なんと、金正男氏暗殺!?
あの、東京ネズミーランドで遊ぼうとして偽造旅券で来日しようとしてた人だよね?
しかし、暗殺ですか?しかも、毒針?
なんか、20世紀の話のようだが、実際あるんだねぇ。
まぁ、日本でもオウム真理教が似たような事やろうとしたという事件はありましたがなぁ。
でもって、昨日のDr.ストレンジで書き忘れたんだけど、映画館で「特別重低音増強バージョン」みたいなのをやってたんだよね。
料金は通常のままで。
今、結構いろんな映画(ハリウッド大作系が多いけど)を、この重低音バージョンで上映やってて初めてそれで見てみたんだけど・・・
うーん、正直あんまりよろしくない・・・
単純に、低音部分の音を拡大してるだけなんで、正直ノイズが多いし低音って振動を伴う事が多いんだけど、それが変に共振しちゃってビリビリって感じで正直「不快」な感じ・・・
いや、その不快とか緊張感とか不穏な感じを出したくて増強させるためにやってるならいいんだけど、別に場面構わず単純に低音を大きくすればいいでしょ?状態でやってるだけなんで、どーも合ってないというかね。
以前、和太鼓の公演を聞いた時、和太鼓の音がステージから客席の椅子に伝わってそれが椅子から聴衆の体にも響く、っていう感じならなんか、ドクドクする感じというか気分が高揚する感じがあったんだよね。
そーいうのがこの「重低音バージョン」の本当の狙いではなかろうか?と思うんだけど、そういうワクワク感を盛り上げるよりも不協和音的な感じの方が強い・・・
これだったら、私は通常の音響バージョンでいいや、と思いました。
でもって、今日のYahooニュースでちょっと気になったのがあるので、ご紹介。
「イタコ芸」利用ビジネスは詐欺罪にあたらないのか
会社員を長くやっていると、ビジネス上で立ちはだかる困難の連続に疲れ、思わず何かにすがりつきたくなる気持ちになることもあります。
それは愛する人との別れにも言えること。
大手ニュースサイトが昨年12月、「消えゆく『死者との交信』――青森のイタコを訪ねて」と題した記事を配信し、大きな反響を呼んだことは記憶に新しいでしょう。
これを読んだ記者は、その深く重層的な内容に感動すると同時に、もしこの「交信」が演技であり、さらには「霊感商法」などに結びついた場合、詐欺罪などに問われないのか疑問を抱きました。
オトナンサー編集部では今回、「イタコ芸」という造語を独自に作成し、それが法的にどう扱われるのかを弁護士の長家広明さんに聞きました。
.
長家さんは霊感商法について、「どこまでが許されて、どこからが許されないのかは、かなり難しい問題」と話します。
議論の前提として、仮に人をだましても、結果として金品をだまし取ったのでなければ、詐欺罪は成立しないという背景があるようです。
「法律が犯罪として規定する詐欺罪は、あくまでも財産的な犯罪なのです」。
確かに、だまされただけでは、財産的な被害を受けたわけではありません。
「精神的な苦痛を受けたことについて、民事上で慰謝料を請求できる場合もありますが、少なくとも、詐欺罪は成立しないのです」。イタコ芸も同様のようです。
長家さんは「人それぞれの考え方がある」と前置きしつつ、このように説明します。
「霊魂がこの世に存在するのか、霊魂が降りてきて話をすることが本当にあるのか、この点について『分からない』ということが、一般的で『健全な社会常識』だということで、皆さん一致しているのではないでしょうか」
このように考えた場合、イタコ芸がただちに「だます」ことに当たるかといえば、必ずしもそうは言い切れないのです。
壺を買わせてしまったらアウト
しかし、該当するケースもあります。」
たとえば「芸を利用して『この壺を買わなければ、がんになって1年以内に死んでしまう』と言って、壺を買った人がいたとしたら詐欺罪が成立します」。
霊魂がこの世に存在するかどうかは「分からない」としても、「壺を買わないとがんになって1年以内に死ぬ」という言葉の内容については、「真実に反している」と考えるのが「健全な社会常識」であるため、「だます」ことになるといいます。
では「この壺を買うと幸福になります」と言った場合はどうなるのでしょうか。
「表現内容にもよりますが、『幸福になります』で買った人がいても、ただちに『だます』ことにはなりません」。
その理由としては、「幸福」という概念は抽象的であり、幸福になるかどうかは「分からない」というのが、「健全な社会常識」と考えられるからです。
.
「分からない」という感覚
「霊魂が存在することは、科学的に証明されていませんが、存在しないことも証明されていない。
法律の世界では『社会通念』という言葉がよく使われるのですが、それを言い換えると『健全な社会常識』です。
何が健全で何が常識なのか一概には言い切れませんが、こうしたバランス感覚がとても重要なのです」
これを機会に「分からない」という感覚について改めて考えてみるのも、よいかもしれませんね。
・・・という事なんですが、この「イタコ芸」っていうのがなんかなぁ~と思う。
まぁ、イタコ芸で検索かけると、引っかかるのが大抵恐山のイタコではなくて、某新興宗教の教祖様だったりするからなんですが、要するに最初から「疑い目線」なんだよね~。
で、まあ某宗教家は置いといて、この記事書いた人って、イタコの事をよく判ってないんだねぇ、と思いましたよ。
って言っても、私も実際に見たわけでも、誰かを呼んでもらったわけでもないんだけどね。
民族博物館の映像アーカイブの資料で見たのと、実際にイタコの女性の書いた本を読んだくらい。
私は、イタコっていうのは(イタコ芸ではなくてね)死者の霊魂を呼び寄せる、と思われているけど実際は違うと思うんだよね。
その死者を呼び寄せたい依頼者、その依頼者の心の奥にある死者の思い出や死者への思いとか、要するに依頼者の心、想い、それを鏡のように写す、死者の言葉を借りて本人へと返す事なんじゃないか?と思うんだ。
だから、霊界があるだないだ、とかっていうのじゃなくて、心の問題なのではないか?と思う。依頼者のね。
イタコの口寄せは、死者のためではなく、生者のためのものなんだと思うんだよね。
誰しも、相手に対して何かしらの言いたいこと、伝えたかったのにできなかった事、あるいは向こうにこう言って欲しかった事とか持ってると思う。
それが、親しい近しい人であれば、その思いは強いと思うんだよね。
でも、それを全部伝える、伝えられる事ってないですよね、多分。
それで、生き残ってる人の方に後悔とかモヤモヤが残る。
それを引きずらないために、死者の名と口を借りて、その悔いを解消するのがイタコの口寄せなんじゃないかな?と。
生前、謝りたかったのにそれを伝えられないまま相手が亡くなってしまった場合、とても後悔が残るよね。
それを「大丈夫、あの時お前がそう言わなくても私はちゃんと解ってたから。」って言ってもらえたら・・・
あるいは、旦那が亡くなってその旦那が沢山愛人とかいたりとか浮気してたりして、妻が恨みを持っていてそれをぶつけたくても相手はもういない、っていう場合に、
「ごめんな。俺もいろいろ遊んだけど、本当に愛してたのはお前だよ、お前なら許してくれると思っていつも甘えてた、ごめんな。」って言ってもらえれば、多分許せると思うというか、本当はそう言って欲しかったんだよね。
というような感じで、依頼人が「こうあって欲しい、こう言って欲しい」というのを聞きたい、っていうのが大きいんじゃないかなぁ?
でも、それが勝手な思い込みで悪いとかっていうわけでもないよ。
そうやって、自分と向き合い、自分の考えを知る事で、次の道が開ける事も多いんだろうし。
それに、ドロドロも含めて故人との思い出や故人の事を腹を割って語れる、っていうのもなかなか出来ない事だろうしね。
要するに、イタコっていうのは生者に対する「セラピー」「カウンセリング」なんだと思うんだよ。
霊界とか幽霊とかの有無とかは関係なく。
イタコの口寄せは、依頼者の身近な人、親しい人を呼び寄せるっていうのが大前提みたいだけど、それはそれだけり依頼者がその死者への強い思いを持っているから投影しやすいっていう事なんだろうと思う。
有名人とかを呼び寄せたいっていうのはだから本来はやらないんでしょうねぇ、と思いましたな。
なので、この記事はイタコネタとしてはかなりズレていると感じた次第です。
まー、某総裁のイタコ芸は置いといてね^_^;;
でも、現実問題として「イタコ」は確かに霊感詐欺商法によく利用されているのも事実。
イタコの◎◎が作った数珠とか、イタコの●●が占ってどうのこうの、ってよく怪しい広告やらメールで見かけるからね。
これも多分「イタコ芸」であって、本当のイタコの事からではない、と思う。
と、すると、この記事書いた人も詐欺業者と「イタコ」に対する認識が近いって事ですかなぁ?
あの、東京ネズミーランドで遊ぼうとして偽造旅券で来日しようとしてた人だよね?
しかし、暗殺ですか?しかも、毒針?
なんか、20世紀の話のようだが、実際あるんだねぇ。
まぁ、日本でもオウム真理教が似たような事やろうとしたという事件はありましたがなぁ。
でもって、昨日のDr.ストレンジで書き忘れたんだけど、映画館で「特別重低音増強バージョン」みたいなのをやってたんだよね。
料金は通常のままで。
今、結構いろんな映画(ハリウッド大作系が多いけど)を、この重低音バージョンで上映やってて初めてそれで見てみたんだけど・・・
うーん、正直あんまりよろしくない・・・
単純に、低音部分の音を拡大してるだけなんで、正直ノイズが多いし低音って振動を伴う事が多いんだけど、それが変に共振しちゃってビリビリって感じで正直「不快」な感じ・・・
いや、その不快とか緊張感とか不穏な感じを出したくて増強させるためにやってるならいいんだけど、別に場面構わず単純に低音を大きくすればいいでしょ?状態でやってるだけなんで、どーも合ってないというかね。
以前、和太鼓の公演を聞いた時、和太鼓の音がステージから客席の椅子に伝わってそれが椅子から聴衆の体にも響く、っていう感じならなんか、ドクドクする感じというか気分が高揚する感じがあったんだよね。
そーいうのがこの「重低音バージョン」の本当の狙いではなかろうか?と思うんだけど、そういうワクワク感を盛り上げるよりも不協和音的な感じの方が強い・・・
これだったら、私は通常の音響バージョンでいいや、と思いました。
でもって、今日のYahooニュースでちょっと気になったのがあるので、ご紹介。
「イタコ芸」利用ビジネスは詐欺罪にあたらないのか
会社員を長くやっていると、ビジネス上で立ちはだかる困難の連続に疲れ、思わず何かにすがりつきたくなる気持ちになることもあります。
それは愛する人との別れにも言えること。
大手ニュースサイトが昨年12月、「消えゆく『死者との交信』――青森のイタコを訪ねて」と題した記事を配信し、大きな反響を呼んだことは記憶に新しいでしょう。
これを読んだ記者は、その深く重層的な内容に感動すると同時に、もしこの「交信」が演技であり、さらには「霊感商法」などに結びついた場合、詐欺罪などに問われないのか疑問を抱きました。
オトナンサー編集部では今回、「イタコ芸」という造語を独自に作成し、それが法的にどう扱われるのかを弁護士の長家広明さんに聞きました。
.
長家さんは霊感商法について、「どこまでが許されて、どこからが許されないのかは、かなり難しい問題」と話します。
議論の前提として、仮に人をだましても、結果として金品をだまし取ったのでなければ、詐欺罪は成立しないという背景があるようです。
「法律が犯罪として規定する詐欺罪は、あくまでも財産的な犯罪なのです」。
確かに、だまされただけでは、財産的な被害を受けたわけではありません。
「精神的な苦痛を受けたことについて、民事上で慰謝料を請求できる場合もありますが、少なくとも、詐欺罪は成立しないのです」。イタコ芸も同様のようです。
長家さんは「人それぞれの考え方がある」と前置きしつつ、このように説明します。
「霊魂がこの世に存在するのか、霊魂が降りてきて話をすることが本当にあるのか、この点について『分からない』ということが、一般的で『健全な社会常識』だということで、皆さん一致しているのではないでしょうか」
このように考えた場合、イタコ芸がただちに「だます」ことに当たるかといえば、必ずしもそうは言い切れないのです。
壺を買わせてしまったらアウト
しかし、該当するケースもあります。」
たとえば「芸を利用して『この壺を買わなければ、がんになって1年以内に死んでしまう』と言って、壺を買った人がいたとしたら詐欺罪が成立します」。
霊魂がこの世に存在するかどうかは「分からない」としても、「壺を買わないとがんになって1年以内に死ぬ」という言葉の内容については、「真実に反している」と考えるのが「健全な社会常識」であるため、「だます」ことになるといいます。
では「この壺を買うと幸福になります」と言った場合はどうなるのでしょうか。
「表現内容にもよりますが、『幸福になります』で買った人がいても、ただちに『だます』ことにはなりません」。
その理由としては、「幸福」という概念は抽象的であり、幸福になるかどうかは「分からない」というのが、「健全な社会常識」と考えられるからです。
.
「分からない」という感覚
「霊魂が存在することは、科学的に証明されていませんが、存在しないことも証明されていない。
法律の世界では『社会通念』という言葉がよく使われるのですが、それを言い換えると『健全な社会常識』です。
何が健全で何が常識なのか一概には言い切れませんが、こうしたバランス感覚がとても重要なのです」
これを機会に「分からない」という感覚について改めて考えてみるのも、よいかもしれませんね。
・・・という事なんですが、この「イタコ芸」っていうのがなんかなぁ~と思う。
まぁ、イタコ芸で検索かけると、引っかかるのが大抵恐山のイタコではなくて、某新興宗教の教祖様だったりするからなんですが、要するに最初から「疑い目線」なんだよね~。
で、まあ某宗教家は置いといて、この記事書いた人って、イタコの事をよく判ってないんだねぇ、と思いましたよ。
って言っても、私も実際に見たわけでも、誰かを呼んでもらったわけでもないんだけどね。
民族博物館の映像アーカイブの資料で見たのと、実際にイタコの女性の書いた本を読んだくらい。
私は、イタコっていうのは(イタコ芸ではなくてね)死者の霊魂を呼び寄せる、と思われているけど実際は違うと思うんだよね。
その死者を呼び寄せたい依頼者、その依頼者の心の奥にある死者の思い出や死者への思いとか、要するに依頼者の心、想い、それを鏡のように写す、死者の言葉を借りて本人へと返す事なんじゃないか?と思うんだ。
だから、霊界があるだないだ、とかっていうのじゃなくて、心の問題なのではないか?と思う。依頼者のね。
イタコの口寄せは、死者のためではなく、生者のためのものなんだと思うんだよね。
誰しも、相手に対して何かしらの言いたいこと、伝えたかったのにできなかった事、あるいは向こうにこう言って欲しかった事とか持ってると思う。
それが、親しい近しい人であれば、その思いは強いと思うんだよね。
でも、それを全部伝える、伝えられる事ってないですよね、多分。
それで、生き残ってる人の方に後悔とかモヤモヤが残る。
それを引きずらないために、死者の名と口を借りて、その悔いを解消するのがイタコの口寄せなんじゃないかな?と。
生前、謝りたかったのにそれを伝えられないまま相手が亡くなってしまった場合、とても後悔が残るよね。
それを「大丈夫、あの時お前がそう言わなくても私はちゃんと解ってたから。」って言ってもらえたら・・・
あるいは、旦那が亡くなってその旦那が沢山愛人とかいたりとか浮気してたりして、妻が恨みを持っていてそれをぶつけたくても相手はもういない、っていう場合に、
「ごめんな。俺もいろいろ遊んだけど、本当に愛してたのはお前だよ、お前なら許してくれると思っていつも甘えてた、ごめんな。」って言ってもらえれば、多分許せると思うというか、本当はそう言って欲しかったんだよね。
というような感じで、依頼人が「こうあって欲しい、こう言って欲しい」というのを聞きたい、っていうのが大きいんじゃないかなぁ?
でも、それが勝手な思い込みで悪いとかっていうわけでもないよ。
そうやって、自分と向き合い、自分の考えを知る事で、次の道が開ける事も多いんだろうし。
それに、ドロドロも含めて故人との思い出や故人の事を腹を割って語れる、っていうのもなかなか出来ない事だろうしね。
要するに、イタコっていうのは生者に対する「セラピー」「カウンセリング」なんだと思うんだよ。
霊界とか幽霊とかの有無とかは関係なく。
イタコの口寄せは、依頼者の身近な人、親しい人を呼び寄せるっていうのが大前提みたいだけど、それはそれだけり依頼者がその死者への強い思いを持っているから投影しやすいっていう事なんだろうと思う。
有名人とかを呼び寄せたいっていうのはだから本来はやらないんでしょうねぇ、と思いましたな。
なので、この記事はイタコネタとしてはかなりズレていると感じた次第です。
まー、某総裁のイタコ芸は置いといてね^_^;;
でも、現実問題として「イタコ」は確かに霊感詐欺商法によく利用されているのも事実。
イタコの◎◎が作った数珠とか、イタコの●●が占ってどうのこうの、ってよく怪しい広告やらメールで見かけるからね。
これも多分「イタコ芸」であって、本当のイタコの事からではない、と思う。
と、すると、この記事書いた人も詐欺業者と「イタコ」に対する認識が近いって事ですかなぁ?