どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

言葉に添付する魂

2010-01-12 07:21:45 | 徒然に

昨日は思いがけず、時間に余裕があった。

スケジュールでいっぱいだった休日の用事をすべてキャンセルしたからだ。息子が急に高熱をだした。年末に帰国して、時差ぼけのまま、就職活動。二つの面接を受けた。距離の移動も相当であったし、その前の準備も大変だっただろうし・・緊張感から解き放たれた感じかなあ・・・疲れたのだろう。

当初のスケジュールでは、彼は彼の用事があって早めに東京に行き、そこからまた米国に行くつもりにしていた。私は、私で泊りがけで出かける用事があったから、昨日で「じゃあ元気でね」と、なるはずだった。

今回の熱は、そんな送り方はないでしょう? と、運命の女神様からお叱りを受けているような気がしている。私は、ずべての用事をキャンセルすることに何のためらいもなかった。熱をだすことで、母親を引きとめようとしたのなら、あまりにも悲しいじゃないねえ・・・・ごめんね。と、心から思った。

最近は、彼がひとつの区切りを迎えたこともあって、幼かった三人息子のことを思い出すことが多かった。三人息子を育てながら感じたことのひとつが、きちんと言葉にして、気持ちを、心を伝えるということだった。あうんの呼吸とか、アイコンタクトとか、不確実なものに頼るのではなく、あくまで自分が、自分で言葉を選んで、気持ちを伝えること・・・でなければ、確実に、正確に気持ちを伝えることはできない。

子供たちは、おかあさんの宝物は、「ビール」と「財布」だと、思っていた。お母さんの宝物は、三人息子だよ と伝えたときの、子供たちの驚きと、その後の照れたような喜びの目は私の心の中に、いつまでも残っている。私は、言って良かった・・・聞いてみてよかった・・・と、あのときほど、思ったことはなかった。

歳?そうね、確かに関係あるかもしれない。彼は大人だし、熱なんて我慢できるかもしれない。でも、今回は私の助けが必要だと思ったので、息子の健康以上に私に大切なものはないから・・と、言葉にした。

実は、歳って関係ないのではない?何歳になっても、言葉にして、自分の心を伝えることは大切ではない?そして、逆もまたしかり。言葉にして、言われると

マ ジ ウ レ シ イ ヨ

 加えて、歳を重ねれば重ねるほど、大切なものを失うリスクも増すのだから、リスクマネージメントの観点からも、真剣に言葉に付加した心を伝えることが大切ではないだろうか・・と、私は思う。

メールに写真を添付して送るように、言葉に魂を添付することが大切なような気がしている。昨日は、そんなことを考える一日になった。

私に大切な・・・・・。そこに何が入るのか・・・。わたしに大切なものをたくさんもっている人になりたいと思うなあ。

余談ですが・・・普通は、わたしにとって大切 という表現が正しいのかもしれない。ただ、私は 私に大切 と表現したほうが、「のりしろ」なく、自分のもっと身近で大切な という感じがして、こちらの表現が気に入っている。

 

 

コメント
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