 感謝!感謝!


そして。

今日は10月20日。年間第二十九水曜日。

『今日の入祭唱』

   『父がその子を憐れむように、
  主は主を畏れる人を憐れんでくださる。』
      詩編 103章13節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
  
    「このことをわきまえていなさい。

  家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、
     自分の家に押し入らせはしないだろう。
      あなたがたも用意していなさい。
    人の子は思いがけない時に来るからである。」

そこでペトロが、
  「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。
       それとも、みんなのためですか」 と言うと、
主は言われた。
       「主人が召し使いたちの上に立てて、
   時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、
         いったいだれであろうか。

          主人が帰って来たとき、
    言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
           確かに言っておくが、
       主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

    しかし、
        もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、
 下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、
     その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
           彼を厳しく罰し、
        不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。

        主人の思いを知りながら何も準備せず、
       あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、
           ひどく鞭打たれる。
       しかし、
       知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、
           打たれても少しで済む。

        すべて多く与えられた者は、多く求められ、
        多く任された者は、更に多く要求される。」』
               ルカによる福音書 12章39-48節


      イエス様は、弟子たちに、忠告します。
  『主人の帰りを待つしもべのように、 いつも目覚めていなさい。』 と。


  『イエス様が人の上に立てて、人を導くことにした忠実で賢い管理人』
      は、いったいだれなのでしょうか?


    イエス様は、
    ご自分の『受難』と『御昇天』の後は、
    ご自分の『仕事』を弟子たちに任せました。
    そのイエス様は、
    いつか帰ってこられることを弟子たちに『約束』なさいました。


    実際は、
    すぐにお帰りになるだろうと期待した弟子たちや信徒たちの意に反して、
    イエス様はなかなか帰ってこられないのです。


    弟子たちは、
    そんな時、
    イエス様が生前にくださった『忠告』を思い出すのです。
       あなたがたも用意していなさい。
      人の子は思いがけない時に来るからである。』
    そして、
    段々、弟子たちは、イエス様の『忠告』の意味が、分かってきました。


       イエスの『再臨』はすぐのことではないが、
        突然に帰って来られるかもしれません。
          だから、いつも目を覚まして、
          イエスが突然帰ってこられても、
   イエスをお迎えできるように準備をしておかなければならないのです。


      すべての弟子たち、イエスが立てた指導者たちは、
      イエス様が来られるまでの準備として、
      自分たちは『福音』を守り、人に『福音』を伝える、
          責任があるのです。       
        『ひっそり』と『喜びいっぱい』 
     『イエスの忠実で賢い管理人』である必要があるのです。


      今のキリスト者も、『イエスの管理人』です。
      イエスの福音を守り、イエスの福音を人に伝える、
          責任を持っているのです。
       『仕事』を全うできるように祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『目を覚ましていなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。』
      マタイによる福音書 24章42&44節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
気候もグッと冷えてきて、登山日和の到来です。
皆様は登山はお好きですか?近所の自然の変化を楽しむのも楽しいですね。 お元気で!

『9月に飲んだお家ワイン』 そして 『主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。』 

2021-10-19 11:38:51 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。
10月19日。火曜日。曇り。
 
食欲の秋。
季節も良く、
ワインが益々おいしくなります。


      『9月に飲んだお家ワイン』 
 
               レオナルド・ダ・ヴィンチ: 『最後の晩餐』  
                   我が家の食堂にいつも同席してくださるイエス様とお弟子たち12人です。


         月は、いよいよ食欲の秋の到来で、赤10本。
        アルゼンチン(2)スペイン(2)フランス(2)チリ(4)


  昨日も今日も明日も、私なりに頑張る私です。
  朝5時から一日が始まって・・・
  夕方5時に一日の仕事を終えて、『アペリティフ・食前酒』です。
          『カクテルアワー』です。
     
          『ワイン・タイム』 です。

     それは
     オンとオフの時間を切り替える時間です♡♡
     自分の人生を豊かにするための必要不可欠タイムです♡♡
 

       食欲の秋・・・益々のワインの季節到来です。
        年を重ねて、
      時々は『超高級赤ワイン』の贅沢をしようかな♡♡
                       感謝!感謝!


そして。

今日は10月19日。年間第二十九火曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたは命の道を教えてくださる。
 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、永遠の喜びをいただきます。』
       詩編 16章11節


今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
  
  「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。

   主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、
 すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。

      主人が帰って来たとき、
  目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。

      はっきり言っておくが、
  主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、
     そばに来て給仕してくれる。

    主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、
   目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。」』
           ルカによる福音書 12章35-38節



 今日のイエス様は、
 『主人の帰りを待つしもべのように、腰に帯を締め 、いつも目覚めていなさい』
          と、弟子たちを励まします。


     『神と共に生活すること』は、『宴会』のようなものである。
         と、聖書は『たとえ』を語ります。
          神と一緒に喜ぶことです。


       神は、わたしたちの幸せも不幸も共にし、
        一緒に生活をしてくださるのです。
       そのおつもりで・・・
       私たち一人一人を訪れてくださるのです。
       そうすると・・・
       神様は私たちを助け、僕となって給仕をしてくださるのです。


       私たちは、
         ※一人では良い生活は出来ないと認め、
         ※自分の生活に神をお迎えする必要を認める時、
       私たちは、神様をお迎えする※『準備』※が整うということです。
         自分の生活に神様をお迎えすることが出来るのです。


    イエス様は、このように自分の生活に神をお迎えできる人は
        幸いだ。』 とおっしゃるのです。
       
       神と共に居る『幸い』を深く味わうために、
        信仰が深まるように祈りましょう。   


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたがたは、人の子の前にふさわしく立つことができるように、  
      いつも目を覚まして祈りなさい。』
        ルカによる福音書 21章36節     アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様、『秋』をお楽しみですか?
食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋、・・・。
沢山の秋をひとつずつ楽しんでまいりましょう。 お元気で!

幸せの元・・・『エッサイのひこばえ』 そして 『収穫は多いが、働き手が少ない。行きなさい。』

2021-10-18 07:25:12 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
10月18日。月曜日。晴れ。

収穫の秋です。

          『エッサイのひこばえ』
 
      ダビデの父、モーセ時代のユダ族の長の子孫。
        『エッサイの根』から芽が現われ、
          イエスによって成就した。
           ローマ人への手紙 15:12


      お迎えの御主人様が定年後(今は第二の職場で働き中)
         お庭の花を全部抜いて、大改造、
           全面を『畑』になさった。
            もう5年ほどになる。

        
         野菜の新芽が美しい。

        今は・・・
        夏野菜が終わって、すべてを取っ払って、
        冬野菜のための、床造りと種蒔きの真っ最中。
        見ているだけでも、楽しい♡♡


      野菜の忠実な姿。
      種を蒔き、水をやり、太陽に育てられ、実をつける。
      あるがままの自分の姿を、忠実に繰り返す。
      そこに幸福がある。


    今日も、元気な御主人様の姿 や かわいい野菜の新芽の姿に、
       感動し、幸せのお裾分けを頂く私です。
       ”ありのままが素敵! Simple is best!” と。
                     感謝!感謝!


そして。

今日は10月18日。年間二十九月曜日。

      『聖ルカ福音記者 祝日』
   
    聖ルカを画いた絵は、翼のある雄牛と一緒に画かれています。
          聖ルカの象徴表現は雄牛なのです。

   新約聖書の中の第3の福音書と使徒言行録の著者です。
   聖パウロの手紙によると、ギリシャ人の医師でした。

 異教徒の家庭にまれたが、やがて改宗し、
 使徒パウロの同志となり、
 パウロの教えに従って『福音書』を書き記した。
 さらに、
 初代教会について『使徒言行録』と題する書物を書き、
 パウロが最初にローマに赴くまでの初代教会のさまざまな出来事を書き記した。

 パウロの第3と第4宣教旅行に同行した。
 その後、パウロが2度目に逮捕されてローマに滞在していたとき、
 ルカだけはパウロとともにいた。
 聖パウロの死後、主にギリシャで宣教し、そこで殉教したと伝えられている。
      『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

 『救いの源である神よ、 あなたは、聖ルカが書き記した福音を通して、
     貧しい者に対するあなたの愛を示してくださいました。
  キリストを信じる人々が、心と思いを一つにして愛のあかしとなり、
     すべての人があなたの救いを見ることが出来ますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 主はほかに七十二人を任命し、
    御自分が行くつもりのすべての町や村に
      二人ずつ先に遣わされた。
    
     そして、彼らに言われた。

    「収穫は多いが、働き手が少ない。
  だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、
       収穫の主に願いなさい。

        行きなさい。
     わたしはあなたがたを遣わす。
     それは、
     狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。

  ※財布も袋も履物も持って行くな。
  ※途中でだれにも挨拶をするな。
  ※どこかの家に入ったら、まず、
    『この家に平和があるように』と言いなさい。
  ※平和の子がそこにいるなら、
     あなたがたの願う平和はその人にとどまる。
     もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
  ※その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。
     働く者が報酬を受けるのは当然だからである。
  ※家から家へと渡り歩くな。
  ※どこかの町に入り、迎え入れられたら、
   出される物を食べ、 その町の病人をいやし、
   また、
     『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」』
                ルカによる福音書 10章1-9節


     イエス様は、
     『収穫は多いが、働き手が少ない。』と言われ、
     12人の使徒の他に、72人を任命し、派遣しました。


       今日は、『ルカの祝日』です。
    ルカは、イエスに出会ったことはないのですが、
    イエスと一緒に生活した弟子たちの話しを聞き、
    『イエス』を、すべての人に伝えなければ・・・
        と、考えたのでしょう。
       神の収穫の『働き手』となったのです。


    ルカが
    弟子たちの話しを聞き、書き残した※『イエスの姿』※は、
    ※弱い人、差別を受けている人、罪人、の『味方』であり、
    ※誰をも棄てることなく、誰をも『迎え入れる人』です。

     ルカによる福音書は、
     『イエスの姿』を反映して、他の福音書よりも、
     イエスが弱い人や困っている人に対して示された
        『慈しみ』 と ※『憐れみ』
        が多く書かれていると言われます。


   イエス様は、収穫は多いが、働き手が少ない。』 と、
               弟子たちにおっしゃいました。
  
        神様ご自身が、
        人々の『救い』のために、
        多くの人がキリストを知るようにと、
        弟子たちを通して、働いておられます。
        
         神は、『刈り入れの主』です。

   当時の弟子たちも、今のキリスト者も、
   神からの『使命』をうけて、
   キリストの『言葉』を伝え、キリストの『平和』をもたらすようにと、
   招かれているのです。  
    
    
『今日のアレルヤ唱歌』

アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだ。』
      ヨハネによる福音書 15章16節     アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自然を相手にする時は、
自分の力の小ささを知り、自然の力の大きさを思い知らされますね。 
でも、その落差を知ることが面白いですよね。 お元気で!

小さい秋・・・『一枚の紅葉』 そして 『人の子は、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。』

2021-10-17 12:21:04 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
10月17日。日曜日。雨。のち晴れ。

♭小さい秋みつけた~♭

          『一枚の紅葉』
 

       我が家のシンボル・ツリー『もみじ』
         一枚だけが色づきました。
           美しいです。

   美しい自然。
   一方、過酷な自然です。


       この年になって、私の友人が難病と診断されました。
        花々を愛し、書をたしなみ、俳句を楽しみ、
        美しく清らかな日々を重ねてきた友人です。

       信仰深く、清く生きてきた、今までの友人の生き様が、
         難病となった彼女の今を支えています。
           過酷な自然を受容し、
         できなくなったことを悔やむことなく
          今生かされている身に集中する。

        人生はできることに集中することである。
          と、彼女から学びます。


         今日の私は、読書家の彼女のために、
          『電子図書』を捜しています。
           見つかりますように!♡♡


そして。

今日は10月17日。年間第二十九主日。

『今日の入祭唱』

 『あなたを呼び求めます。神よ、わたしに耳を向け、訴えを聞いてください。
   瞳のようにわたしを守り、あなたの翼の陰に隠してください。』
         詩編 17章6&8節


『今日の福音 イエスの御言葉』


   『そのとき、ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、
 
   『ヤコブ』  エル・グレコ作品       『ヨハネ』  エル・グレコ作品

 イエスに言った。
   「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
 イエスが、
       「何をしてほしいのか」  と言われると、
 二人は言った。
       「栄光をお受けになるとき、
       わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」
 イエスは言われた。
       「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
          このわたしが飲む杯を飲み、
        このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」
 彼らが、
         「できます」  と言うと、
 イエスは言われた。
        「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、
         わたしが受ける洗礼を受けることになる。
         しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、
         わたしの決めることではない。
         それは、定められた人々に許されるのだ。」


 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。

 そこで、
        イエスは十二人を呼び寄せて言われた。
      

     「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、
       支配者と見なされている人々が民を支配し、
         偉い人たちが権力を振るっている。
       しかし、あなたがたの間では、そうではない。


       あなたがたの中で偉くなりたい者は、
          皆に仕える者になり、
         いちばん上になりたい者は、
         すべての人の僕になりなさい。

     人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
  また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」』
               マルコによる福音書 10章35-45節


   今日のイエスは、高い地位を望む使徒たちに、
   『上に立つ者は、仕える者で、皆のしもべになる者である。』
                    と答えます。諭します。

 まずは、
   
 ヤコブとヨハネが、
 『栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。』
                 と、イエスに頼みます。

すると、

  イエスは、
  『それは私の決めることではない。
   それより、あなたたちは、イエスと同じように、苦しみをうける決心ができますか?』
                  と、おっしゃいます。
  ヤコブとヨハネは、
  イエス様の言われることの意味は分かっていなかったのでしょう。
       簡単に、『出来ます』と答えます。

更に、

  イエスとヤコブとヨハネの会話を聞いていた他の10人の使徒たちは、
  自分たちも『偉い人』になりたい思いが強く、
       ヤコブとヨハネに対して怒りました。

すると、
      イエスはこの機会を逃さず、使徒たちを再教育します。
      まず、イエスはご自分の『使命』について語ります。

       『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
    また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである』 と。    


     イエスの弟子となりたい人は、
     『偉い人』になりたい気持ちは棄てて、
        『イエスに倣う生活』:『人に仕える生活』をするのです。
     『偉い人』になりたい気持ちは、
     イエスの弟子には、ふさわしくなく、かえって『妨げ』となるのです。


         イエスは、使徒たちに、何回も、
         ご自分の『使命』について話しました。
          イエスの『御受難』です。
        
        しかし、
        イエスの生前には、使徒たちには理解できませんでした。
        イエスの復活後に、聖霊の導きによって、
        イエスと自分たちの『使命』を理解したのです。
        使徒たちは、イエスに倣って、
        人に仕える『受難』の道を全うしたのです。


『今日の奉納祈願』

   『すべての人の父である神よ、
 招かれた喜びのうちに、わたしたちはあなたのもとに進み出ます。
 わたしたちのうちに、自分をささげる心がはぐくまれますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
木々の葉が少しずつ色づいてきました。
今日の秋の日曜日が、皆様にとって良い一日となりますように。 お元気で!

元気の元・・・『駅前の花々』 そして 『言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。』

2021-10-16 05:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
10月16日。土曜日。晴れ。

穏やかな土曜日。

    
          駅前コンコースの手入れされた花々。

         お出かけ前の人たちや、帰り道の人たちを、
         ”いってらっしゃ~い” ”おかえりなさい”
             励まし、応援します。

            私も、今朝、 ”頑張って!” 
            と声をかけられたような♡♡
            励ましてもらいました♡♡


         毎朝、6時近くに、駅前のコンコースの大きな階段を、
            大股で何回か上ったり下りたりします。
              毎日だいたい同じ時間なので、
      私は、同じ時間に通勤通学なさるの方たちをお見受けしているようです。
           向こう様も、 ”今朝も又上ったり下りたりだな” 
             と思ってくださっていることでしょう。


             出会いは大切である。
     知らない方々でも心が通い合い、 ”今日もご無事で!” と祈らずにはいられない。



今日は10月16日。年間第二十八土曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え。 全地よ、主に向かって歌え。
  国々に主の栄光を語り伝えよ。 諸国の民にその驚くべき御業を。』
          詩編 96章1&3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
     

  「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、
        人の子も神の天使たちの前で、
       その人を自分の仲間であると言い表す。
  しかし、
       人々の前でわたしを知らないと言う者は、
       神の天使たちの前で知らないと言われる。


       人の子の悪口を言う者は皆赦される。
  しかし、
        聖霊を冒涜する者は赦されない。


    会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、
         何をどう言い訳しようか、
      何を言おうかなどと心配してはならない。
    言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」』
          ルカによる福音書 12章8-12節


  今日のイエス様は、
  『自分の信仰を誠実に語りなさい。』
   又 『迫害されるときは、聖霊が支えてくださる。安心しなさい。』
                    と、弟子たちを励まします。


    イエス様は、
    『人の子』と、度々、イエスご自身を示す『言葉』、を使います。
     それは、特に、
    『世の終わり』に、『人を裁くために来られるイエス』を示します。


      イエスは、『世の終わり』に、御父・神とご一緒に、
          ※『裁き』※を行なうのです。

         この世で生きている間に、
    ※イエスを認め、「イエスは私の仲間です」と公言した人を、
   イエスも、裁きの日に、「私の仲間です」と認めてくださるのです。

 一方、
        この世で生きている間に、
     ※イエスの愛を信じない人、イエスの救いを断る人を、
  イエスも、裁きの日に、「私の仲間です」とは認めないことでしょう。
        


     イエスは、罪人も、迫害する敵をも、赦してくださいます。
       しかし、聖霊を冒涜する人は赦さないのです。

  ※人は、聖霊の導きによって、イエスの愛と赦しを知るようになるのです。
    それなのに、
       「わたしはイエスを知らない」という人は、
      自分の中で働いている聖霊を裏切っているのです。
          聖霊を冒涜していることなのです。
          そんな人をイエスは赦さないのです。


     イエスは、 迫害を受ける人を助けてくださいます。
     イエスを信じるなら、迫害を恐れることはないのです。

  ※迫害される人は、聖霊に導かれて、すべてを聖霊に任せれば良いのです。
       聖霊ご自身が、『イエスの仕事』を引き継ぎ、
        人々を『救い』に導いてくださるのです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずです。
 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しするのである。』
       ヨハネによる福音書 15章26&27節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちも、私たちの日々の働きで、
お人を励ますことができると嬉しいですね。  お元気で!

聖書100週間・聖書通読会・・・『旧約聖書おわりの会』 そして 『聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士 記念日』・・・『あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。』

2021-10-15 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月15日。金曜日。快晴。

今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。


      『聖書100週間・聖書通読会 旧約聖書おわりの会』 
   
 
         今日は、旧約聖書最終日
        ♡『旧約聖書おわりの会』♡
 

 今日のクラス内容は・・・
    
   ♡指導司祭による『旧約聖書の総まとめ』
     どのようなお話をしてくださいますでしょう。とても楽しみです。
   ♡参加者一人一人の発表
     聖書を読み始める前と今と比べると、
     次の三項目について自分の考え方どのような変化があったかを発表します。
     ①聖書について。 ②神に関して。 ③自分の信仰生活について。
        

    
 参加者のお仲間は、
 聖書通読が、一回目の方、二回目の方、三回目の方、私のような十四回目の者、といろいろです。
 私の娘は、10代の大学生時代の参加でした。
 1回目、2回目、3回目・・・
 10代、20代、30代・・・そして80代と、
 回数を重ねる毎に、 また 読む年代によって、
 聖書を読み解く時の心も、読む喜びも、変わっていきます。
 その変化が面白くて、感動するのです。


      今日は、対面クラスです。
      緊急事態宣言が出たため、今年の4月以来始まった『オンラインクラス』です。
      今日は、緊急事態宣言解除と、旧約聖書の終わりの会とが重なり、
         特別の『旧約聖書最終クラス』、
      ”顔を合わせたいですね!” ということになりました。

      マスクは二重で、ソーシャルディスタンスを保って、
      教会の一番広い部屋を開け放して、
         『対面クラス』です。
        来週からは又『オンラインクラス』です。


       今日は仲間の皆様と7ヶ月ぶりの再会が楽しみです。
                      感謝!感謝!



そして。

今日は10月15日。年間第二十八金曜日。

  『聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士 記念日』
  

  1515年。スペインのアビラに生まれる。

    カルメル会に入会して優れた完徳の道を歩み、
    多くの神秘体験を得た。
    同会の改革に着士し、多くの苦難を味わったが、
    不屈の精神でそれを克服した。
    自らの霊的体験のもとづく優れた教えを収めた書物を著した。

  1582年。67歳。 アルパで死去。
     『毎日の読書』より

今年4月12日。 
教皇フランシスコは、イエスの聖テレジアの教会博士宣言から50年を記念して開かれた国際会議に
         『メッセージ』をおくられました。一部をご紹介します。 


  『この国際会議のテーマに、「卓越した女性」というタイトルが選ばれました。
    これは、かつて、聖テレジアの教会博士宣言において、
      時の教皇、聖パウロ6世が使った言葉です。
 
   確かに、聖テレジアは、あらゆる面で卓越した女性でした。
   しかし、忘れてはならないのは、この女性のすべての卓越性の秘訣は、
   彼女にとって最も重要であった一つの出来事に由来しているということです。
      すなわち、聖テレジアの優れた点のすべては、
   彼女が最も大切にしていたイエス・キリストとの親しい出会い
       の結果であったということです。
  
    聖テレジアにとって、キリストとの出会いがすべてでした。

       彼女は、このキリストとの一致を、
      祈りによって忠実に保ち続けました。

    イエスの聖テレジアは、確かに優れた女性でした。
    なぜなら、何よりもまず彼女は聖なる人でした。
       聖霊に対して忠実であった彼女は、
    キリストに一致し、神の愛に絶えず燃えていました。
  
    わたしたちは、変化の時代を生きているのではなく、
      いわば、時代の変革を体験しています。
    こうした意味で、
 聖テレジアが生きた16世紀の世界と、わたしたちが生きている今日の世界は
                 良く似ています。
    現代に生きるわたしたちも、
    聖女のように聖霊の働きに忠実に従うことによって、
    聖霊の力がこの世界を変えていくことができるよう、
         協力する必要があるのです。』


『今日の集会祈願』

 『全能の父よ、
  あなたはアビラの聖テレジアを聖霊によって導き、
    神との一致に達する道を教会に示してくださいました。
  聖女の教えを心の糧とし、
    聖性へのあこがれに目覚めることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、数えきれないほどの群衆が集まって来て、
       足を踏み合うほどになった。
     イエスは、まず弟子たちに話し始められた。
     

    「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。
         それは偽善である。
     覆われているもので現されないものはなく、
    隠されているもので知られずに済むものはない。

  だから、
  あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、
  奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。

       友人であるあなたがたに言っておく。
 体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。
       だれを恐れるべきか、教えよう。
   それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。
        そうだ。言っておくが、
        この方を恐れなさい。

    五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。
  だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
        恐れるな。
  あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」』
      ルカによる福音書 12章1-7節


    イエス様は、弟子たちに、※警告※するのです。

 ※ファリサイ派の人々の考え方に気をつけなさい。
     ファリサイ派の人々は、熱心な者とみられ、一般の人々に尊敬されました。  
     しかし、彼らは、形式を重んじる生活をし、彼らの行動は偽善である。
     
 ※ファリサイ派の人々に倣ってはいけない。
     彼らの考え方が、『パン種』のように社会全体に広がっているので、
     それに気をつけなさい。

 ※ファリサイ派の人々の教えと生活には矛盾がある。
     ファリサイ派の人々は、外面的な形式や規則を大切にしながら、
     心の中では、神への信頼をゆるがせにしています。
     人からほめられることを望んでいるのです。

 ※ファリサイ派の人々は、自分には罪がないと思っている。
     ファリサイ派の人々は、律法を知らない人を軽蔑し、差別します。
     ファリサイ派の人々は、律法を良く知っており、律法を守る彼らは、罪がないと思っている。
     しかし、彼らのその『偽善の態度』は必ず明らかにされます。現われます。
   

     イエスの弟子たちは、
     ファリサイ派の人々に倣うことなく、
     『イエスの教えと精神』を、証ししなければなりません。
     その時、
     ファリサイ派の人々は、イエスを迫害したように、 
     弟子たちをも迫害するでしょう。

          しかし恐れてはいけません。

    迫害されるときこそ、神は共に居てくださり、助けてくださいます。
    『あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。』
         ・・・程に、神様は何もかも知っていてくださいます。
    『神の言葉』には、力があり、人と共にいて、人の中で働かれます。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『主よ、あなたの慈しみが我らの上にあるように。主を待ち望む我らの上に。』
         詩編33章22節        アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日。『花金』です。一週間お疲れ様でした。
皆様の週末が、豊かで、楽しいことがありますように! お元気で!

体力と集中力Up・・・『大掃除』 そして 『天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、それは、アベルの血からゼカルヤの血にまで及び、責任を問われることになる。』

2021-10-14 12:24:12 | 日々のこと。 世界のこと。
10月14日。木曜日。晴れ。

さわやかな朝。

  
                    鮮やかな赤色が元気をくれます。 

        秋風の吹くさわやかな朝。
        突然・・・
        朝ウォーキングの代わりに、『家中の大掃除』をしよう!
                      と、思いつきました。


     まずは、
         まだお休み中のご近所さんの迷惑にならないように、
         音を立てないように気をつけて気をつけて、
             『家中の拭き掃除』

         隅々まで、窓枠に至るまで、磨き上げると、
         背伸びしたりしゃがんだり、気持ちよく汗ばむほどに、
             『筋肉運動』になります。


     次に、
            パブリックスペースの一階
         出たままになっている品々すべて、定位置にもどしました。
         三つの花器の花を、庭の花々で、生け替えました。

            居間も食堂も和室も、すっきりと、
               広々と感じられます。
           『最小の費用で最大の効果を挙げる』
            という『経済の法則』が思い出されます。
           『最小のもので部屋の価値を挙げる』
                 というところです。

     最後に、
           ご近所さんも起きてきたようですので、
         『家中の掃除機かけ』と『板張り床のから拭き』


            掃除をしていると、無心になれる。
              心身共に清くなっていく。
             『心の掃除』にもなります。

     
          今日は、今朝の天気のように、さわやかに、
             心と体の準備が整いました。
             集中力もUpしました。
           明日の『聖書100週間・聖書通読会』
        旧約聖書完読後の旧約聖書最終クラス:『終わりの集会』
             の準備を致しましょう。
                   感謝!感謝!


そして。

今日は10月14日。年間第二十八木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしたちの神は来られる。 黙してはおられない。
神は御自分の民を裁くために、上から天に呼びかけ、又、地に呼びかけられる。』
        詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは言われた。
  
     あなたたちは不幸だ。
  
  自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。
   こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、
        それに賛成している。
   先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。

       だから、神の知恵もこう言っている。
      『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、
    人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』

   こうして、
    天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、
     今の時代の者たちが責任を問われることになる。
        それは、アベルの血から、
    祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。

          そうだ。
   言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。

       あなたたち律法の専門家は不幸だ。
    知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、
     入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」

       イエスがそこを出て行かれると、
    律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、
     いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
     何か言葉じりをとらえようとねらっていた。』
           ルカによる福音書 11章47-54節


   今日のイエスは、
   律法学者やファリサイ派の人々の不信仰を非難します。


   律法学者やファリサイ派の人々は、
   熱心に、聖書の研究をし、人々に教えていました。
   ところが、
   自分の正しさを重んじ、
   イエスの言葉を信じませんでした。
   また、
   昔の預言者たちの『墓』を建てるのですが、
   その預言者たちの言葉は信じませんでした。
   それどころか、
   他の人たちがイエスの言葉を信じ、救いを得ることを妨げたのです。


   イエス様は、
   決して、律法学者やファリサイ派の人々を嫌っているのではないのです。
   いつも、どの人へも、
   改心を勧めるために、呼びかけているのです。

    
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは道であり、真理であり、命である。
   わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。』
       ヨハネによる福音書 14章6節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋色がいよいよ深まってきました。
空広く雲高い大空を見ていると、笑みがこぼれますね。 お元気で!

言語が先か? 環境が先か?・・・『人格形成』 そして 『あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。あなたたち律法の専門家も不幸だ。』

2021-10-13 14:48:34 | 娘と娘家族
10月13日。水曜日。曇り。

赤ちゃんが生まれ・・・
両親の元で育てられ、
社会に出て行き、
社会の環境に育てられていく。

     

      人は、生まれて以来、いろいろの環境の中で、『人格』が育っていく。
       その主なる要因は何なのだろう。
       両親の母国語、言語によるのだろうか?
       あるいは、
       両親の住む家庭や住む地域の、環境によるのだろうか? 

           言語が先か? 環境が先か?
          両方の影響を受けて、育っていく。
          狼に育てられた赤ちゃんもいると聞いたりする。


私の中学二年の孫娘。
数学と英語の塾に通っています。
中学生が通う普通の塾なのだが、
そこでの英語のクラスがとてもユニークなのです。
英語圏の国の中学生が読むような『小説』を二冊、
授業の始まりに渡される。
辞書もなし。質問もなし。だそうです。
ただ英語の『小説』を、英語圏の国の中学生が読むように、
          我が子どもたちの幼稚園児の時の本
英語のまま読む。
”はい。ここまで。授業終わります。
読み切れなかった人は本を家に持って帰って、続きを読んできてください。
宿題は、今日読み切れなかった本と新しい本一冊を持って帰り、
読んで目で追ってくるように。 はい。さようなら。”


       孫娘の塾の英語クラスは、
       バイリンガルを当たり前として、英語を教育しようとするクラスなのでしょうか?
       英語の小説を、日本語に訳するのではなく、英語として読んでいる。
       それは、私の子どもたちが過ごしたアメリカ生活の環境と似ています。


       私の子どもたちは、
       アメリカでは、日本人の方が一人も在籍しない
       カトリック校の幼稚園から小学校に通いました。
       そこは、日本人だからとの特別扱いもない、英語の学校生活。
       日本語しか知らない子どもたちが、英語だけの世界に飛び込んだのです。
       そして、家に帰れば、当然のように、日本語だけの家庭生活です。
       母親の私は、特別に英語を教えたりすることなく、
       正にバイリンガルが当たり前で育ちました。
       帰国後は、
       子どもたち二人だけで話すときは、家でも電車中でもどこでも、英語でしゃべる。
       そして、両親がいる家の中では、当然のように日本語で話していました。
         今では、二人の英語の発音は、英語圏の人そのものです。
           人格形成には、言語が先か? 環境が先か?


孫娘の塾は、
生徒たちの将来にベストを考えての授業をしておられるのでしょう。
その結果が、英語を母国語のように慣れ親しんで、英語教育する方法なのでしょう。
普通の塾では、聞いたことも見たこともない授業です。
”それでいいんじゃない!” と、ど~んと構える孫娘のママです。
”結果はいかに!?” と、面白がっているおばあちゃんの私です。


       以前にもブログに書いたことがありますが、
       私の娘は、高校生になって、
       又今度も日本人ゼロの、アメリカのカトリック高校に留学しました。
       全く日本語を話すことなく、多感な高校時代をアメリカで過ごしました。
       帰国すると・・・
       迎えに出た父親が娘を認識できないほどに、
       顔も容姿も雰囲気も、すっかり『アメリカ人』になっていました。
       更に、
       日本の高校の高三に復帰した娘は・・・
       同じ事柄を、
       日本語で考えた時の答と英語で考えた時の答は、全く別物である。
       と、自分の中で、日本人とアメリカ人、二人の『別人』を体験するようになったのです。
       私は、日本人として生きるの? アメリカ人としてとして生きるの? となったのです。
       私にとっては、大変な驚きの娘の体験でした。

       英語の言語とアメリカの環境が、日本人の娘を『アメリカ人』に作り上げたのです。
        娘は、自分の体験から、『言語』を生涯の研究課題として、選びました。
          人格形成には、言語が先か? 環境が先か?
           

     生まれ出た赤ちゃんは、“オギャ~”、と一声を発して、命をつなぐ。
        人は、言語と環境をもって、命をつなぐ。
        大切に、大事に、育てたいものです。


    私は、父親の意向で、小学生の頃から英語人たちの中で英会話を習得していきました。
            その結果が今の私です。     
        人格形成には、言語が先か? 環境が先か?


   孫娘の塾の教育方針は、これからの学校での英語教育の変革を予兆しているのでしょうか?
   なんといっても、子どもの『人格』を育てるのは、親や周りの人の愛情ですよね。
   なんて考えながら・・・
   私も、今日の読書の秋、『英語小説』でも、目で追ってみましょう♡♡
                     感謝!感謝!


そして。

今日は10月13日。年間第二十八水曜日。

『今日の入祭唱』

 『あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。』
          詩編 119章10節


『今日の福音 イエスの言葉』

   『そのとき、イエスは言われた。
  
   
    あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。

   薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、
   正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。
       これこそ行うべきことである。

 もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。


     あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。
  会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。
    
         あなたたちは不幸だ。
      人目につかない墓のようなものである。
        その上を歩く人は気づかない。」


 そこで、律法の専門家の一人が、
      「先生、そんなことをおっしゃれば、
     わたしたちをも侮辱することになります」 と言った。
 イエスは言われた。
     「あなたたち律法の専門家も不幸だ。
    人には背負いきれない重荷を負わせながら、
  自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。」』
        ルカによる福音書 11章42-46節


   今日のイエス様は、
   律法に熱心なファリサイ派の人と、
   ファリサイ派の人たちに律法を教える律法の専門家に向かって、
        『あなた方は不幸である』
                  と、おっしゃるのです。


   律法の専門家は、
    『先生、そんなことをおっしゃれば、
     わたしたちを侮辱することになります』 
             と、イエスに反発しました。

   では・・・
    イエスのおっしゃる※『不幸な人』※とはどんな人でしょう。

        収入や収穫の十分の一は献げるが、
      正義の実行と神への愛をおろそかにしている人

         会堂では上席に着くこと、
        広場では挨拶されること、を好む人
  
      人には、守り切れない律法を教え、守らせながら、
     自分は、律法を守るのを免除される口実を作って、守らない人

      白く綺麗に塗った墓でも、中では腐敗が始まるように、
       自分自身の外を綺麗に飾っても、心の中は綺麗ではない人
           人目につかない墓のような人


    『幸せな人』とは、『神の掟』:『愛神愛隣』を守る人です。
         神を愛し、人を愛する人です。
       神に愛されていることを信じ、神に感謝して、
        神の愛に応えて、隣人を愛する人です。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
    わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。』
       ヨハネによる福音書 10章27節     アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問にに感謝申し上げます。
『氏より育ち』・・・人柄は育った環境による影響が大きいのですね。
 いくつになっても、謙虚に努力ですね。 お元気で!

国保特定市民検診 そして 『物を人に施せ。うすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。』

2021-10-12 08:32:52 | 私のこと
10月12日。火曜日。曇り。

今日は、
国保特定健診の最後の一つ、
胃がん検診日です。
8月以来始まった私の今年の市民検診が
今日ですべて終わります。

  

  世の中には、
  二種類の『言葉』、検診を『うけない派』『うける派』、があるそうですね。
   検診は、コロナワクチン推進派と反ワクチン派とは違い、個人の問題なのに、
      分断をはっきりさせるような『言葉』の存在に驚きます。
   なんでも『統計』で、世の中白黒をはっきりさせようとするせいだろうか。


  その検診の統計ですが・・・

  コロナによって、
  昨年・2020年のがん検診の受診者は、3割減。
  今年・2021年の上半期ではやや回復。それでも2019年から2割近くの減。
    コロナによって、がんの早期発見が大幅に減退しているそうです。
                    『Dr.中川のがんのヒミツ』より

    
        自分の人生は、自分の足で生きる。
        自分の人生は、自分の決定で生きる。
        そう望みます。そうありたいものです。

     
     それでも、
        私は、今日も沢山の人の助けを借りながら・・・
         今日も沢山の人たちに感謝しながら、
         生きていきます。 生きていけます。
                   感謝!感謝!


     
そして。

今日は10月12日。年間第二十八火曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの砦、わたしの救い、わたは誰を恐れよう。
 主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。』
         詩編 27章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、イエスは話しておられたが、
     ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、
      その家に入って食事の席に着かれた。
     
  ところがその人は、
  イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、
                   不審に思った。

  主は言われた。
    「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、
      杯や皿の外側はきれいにするが、
     自分の内側は強欲と悪意に満ちている。

     愚かな者たち、
        外側を造られた神は、
      内側もお造りになったではないか。

      ただ、器の中にある物を人に施せ。
  そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。」』
              ルカによる福音書 11章37-41節


    今日のイエスは、
    ファリサイ派の人たちの不信仰を非難なさいます。


  イエスは、『食事の席』で、大切なことを教えることが多いのです。
  
  ファリサイ派の人は、
    イエスが食事に前に手を洗わなかったととで、
    それは、『律法』に反することであると、不審に思います。
そこで、
  イエスは、
    『律法』の大切なことは、
     細かい規則を守るかどうかではなく、
     どういう気持ちで律法を守るのか、その『心』が大切なのです。
             と、教えます。


     『律法』は、
      規則を正しく守ることだけを考えたり、又、
      人前で『律法を守る姿』を見せることを考えたり、
        それを行なう外側が『綺麗』であっても、
        それを行なう内側に『愛』がなければ、
          単なる『偽善』になります。


  私たちも同様です。
  『内側』と『外側』・・・『信仰』と『生活』の間に相違がないでしょうか?
    私たちの『内側』は、『愛』であるべきです。
    それは、
    人の『外側』を見ただけで、その態度を裁くことは出来ないということです。


      イエス様は、
      『人に施せ。
       そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。』   
                と、教えてくださいます。

      私たちは、
       お人に、自分自身を与えることで、『隣人愛』を体験します。
       お人に『愛』を示すことで、初めて、神に近づけるのです。
          神に清くしていただけるのです。
          清くあることが大切なのです。

    
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『神の言葉は生きており、力を発揮し、心の思いや考えを見分けることができる。』
       ヘブライ人への手紙 4章12節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も『かきくけこ』:『感動:機嫌良く・工夫・健康への配慮・貢献』で、
楽しい一日に致しましょう。 お元気で!

『100分de名著』・・・『老人と海』 そして 『今の時代には、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。』

2021-10-11 11:32:40 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
10月11日。月曜日。曇り。

私の住まいのあたりでは、
雷注意報が出ています。

  
         今年も、変わらずに、咲き出しました。
        
  こちらは、
     長年変わらずに、欠かさず、私が見ているテレビ番組です。
           『100分de名著』
         今月の本は、私の座右の名著の
            『老人と海』
     

  講師のアメリカ文化研究者は語ります。
  『老人と海』は、※『大いなる自然との対峙』※である。

      ※自然と対話する老人
       生き物を人間と同格の仲間として話しかける。
      ※大事なことは口に出さない老人
       口にすると相手に負けることを知っているので黙る。
      ※捕獲物・カジキに尊敬の念を持って話しをする。
       ほとんど仲間のような、針をとおして、我と魚が一体化する関係になる。

    『老人と海』を読むと・・・
      現代の社会で生きている我々が無視していること、
      それを無視することは普通じゃないと感じさせてくれる。
                   ・・・とも、講師は語る。


        
          見過ごしがちな、自然と自然の営み。

   なるほどね。
   聖書と同様に、『老人と海』を、何回繰り返し手にとって読み返したことでしょう。
   『老人と海』を、自分なりに自己解説しながら読み続けてきた私は、
   今回、指南役の先生の解説で、読み解かれていくのが素晴しいのです。


   『100分de名著』は、
    正に講義を受けているような、
    考え方が広まっていくのが面白くて、楽しみです。


       今日も、『読書の秋』を満喫する私です。
                感謝!感謝!



そして。

今日は10月11日。年間第二十八月曜日。

『今日の入祭唱』

   『災いの日、主はわたしの支えとなり、
 わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。』
         詩編 18章19&20節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、群衆の数がますます増えてきたので、
         
       イエスは話し始められた。

     「今の時代の者たちはよこしまだ。
しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。

  つまり、
   ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、
           

    人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。


       ※南の国の女王は、
                          裁きの時、
       今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
       彼らを罪に定めるであろう。

       この女王はソロモンの知恵を聞くために、
         地の果てから来たからである。

       ここに、ソロモンにまさるものがある。


       ※また、ニネベの人々は
                          裁きの時、
       今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、
       彼らを罪に定めるであろう。

                   ニネベの人々は、
                        ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。

        ここに、ヨナにまさるものがある。」』
                  ルカによる福音書 11章29-32節


    今日のイエス様は、
   人々は、神を信じるための『しるし』を欲しがるが、
     『イエス自身が、天からのしるし』 
       であると人々に語ります。


 旧約時代。

   ※ニネベの人々は、
    神にニネベの地に派遣されたヨナの『改心を勧める話』を聞くだけで、
       『しるし』を見なくても、
      ヨナの『勧め』に応えて、改心をし、神を信じました。
  又。
   ※南の国の女王は、
    神が与えられたソロモンの『知恵』を聞くために、遠くからソロモンを訪ねました。
       『しるし』を見なくても、
      ソロモンの『知恵』を聞いて、改心をし、神を信じました。


        ニネベの人々も、南の国の女王も、
        異邦人でしたが、
        『しるし』を見なくても、
        ヨナやソロモンの話を聞くだけで、神を信じたのです。

そして。

  新約の時代。イエスの時代。

    ※ユダヤ人たちは、
      信仰を持っているはずです。
      イエスのなさっている言動を見れば、
      そこに、十分な『しるし』を見るはずです。
      そこで、反省をし、改心をし、神を信じるはずです。

   ところが、
   ユダヤ人たちは、もっと大きな『しるし』を見せて欲しいと願うのです。 
   イエス様は、『しるし』が信仰を与えるものではないので、願いには応えません。
        

      イエス様は、人間の自由を尊重して、
      ご自分がなさる『言動』をもって、改心をしてほしいのです。


      人は、イエスの生活において、神の働きを見ることができ、
      イエスが神から遣わされた方だと認めるのです。信じるのです。

 
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように、心を頑なにしてはならない。』
         詩編 95章8節         アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋深し。STAY HOMEでは、読書の秋、芸術の秋、が楽しいですね。
美しいものに触れながら、自己を高めていきたいものです。 お元気で!