まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

野蛮人

2003年10月12日 21時41分00秒 | 日々雑感
凶悪な事件や不可解な事件が頻発しているが、その度に新聞やテレビで

「被害者や関係者の心のケアが必要」とやかましく言われる。

被害者は分かるけどさ、あとは大して必要ないんじゃないの。

言いたいことは分かるさ。

殺人事件の目撃者だって近所の人だって穏やかな気持ちではいられないだろう。

恐怖心だってなかなか消えないだろう。

それが子供なら尚更だ。

でも本来、人の心ってそんなに弱いものなのか?

幼児が転んだときに、あまりにも「痛かったね、可哀想だったね」と言うと

言わなかったときよりも泣き止まないという話を聞いたことがある。

最近なんだか、心身の痛みを増長するようなくだらない「慰め」が多くないか。

「癒し」なんて馬鹿みたいな言葉が流行ったとたんに疲れを感じてみたりして。

「トラウマ」という言葉がある。

「精神的外傷」というやつだ。

なにかあると「子供の頃のトラウマが」なんていう。

確かに、子供の頃に起こった嫌なことは大人になった後も、ふとした拍子に暗い影を落とす。

だけど、子供時代に嫌な思いを一度もしなかった人なんていない。

わたしは恐らく、あまり幸せな子供時代を送っていない。

いじめられたというのではないが、いつも異端で浮いていて喧嘩ばかりしていた。

学校も大っ嫌いだった。

その頃のことはわたしの人格形成にかなりの影響を及ぼしていると思う。

だけど、それだけの話だ。

そのことを「痛い痛い」と言い続けたらいつまでもそのことから抜け出せないだろう。

しかし、何事にも適切な処置というのは必要である。

亡くなった親戚に、空襲のひどい有様を見て心を病んでしまった人がいた。

当時、きちんとしたカウンセリングが受けられていたら病んだまま亡くなることもなかっただろう。

ただ、逆を言えば彼以外の人だって戦争の悲惨な状況は目にしているのだ。

しかし、皆が心の均衡を失ったわけではない。

その人たちは病んでしまった彼に比べると鈍い、

あるいは図々しい心の持ち主だったのかもしれない。

時によっては、こういう図太さが必要なときこともあるのだ。

普段は、優しくても感受性が強くても繊細でもいい。むしろその方がいいかもしれない。

だが、いざというときに鈍感になれる強さを持っていたいと思う。

「心の傷」が血を流したままにせず、早くかさぶたを作れるように。

傷といえばさ、仕事中にちょっと指を切っただけで

「絆創膏!」って騒ぐ人がいるのね。

あたしなんか、忙しいときはセロハンテープ貼って血を止めとくけどね。

商品につけたら大変だから。

仕事もろくにしないやつに限って、すぐに絆創膏。

ちょっとした傷なんか唾つけとけ!





アングリーなエブリデイ

2003年10月10日 18時47分00秒 | 日々雑感
衆院が解散してテレビでもニュースでも「マニフェスト」だらけ。

初めて聞いたとき「マゾヒスト」かと思ったよ。

どうして日本語で「政権公約」って言わないかな。

大体、世の中カタカナ語が多すぎるって。

バリアフリーだユビキタスだセカンドオピニオンだって。

語彙や表現力の乏しさ、あるいは話している内容のいい加減さを誤魔化すためとしか思えない。

うちの会社が、なにかっつーとカタカナ語使うのよ。

「数量を数えてくれ」といえば済むことを「カウンティングしてください」とか。

「モチベーションを明確に」とか。

「リードタイムの短縮のため」に至っては意味不明である。

役職も部長とか課長とか言えばいいものを「BB」「DM「SB」って、なんの略だよ。

外来語やカタカナを使ったほうがうまく伝わるときもあるのは確かだ。

だけど乱用すれば内容は分かりづらく、薄っぺらなものになる。

一体、こういう言葉をあとからあとから得意気に作り出しているのは誰なんだろう。

テレビも新聞もなぜかすぐに使いたがるし。

日本語もろくろく喋れない人が増えているというのに

この上、理解不能な外来語を増やしてどうしようっていうんだか。

こんなこと文句言わずに「グローバル」で「インタラクティブ」な「ビジョン」を

持たなければ「エンパワーメント」あるいは「インセンティブ」はあり得ないってことですかね。




対策

2003年10月09日 20時57分00秒 | 日々雑感
本屋に寄った帰り、顔見知りのパン屋の店長と「お寒くなりました」と

相変わらず時候の挨拶を交わした折り、寒がりだと言う彼に

「うちではもう、おこたを出してるんですよ」と言ったら驚かれてしまった。

実はファンヒーターをつけた日もある。

暑いのは我慢できるが、寒いのは駄目だ。

とはいえ、少し肌寒いくらいで毎日ファンヒーターをつけるのもまだ気がひける。

しかし、朝の着替え時などやはり寒い。

そこでわたしは、朝ひと踊りすることにしたのである。

着替えをする前に音楽をガンガンかけて踊り狂うのだ。

曲はリッキー・マーティンの「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」。

郷ひろみの「アーチーチ、アチ」の原曲と言えば分かりやすいか。

この曲で、人には見せられない様で踊る。

すると、曲が終わる頃には身体が温まるという寸法だ。

体力も付くし、省エネにもなるし一石二鳥。

みなさんもいかが。

部屋の鍵をかけるのを忘れずに。

抑圧あるいは潜在的な

2003年10月08日 21時49分00秒 | 日々雑感
二日続けておかしな夢を見た。

夢なんて辻褄の合わないおかしなものがほとんどだから、

ちょっとやそっとの変な夢では驚きゃしないのだが

二日とも、妙に現実的な夢で、それがかえって奇異に感じるのだ。

ひとつは、うちの店の社員(女)の家に遊びに行ったところ、手伝いをしないと言われ

そこのお姑さんに叱られる夢。

もうひとつは、転職して高級ブティックに勤め始めるのだが

そこの先輩達にいじめられるという夢。

どちらもつらく悲しい夢だった。

なぜ、こんな夢を。

一時期、どんな夢の話をしても「それは性的欲求不満」と茶化すのが仲間内で流行ったが。

「わたし、なんかつらいことがあるのかな」

Tさんに言うと

「ふだん、人をいじめてるとたまには自分もいじめられたくなるんじゃない?」

失礼な。