今日のお昼頃、静岡県の西部で地震があって、私のとこでも揺れたはずなんだが・・・
全然判らんかった^_^;
いや、最近、近所のビルの解体とかで結構揺れてるっていうのもあるし、という事にしておこう。
でもって、インフルエンザが流行ってます。
職場で、一人、また一人、と高熱が出て抜けてく感じですねぇ・・・
私も、いつ発症してもおかしくない状況です。
そう思うと、なんか「そう言われれば、体がだるいような・・・」とかって、感じてしまうのでありました^_^;
皆、インフルエンザワクチンは接種してるんだけど、問題なく(?)発症しております。
じゃ、ワクチンなんか意味ないじゃーん!!って思うでしょ?ところが、これが接種してるのと接種してないんじゃ大違い!なんです。
何故かっていうと、
「ワクチンを打ってるのにインフルエンザに罹ってしまった」となると、
「あら~、やはり罹る時は何しても罹っちゃうもんだものね、お大事に~」となるのに反して、
もしも
「ワクチンを打ってなくてインフルに罹った」となると・・・
「えー!!なんでワクチン打たなかったの?打てば罹らずにすんだのかもしれないのに!そのせいで、急に穴が空いちゃうし、全く自己管理くらいしっかりしてよねっ!!」と、なるんですね(爆)
要するに、「効果がある事(と、思われている事)をやるだけやった上で、罹ったなら止むおえない、でも、やってないから罹ったなら、それは自分の管理不十分、自覚が足りない」と、取られるのが我々の世界なんですよね~^_^;
ってわけで、今のところ、発症するかしないかは全くの不明・・・
で、先日、映画を見ました。
映画『天才スピヴェット』予告編
「アメリ」のJ・P・ジュネ監督作品です。
これ、3Dなんだそうだけど、私の地元ではミニシアターでの上映なので、2Dでした。
まぁ、確かにジュネの作品ってギミック的な映像が多いから、3Dで作ってみるのも面白いかもしれないねぇ~、まぁ2Dでも問題なかったけどね~。
舞台は、アメリカの田舎の山岳地方。
昆虫学者の母と、いまだにカーボーイを体現している父、芸能界デビューが夢な姉、双子の弟、そして主人公の天才少年スピヴェット。
ジュネの作風って、ゴシック的というか、モダンアート的なところもあり、それが舞台がアメリカ、しかも「西部劇」的っていうか、そういう場所っていうのが??でございましたが、やはりジュネらしい映像があちこちで見られましたねぇ。
「永久機関」とかって、レトロで浪漫的で、なんかいかにもジュネらしいよなぁ~、と思いました。
でもって、主人公のスピヴェット少年が、なんか、マルフォイに似てるっ!!(byハリポタ)
いや、ハリポタの最初の方の、マルフォイね(爆)
特に、後半でオールバックにしているとことか、似てるねぇ~。
とかとは言っても、映画のテーマは実は、実に真面目(?)で、親しい、身近な人の死を、残された人々がどうやって受け入れていくのか?というところにあります。
マルフォイ・・・じゃない、スピヴェットも、「僕が代わりに死んでいれば良かった。お父さんは、弟の方がお気に入りだし、弟の方がいいヤツだし・・・」と、今でも思っているし、母も、「なぜ子供たちだけにしておいたのか?」と、後悔を抱えている、父親も多分・・・
父の場合は具体的なセリフとかは無かったけど、「なぜ、子供に銃を持たせるようなことをしたのか?そして、射撃がうまいとかって俺がおだてたから、あの子は死んでしまった。」って思ってたんだろうねぇ・・・
弟が亡くなったのは、銃の暴発で、完全に「事故」「運が悪かった」っていう事なんだけど、残された人々は、「なぜ彼が?」「もうちょっと私が◎◎だったら、あの子は死なずに済んだのでは?」と、いつまでも心に傷を抱えていて、しかもお互いに気遣っていてそういう思い、自分の後悔を表出しないで、自分だけの心に抱えている・・・
っていうあたりから、この一家のみなが、どこか空洞を持っているかのようになってしまっておりまして、その空洞が、スピヴェットの家出(というか冒険なんだけどね)によって、改めて明らかになり、そしてそれをお互いが認めあうことで、解消していく、というオーソドックスな「喪の儀式」を描いているような感じなんですが、まぁそこがジュネだけに、ところどころに、なんか見ようによってはいびつというか、歪んだ情景や人々が出てきて、しかもそれがユーモラスっていうところが面白いねぇ~、と思いました。
一歩間違うと、変○チックになっちゃうけどな~という、あたりがね。
お母さん役をヘレナ・ボナム・カーターが演じてるよ~。
そーいや、アメリ演ってたオードリィ・トトゥ、最近見ないなぁ、と思ったけど、ハリウッド作品じゃなくて地元フランスで映画には出演しているみたいですね~。
雰囲気のある人だから、また、見てみたいなあ~。
全然判らんかった^_^;
いや、最近、近所のビルの解体とかで結構揺れてるっていうのもあるし、という事にしておこう。
でもって、インフルエンザが流行ってます。
職場で、一人、また一人、と高熱が出て抜けてく感じですねぇ・・・
私も、いつ発症してもおかしくない状況です。
そう思うと、なんか「そう言われれば、体がだるいような・・・」とかって、感じてしまうのでありました^_^;
皆、インフルエンザワクチンは接種してるんだけど、問題なく(?)発症しております。
じゃ、ワクチンなんか意味ないじゃーん!!って思うでしょ?ところが、これが接種してるのと接種してないんじゃ大違い!なんです。
何故かっていうと、
「ワクチンを打ってるのにインフルエンザに罹ってしまった」となると、
「あら~、やはり罹る時は何しても罹っちゃうもんだものね、お大事に~」となるのに反して、
もしも
「ワクチンを打ってなくてインフルに罹った」となると・・・
「えー!!なんでワクチン打たなかったの?打てば罹らずにすんだのかもしれないのに!そのせいで、急に穴が空いちゃうし、全く自己管理くらいしっかりしてよねっ!!」と、なるんですね(爆)
要するに、「効果がある事(と、思われている事)をやるだけやった上で、罹ったなら止むおえない、でも、やってないから罹ったなら、それは自分の管理不十分、自覚が足りない」と、取られるのが我々の世界なんですよね~^_^;
ってわけで、今のところ、発症するかしないかは全くの不明・・・
で、先日、映画を見ました。
映画『天才スピヴェット』予告編
「アメリ」のJ・P・ジュネ監督作品です。
これ、3Dなんだそうだけど、私の地元ではミニシアターでの上映なので、2Dでした。
まぁ、確かにジュネの作品ってギミック的な映像が多いから、3Dで作ってみるのも面白いかもしれないねぇ~、まぁ2Dでも問題なかったけどね~。
舞台は、アメリカの田舎の山岳地方。
昆虫学者の母と、いまだにカーボーイを体現している父、芸能界デビューが夢な姉、双子の弟、そして主人公の天才少年スピヴェット。
ジュネの作風って、ゴシック的というか、モダンアート的なところもあり、それが舞台がアメリカ、しかも「西部劇」的っていうか、そういう場所っていうのが??でございましたが、やはりジュネらしい映像があちこちで見られましたねぇ。
「永久機関」とかって、レトロで浪漫的で、なんかいかにもジュネらしいよなぁ~、と思いました。
でもって、主人公のスピヴェット少年が、なんか、マルフォイに似てるっ!!(byハリポタ)
いや、ハリポタの最初の方の、マルフォイね(爆)
特に、後半でオールバックにしているとことか、似てるねぇ~。
とかとは言っても、映画のテーマは実は、実に真面目(?)で、親しい、身近な人の死を、残された人々がどうやって受け入れていくのか?というところにあります。
マルフォイ・・・じゃない、スピヴェットも、「僕が代わりに死んでいれば良かった。お父さんは、弟の方がお気に入りだし、弟の方がいいヤツだし・・・」と、今でも思っているし、母も、「なぜ子供たちだけにしておいたのか?」と、後悔を抱えている、父親も多分・・・
父の場合は具体的なセリフとかは無かったけど、「なぜ、子供に銃を持たせるようなことをしたのか?そして、射撃がうまいとかって俺がおだてたから、あの子は死んでしまった。」って思ってたんだろうねぇ・・・
弟が亡くなったのは、銃の暴発で、完全に「事故」「運が悪かった」っていう事なんだけど、残された人々は、「なぜ彼が?」「もうちょっと私が◎◎だったら、あの子は死なずに済んだのでは?」と、いつまでも心に傷を抱えていて、しかもお互いに気遣っていてそういう思い、自分の後悔を表出しないで、自分だけの心に抱えている・・・
っていうあたりから、この一家のみなが、どこか空洞を持っているかのようになってしまっておりまして、その空洞が、スピヴェットの家出(というか冒険なんだけどね)によって、改めて明らかになり、そしてそれをお互いが認めあうことで、解消していく、というオーソドックスな「喪の儀式」を描いているような感じなんですが、まぁそこがジュネだけに、ところどころに、なんか見ようによってはいびつというか、歪んだ情景や人々が出てきて、しかもそれがユーモラスっていうところが面白いねぇ~、と思いました。
一歩間違うと、変○チックになっちゃうけどな~という、あたりがね。
お母さん役をヘレナ・ボナム・カーターが演じてるよ~。
そーいや、アメリ演ってたオードリィ・トトゥ、最近見ないなぁ、と思ったけど、ハリウッド作品じゃなくて地元フランスで映画には出演しているみたいですね~。
雰囲気のある人だから、また、見てみたいなあ~。