УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

登呂遺跡に行きました

2020-04-11 21:56:00 | 土偶・縄文・考古学
今日、鎌倉仏教の法然と親鸞についてのざっくり勉強していたら、なんか強いデジャブ感に襲われた。
なんか親鸞の教え、なんかこれ知ってるよ私!え、なんでや?私は浄土真宗じゃないし〜!前世が親鸞だった?←オイ^_^;;
って感じでしたがわかりました!
五色園だよ!五色園でさり気に親鸞の教えが身についていたのでした!(爆)
さすが宗教テーマパーク!
これで試験はバッチリだな!←根拠の無い自信。

で、今日は登呂遺跡に行きました。

登呂遺跡のマスコットキャラ、トロベーなんですが、普通だとちびまる子系な顔なのに、

目を閉じるとなんかイメージ違う感じ・・
まあ、どーでも良しって言えばどーでも良いが。
春期の企画展・稲作に関する展示を見てきました。

稲作始まったのは弥生時代、ってわけで登呂遺跡も稲作とは切っても切れない縁がある、ってわけで。

弥生時代当時の田んぼの想像模型。
今の田んぼよりもよりブロックを小さくした感じで水田を作っていたらしい。
で、暗渠って弥生時代からあったんだー!?
てっきり江戸時代あたりの用水路を明治〜大正〜昭和にかけて上を塞いで道路にしたイコール暗渠、だと思ってましたが、弥生時代からあったんか〜。

農作業道具。樫の木を使ってるそうですが、材質は変われど型的には今も変わらないなあ〜

石製の鍬らしいが、しっかり年月日とか書かれてしまっている。
これは多分、遺跡だと公的に認められて調査されるより以前に個人の人が趣味的に掘り出してコレクションしていたのを博物館に寄付した、元は個人所有だったからかなー?って思ったりして。

当時の炊飯はこう言う脚付の土器で行われていたらしい。
普通に考えると、いわゆる普通の鍋みたいな形の方が火に近くて熱も伝わりやすくてよかない?って思うんだけど、こうやって直接火にかざさずに脚部分から鍋部分に熱を伝導する方式にする方が全体に均一に熱が廻ってふっくらご飯が炊けるのかもしれませんなあ〜。
そーいや昔の飯盒、空豆の形してるの、あれも焚火みたいな不安定な火力の元でも対流が起きやすくご飯が美味しく炊ける、かららしいよ。



弥生だけど結構縄文的だなあ。

で、常設展も一応見てきたが、客は私しかいないんでここぞ、とばかりクイズやったり映像資料全部見てきたりしました。
なんか登呂遺跡クイズ、適当ーに答えたら全問正解でした。www


で、お隣の芹沢銈介美術館にも行きました。
なんかマメリッコみたいなヤツあるなーと思ったら、ホントにマリメッコのデザインを参考にしてみた時代の作品らしい、が、数年で飽きてやめたそうな。
芹澤銈介の作品は静岡の昭和世代のご家庭なら多分なんかあると思う。
新築祝いとかなんやらでよくもらうんだよね〜。
うちの実家にも『風』の座布団カバーあったなあ。
染色のカレンダーとかカードとかもレトロで可愛い。アマビエ様が似合いそうな感じで。
で、企画展で芹沢銈介が集めた楽しい仲間たち、つうのをやってて、芹沢銈介氏は自分民博的人でもあり、日本・世界各国の民芸品コレクターでもあり、その中からわりと小物だけど可愛い愛嬌のある品々をあつめた感じで、張子の猫で鯛を抱えたやつがなんかこうぺんちゃんみたいな顔してました。
静岡の美術館は何故か休館してないんだよねー、今のところ・・
閉まらないうちに、県美と市立美術館にも行っとかんとなー。
コメント (5)
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